ジーマとの出会い
ヌゥがジーマの命令で外の見回りに出かけた後のことだ。既に深い眠りに落ちたヒズミを他所に、シエナはジーマに尋ねた。
「ジーマさん、どうして今回は遠征に? 私が部隊に入ってから、行ったことなんてないのに」
「ほんとだよね。何年ぶりだろうな〜、遠征に行くのは」
「しかも遠征先がアリマなんて…もちろんジーマさんが私なんかよりも強いのは知っていますけど…でも久しぶりの遠征でしょう? 私、心配です」
「はは〜ありがとう。シエナは優しいね」
ジーマはシエナの頭をぽんと撫でた。シエナは嬉しさのあまり爆発しそうだった。というかぼふっと軽い噴火が上がった。ような気がする。
(ああ! シャワーまだ浴びていないのに! 頭洗いたくない〜)
「そ、それに、ヌゥが行くっていうのに、ベーラを連れていかないなんて」
「確かにね、まだヌゥ君は皆の信用を得ていないのに、僕も思い切ったよね〜」
「そんな、他人事みたいに!」
ジーマは布団の上で呑気にあぐらをかいていた。シエナはジーマに向かいあって正座をしている。
「でもこれからずっとヌゥ君が遠征にいくたび、ベーラを付き添わせるわけにも行かないと思ってね。チームにはバランスが必要でしょ。色んな依頼に合わせて、ヌゥ君も誰とでもチームになってもらいたくってさ。それに…」
「それに…?」
「僕に万が一のことがあった時、この部隊が崩れてほしくないからさ」
「どういう意味ですか…?! ジーマさんが死ぬとでもいいたいんですか?!」
シエナは顔を強張らせて、声を荒げた。小さな少女の威圧に、ジーマは困ったように笑いながら答える。
「まあまあ落ち着いて。もしものためだよ。僕だってまだ35だ。死ぬにはまだ早いよ〜」
「当たり前です! 私が20になったら結婚してもらわないと!」
「はは…そうだよね〜」
ジーマはいつもの調子で軽く笑っている。シエナは真剣そのものであったが。
「まあ、僕もいつかは引退するだろうし、今のうちから部隊の組織としてのレベルアップをはかろうかと思ってね」
「ベーラに隊長を継がせるってことですか? 確かに歴でいったらベーラかアシード。でもアシードはもうおっさんですもんね〜…」
「はは…。シエナが20になる頃には僕もおっさんだけど、いいのかな」
「ジーマさんはいいんです!」
シエナは腕を組んで、口をむすっとさせた。
その様子を見ながらジーマは笑っていたが、やがて真剣な面持ちになると、話した。
「でもね、シエナ。ウォールベルトとの戦いは、想像以上に厳しいものになるんじゃないかと思ってる。風使い1人捕まえるのにだって3人がかりだったろう。シャドウは人間じゃない。人間には不可能な攻撃を次々仕掛けてくる。それに奴らは、風使いを超えるシャドウを既に2体も完成させているという話じゃないか」
「そうですけど…」
「だから僕も、戦闘に参加しないわけにはいかない。この国を守りたいからね。もちろん、仲間の皆も」
「ふふ…本当にこの国が好きなんですね、ジーマさんは。初めてジーマさんに会った日のこと、今でもよく覚えています」
「僕もだよ。そういえば、昔のシエナは今とは違っていたね」
「そうでしたね…」
シエナがジーマに初めて会ったのは、彼女がまだ10才の頃だった。
その頃のシエナの容姿は、今とはかけ離れていた。
地毛の金髪は変わらないが、長さは短く、手入れも悪くボサボサで、表情も非常に暗かった。着ている服も学校の皆にはダサいとバカにされ、今のシエナのように言い返すこともせず、友達なんて1人もいなかった。
「女の子なんだから、もっと可愛い服を着ておしゃれをしたら?」
自分の母親にもよくそう言われたが、シエナはそんなことにはまるで興味がなかった。
彼女が興味があることといえば、たった1つ。格闘技だ。
