次の依頼
ジーマとシエナはそんな昔の話をしていた。三角座りをして顔を埋めていたシエナは、隣にいるジーマの方をちらりと見た。
「ジーマさん、約束…覚えていますか?」
「うん。覚えてるよ」
シエナが20歳になったら結婚しようと、2人はあの日約束を交わした。
「あれって、ジーマさんも私のことが好きってことですよね?」
「うん、好きだよ」
ジーマはシエナと目を合わせた。シエナは顔を真っ赤にしていた。ジーマはその様子を見て、いつもみたいににこやかに笑っていた。
「確かに、国の法律では結婚は20歳からですけど…、でもお互いに好きなんだったら、今から付き合ってくれてもいいじゃないですか…。本当は私のことなんて好きじゃないんでしょう? 20歳になるまでに、私に他の好きな人が出来ると思って、適当に言ったんじゃないんですか?」
シエナはまだ14歳の少女。ジーマからすれば恋人よりも親子に近い年齢差。
あの日のジーマの言葉は本気だったのか、それとも最初から守らないつもりの約束だったのか…シエナにはわからない。
ふてくされるシエナの頭を、ジーマは撫でた。彼の手は大きくて、温かくて、優しい。シエナはその温もりに幸せを感じながらも、どこか不安気な表情を浮かべた。
ジーマは彼女の頭から手を下ろすと、少し切なそうな表情を浮かべ、口を開いた。
「シエナはまだ幼いからね…そういうこともあるかもしれない。その時は、君の好きな人と一緒になるべきだ」
シエナは焦ったように顔を上げた。
「な、何でそんなこと言うんですか! やっぱり私が子供だから…?! あの約束は嘘だったんですか?!」
「そんなことないよ。もしもの話だよ…」
ねぇ、だって僕は自信がないよ…。
君は若すぎる……
これから君は、一体どれだけの人に出会うだろう?
君が大人になったその時に、本当に僕のことを選ぶだろうか…。
僕たちの間には、壁がある。それは僕のせいだということもわかっている。
「そんなもしもはあり得ません! 私、20歳になっても、ううん、100歳になっても、ジーマさんのこと大好きですもん! ジーマさん以外、あり得ないですもん! 絶対に結婚です!」
シエナは強く言い放ったが、ジーマは何も言えずにいた。彼女の言葉が嬉しくて仕方がないのに、その喜びを表すことさえも躊躇ってしまう。
本当は今すぐにでも、抱きしめたくて仕方がないのに。
(シエナ…どうして僕なんかを選んでくれるの…? 僕は君が思っているような人間なんかじゃないよ…)
シエナもまた、気持ちに答えてくれないジーマに不安を抱いていた。
(どうして何も言ってくれないんですか…)
ジーマさん、私のことが好きって、本当なの…?
僅かな沈黙が2人を襲った。
すると、ガチャッと部屋のドアが開いた。
2人はハっとしてドアの方を向いた。そこには血だらけのヌゥが立っていた。おぼつかない足取りで、そのままドアにもたれかかると、バタリと地面に倒れ込んだ。
「ヌゥ!」
「ヌゥ君! どうしたの?!」
シエナとジーマは慌ててヌゥの元に駆け寄った。
その頃にはヌゥの出血は止まっていた。しかし服に染み込んだ大量の血は未だに滴り、顔も身体も血だらけである。
「だ、大丈夫…?」
(…なわけなさそうだけど! 何なのこの大量の出血!!)
シエナは心配そうにヌゥの背中に手をやった。ヌゥは頷くと、手をついて何とか起き上がりながら、口を開いた。
「シャドウ…がいたんだ…。メリっていう…名前の…」
「メリって…確か、ヒズミが言ってた例のシャドウか…」
他のシャドウとはまるで違う、おぞましい殺気を放っていた女性の姿だったという。
(ヌゥ君がこんなに傷を負わされるなんて…)
「突然現れて、戦闘になって…。でもごめんなさい…逃げられちゃった…」
「いいんだ。ヌゥ君が生きていて良かった…」
(どうしてメリは、ヌゥ君を…)
「それより、早く手当しなくっちゃ!! ああ、ベルがいてくれたら…」
慌てふためくシエナにヌゥは言った。
「大丈夫。必要ないよ…」
「そんなわけないでしょ! 顔中血だらけよ?!」
「いや、これは俺の血じゃない…」
そう言ってヌゥは顔についた血を拭った。そして手についたその鮮血を目にして、ハっとした。
(赤い…?)
