お姫様みたいに
「なんだジーマ、このガキんちょ」
ジーマがシエナを連れてアジトに帰ってくると、地下3階の廊下でレインと鉢合わせた。
レインは両腕を組みながら、自分の腰くらいに背の低いシエナを見下ろした。
(何なのこいつ、偉そうなやつね!)
シエナは人相の悪いその赤髪の男に全く怯むことなく、彼の目つきに負けないくらいに目を細めて睨み返した。まあ、レインは睨んだつもりはなかったのだけれど。
「シエナ・ヴェルディさんだよ。今日から部隊に入隊したんだ。よろしくね! シエナ、彼はレイン。一昨年入隊したんだ」
ジーマはニコニコしながら、レインにシエナを紹介した。
その頃部隊は、ジーマ、ベーラ、アシード、レインの4人だけだった。シエナを合わせてようやく5人になった。ちなみにベーラとアシードは2人で派遣に出ていたので、その日アジトにはジーマとレインとシエナの3人しかいなかった。
「へぇ〜。足引っ張んなよ、ガキ!」
レインにそう言われ、シエナは思いっきり彼を睨みつけた。そんなことも気にせず、レインはすたすたと部屋に帰っていった。
「なんなのあいつ!」
「まあまあ。それより、今日はもう仕事もないから、道場にいかない?」
「ど、道場?」
ジーマはにっこりと微笑むと、地下8階にシエナを連れて行った。
そこではシエナがかつて通っていた道場とそっくりの道場が再現されていた。
「な…これ…私の道場…?!」
「うん。君の街にあった道場を壊すことになっちゃったからね、そのお詫びとはいってはなんだけど…。仲間にベーラっていう凄腕の呪術師がいてね、再現してもらったんだ」
「すごい…すごすぎ…」
シエナは感動していた。細かいところまでもが本物そのものだ。
彼女が喜ぶ様子を見て、ジーマもまた嬉しそうであった。
「じゃ、早速だけど、相手になってもらおうかな」
そう言いながら、ジーマは羽織っていたコートを脱いで腰の剣を地面に置いた。動きやすい軽服になると、身体を軽く動かして準備運動を始める。
「え?」
「シエナを強くするって、約束したからね。君の師範の代わりにはなれないかもしれないけどさ」
「あ…ありがとうございます…」
シエナもボサボサの髪を後ろで結わうと、道場の真ん中で構えをとった。その様子を見て、ジーマはいつものようにニコリと笑った。シエナは彼と顔を合わせると、ゴクリと息を呑んだ。
「かかっておいで!」
「はいっ!」
ジーマとシエナの特訓は、仕事の合間をぬって行われた。元格闘技チャンピオンの彼女を更に強くするなど困難なようにも思われたが、そこはジーマの長年の経験の方が勝っていたようで、特訓の成果は顕著に現れ、シエナはますます強くなっていった。
(ジーマさんってば、強すぎっ!)
特訓を終えたシエナは1人、大浴場の湯船に浸かりながら、疲弊した身体を癒やしていた。
強くなったシエナだったが、未だにジーマには敵わない。
(あの動き、反則すぎ〜…。しかもあれで剣士なんて、あり得ないわよ)
シエナは確かに悔しかった。悔しいのだけれど、彼と初めて対戦した時の心底悔しがったあの時の気持ちとは、何だか少し違うのだ。
シエナは湯船に深く浸かりながら、今日の特訓を思い出す。最後の本気の組み手では歯が立たずにあっという間に負けてしまい、仰向けに倒れたまま動けずにいた。
『ふふ…お疲れ様』
そう言いながらジーマはシエナの顔を覗き込むと、手を差し出した。その時に見せた優しい彼の微笑みを、シエナは思い出す。
「っ!!!!」
きゅうんと胸が締め付けられるような、そんな気持ちだ。シエナは顔が真っ赤になって、両手で頬を抑えた。
「あ、あり得ない……!」
「何がだ?」
シエナはびっくりして声の方を振り返った。そこには無表情のベーラが浴場にやってきたところだった。
「な、な、何でもありません!!!」
「?」
シエナは逃げるように湯船から出ると、その場から逃げようと駆け出した。
「ぎゃっっ!!」
案の定滑ってしまい、シエナは顔面から浴場の床に向かって倒れ込んだ。
「はむっ!!」
しかし衝突の衝撃はない。ベーラの呪術が即座に生み出したふわふわのクッションが、シエナを守ったのだ。
