Act3.愛情
「はぁ〜?! もう成仏したぁ?!」
「はい……」
アグがしばらく盤面を眺めていると、ヒズミが戻ってきた。ゾナがいないことをヒズミが尋ねると、ゲームが終わってすぐに消えてしまったとアグは言う。
「あいつ……わいに何も言わんと先にいったんかい!」
「あの……ありがとうって、伝えてくれって……」
「はぁ〜? 直接言えやまじで! 800年の付き合いやねんぞ! あっさりしすぎやろ!!」
「………」
ヒズミはアグを見るなり、はぁ〜と深いため息をついた。その後目の前の盤面に目をやった。
「え? めっちゃ接戦やん!! すご!」
「……」
「あいつこれだけはめっちゃ強いからな。最近まじで勝たれへんねん。他のゲームはそうでもないねんけど」
「……」
「え? で、どっちが勝ったん?」
アグは無言でゲーム盤を消し去った。消し去るのは簡単だった。コツも何もいらない。
「ちょお! 何で消すん!」
「もう終わったんで…」
「で、どっちが勝ったん? はは〜ん。どうせお前も負けたんやろ」
「ゾナは強くなった。いい勝負でした」
アグはそう言うと、砂浜を少し歩いて海を見た。
「いや、何で教えへんねん」
ヒズミはボソボソ呟きながら、アグの隣にやってきた。
自分が渡ってきた海を、アグは見つめる。青ではなく、水色をしている。
思えば生前、海にはあまり、行かなかった。
海よりも、雪が好きだった。
まあ、泳げなかったってのもあるかな。
「海、綺麗ですね」
「もう見飽きたわ」
アグは海を眺めながら、微笑んだ。
どうしてか心は穏やかだ。
泣きたいくらい哀しいはずなのに。
「ヒズミさん、好きじゃなかったですか? 海…」
「好きやけど、もう見飽きた」
「そうですか」
そのままアグはしばらく海を眺めて、見飽きたと言いながらもヒズミも静かに海を見つめた。
海が好きやった。
今も好き。
見飽きたなんて、嘘やで。
「ヒズミさんがいてくれて、嬉しかったです」
「お前と海見るために待ってたんちゃうぞ」
「ふふ…そうですよね」
アグは笑っている。そういえばアグが笑ったところは、あんまり見たことがない。
(こんな奴やったっけかな…)
「他の皆はもういないんですよね」
「当たり前やん。皆ここに来て、すぐ成仏したわ」
「そうなんですね」
「こんなとこにアホみたいにずっとおるのは、わいとゾナだけや。現世に未練タラタラなのはわいらだけ。皆幸せそうやった。メリもあんなにええ旦那見つけて。ほんまかなわんで」
「ソヴァンと会ったんですね」
「会うたで。あいつの方が先に来た。大体男の方が先に死ぬからな。まあメリはシャドウで、病気にならんしな」
「そうですね…」
「可愛げもあって、優しそうで、なかなか男前で、ほんまええ男見つけたよな」
「はい」
「ほんま、お前とは正反対!」
ヒズミはそう言って、アグを睨みつけた。アグはヒズミと目を合わせると、軽く笑った。
「ちっ。何がおもろいねん」
「いや……何か懐かしくて……」
「何がやねん。お前と懐かしむ思い出とか一個もないねんけど」
「二人きりで話したことなんて、ほとんどなかったですもんね」
「ないよ。わいの死に際だけよ、そんなん」
「ふふ…確かに……」
アグは再び笑う。微笑ましそうに。
ヒズミはその事が気に入らない。
これでもかというくらい、罵声を浴びせているはずなのに。
「何で笑うねん」
「え?」
「笑うとこちゃうやろ。怒れや。言い返せ。ちょっとくらい文句あるやろが」
「ないですよ…」
ヒズミは舌打ちをした後、頭を抱えた。
「何でないねん!」
「ないですよ…何も…」
「何やのもう! 何でそんな冷めてんの!」
「冷めてないですよ。元々こんな感じなんですって…」
「あーあ! ほんまに……あれやな! 女にモテる男ってのは、何でかお前みたいなイケすかん奴やねんな! 意味わからんわ! どこがええの! 何で皆、お前みたいな男を好きになんねん!! 何で……」
何であの子は……
選んだんや………
何で……
