アリマ漂着
「おえっ…気持ち悪…!!」
翌朝、レインは二日酔いになっていた。早朝、街の入り口の前をふらついていた。気分が悪くてよく眠れなかったようだ。
「大丈夫ですか?」
アグはいたって普段通りの様子でやってくると、レインに声をかけた。
「何でお前は平気なんだよ…あんなに飲ませたのに…」
「俺は最後まで酔っ払ってないんで…」
「まじかよ…くそ……」
レインを心配しながらも、いつも強気な彼の弱々しい様子を見て、アグは笑った。
「何笑ってんだ!!」
「ふふ……すみません」
「ったく…次は負けねえからな…」
「無理だと思いますけど」
「言ったな! ……っぐ…」
昨夜はレインさんと飲み明かした。レインさんは俺を酔わせようと様々なお酒を持って俺に飲ませたけれど、俺はほろ酔うことすらなかった。
あの後、ガルサイア国の話はしなかった。その代わり、レインさんは部隊の皆の話を聞かせてくれた。ベーラさんが酔っ払ってやらかした時の話とか、アシードさんの謎の武勇伝とか、内容は無茶苦茶でよく覚えていないのだけれど、とにかく楽しい話だった。
レインさんとの間に隔たりはある。一生なくすことはできない。でもレインさんは俺を仲間だといってくれた。俺はその優しさに全力で答えるしかない。
「がっはっは! だらしないぞレイン」
「無論だな」
アシードとベーラもやってきて、街の入り口に集まった。そこには巨大鳥アンジェリーナも待機していた。
「うるせえな…」
「鍛え方が足りんぞ若僧! 見よ! この筋肉の美しさを!」
アシードは力こぶをレインに自慢してみせた。でもレインにそれを見る余裕はまるでなかった。
「おはようアグ」
「おはようございますベーラさん」
ベーラはいつも通りの無表情だ。
「その…昨日の宴会ですけど……」
「うむ。よく眠れた」
「……」
(本当に何にも覚えてないんだな…)
「さて、後はルベルパールを採りに行くんだったか」
「そ、そうです…」
彼女が覚えていないのなら、まああえて話さずとも良いだろう…。
アシードもその後ベーラからある程度話は聞いたようだ。
「ならば、テレザ鉱山までアンジェリーナに乗っていこうではないか」
「誰だっけそれ……おえっ!」
「お前のことが嫌いな例の鳥だ」
「ああ、そうだ……ゔっ…」
レインはそう言って口を抑えると、地面にうずくまった。
「だ、大丈夫ですか……」
「だらしない奴だ。鉱石を採ってくる間、置いていこう」
「がっはっは! アンジェリーナに乗ればあっという間よ! すぐに採って帰るから、若僧は休んでおくがいいぞ」
「まあ、傷も完治していないだろうしな。ちょうどいいだろう」
「グワッグワッグワッ」
アンジェリーナはレインに向かって、ざまあみろと言っているようだった。
「ちなみにジーマたちは、これから船に乗ってアリマに向かうところらしい。無線の声で敵に気づかれる恐れがあるから、こちらからは連絡をしないということになった。何かあれば、向こうから連絡がある。アグも使わないように」
「わかりました…」
無法地帯アリマ。アグも本で読んだことがあるけれど、相当にまともではない国だ。異国人は先住民の的にされて、すぐに命を狙われると記載されていたのを、アグは思い出した。
(ヌゥのやつ…本当に大丈夫かな……)
「それじゃあさっさと行くぞ」
「待て…! 俺も…! …ゔぅっ」
アンジェリーナは皆を乗せると、レインに向かってあっかんべーをしてみせた。巨大な翼がはためき、目の眩むような砂煙が舞い上がる。あっという間に地上を離れると、空高く飛び上がった。
「クソ鳥……うっぷ」
レインは口元を抑えながら、街のトイレに向かって全速力で駆け出した。
ジーマたち一行は、アリマに行くために船を一隻借りると、まもなく出港した。アリマに行くというので、船代は国王からしっかりと預かっていた。4人で乗るにはあまりに勿体ないほど広々とした客船である。
「きゃ〜! 私、船なんて初めて!」
「俺も俺も!」
シエナとヌゥは甲板に出ると、広がる海を眺めては大はしゃぎだった。
「うひょ〜! いい眺め〜!」
早朝だった。差し込んだ朝日が反射して、波面がキラキラと輝いている。澄んだ海の青は果てしなく続いていて、空の天色と交わる直線のコントラストが美しい。潮風の香りが心地よく、波の音が優しく耳に響く。後ろの港は姿を消し、あっという間に見渡す限りの大海原となった。まるで別世界にやってきたみたいだ。
(アグにも見せてあげたいなあ……!)