(や、柔らかい〜……)
「浴場内で走るな。危ないぞ」
「……すみません」
(ああ、私、何か変なんだけどぉ〜……)
シエナがジーマに恋していることに気づくまで、そこまで時間はかからなかった。
とある日、ジーマはシエナを自分の部屋に呼び出した。
「シエナ、もう家を出て2年でしょ? 一度くらい、実家に帰ってみたら? 親御さん、心配してるんじゃない?」
「な、何言ってんですかジーマさん! そんなわけないですよ!」
「そんなことないよ」
すると、ジーマはとある箱を部屋の奥から持ってきた。片手で持つには大きいその箱の中には、手紙の束がぎっしりと詰まっていた。
「な、なんですか、これ…」
「手紙だよ。君のお母さんからね」
「?!」
シエナは驚いたように箱を漁ると手紙を開いた。確かに母親の書いた文字であった。娘の身を案じる母親の言葉がそこにはあった。
「最初は僕が手紙を書いたんだ。さすがに何の説明もなく、大切な娘さんを預かるわけにはいかないからね。僕らの仕事は危険を伴うものだ。心配しない親なんていない」
「……」
「すぐに返事が来た。君のことを心配してるのがはっきり伝わった。だから僕は娘さんは元気ですって、娘さんはこんな仕事をしましたって、返事をした。すると安心したように返事が返ってくる。そんな風にして、定期的に手紙のやり取りを続けていたんだ」
シエナは複雑な表情を浮かべた。自分のことなど娘だと思っていないと、そんな風に言って自分を追い払った母親だ。
「お母さんは、本当はすっごく心配しているんだ。でもね、君が選んだ道だから、応援したいんじゃないかな」
「そんなの…今更…」
「まあ、親子の問題だからね、あんまり僕がつべこべ言うことじゃないか。でももしいつかその気になったら、会いに行ってあげてほしいな」
「……」
結局その後も、シエナは母親のところには帰らなかった。ジーマもその事にもう一度触れるつもりもなく、何事もなかったかのようにそれから何ヶ月も過ぎていった。
仕事と特訓を繰り返し、シエナは更に力をつけていった。シエナの成長を、ジーマも本人もはっきりと感じ、その喜びを2人でわかちあった。
「今の戦術はすごく良かった! 僕との体格差を利用して、より低姿勢での攻撃を磨いたんだね!」
「あっ、ありがとうございますっっ!!!」
(やったー! ジーマさんに褒められちゃったっ!!!)
シエナのジーマへの恋心は深まるばかりであった。その頃のシエナは表にこそ出さなかったが、周囲の目から見てもそれはよくわかった。わかっていないのは当の本人のジーマくらいであった。
ジーマはシエナよりも2回り歳が離れている。ジーマにとってはシエナはかわいい娘くらいのもんだ。
そのことはシエナももちろん理解している。
「はぁ〜……」
シエナは悶々とした片想いにため息をつく。格闘技に全てを捧げたいた彼女の人生で、誰かを好きになったことなんて生まれて初めてだ。秘めた想いを仲間にも相談することはできず、1人で抱え込むことしかできない。
(ていうか、ジーマさんって結婚とかしてるわけ? 何なら子供がいたりする?! いや、まさか…。さすがにそれはないかしら…? ああ、何で私、ジーマさんのこと好きになっちゃったんだろう!)
そしてそのことが気になって仕方なくなったシエナはある日、ジーマに尋ねた。
「ジーマさんは、結婚してるんですか?」
「え? どうしたの突然」
「いいから、答えてください!」
「してないよ」
そう聞いたシエナの顔は、パッと晴れた。
「じゃ、じゃあ、恋人は、いるの?」
「いないよ」
「そ、そうなんですね〜!」
「でも、好きな人がいる」
「え…」
シエナは一瞬で地獄に突き落とされた気持ちだった。
いや、片思いくらいならどうにでもなる!
そう意気込んで、シエナは更に尋ねた。
「だ、誰ですか…その幸せ者…じゃなかった…その…好きな人って…」
「はは…恐れ多くて名前も出せないよ!」
「今更何言ってるんですか! 教えてくださいよ!」
(だ、だ、誰なの?! 私の知ってる人なの?!?!)
