とんこつ醤油ラーメン(大)、チャーシュー味卵メンマ乗せ
それからアグたちは国境をこえ、南西に向かって進む事1時間、国を2つ超え、山道を凄い速さで駆け抜けていた。
「これは速い。馬車の何倍もな」
「荷物は限られるし、人2人がギリですけど…! うわっ」
アグはあまりの速さに体制を崩しそうになった。
「ごちゃごちゃうるせえな! 振り落とされても知らねえぞ!」
アグとベーラは、ライオンに戻ったレインにまたがっていた。ベーラの術で造ったベルトで身体を固定してはいたが、バランスをとらないと身体が持っていかれそうになる。馬車の何倍もの速さなのだ。
「今まで思いつかなかった。これからはレインを馬車代わりに使おう」
「おい! ざけんな! 人を動物みたいに!」
「でも、本当の姿は、ライオンなんですよね?」
「そうだけど! いや! そういうことじゃなくてだな…!」
「いいから黙って走れ。喋ると体力がなくなるぞ」
「ぐぬぬ…(ったく、このクソババアめ〜!)」
レインは山道を軽々と登って降りた。馬車で進めばこの山道を越えるのに半日はかかったことだろう。
馬車で3日はかかる距離をたったの1日で進むことができた。辺りが暗くなったところで、とある街にちょうど到着した。街のすぐ手前の馬車道で足を止めた。
「今日はこの街の宿に泊まろうか」
「そうですね…」
アグとベーラはレインから降りた。レインは周りに誰もいないのを確認すると、人間に姿を変え、地面に寝転んだ。
「ハァ…ハァ…疲れた…普通に疲れた……」
「ご苦労。なかなかのペースだった。じゃあさっさと宿を取りに行こう」
ベーラはスタスタと歩いていく。彼女のねぎらいなんていつもこんなものだ。レインは寝転んだまま、呼吸を整える合間にため息をついた。
「お疲れ様です、レインさん…」
アグは心配そうにレインに近寄り、手を伸ばした。レインはアグの手を少し見ていたが、やがてその手を掴むと、起き上がった。
「ったく…よく考えつくぜ。この俺に跨がろうなんてよ」
「すみません」
「いいけどさ! 早く着きそうだし! だけどお前、まじで荷物重すぎだぞ!」
「…すみません」
(やっぱり怖いなこの人……)
アグは様々な気まずさに襲われながら、レインに謝るしかなかった。立ち上がったレインは先へ行くベーラを追いかけた。
(帰りはルベルパール採ってくるから更に重くなるんだけどな…)
なんてことを言えるはずもなく、アグは2人を追いかけた。
宿屋は混み合っていて、とれた個室は2つだ。1部屋は女性のベーラが使い、もう1部屋でレインとアグが寝泊まりするのは必然だ。
(2人きり、怖え〜……)
ヌゥはレインさんのことを、すごく優しくていい人だなんて言っていた。話を聞く限り、確かにそうなのかもしれない。この俺にステーキ丼も奢ってくれたしな…。
だけどそう簡単に、彼との距離を縮められるはずもない。俺は彼の、生涯の仇なのだから…。
とりあえず、部屋に荷物を置き、宿屋のエントランスに集合し、夜ご飯を外のレストランに食べに行くという話になっていた。
「それじゃレインさん、行きましょうか…?」
「ふわ〜あ…」
アグがレインを見ると、彼は大きな欠伸をしていた。そのままベッドに倒れ込んだ。
「俺、飯いらねえや。もう寝るわ」
「…わかりました」
レインは酷く疲れていた。2人を乗せ、1日中走り続けたのだから当然だ。
「本当に…お疲れ様です…」
「ん…」
レインは気のない返事をし、そのまま眠ってしまった。それを見たアグは安堵した様子だった。
アグは1人、エントランスに向かった。そこにはベーラが腕組みをして待っていた。
「レインはどうした」