ヌゥは満面の笑顔を浮かべながら、海を眺めた。シエナは隣にいる彼の方を横目で見た。
(ほんっと子供みたい!)
「見てシエナ! イルカ! イルカが跳ねた!」
「え?! どこどこ?! イルカどこ?!」
シエナはヌゥの指差す方向を見るが、イルカの姿はない。船頭に前のめりになってイルカを探す様子はまさに子供だった。
「ようあの殺人鬼と仲良ぉ出来るな…」
「シエナは物怖じしないからねぇ〜」
操縦室にて、ヒズミは舵をきっていた。その隣でジーマはヌゥとシエナがはしゃぐ様子を見守っていた。
「いやぁ、まあでも、船の運転なんて懐かしいわ」
「ヒズミは船でユリウス大陸まで来たんでしょ?」
「最後は沈んでもうたんですけどね」
忍術師のヒズミ・サノ。海の向こうの別大陸からやってきた男である。多少の訛りがあるとはいえ、言語は同じである。遥か昔、元々巨大だった大陸が天災によって分断されたという説がある。更に分断前の言語が各大陸にて受け継がれていることから、世界はどこに行っても共通言語であるという説は、ヒズミの存在によって大変有力なものとなっていた。
ヒズミの漂着により他大陸の存在は顕になったわけだが、未だにユリウス大陸から他大陸への航海に成功したという話はない。というのも、長距離航海に挑むための船のエンジンが未だ発展途上なのである。
「よく泳いでこれたね〜」
「昔から泳ぐのだけは得意なんですよ。ちっちゃい時から、海岸沿いに住んどったんです」
航海すること2時間弱、無法地帯の島国アリマが見えてきた。近づくと、ゴツゴツした岩山や、熱帯雨林が無限に広がっている。外観に人工的なものは一切見えず、まさに自然の島だ。
そしてここでは、狂気的な住民たちが、毎日命懸けのサバイバルを楽しんでいるとのことだ。
甲板のヌゥとシエナは、異様な空気の漂うその巨大な島を見据えていた。
「見えてきた!」
「あれがアリマね…。きゃっっ!!」
突然のことだった。黒くて丸い何かが船に向かって飛んできたかと思うと、船に触れると同時に激しく爆発したのだ。
「なんや?! 爆弾? いや、大砲か?!」
「シエナたちは?!」
ジーマとヒズミは慌てて甲板へ駆け出した。
「シエナ!!」
爆発の勢いで船頭から落ちそうになったシエナの腕を、ヌゥはガシッと掴んだ。シエナは船頭から宙ぶらりんになると、真下の海を見ては大声で叫んだ。
「きゃあああ!! 落ちるぅうう!!」
「ちょっと! 暴れないでよ!」
ヌゥがシエナを引き上げたその時だった。
「うわっ!」
続いて次の大砲が船を襲った。船は激しく損傷し、甲板が大きく割れたかと思うと、大きく傾いた。ヌゥはシエナを引き上げる代わりに体制を崩し、船の外へと身体が流れた。
「ヌゥ!!!」
ヌゥは仰向けになったまま海の中へと落ちていく。シエナの愕然とした表情が最後に見えた。
(やっば……!!)
割れた甲板を挟んでジーマとヒズミも外に出た。ちょうどその時、ザブーン!!と大きな音を立てて、ヌゥは海の中へと落っこちた。
「ヌゥ君!」
ヌゥは泳げないと自分で言っていたのを、皆は思い出す。ジーマが助けに行こうとする前に、ヒズミが海に飛び込んだ。
「ヒズミ!!」
「きゃあああっ!!」
再び大砲が撃ちこまれた。煙が上がって視界が見えなくなる。ジーマは何とか反対側へ飛び移ると、シエナの手をとった。
「シエナ、大丈夫?!」
「ジーマさん!! 私は大丈夫です! でも2人が!!」
ジーマたちの乗った甲板は、崩れながら、ヒズミたちと反対方向に流されていく。
(くそ……煙で何も見えない…!!)