シエナは攻め入るようにぐいぐいと彼に言い寄った。すると、ジーマは少し寂しそうな顔をして、でも笑いながら言った。
「セントラガイト国王の娘さん」
「え…そ、それって、お、お姫様?! まさか、セシリア姫ですか?!」
その名前が出ると、ジーマは軽く赤面してみせた。それを見たシエナは、愕然とした。
「あはは…恥ずかしいなあ〜。昔、セシリア姫直属の護衛をしていたことがあってね、その時から彼女のことが好きなんだ」
「でも…セシリア姫って、もう王子と結婚していますよね…?」
「そうなんだよね。それに僕なんか、身分違いもいいところ。気持ちを伝えることも許されない相手なんだ。だから僕は、姫様の愛しているこの国を守る、ただそれだけを想って、生きていこうと思ってる」
「そう…なんですね……」
セシリア姫はこの国一とも言われている美人で、非常に聡明な素晴らしいお姫様だ。セントラガイト国出身のシエナも当然見たことがある。初めてセシリア姫を見た時、この世にはこんなに美しい人がいるんだって、感動したものだ。
(ああ…聞くんじゃなかった…。どう足掻いても敵う相手じゃない…。身なりも気にせず、格闘技だけを極めている女の子なんて、眼中にすらないわよ…)
「どうしたの? シエナ」
「ううん…なんでもありません。私はもう部屋に戻ります」
「あっ、ちょっと…」
シエナは涙をこらえるので精一杯だった。そのまま走って自分の部屋に向かった。その途中で、レインにぶつかった。
「痛って! おい! どこ見てんだよ危ねえな」
シエナは顔を上げると、ぼろぼろと涙を流した。
「え?! 何泣いてんだよ」
「うう…うぅ…うわぁ〜〜〜ん!!!!」
「はあ?! なんなんだよもう! おい! 静かにしろ!」
シエナはそのままレインの部屋に連れられ、何かの糸が切れたようにえんえんと泣きわめいた。レインは困ったような表情を浮かべながら、やむなく彼女をなだめた。
「…ったくいつまで泣いてんだよ」
「うっ…ぐすっ…うわーん」
シエナはその後しばらく泣いて、何とか落ち着きを取り戻し、レインに失恋したことを話した。シエナの想いにレインが驚くことはなかったが、ジーマに想い人がいるとは彼も知らなかった。
「なんであんな歳の離れたおっさんが好きなんだよ」
「ジーマさんはおっさんじゃない! まだ32!」
「充分おっさんだろーが」
「何歳でも関係ない! 好きになっちゃったの!」
「はぁ…んで、ジーマのタイプが姫様だと知って、更にへこんでんのか。ま、お前みたいなボサボサ怪力女と世紀の美人姫じゃあ、真逆だな」
レインにそう言われ、シエナは更に泣きわめいた。
「ああ! もう! ごめんって! 冗談だっての!」
「人に言われると、更に傷つくのよ!! わかってるの! 私は生まれてこの方、女の子らしくしたことなんて一度もないの!」
「…じゃあ、してみれば? これから」
「え?」
レインは目が見えないほど伸びているシエナの前髪をがっとかきあげた。涙で充血しているが、シエナの瞳はよく見ると非常に美しいエメラルドグリーン色をしていた。
「ちゃんとしたら、お前も結構可愛いんじゃねーの」
「は?! な、何言ってんのよ!」
シエナは顔を赤くすると、レインの手を思いっきりビンタした。
「痛ってえな! 手加減しろ! 骨が折れんだろ!」
「あんたが変なこというからよ! か、可愛いなんて…」
(生まれて初めて、言われた…)
「その髪と、服装と、可愛くしたら、もっと女の子らしくなるって。それにまだふられたわけじゃねーし、な! 姫様みたいに綺麗になって、自信をつけて、告白してみたらいいんじゃねーの?」
「そ、そうかな…」
「まあこのまま泣いててもしゃあねえだろ。1回やってみろっての」
「そんなの…やったことない…。どうやったらいいかわからないわよ」
「なんかおしゃれ好きな女友達とかいねーのかよ。そいつに聞いてみれば?」
「友達なんていない…あ…」
「お! 誰かいたか? 悪いけど俺は男だからわかんねーからな、そういうのは。女の子同士でやってくれ」
レインはそう言って話を済ますと、シエナを部屋から追い出した。
シエナは部屋に戻っては、1人の女性を思い浮かべる。
シエナのたった1人のあて…それは、彼女の母親であった。
(帰りたくない…あの家には…)
しかし、母親から送られてきていた、あほたくさんの手紙のことが頭によぎった。
(仕方ないわ…ジーマさんに好きになってもらうためよ)
意を決したシエナはジーマに申し出て、数日の休みをもらった。実家に帰るというと、ジーマは非常に喜んだ様子であった。
そしてシエナは、数年振りに自分の家に帰った。
「届いたぞ」