しかし、そのことに気づいたのもつかの間、体力の限界がきていたヌゥは、そのまま意識を失い、再びバタリと倒れた。
「ヌゥ君!」
「きゃああ!」
ジーマは倒れたヌゥを抱えると、布団に寝かせた。スースーと落ち着いた寝息を立てている。シエナもヌゥの顔を覗き込んだ。
「大丈夫だ、生きてる…」
「でもこの傷じゃ…」
「ヌゥ君の身体さ、不思議なことに、一晩眠るとどんなケガでも治るらしいんだ」
「何ですかそれ……」
「さあ…。僕にもわからないけど、本人がそう言っていた」
「じゃあ、このままでも大丈夫なんですね…」
「おそらく…」
シエナは胸を撫で下ろした。殺人鬼といえど、仲間は仲間。こんなところで死なれちゃ、胸糞悪いわよ!
ジーマも眠りについたヌゥを横目に、顔をしかめていた。
(メリって奴はヌゥ君と刺し違える強さか…。こんな奴が大量生産されたら…さすがにまずいな…)
ジーマは宿の壁掛け時計が目に入った。夜の21時、定時連絡の時間である。
「そろそろベーラに定時連絡してくるよ。シエナももう、今日は休んで」
「…わかりました」
ジーマは無線を持って部屋を出た。部屋に残されたシエナはジーマの背中を見ながら、ハァとため息をついた。
「行っちゃった……」
ジーマさん……私の気持ち、本当は迷惑なのかしら…。
シエナはふと、倒れているヌゥを目にした。彼の傷の深さから、自分たちの敵の脅威さが伝わってくる。
(そんなこと考えてる場合じゃない…!)
ヌゥをこんな目に合わせて……許さないわよ! 絶対にウォールベルトの奴らを倒してやる…! このエースの私が…!
「そうすればジーマさんだって、本当に私のこと…」
見直して好きになってくれるはずよ!!
「シエナ、君は本当に強い! 惚れ直したよ!」と、そんな風にジーマに言ってもらえる日を、シエナは妄想した。
「うふ、うふふ……」
更にジーマに抱きしめてもらえる妄想をすると、よだれを垂らしながらニヤついた。
ジーマが強い女が好きだと言ったことは一度もないが、彼の役に立つことが彼に好きになってもらえる近道なのだと、シエナの中ではそのように変換されているのであった。
ヌゥたちが村に着く、もう少し前のことだった。アジトにポポが手紙を運んできた。食堂にいたベーラとレインが、その手紙を受け取った。
「お! 仕事か?」
ベーラの開く手紙をレインは覗き込む。暇を持て余していたレインは何だか気乗りしていた。
「ああ。ピエーラに巨大サソリの出現だと」
「ピエーラっていや、あの砂漠の真ん中にある街か」
「シャドウの仕業の可能性が高いな」
「だな! んじゃ、さっさと行くか!」
ついでベーラは手紙の2枚目を読んだ。
「それと、国王に書類を届ける依頼もだ。ジーマの部屋においてあるやつだ。ジーマが遠征前に、もし不在中に依頼されたら、それを届けてほしいと言っていたよ」
「ふーん、そいじゃどうする」
「とりあえず皆で集まろうか」
ベーラたちは研究所のアグとハルク、それにベルを、大広間に呼び出した。5人は席に付き、依頼内容を共有する。
「でしたら、私が書類送検に行きます!」
ベルが手を挙げた。
「そっか、わりぃな」
「いえ…このくらいしか役に立てませんし」
「そいじゃ、ピエーラには俺とベーラで行ってくるぜ」
レインが言うと、ハルクが手を挙げた。
「あの…」
「ん? どうしたハルク?」
「アグさんも同行させてもらえないでしょうか」
(え?!)
