天才ドクターの末路
リウム・ベルの母親のベラリカは有名な医者であった。
ベルはそんなベラリカに熱心に教育され、子供の頃から自身も強く医者を目指していた。
ベラリカはベルのあまりにも天才的な頭脳に感銘を受け、ベルを自分の手術現場に立ち会わせ、技術を学ばせた。
ベルが初めてメスを握ったのはまだ彼女が13歳のことだ。そんな幼い彼女が医療現場で実践できたのも、ベラリカの権力あってのことだ。
そしてベルはその期待を裏切らなかった。ベルのメスさばきが大変素晴らしいと、立ち会った医師たちは皆、ベルの技術を認めざるを得なかった。
それからというもの、ベルは何度も手術を成功させた。ベルは15歳にして、国の認めた医者が集う医療会に入ることになった。
「リウム、あなたは私の誇りよ。あなたは私を超える医者になって、たくさんの人の命を救うのよ」
「はい、お母さん」
ベルが医療会で実績を積み上げる度、ベラリカは娘リウムのことを褒め称えた。ベルもまた母親を喜ばせることを望み、ますます一心に医学を学び、その道を極めた。
ベルが17歳になった時には、ベルを超える外科医はいないとされるほど、ベルは一躍有名になった。そんなベルに、一国の女王が難病にかかったということで、その手術の依頼がベルになされた。ベルは二つ返事で依頼を引き受けた。
ベルなら絶対に女王を救ってくれると、皆がそう思っていた。ベルも期待にこたえようと、入念に準備をすすめた。
そして手術の日、ベルは自分の他に5人の助手をつけて、万全の体制で手術に挑んだ。
女王の腹を切って状態を確認したベルは、息をゴクリと飲みながらも、うんと頷いた。
(確かに難しい手術だわ…。でも私にならできる…!)
「…リウムさん、どうですか?」
緊張していた助手の1人がベルの顔を見ながら尋ねた。
「大丈夫。私なら治せます!」
ベルは優しく微笑んだ。助手たちの緊張も和らいでいった。
手術は順調だった。ベルのメスさばきと縫合の速さに助手たちは皆感動していた。
「最後、薬を血管に流してください」
「わかりました」
しかし、ベルの指示で薬を投与すると、女王の様子が急変した。急に苦しみだし、大量の血を吐き出した。血管がちぎれ、血飛沫が舞い上がった。
「り、リウムさん?!」
「なっ…なんですこれは…?! と、とにかく、早く止血を!」
ベルは最善を尽くしたが、間に合わなかった。
原因を調べた結果、最後に投与した薬が、女王には毒ともいえる成分の薬であったことがわかった。
(そんな薬、私は用意していません…。一体なんで、こんなものが…)
ベルはその薬にまるで心当たりがなかったが、そんな言い訳をする余地もなく、全ての責任はベルにあるとされた。
一国の女王を殺したとされたベルは医療会を追放され、今後医者として働くことをも禁じられた。
ベルは悲しくて泣きたかったが、それよりも母親のベラリカが悲しみ、毎日のように涙を流していた。
医療会を追放されたことよりも、母親を悲しませたことが、ベルにとっては何よりも辛かった。
そして数ヶ月後、追い打ちをかけるように、ベラリカが難病になった。
医療会で働いていたベラリカは、ある日難病が悪化し、突然倒れてしまった。そのまま手術室に運ばれていった。ベルは急いでそこに駆けつけた。
「私に手術をさせてください! 私なら治せるんです! 私の母なんです! どうか私に! お願いします!」
「リウム・ベル、お前は医療会を追放された身だ。メスを握ることは許さん。私達に任せて待っていろ」
医療会の者たちに連れられ、手術を受けたベラリカだったが、その命は助からなかった。
死んだ母親の姿を目にしながら、ベルは何度も何度も泣いた。
「うう…お母さん…。うっ……私なら……私ならお母さんを助けられたのに…」
そしてベルは、無職になった。今更学生に戻ることもなかった。外に出ることをやめ、家で引きこもりを続けたという。