ジーマの部屋にやって来たベーラは、一通の手紙を彼に差し出す。季節感のある花柄のあしらわれた封筒の送り主は、シエナの母親からのものだと決まっていた。
「ありがとうベーラ」
「シエナが帰ってもう3日か」
「そうだね! ご家族とうまくいってるといいな〜」
ジーマは嬉しそうにその手紙を受け取った。ベーラは眉一つ動かさずに彼の様子を見ながら呟いた。
「よく続くな、その文通」
「あはは…そんなんじゃないよ。大切な一人娘を預かってるんだ、両親にきちんと報告をするのは当たり前。これも大事な僕の仕事だよ」
「その割にはいつも楽しみにしているな」
「ふふ」
ジーマは封筒の前後を眺めながら、にこやかに笑っていた。
「これを読むとさ、シエナがご両親に大切にされてるんだって、本当によくわかるんだよね。僕の家族は、僕が記憶もないうちに戦争で死んじゃったからさ」
「ふうむ」
「家族っていいなって、そんな風に思うんだよ」
「ふうむ」
素っ気ない返事を繰り返すベーラに、ジーマは苦笑いを浮かべた。
「そう言えばベーラも、たまには故郷の村に帰ったりしなくていいの?」
「別に。片付いていない仕事もあるし」
「気にしなくていいんだよ? 休暇中の代わりなら僕が……」
ベーラはジーマの机の上に山積みに置かれている資料に目をやった。シエナが抜ける直前、大きな仕事が入ったジーマは彼女の代わりにそれをこなしていた。そのためいつもの仕事に手が回らなくなっているのだ。
「お前、寝てないな」
「え? そんなことないけど」
「クマ、出来てるぞ」
「えっ」
ベーラは自分の目の下の位置を指差し、次にジーマを指差した。確かにジーマの目の下には薄っすらとクマができていた。
「この時期にでかい仕事がくるのはわかっていただろう。シエナの休みはそれが終わってからでも良かったんじゃないか」
「はは…シエナの気が変わらないうちにと思ってさ。それに1日でも早く両親のところに帰ってほしかったし」
「随分気にかけるな。あの子のことを」
「え? そりゃシエナはまだ子供だし…」
何となく焦ったようなジーマの様子を、ベーラは淡々と見ているだけだ。しばらくの沈黙の中、やはり苦笑するジーマに向かってベーラは言う。
「あの子が入隊して以来、お前も何だか楽しそうだ」
「え? そうかな。うん、でも確かに、シエナの若さに元気をもらってるかな」
「それだけか?」
「?」
意味深なベーラの言葉に、ジーマは平静を装いながらも少したじろぐ。
「もう次の恋に進んでもいいと思うがな」
「えっっ」
ジーマが焦る中、ベーラは彼の机の上の書類の束を鷲掴みにした。そのまま部屋を出ようとドアの方に向かっていく。
「シ、シエナのことは、そんな風には…。大体、シエナはまだ12歳で…」
「相手が姫様よりは現実的だろう」
「だから違うって! それより書類返してよ」
ベーラは今一度彼の方を振り向くと、いつものように血の通わない視線を浴びせる。
「これはこの後私がやっておく」
「いや、だってもう夜……」
「寝てろ」
ベーラはそう言い放つと、彼の部屋のドアを少々乱雑に閉めた。
「は、はい……」
ジーマは誰にも聞こえないような声で呟いた。
シエナが2年振りに家に帰ると、両親は泣いて、暖かくシエナを迎え入れた。正直信じられなかった。だけれど、嬉しかった。シエナもまた、たくさん泣いた。
「まさかあなたがおしゃれを教えてっていう日がくるなんてね〜」
「いいから!」
ドレッサーの大きな鏡の前にシエナは座る。その後ろに立った母親は、彼女の髪を優しくとかしていた。
「好きな人でもできたの?」
母親にそう言われ、シエナは顔を真っ赤にした。
「できたのね。ほーんとわかりやすい子ね」
「ち、ちがうわよ!」
「バレバレよ」
母親はそう言いながら、シエナの髪を編み込んでいった。
まだ14歳のシエナにがっつりした化粧は早いので、彼女の母親は、簡単な見出し並み程度の化粧の仕方や、髪型のケアや整え方、肌のケアの仕方なんかを、隅から隅までたたきこんだ。シエナにとって何の興味もなかったおしゃれを勉強することは苦痛だったが、可愛くなるためだと思って耐えた。
シエナはふと母親の顔をちらりと見た。母親は今までに見たことないほどイキイキとしていた。
(ずっと私と、こういうことしたかったんだろうな…)
そして母親はたくさんの可愛い洋服をシエナにくれた。シエナに着せようと思って、シエナがいなくなってからもたくさん買っていたらしい。本当に懲りない親だ、とシエナは呆れながらも、全部もらうのであった。
(可愛くなるんだ…。綺麗になるんだ…。そしてジーマさんに、告白する…!!)
そして見違えるように美しくなったシエナは、数日振りにアジトに戻った。