アグは突然のハルクの提案に目を見開いた。レインとベーラも顔を見合わせた。
「別にいいけど、何で?」
「実際にあなたたちが戦っているところを見た方が、よりよい武器や道具の開発が出来ると思うんです」
「まあそうかもしんねえけど。研究は?」
「私1人でも進められますので、問題ありません。それに、ピエーラの方面には、テレザ鉱山がありますよね? ルベルパールを採ってきてほしいんです。他にも必要な素材を一式」
「なるほどねぇ」
「研究を続ければ、今後の素材不足が目に見えています。シプラ鉱山が封鎖されてから、他の素材もかなり高騰していますし、そもそも出回っている数も底をつきそうですから」
「た、確かにそうですけど…俺なんかが一緒に行っていいんですか…?」
アグはレインをちらりと見る。
(この人と……)
確かにこの前ステーキ丼を奢ってもらいはしたが、レインさんと一緒に遠征に行くなんて正直…気が重い。
「別に構わねえよ」
レインはいつもの調子で答える。ついでベーラも言った。
「お前を危険な目に合わせたりはしない。安心しろ」
「そ! 俺と姉さんがいりゃ、サソリ退治なんて楽勝楽勝!」
「……」
話がまとまったところで、レインは立ち上がった。
「よっし! それじゃあ早速行くか! ベーラ、アグ! 準備して1階のエントランスに集合だ」
「うむ」
「…わかりました」
レインは楽しそうな様子で部屋を出た。ベーラはベルと一緒に書類を取りに向かった。ハルクは研究所へと戻っていった。アグも急いで部屋へと向かった。
(決まったことは仕方ない。これは仕事だ。最初から文句を言える立場じゃねえし…)
アグは遠征の準備を始めた。
(砂漠のピエーラ…。砂漠の手前の街まででも、ここから馬車で5日はかかるんだっけ…)
世界地理の授業でカンちゃんに習ったことは、全て覚えている。あの時は独房から出られないのに、世界地理なんて覚えても無駄だと思っていたけど…まさかそんな遠くにも行ける日がくるなんて。
(メンバーは気まずいけど…遠征は正直楽しみだな)
遠足気分とまでは行かないが、アグは高鳴る気持ちで準備を進める。
(これも…あとこれも…)
アグのリュックは先日よりも更にパンパンになった。
準備を終えたアグは、エントランスに向かった。
「おい! 遅えよ!」
「すみません…」
そこには既にレインとベーラが待っていて、レインからは叱責を食らった。2人の荷物はほとんどない。食料は随時調達し、必要なものはベーラの呪術で出すことができる。もちろんレインもそれにあやかるつもりである。異様に膨らんだアグのリュックを見て、レインは言った。
「アグお前、何だその荷物! 旅行に行く気か!」
「ち、違いますよ…。実験用具です」
「はぁ…」
レインは頭をかきながら、珍しくもどことなく楽しそうにしているアグを見ていた。
「まあいいや。そんじゃベーラ、馬車を頼むぜ!」
「無理だ。ジーマたちが乗っていった」
ベーラは無残にも言い放つ。一瞬の沈黙が3人を襲った。
「は?! え、何? 徒歩かよ! 遠すぎだろ! 馬車くらいもう1台出せるだろ! なぁベーラ! 頼むぜ」
「無理だ」
「何だよ! 着くまでに何日かかんだよ! くっそー!!」
出鼻をくじかれたレインはベーラにたかっていったが、ベーラは完全に無視していた。
見かねたアグは2人に尋ねた。
「あの、馬車は借りれないんですか…? 前シプラ鉱山に行った時には、ジーマさんはよく兵士たちを馬車に乗せて迎えに来てくれましたけど…」
「ああ、あれな。あれは駄目だ。ジーマの許可がいるし、そもそも国の物だから俺らの遠征目的で自由に使うことはできない」
「そうなんですか? 国家の部隊なのに?」
すると、ベーラが答えた。
「前にも言ったが、私達は国家の組織という扱いではない。国王は私達に仕事の依頼をし、報酬を支払うだけだ。なので馬車を借りるにはレンタル料金がかかる」
「そ! んで、馬車のレンタルは日割料金だ。ピエーラまで行って、返すのいつになると思う?」
「ざっと2週間だな」
「だろ? そんな金はねえんだよ。ただでさえお前らの研究費用に相当な金を費やしてんだからな!」
「そうなんですか…」
特別国家精鋭部隊、お財布事情は芳しくないようだ…。
(うーん…何か案はないものか…)
せっかく呪術師のベーラさんが残っているのに、馬車は出せない…。
アグはちらりとレインを見る。わかりやすく不機嫌な彼とその目が合った。
「何見てんだよ」
「あ!」
アグは何かをひらめいた様子であった。