「かなり疲れたみたいで、もう寝るみたいです」
「そうか」
ベーラさんは特に心配するような素振りも見せず、というかこの人はいつも表情が変わらないから、何を考えているのかまるでわからない。
「それじゃ、食べに行こうか」
「はい…」
レインさんほどではないけれど、この人と2人で食事というのも何だか気まずい。何を話したらいいかわからない。流石に年下のシエナやベルと話すのと同じようにはいかない。
ここまでの道中、結局レインさんとベーラさんが2人で話をしていた。俺はほとんど口を聞かずに、話を聞いているだけだった。この2人はアジトでも一緒にいるのを目にすることが多いし、仲がいいみたいだ。
「アグ、何か食べたいものはあるか?」
「え?」
「ずっと独房の不味い飯を食わされていたんだろう。せっかく外に出たんだ。食べたいものはないのか」
「いや…えっと……」
そんなことを言われても、急には思いつかなかった。
「ベーラさんの食べたいものでいいですけど…」
「ふむ」
ベーラは足早に歩き始めた。アグは彼女の後ろをついていった。
(そういえば、ベーラさんは異常な大食いなんだっけ…)
ヌゥの話じゃバルギータのレストランのメニューを全て頼んで平らげたとか。アジトの簡易食堂でもパフェおかわりしてたし…。
(それなのに痩せてるのは何でなんだ…)
しばらく進むと、老舗の雰囲気が漂う活気づいたラーメン店にたどり着いた。夜遅くだったが、未だに行列が出来ている。なかなかの人気店のようだ。
「ここに決めた」
「は、はい…」
(まさかのラーメン…!)
予想外のチョイスにアグはぎょっとした。それを見たベーラは尋ねた。
「嫌いか?」
「いえ! 好きですけど…」
「ならば並ぶとしよう」
「はい…」
アグはベーラについで、行列の最後尾に立った。
「ここ、前に来たことがあるんだが、麺とスープが絶妙なんだ。涙が出るほど美味いぞ。超おすすめだ」
「そ、そうなんですね…」
ベーラがどことなく嬉しそうなのがアグにもわかった。
(ベーラさん、本当に食べるのが好きなんだな…)
2人はしばらくの間並んでいた。気づけば後ろにもまた長い行列が出来ていた。アグはベーラの後ろに立ったままで、ベーラは一度も振り返ることもなく、アグは彼女と何の話も出来ずにいた。
グ〜〜
(げ…)
アグのお腹がなった。
グ〜 キュルルル
腹の音は一度ではなく二度なって、ベーラも音に気づいてアグの方を振り返った。
「すみません…」
「なぜ謝る」
「いや、その…何となく…」
ベーラは首を傾げていたが、アグに言った。
「いいじゃないか。空腹は最高の調味料だ」
「はぁ…」
その後もアグは何も話せずにしばらく並び、ようやく店内に入ることができた。
「あい、いらっしゃい! カウンターでいいですかぃ?」
「いや、テーブルで頼む」
「? あいよ! じゃあそこのテーブル席にどうぞ」
店員は言われた通りに、ベーラとアグを4人がけのテーブル席に案内してくれた。
(カウンターは嫌いなのかな…)
「何を頼む?」
「とんこつ醤油ラーメン(中)で…」
アグはメニュー表の中で1番安い、普通のとんこつ醤油ラーメンを指差す。しかしベーラは納得していないような雰囲気だ。
「腹が減ってるんだろ。(大)か(特盛)にしたらどうだ。奢ってやるぞ」
「いえ…普通ので」
「遠慮をするなよ」
「…じゃあ(大)で」
ベーラの圧が何となくすごいので、彼女の言われた通り(大)を頼むことに決めた。
「トッピングはどうする」
「なくていいですけど」
「いいのか。チャーシュー1枚とネギしかのってないぞ」
「……それじゃあ…」