ベルはそんな昔話を、赤裸々にアグに話した。アグは話が終わった後呆然としてしまい、言葉が出なかった。
「……」
「あぁ! すみません! 突然こんな話をされても困りますよね」
ベルは苦笑していたが、それを見てアグの心はますます傷んだ。
「辛かったね…ベル…。その……ほんとに…何て言ったらいいか…」
「いえいえ、いいんです。私が手術前に再度薬をしっかり確認していれば、女王様も死なずにすんだわけですから。私のせいなんです」
「ベルのせいじゃない! 薬をすり代えた奴がいるんだ…。本当に…許せねえ…」
アグは俯きながら、拳をきゅっと握りしめた。
(一国の女王か……誰かに恨みでもかってたのか? だからって医療会の手術に手をだすなんて不可能だろうし……)
アグは一瞬考えをめぐらせたが、答えは出るはずもない。ただ1つわかるのは、ベルが誰かにはめられたということだ。医療会を追放され、母親まで失った彼女が不憫でならない。
「でも、ジーマさんのおかげで、私はこっそりと医者の仕事ができるようになったんです。国には秘密にしているんですけどね」
ベルは人差し指を口に当てた。
「こんなに腕がある医者を追放するなんて、医療会のやつらは本当に馬鹿だ。でもどうやって、この部隊に?」
「ふふ…実は私の父が、ジーマさんと親しいんで、そのツテなんです」
「ベルのお父さん…?」
「アグさんもよく知っていますよ。私の父親はカルト・ベル。ふふ…カンちゃんですよ」
「か、カンちゃんの?! 娘?! ベルが?!」
「はい! そうなんです!」
アグはあんぐりと口を開けた。それを見てベルは可笑しそうに笑った。
(確かに、最初に見た時から、誰かに顔が似ているような気がしていたんだよな…。まさかカンちゃんに娘がいて、しかもそれがベルって…。こんな偶然があるんだな…)
「うふふ。父からよくアグさんたちの話を聞いていましたよ」
「カンちゃんが…?」
「はい! 変な2人の面倒みてるんだって!」
「へぇ…。カンちゃん俺らに興味なんてあったんだ」
「もちろんですよ! そういえばアグさん、そろそろ歩けるようになりましたか? 一緒に食堂でも行って話しませんか?」
「ああ、うん…。まだ行ったことないし、それじゃ案内してもらおうかな」
「ふふ、それじゃあ行きましょう」
アグはベルの後について階段を降り、簡易食堂へ向かった。ベルの長い黒髪がさらりと揺れる。何だか女の子らしい良い香りがした。
(リウム・ベル……。シエナとは真逆の性格だな)
だけど2人共良い子だなと、アグは思った。
食堂に着くと、ベーラとレインが先に席についていた。
(う……)
アグは一瞬食堂に入るのを躊躇した。
テーブルの上には、食べ終わった後のお皿が山のようにつまれていた。ベーラが異常な大食いであることはヌゥから聞いていたが、予想以上のようだ。
だがそんなことは今はまるで気にならない。アグが気にしているのは、レインの存在である。
「あぁ、2人共いたんですね。ベーラさんったらまたそんなに食べて! お腹壊しますよ?」
「心配は無用だ。腹八分目は守っている」
ベーラはそう言いながら、食後のデザートの特大パフェをつまんでいた。
レインが振り返ると、アグと目が合った。アグは彼から目をそらした。
「おい。ケガは平気なのか」
レインがいつもの荒々しい口調で尋ねた。アグはぼそりと答えた。
「だいぶ、よくなりました…」
「そっか。良かったじゃねえか。それにしても、さすがベルだ。あのキズから生還させるとはな」
レインは頭の後ろに手をやり、椅子を引いて身体をこちらに向けて足を組み直した。アグは彼の態度にビクつきながらも、声を絞り出す。
「あ、あの…レイン…さん…」
「なんだよ」
レインにそんなつもりはなかったが、アグは彼に睨まれているような気がしてならなかった。
「ヌゥを止めてくれて…ありがとうございました。その時怪我もしたって聞きました…。本当にすみません…。それに、ヌゥが脱退しなくて済むように説得してくれたって…」