ひょんなことから始めた格闘技は、シエナの才能を開花させた。師範の先生もその凄さに驚き、シエナをめきめきと育て上げた。シエナくらいの歳の子では全く歯がたたないほど、シエナは強くなった。ユリウス大陸中の国が集まって行った格闘技大会では、15歳までの参加者で行う若者のランクの中で1位の成績をおさめるなど、その輝きは甚だしかった。
だが、その頑張りを褒めるものは少なかった。両親でさえも彼女を認め応援しようとしなかった。女の子である我が子が格闘技をすること自体よく思っていなかったし、特におしゃれ好きな母親は、シエナが自分のように女を磨き、可愛くなることを夢見ていたからだ。
学校のクラスの女の子は、身なりを気にしないシエナのことを気持ち悪がったし、男の子はゴリラ女とはやし立てていつだってバカにした。
「くっさ! ちゃんとお風呂入ってんの?」
「おい!ゴリラ女! 聞いてんのか?」
男の子たちは毎日シエナをからかって遊んでいた。
「ちょっと、やめなさいよ〜」
「そうよ〜シエナちゃんも、一応、女の子なんだしさ〜ふふふ」
「うふふふ」
女の子たちもまた、こそこそとシエナをバカにしていた。
シエナにとって、こいつらをひとひねりするなんてわけないが、そんなことをしては格闘者としてのプライドを失うとともに、犯罪者だ。
今の私には格闘技しかない。こいつらの相手なんてする暇はない。もっと…もっと鍛えて…誰よりも強くなるんだ。
シエナは熱心に毎日身体を鍛える努力をしていたが、ある日、悲しい出来事が起こった。
シエナの通っていた道場の師範が、病気で死んだ。
シエナをたった1人、認め育ててくれた師範を失うことになったのだ。
さらに道場はたたまれ、シエナは唯一の居場所を失った。
「うう…どうして…どうしてあんなに強い師範が…病気なんかで…うぅ……」
シエナは師範の死に、たくさんの涙を流した。
しかし、強くなるというシエナの目標は揺るがない。
だって自分にはそれしかないのだから。
シエナは毎日鍛錬を続けた。
その日も家の庭で、手作りの木の人形を蹴り飛ばす練習をしていた。
その様子を見て、母親は言った。
「シエナ…師範の先生も死んでしまったし、道場ももうないんでしょ? 大会で優勝もしたし、もういいじゃない、格闘技は」
「……」
シエナは無視して、練習を繰り返した。
「女の子なんだから、ね、格闘技なんてもうやめましょうよ。クラスの皆にもいじめられてるんでしょう? 悔しくない? ほら、可愛くなって、見返したくない? お母さんがおしゃれの仕方、教えてあげるから」
するとシエナは、その木の人形を、思いっきり蹴り飛ばした。すると、人形を支えていた棒が外れ、母親の真横に人形がどんっとぶつかり、激しく壊れた。
「私には格闘技しかない! それを否定するなら、私はこの家を出ていく!」
「ちょっ、シエナ…?! ま、待ちなさい!」
シエナは身一つで家を飛び出した。
母親は追いかけたが、あっという間に彼女を見失ってしまった。
シエナは無我夢中で走りながら、唇を噛み締めた。
(はぁ…失敗した…お金もなにも持たないで…。くそ…あの家に帰るなんて…絶対嫌なのに…)
シエナはそのまま、もうつぶれてしまった彼女の通い詰めたあの道場にたどり着いた。畳ばりの部屋には誰もおらず、雑草もたくさん生え、埃がたまっていた。
シエナは縁側にうつむいたまま、しばらくたそがれたように座っていた。
すると、突然後ろから何者かに話しかけられたのだ。
「あれ、格闘技の若手チャンピオンさんじゃない?」
「だ、誰よ!」
振り向くと、見たこともない栗色の髪の男が立っていた。
「ここは師範の道場よ! 勝手に入ってこないでよ!」
「君こそ、勝手に入っちゃ駄目だよ。ここはこれから国がひきとって、別の建物を建てることになったんだよ」
「なっ!」
シエナは立ち上がった。
(この場所まで、私から奪うっていうの?!)
