ヌゥとシエナ
早朝、シエナは誰よりも先に目を覚まして、身支度を完璧に整え、髪型もメイクも万全の体制だった。
「早起きやな〜」
次にヒズミが目を覚ますと、完全に仕上がっているシエナを見ては、ふわぁと欠伸をした。
「ジーマさんと一緒の遠征やからて、気合い入れすぎちゃう?」
「べっつに〜! 普段通りですけど? 何か?」
「まあええけど」
ヒズミはボサボサの髪をかきあげる。
(そうや〜疲れて風呂も入らんと寝たんやった)
「2人はまだ寝とんか」
「昨日の夜は大変だったのよ。あんたの言ってたメリとかいうシャドウに、ヌゥが襲われたんだから」
「えっ?! あのやばい女にか?」
ヒズミはウォールベルト侵入時に出くわした、やたらと狂気じみたシャドウ、メリを思い出した。
(出来ることならもう一生会いたないわ…。あの時はうまく撒けたけど、次はわからん! ああ、怖い怖い!!)
続いてヌゥが目を覚ました。欠伸をしながらのっそりと起き上がった。
「うーん…おはよう皆」
2人はハっとしてヌゥを見た。顔と身体の血は昨日ジーマとシエナが拭い、着替えも済ませてくれていた。
「お、おはようヌゥ君」
ヒズミはおそるおそる彼に挨拶をした。
(はぁ…またこいつとの旅が始まるんか…憂鬱やで〜…)
シエナはヌゥにずんずんと近寄った。ヌゥは驚いて少し後ずさりした。
「な、何…?!」
シエナはヌゥと一瞬目を合わせた後、ヌゥの黒シャツを突然バッとめくりあげた。酷い差し傷が、あとかたもない。
(ジーマさんの言ってた通り、一晩で治ってる…)
「な、何するんだよ!」
ヌゥは軽く赤面しながらシエナの手をとって服を下ろした。ヒズミも見かねた様子だった。
「何してんねんシエナ…。ていうかヌゥ君、無傷やん」
「だって、昨日は物凄い傷で…」
「ああ」
ヌゥは話し出す。
「俺ね、一晩寝たら、どんなケガでも治るんだ」
「ジーマさんがそう言ってたけど……本当なのね。はぁ…意味わかんないんだけど!」
「俺もわかんないよ…ふわぁ…」
ヌゥも再び大きな欠伸をした。シエナは呑気な彼を不審な顔つきで見ていた。
(呪いの次は治癒能力? こいつまじなんなん? 本当に人間?!)
「んで、ジーマさんはまだ寝てんのかいな」
3人はジーマを見た。幸せそうに深い眠りについている。
「ジーマさんは、朝に弱いタイプなのよ!」
「だらしない隊長やで、ほんまに。やから遅刻ばっかりすんねん」
「ちょっと! ジーマさんのこと悪く言わないでよ!」
「はいはい。それじゃあわいは今のうちに朝風呂入ってくるから、またな〜」
ヒズミはさっさと宿にある浴場に向かっていった。
ヌゥはシエナを見ると言った。
「朝から化粧ばっちりだね」
「ふふん! 当然よ! 女の子としての身だしなみってやつよ!」
「へぇ〜大変だね。俺は男でよかった〜」
ヌゥは髪をくしゃくしゃと適当に整えて、はい終わりという風にしてシエナを見た。シエナはしらけた目で彼を見ていた。
「そういやさ、シエナってジーマさんのことがすごく好きなんだね」
「そうよ! 悪い? ていうか、アグもだけど、あんたたち私の後輩なのよ! 敬語使いなさいってのよ! 敬いなさいよ先輩を!」
「何でそんなに好きなの?」
「無視ぃ?! いい度胸ね! ほんとに!!」
大量殺人鬼に向かって物怖じしない彼女の方がいい度胸、とも言えなくはない。シエナはヌゥを前にしても、決して怯みはしないのだ。
(だってこいつには私を攻撃できない服従の紋がはめられてるんだからね! ふふ! 怖いものなんてないわ!)
「好きなものは好きなのよ! ジーマさんは優しくてかっこよくって、おまけに誰よりも強いんだから!! 好きにならないわけがないじゃあないの!」
シエナは寝ているジーマを見ては、デレデレとした様子で答えた。
「ふぅーん」
「何よその反応は!」
「羨ましいな。そんな風に好きな人がいるなんて」
「はぁ?」
「俺は恋愛なんてしたことないからさ〜。シエナがジーマさんのことが好きなのはすぐにわかったよ。そんなシエナを見てたらさ、何だかすごくキラキラしているなって、毎日楽しそうだなあって、そう思ったんだよね」
「……」
そんな風に言われて、シエナは悪い気はしなかった。
むしろなんだか、嬉しかった。
(こいつ、本当に囚人なの?)
変な奴ってことは間違いないんだけどさ。
何だか調子が狂うのよね。
「あんたは女の子を好きになったことないの?」
「そんなのあるわけないよ。村の連中は皆、俺のことが嫌いだった。だから皆殺しにしたんだよ。呪いのせいだってアグは言うけど、それでも殺したのは俺だからね。そしてその後は、アグにしか会っていないからね」
「……」
淡々と話すヌゥにシエナは少しビビってしまったのだけれど、表には出さないように我慢した。
「ま、まあ、これから出会うんじゃない? 可愛い女の子に会えば、あんただってコロっとその子のことが好きになるわよ!」
「うーん。あんまり興味がないなぁ」
「酷〜い! 部隊の女の子をよく見なさいよ! 皆可愛いでしょ〜! ベーラは化粧なしなのにあの綺麗さだし、ベルは癒やし系かつ巨乳だし! それにこの私! 部隊一のスーパープリティガールのシエナ様がいるってのに!!」
「ふぅ〜ん」
(ちぃっ! こいつまじで興味がないって感じじゃん! 恋愛羨ましいとか言っといて、女に…いや人間に興味ないんじゃないの?)