最後にもう一発大砲が撃たれたかと思うと、ジーマとシエナも海に落ちた。
「うぉ〜しゃあああ!! 大命中ぅううう!」
その島の高い岩山の上で、船が壊された様子を見ながら、大男は高らかに笑った。大男の足元には巨大な大砲が置かれていた。その隣にはシエナよりも更に幼い少年が、興奮しながら手を叩いていた。
「うひゃ〜! あいつらから買った大砲、すっごい威力だねぇディラム!!」
「がっはっは!! 10人も殺した甲斐があったってもんだ!」
「いいなあ〜! ねえ、後で僕にもやらせてよ〜」
「まあ待てクルト! 砲弾にも限りがあんだからよ」
「ええ〜ディラムだけずるいよ〜!」
「が〜はっはっはぁっ!」
少年は仏頂面を決め込んだ。そんなことはまるで気にもせず、大男は大砲をよしよしと撫でながら、高笑いを続けていた。
(なんか勢いで飛び込んでしもた! もうなんか色々やばない? あかん! 考えてる余裕ないわ! とりあえずヌゥ君を!)
溺れていたヌゥを抱え、ヒズミは陸まで泳ぎきった。そこは広々とした砂浜で、折れた剣や壊れた箱などのゴミがそこら中に散らばっている。
「ハァ……ハァ……」
砂浜に上がったヒズミは、ヌゥを下ろした。幸い、野蛮な住民たちの姿はない。
「ハァ……おい! ヌゥ君! 大丈夫か?! ヌゥ君?!」
ヒズミはヌゥに呼びかけるが、目を閉じたまま微動だにしない。全身はびしょ濡れで、海水の匂いがまとわりついている。
(あかん! これは……あれが必要なやつや、人工呼吸…!!)
ヒズミは息切れしながら、ヌゥの顔をまじまじと見つめた。
「まじか……」
(いや、迷っとる暇はない! ここにはわいしかおらんのや…)
色白とした素肌に、整った眉、高い鼻、まつ毛は長くて、何となく綺麗な顔立ちの女の子にも見える。しかし凶悪殺人鬼である彼のその顔に、ヒズミは狂気を感じていた。ヒズミはゴクリと息を呑んだ。
(いやいや…ヌゥ君が死んだら大変や……! せや! ここはアリマやで?! ヌゥ君に守ってもらわなあかん! はぁ…でもどうせやったらシエナみたいに可愛い女の子がよかったなあ〜…。こいつ男やしさぁ…。いや、こんな時に何言うてんねん! アシードのおっさんにするよりはましや! ていうかこれはチューやない! 人工呼吸やあ!)
ヒズミはゆっくりとヌゥに顔を近づけた。唇まであと数センチのところで、ヌゥはパッと目を開けた。
「ぎぃぃいいやああああああああああ!!!」
ヒズミは大声をあげ、後ろに飛び上がった。案の定尻もちをついた。ヒズミにとっては失神してもおかしくないほどの恐怖だった。そうとは知らずにヌゥはのっそりと起き上がった。
「うん…ヒズミ? っ! ゲホッ! ケホッケホッ!!」
「だ、大丈夫かいな…溺れとったで……」
少しばかり咳き込んだ後、ヌゥはふぅと息をついた。ヒズミはハラハラしながら彼の動向を見守っていた。
「はあ! もう大丈夫! えっと…ヒズミが助けてくれたんだね! ありがとう」
「いや、うん、そうやけど…」
ヌゥはすっかり元気といった様子で立ち上がった。ヒズミも立ち上がろうとしたその時だ。
「ヒズミ! 危ない!」
突然ヌゥはヒズミを押し倒した。
「何やっ!!」
すると、サクっといい音がなり、ヒズミの横の地面に、クナイが刺さった。
「ひぃ…何やねん…」
「狙われてる」
ヌゥはクナイのとんできた先を睨みつけた。森の木の影に、人影が見えた。おそらく先住民だ。
「よし、俺がすぐ倒して…」
「逃げるでヌゥ君!」
「えっ」
ヒズミはヌゥの手を引くと、全力で逃げだした。彼らを狙っていた先住民は驚いたように目を見開いた。
「き、消えた…?!」
ヌゥはヒズミに引っぱられるように走りながら、先程の敵の様子を伺った。敵はキョロキョロと辺りを見渡し、自分たちを探している。
「俺たちのこと、見えてないの?」
「ああ! そやで! 隠れ身の術や!」
「それって、もしかしてヒズミの忍術?」
「せや! 隠れ身の術を使うと、相手はわいらの存在を感じなくなるんや! わいに触れたものは、全部見えへんようになる。奴らにはわいらが突然消えたように見えたんや。でも透明になったわけやない。喋れば声は聞こえるし、攻撃が当たったら普通に怪我もする」
「へえ〜便利だね! でもあいつら倒さなくてよかったの?」
「いいんや! 逃げるが勝ちや!」
「ふぅ〜ん」
そのままヌゥとヒズミは、アリマの森の奥深くへと走り続けた。