ヒズミは息切れして、はぁ…と深いため息をついて、唇を噛み締めた。そのまま砂浜を歩いて、ちょうど座り心地のいい岩を見つけて腰掛けた。
「他の男やったらまだわかるんやけどなぁ……」
「……」
「または女でもええけど。その方があんまり未練とかなさそうやねんけど」
「ヒズミさん……」
「800年も経って、死んでまで、こんなにネチネチ言われるとは思わんかったやろ。早く諦めて成仏しろって思てんのやろ」
「思わないですって」
「気に入らんやろ。あの子のことを愛してる男が、自分の他にもまだおるなんて」
アグは首を振る。ヒズミのそばに歩み寄って、立ち尽くした。ヒズミは目を細め、アグの顔を見上げながら、話を続ける。
「わいはお前が邪魔でしょうがなかった。覚えとるか? ウォールベルトでお前と乗り込んだ時のこと。わいほんまはあの時、お前のこと見殺しにしようと思たんよ」
「……」
「墓まで持っていこうって、ずっと黙っててん。もう墓まで来たからええやろ。全部ぶっちゃけて」
「……」
「あの子にキスしたのも、わいの方が先よ。めっちゃ泣かれたけどな。人生で初めて告白して、初めて振られたわ」
「……」
「あの時、無理矢理ヤろうと思った。でもめっちゃ泣かれて…できひんかった。でもやっぱりヤれば良かった。どうせあの後すぐ死ぬんやったら」
「……」
アグは黙って話を聞く。
「あの子は一回死にかけて、向こうの砂浜に来たことがある」
ヒズミは海の向こうを指差す。アグが死んで、最初にたどり着いた砂浜だ。アグは頷いた。
「せやからわいが、追い返した。生界に戻れって」
「ここから向こうまで……どうやって?」
「泳いでいった」
「すごいですね…」
「すごないし。いや、今その話どうでもいいねん。黙って聞けや」
「はい……」
アグはその時の話を、既に聞いていた。けれどもう一度、ヒズミの話を黙って聞いた。
「その時にな……あの子のこと、抱かしてもろたんよ」
「……」
「最後の頼みや言うたら、聞いてくれた」
「……」
「お前には絶対内緒にするって、それだけ約束して…」
「……」
「でも心苦しうて、キスだけしてもうたってあの子、お前に言うたやろ……。あれは嘘やねんで。ほんまはあの時、わいとあの子……」
ヒズミの言葉を遮るように、アグはヒズミを抱きしめた。
「……!!」
ヒズミは一瞬、何が起こったのかわからなかった。ただ呆然と目を見開いて、体温のない身体に強く抱きしめられた。
「何す……」
アグの顔はヒズミには見えない。でもわかるのは、アグが泣いているということ。
何の涙? 悔し涙?
何……?
ヒズミは力が抜けて、アグを引き離すこともできない。それどころか、不思議と心地がいい。懐かしい。
(何で…これ………)
ああ………わかった………
匂いや………
あの子の匂いがするんや………
「っぅ………」
ヒズミの目からは、涙が溢れた。
何の涙なのか、自分でももう、よくわからなくって。
「………」
ヒズミはゆっくりとアグの背中に手を添えて、彼のことを抱きしめ返した。
体温がない。
これは人じゃない。
心臓の音がない。
「っく………ぐす………ヒズミさん……ありがとうございます……」
「何で礼しか言わんの………何で……?」
「ありがとうございます……」
「………」
君のことを愛している男が、俺の他にもまだいる……
君のことをずっと待って、覚えていてくれた人がいる……
嬉しかった………
君の身体は朽ちてしまって、その魂がここに来ることもない
君は死んでしまったわけでもなく、それ以前に君は君ですらなくなってしまったのだろう
君はもう、この世にいない
あの世にもいない
だから俺が覚えているしかないと思っていた
仲間は皆死んで、ここにもいなくて
だから俺が忘れずにいるしかないと思っていた
でもそうじゃなかった。
俺だけじゃなかった。
『ねえ、ヒズミはね、
生まれて初めて、俺を好きだと言ってくれた人だよ』
君は、愛されている
今も、まだ……
愛されて、いるからね………