何だかんだで彼女の言いなりになったアグのオーダーは、とんこつ醤油ラーメン(大)、チャーシュー味卵メンマ乗せに決まった。
「注文を頼む」
「はいただいま」
威勢のいいお兄さんが、オーダーを取りにやってきた。
「とんこつ醤油ラーメン(大)、チャーシュー味卵メンマ乗せが1つと…」
「あい! とんこつ醤油ラーメン(大)のチャーシュー味卵メンマ乗せが、おひとつぅ!」
「とんこつ醤油ラーメン(特特特盛)のトッピング全部乗せ麺硬めスープ濃いめ特盛炒飯と餃子セットを10個」
「あい! とんこつ醤油ラーメン(特特特盛)のトッピング全部乗せ麺硬めスープ濃いめ特盛炒飯と餃子セットを……じゅ、10個ぉ?!」
「10個」
ベーラは顔色一つ変えずに店員と目を合わせる。
「じゅ、10個…かしこまりやした…!」
店員は慌てて厨房へと戻っていった。
(まじか…)
ヌゥの言っていたことは本当のようだ。ベーラさんの大食いは、異常だと。
しばらくして、大量のラーメンセットがテーブルに運ばれた。炒飯と餃子は10人分を大皿にまとめてくれていたが、それでもテーブルに全て乗せるのに一苦労した。
アグはあんぐりと口を開けて、ラーメンまみれの机を見ていた。
(カウンターにはのらねえな…)
ようやくアグは自分のラーメンに目をやった。
(うわ〜美味そう〜……)
トッピングを乗せた(大)ラーメンは大変豪華で、その見た目と匂いだけで軽く喉がなる。
「いただきます」
「いただきます…!」
そしてそのラーメンを口にすると、これまでに味わったことのない感動がアグを襲った。
「美味んん…ま!!!!」
「そうだろう」
思わず声が漏れてしまった。それほどまでに美味しい。
アグが一口食べている間にもうベーラのラーメンは1つ空になりそうだったが、そんなことは気にならない。
(何だこれ! 美味すぎ……!!)
空腹だったのも相まって、アグの箸は止まることがなかった。その美味しいラーメンを夢中になってかきこんで、気がついたら目からは涙が流れていた。
「本当に涙が出る奴は初めて見たぞ」
「いや、その……」
アグは途中で箸を置いて、涙を拭った。
「俺はこんな美味いもの…食べる資格なんてないのに…」
拭っても拭っても、涙は止まらなかった。
「すみません…」
「ふうむ」
この前食べたステーキ丼もそうだし、今食べているこのラーメンも、あまりにも美味しすぎた。
「アグ、食はこの世の全ての生き物が楽しむことを許された、最高の娯楽だ」
「はい…?」
ベーラは淡々と言った。
「お前が例え犯罪者であっても、食べ物をおいしいという思いだけは忘れることはないし、これからも生きている限り、それを楽しむことは許される」
「……」
「わかったらさっさと続きを食え。麺が伸びるぞ」
「は、はい…!」
アグはその後、あっという間にラーメンを平らげた。それよりも先にベーラは全てを平らげていたが、アグには驚いている余裕もない。
嬉しかった。
彼女の言葉が、ものすごく。
自分の過ち全てを悔いながら生き続けなければならない毎日の中で、1日3度も、幸せを感じてもいい時間がある。
そう思ったら、ほんの少しだけど、心が救われたような気がしたんだ。
「ベーラさん…」
「何だ」
「ありがとうございます……」
「構わないよ、ラーメンくらい」
「……」
ベーラに驚きを隠せない店員と客たちから大注目されながらも、2人は店を出た。
「アグ」
「は、はい」
「もう一軒、構わないか?」
彼女がそう言ったので、アグは軽く吹き出してしまった。
「もちろん、付き合いますよ」
アグが笑ったのを初めて見たベーラもまた、少し嬉しそうな様子なのであった。