「させないわよ! ここは私の、私の居場所なのに!」
「そうか。ここは君の通っていた道場だったんだね…。師範の方が亡くなったんだったね、お気の毒に」
「うるさい! 早く出ていけ! でないと、お前を…許さない!」
シエナはそう言って走り出すと、男を攻撃しようと襲いかかった。回し蹴りを2連続、からの両腕のつきだし、さらに本気のパンチ。しかしどれもことごとく避けられてしまった。
(な、何者なのよこいつっ……! ヘラヘラした顔で避けやがって)
「さすがはチャンピオン。そして若者ならではの柔軟な動きだね」
「黙れ!」
シエナは間髪いれずに男に向かっていき、連続で拳を突き出したが、パンっと音を立てて、彼に手を握られてパンチを止められてしまった。
「くっそ!」
シエナはそのまま男の顎を蹴り上げようと足を突き上げたが、読まれていたかのように男はしゃがんで避けると、片足立ちになっているシエナのその足を回し蹴りでとばした。
シエナはバランスを崩して大きく尻もちをついた。
「痛っあ……なんなのよ、あんた…格闘技の元チャンピオンかなんかなの…」
「はは…僕は国家の精鋭部隊のジーマといいます。格闘技はやっていないけど、元王族の護衛をしていたことはあるよ」
「はぁ…はぁ…こんなヘラヘラしたやつに…負けるなんて…」
シエナは息を荒立てながら、男を睨みつけた。
(悔しい…あんなに努力したのに…私にはこれしかないのに…こんなひょろひょろの男に…勝てないっていうの…)
「ねぇ、君、シエナ・ヴェルディでしょ? 突然なんだけどさ、僕のチームに、入らない?」
「は?! チーム?」
「うん。強い子を募集中でね、どうかな。あ、でもまだ学生かぁ…駄目かな〜…」
「強い人が…必要なの…?」
シエナは立ち上がると、男を見上げた。
「そうなんだ。君みたいに強い人材はそうはいない。力になってくれたら、頼もしいんだけど」
シエナは少し沈黙して考えると、答えた。
「…じゃあ、入る」
「え? いいの?」
「私には、これしか…格闘技しかないから…強くなるしか…ないから」
シエナは拳を強く握りしめた。
(私の強さが、国の役に立つ…)
「ありがとう。そうしたら、君の家に行ってもいいかな。ご両親にも話をしないと」
「いらないわよ。そんなの。あの家にはもう二度と帰りたくないの」
「そんなこと言わないで。ほら、行くよ」
「ちょっ、勝手なこと言って! 待ちなさい!」
先に行くジーマをシエナは追いかけた。ジーマは迷わずにシエナの家に向かっていく。
(何でこいつ、私の家知ってんのよ…国家の部隊の人だから? ったく…個人情報だだ漏れじゃないの!)
ジーマがシエナの母親に部隊のことを話すと、母親は冷たい目でジーマに隠れるシエナを見て、言った。
「そんな子のことは、知りません。どうぞご勝手に」
(くそ…最低な母親だわ…。私だって、あんたのことはもう、母親だなんて思ってないわよ…)
「それじゃあ、今日からシエナさんは僕たち国家の部隊として働いてもらいますね」
「勝手にしてください。もうここにも来ないで」
母親はシエナを追い払うように冷たく言った。
シエナは拳をぎゅっと握りしめながらうつむいていたが、顔を上げて言った。
「私の努力が、無駄じゃないって…意味あることだったって…認めさせてやる…! あんたにも!」
母親はそっぽを向いて、シエナから目をそらした。
「それじゃあ、僕たちは行きますね」
母親は何も言わず、家の扉を閉めた。
そしてすぐに、シエナの目から涙が溢れだした。
「うぅっ……くぅ……」
「よく言ったね。大丈夫、僕が君を強くするよ、もっともっと強くね」
泣いているシエナの頭を、ジーマは優しく撫でながら、2人は歩いていった。