「まあいいや。無理して恋愛なんてしなくたって、俺にはアグがいるし〜!」
ヌゥはにっこりと笑ってそう言った。シエナは呆れた様子だ。
「あんた、ほんとアグのことが好きね! アグが女だったら良かったわね〜!」
「アグは友達だから! 初めて出来た友達! そういやシエナ、アグと鉱山まで行ったんでしょ?」
「ふふ! この私が凡人のアグを超護衛してやったわよ〜! 毒グモを倒したり、シャドウを倒したり、ノッカーを倒したりねっ!」
ドドンっとシエナはドヤ顔を浮かべる。
(毒グモを倒したのはアグだったっけ…まあいいわ! 後輩の手柄は、先輩の手柄ってやつよ!)
「シエナは強いんだね! ありがとう! アグを守ってくれて!」
ヌゥはにっこりとシエナに笑いかけた。
「……」
何だろうか、彼のこの屈託のない笑顔は…。
子供みたいな無邪気な彼の笑顔を見ていると、こいつが殺人鬼だってことを忘れそうになる。
「ジーマさんと早く結婚出来たらいいね!」
「えっ?!」
「だっていつもそう言ってるから!」
「あ、当たり前じゃない! ていうか本当にするんだから! 私たち両思いなんだからね!」
シエナはふんっと怒った様子で言った。
(どうせあんたも、私のこと馬鹿にしてんでしょう!)
皆、私がキャーキャー騒いでるだけだと思ってる。
まあ別にいいんだけど!
だって私たち、本当に結婚の約束したんだもん…!
(本当だもの……)
「そうだと思った! だってジーマさんも、シエナのこと同じように見てるもんね〜」
「え?!」
シエナは驚いたように彼を見ていた。
「う、嘘! いつ?! え?! そうなの?!」
「そうなのって、見てたらわかるけど」
「え? え? えええ?!?!」
ヌゥは頭の後ろに手をやり、きょとんとした様子だった。
「そんなに驚くこと?」
「だって…」
昨晩、シエナの不安は高まっていた。結婚の約束をしたはずなのに、それからの毎日に何の変化もないからだ。
「みんな、私の片思いだと思ってるわよ。ジーマさん、私がどれだけ好きだと言っても、いつもヘラヘラニコニコ笑っているだけなんだもん。だから皆、ジーマさんは私のことなんて相手にしていないって思ってるの」
「うーん。そうかな〜…?」
「……」
シエナはしょぼくれた様子だ。ヌゥは首を傾げた。
「確かにジーマさんはいつも笑ってるけど、シエナといる時は本当に楽しそうに笑ってるよ」
だから俺は思ったんだ。2人はきっと、両思いなんだって。
「20歳にならないと結婚できないんだっけ? カンちゃんに教わった気がするなあ」
「そ、そうなの。私まだ14歳だから…」
「あと6年か! まあでもすぐだよそんなの! アグが来てからは独房での10年もあっと言う間だったよ!」
「そ…そりゃどうも……」
(何でこの殺人鬼に励まされなきゃいけないのよ…)
変わってる…こいつ…。
本当に変わってる。
だけど、そこまで悪い奴じゃないのかもしれないわ。
ヌゥの言葉でシエナの不安は少しだけ、ほんの少しだけ取り除かれた。
「あ、あんたにも好きな人が出来たらいいわね!」
「え〜? 出来るかなあ」
「出来るわよ! きっとすぐに! 好きな人が出来るとね、人生変わるわよ! 毎日楽しくて、ハッピーな気持ちになるわよ!」
だって自分自身が、変われるから!
ブスで芋女だった私が、こんなに可愛くなれたもの!
(まあ、元が良かっただけだけど? ふふ!)
そう言って笑うシエナを、ヌゥは微笑ましそうに見ていた。
(そうみたいだね。シエナを見ていたら、俺もそう思う)
ねぇ、誰かを好きになるって、どんな気持ちなのかな…。
「あ〜すっきりした!」
風呂を終えたヒズミが、部屋まで戻ってきた。未だにスヤスヤ寝ているジーマを見ると、ヒズミは言った。
「なんや、まだ寝とんかいな。はよ起こさんかい。出発できひんやろ」
(こちとらはよ行って、はよ帰りたいんやから!)
「いいの! もう少し寝かせてあげるの!」
「はぁ〜? 隊長やからって、そんな権力乱用許されへんぞ」
「うるさいわね! ていうかあんたも私の後輩なのよ! 敬語使いなさいってのよぉ!」
「何言うてんねん。シエナは子供やん!」
「何ですって〜?!」
子供扱いされるのが嫌なシエナはキーっと怒っていた。ヌゥは2人がいがみ合う様子を笑って見ていた。
アグ、今頃どうしてるかな。
身体の傷は大丈夫かな…。
さっさと仕事を終えて、アグに会いたいな〜!
ヌゥは部屋の窓から顔を出した。平穏とした村の様子を見ながら、そんなことを考えた。




