番外編・隠し事はなしで
「そう言えばさ、よく生きてたよな」
うん?とした様子でヌゥはアグの方を見た。
スノウはベッドですやすやと眠っている。
「いや、ログニスにさされてたじゃん」
その頃声を失っていたヌゥは、フリップに文字を書いて会話をしていた。
“あの世まで行った!”
「え…」
すると、ヌゥは少し気まずそうな顔をしながら、またさらさらと文字を書き出す。
“あの世でヒズミに会った。ヒズミが俺を、生界に導いてくれたんだ”
「ヒ、ヒズミさんが……?!」
あの世というところがどんなところなのか、アグは知らない。知るわけがない。
死んだ人間がそこにいるのだろうか。
まるで宗教の誰かが言ってた話みたいに、天国と地獄があって、そこで暮らしているとでもいうのだろうか。
“アグに言わなきゃいけないことがある”
「何だよ…改まってさ…」
ヌゥは口をへの字に曲げながら、文字を書いた。
“ヒズミとキスしちゃった”
アグはその文字を見て、一瞬フリーズした。
「は、はぁぁあああ?!?!?!」
アグが大きな声を上げたので、ヌゥは耳をふさいだ。
「いやいや! しちゃったじゃねえよ! 何でそうなるんだよ!」
“ごめん。突然キスされて、だけど抵抗出来なかった”
「何だよもう……」
ヒズミさんて……ていうか……もう死んでんじゃん……。
いや俺が殺したようなもんだけど…
ハァ……
よりによってヒズミさんじゃあさ……
ああ……何か……
なんというか……
“ヒズミがアグに謝っといてって”
「……」
うぬぬ……
アグは唇を噛み締めた。
“ごめんアグ。でも俺が好きなのはアグだけだから。信じて”
「わかってるよ……」
何でわざわざ言うんだよ。
黙ってりゃわかんねえだろうが。あの世の話なんてさ。
バレようがねえだろ、そんなもん。
「……」
そんな話をされちゃ、俺も隠すわけにはいかない…。
ゾナにキスをされたことを……。
「まあヒズミさんのとのことはしょうがない。そういや、ゾナの話しただろ。空間束縛を奪った女だ」
ヌゥは突然何だという顔になって、うんと頷いた。
「俺もあいつにキスされた」
ヌゥは顔の全面を引きつらせた。
口を大きく開けてパクパクしている。
そして、ものすごーく、怒っている。
「いや、無理矢理だったし、すぐに払いのけたし…」
ヌゥは今にも噴火しそうな勢いだ。
(おいおい……)
“アグのバカぁ!! 浮気者!! 何で今まで黙ってたの?! 最悪最悪!! 大ッ嫌い!!!!”
ヌゥはこれでもかと言わんばかりに俺への罵声を書き殴った。
(うわぁ……言わなくて良かったやつだったぁ〜……)
“嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い”
ヌゥの手は止まることがない。
「いやいや、おかしいって。割に合わないって。お前も他の奴としちゃってるし、俺は抵抗したって言ったろ?」
“嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い”
(メンヘラかよ……)
ヌゥに嫉妬をされたのは、初めてかもしれない。
まあ悪い気はしねえよ、だけど度がすぎるタイプだな…こりゃ…。
「お前昔、海賊のオルズにもキスされてたろ。俺のはあれと一緒だよ。したくてしたんじゃねえから、な?」
“◎△$♪×¥●&%#?!”
ヌゥはもうフリップを真っ黒になるぐらいぐるぐるに書き殴っていた。
「……」
もう何を言っても無駄のようだ。
「ったく……」
俺はヌゥの顎に手をやって、キスをした。
そのまま彼からフリップを奪って、床に捨てた。
そのペンを持つ手にも、力が入らなくなるまで、ずっとキスした。
ヌゥはやがて抵抗をやめて、俺とのキスに集中した。
しばらくキスしたあと、ぶしつけにアグは言った。
「何でお前だけキレてんだよ」
ヌゥの顔を見ると、涙を流していた。
それを見てしまっては、アグも強くは言えなかった。
「…ごめんって」
「……」
そのままヌゥをぎゅっと抱きしめた。
「お前もヒズミさんとしたんだからおあいこだよ」
「……」
「もうなしな。絶対」
「……」
言葉をなくしたこいつといるのはすごく静かで、そこには俺の声しか音がない。
ヌゥはむすっとした表情で、だけど俺を強く抱きしめ返した。
「ヌゥ……」
出会ったときは同じくらいの背で同じくらいの体型だったのに、こいつは全然背も伸びなくて、身体は細くって、色も白くって、小さい。
俺はいつの間にかこいつを見下ろすようになって、抱きしめたらすっぽりと俺の身体に収まって、それがすっごく、しっくりくるんだよ。
「好き………」
無意識に、そんな言葉が漏れた。
ヌゥは俺の背中を、指でなぞった。
“なかなおり”
彼はそう書いた。
「うん。てか、俺はそんなに怒ってないけどな」
“ごめん”
「いいよ」
ヌゥは俺の胸に顔を埋めて、口を尖らせていた。
だけどそのあと笑っていたから、もう怒ってはいないだろう。
すると、トントンとドアが静かにノックされたので、俺たちはハっとして離れた。
「どうぞ」
「入るわよ〜。おおっとごめんごめん、スー君寝てたのね…」
と小声で入ってきたのはメリとソヴァンだ。
「いや、たまには外にご飯食べに行かないかって、ソヴァンが」
「いや、メリさんですよ? ヌゥもたまには気分転換必要だろうからいい店ないのかって」
ヌゥは嬉しそうな様子でメリを見ていた。
「うるさいわね! でもスー君寝てるならあとにする?」
「そうですよね。起こしたら可哀想ですもんね」
と話している矢先、スノウは目を覚ました。
「ああ! メリさんが大きな声出すからですよ」
「はあ? あんたでしょ! ごめんヌゥ、アグ」
「いや、結構寝てたし…それに機嫌も良さそうだ」
寝起きは悪いことも多いが、そのときはスノウは静かだった。
ヌゥはフリップを拾って文字を書いた。
“外食久しぶり! すっごく行きたい!”
それを見て、メリとソヴァンはにっこりと笑った。
「準備するから1階で待ってて」
「はーい。あ、ベルも誘ってくるわ」
「ゆっくりでいいですからね!」
「あいよ」
メリとソヴァンは先にその部屋を出ていった。
ヌゥはるんるんとした様子で準備をし始めた。
それを見てアグもほっとした様子だった。
するとヌゥは、ぎゃっ!とした様子でスノウを見た。
「え?! どうした?!」
俺が2人に近づくと、その臭いですぐに察した。
2人はふっと笑いながら、スノウのおむつを取り替えると、スノウを抱いて1階へと向かうのだった。