「別に? 俺が好きでやったんだ。お前が気にすることじゃねぇよ」
「……」
レインは何食わぬ顔でアグを見ている。
「アグさん、注文はこっちですよ」
ベルがアグの腕を軽く引いたが、アグは一歩も動かない。
(こんなことしか言えないのか? 俺は…。
違うだろ…。俺は…この人に、一生頭を上げられない…。
絶対に許してもらえないとわかっているけど…。
この人から、逃げては駄目だ…)
アグは膝をたたみ始めた。床に手をついて、頭を深く下げた。
それを見たベルは目を丸くした。レインはガタンと音を立てて椅子から立ち上がった。
「おい! なんだよ! やめろ!」
アグの目から涙が溢れた。
「ぅっ…ぅっ……レインさん……ごめんなさい……」
アグは心がぎゅうっと締め付けられるような気がした。ヌゥはこの痛みを罪悪感だと言った。これまでに感じたそれらの痛みの中で、今が何よりも辛い気持ちだった。ここから逃げ出したい思いでいっぱいだった。
「ヌゥに…聞いたんです…。俺はあなたの…大切な人を…。うぅ…ごめんなさい…ごめんなさい…」
そんな風に思う自分が、アグはいっそう嫌だった。大切な人を奪われた彼の痛みなんて、アグに理解できるはずもない。それほどの痛みを彼に負わせておいて、自分はどうして彼の前に立っているのだろうか。
レインは舌打ちすると、立ち上がってアグに近づいた。アグの頭を髪ごと強く乱暴に引っ張って、顔をあげさせた。
「ちょ…レインさん!」
「ベル、放っておけ」
焦るベルに、ベーラは言う。彼女は椅子に座ったまま、パフェの最後の一口を口に入れた。
「謝るんじゃねえよ。何度謝っても許さねぇからよ」
レインは鬼のように怒った目でアグを見た。アグはしばらく震えながら涙をすすることしかできなかったが、彼から目をそらすことは一度もしなかった。
「……」
レインはふぅと息をつくと、アグの頭を押し下げ、手を離した。アグは床に身体を打ち付けた。
「だけど、俺も初めてお前に会った時、お前を傷つけようとした。それは謝る。悪かった。もう二度としない。お前を傷つけねえって、ヌゥと約束したからな」
「レインさん…」
「もう二度と俺に謝るな。わかったな」
「……はい」
アグは震えるような声で返事をした。ベルはアグに近寄ると、背中をゆっくりさすった。
不穏な空気が食堂に漂う。レインはハァ…とため息をつくと、アグの腕を引っ張った。レインは注文ボタンの並ぶカウンターに、アグを連れてくると言った。
「どれ、食うの」
「え…?」
「先輩がおごってやるっつってんだよ。早く選べ。一番食いたいのはどれだって聞いてんだ」
アグは涙を拭いて、ふと目についた一番高級な特盛のステーキ丼ぶりを指さした。
「てめぇ! 遠慮を知らねえのか!」
「す、すみません…」
「いいよ! もう! ボタン押しちまったし!」
「ありがとうございます…」
ベルとベーラは顔を見合わせた。ベルは2人の様子を見て微笑んだ。ベーラはいつも通り無表情だが、どことなく穏やかな表情である。
「レインさん! 私もステーキ丼食べたいです!」
「私はパフェをおかわりだ」
「はあー?! 調子乗ってんじゃねえぞ、お前らまで! パフェのおかわりってなんだよ。てかベーラ、お前の方が先輩だろうが! たまには俺におごれっての!」
「無論、断る」
「だよな! もういいよ! 全員好きなの頼め!」
あっという間に食事がテーブル並び、賑やかな晩餐となった。
「うわ〜! 美味しそうですね」
アグの向かいに座ったベルは、うきうきとした表情を浮かべていた。
「うん……」
アグは生まれて初めての高級特盛ステーキ丼を前にして、喉を鳴らした。ステーキなんて独房内では絶対に食べられなかった。それ以前にも孤児であった彼は、当然食べたことがない。
「何やってんだ。早く食えよ」
隣に座るレインはやっぱり少し怖いけれど、ヌゥの言っていた通り、本当はすごく優しい人に違いないとアグは思う。
(一生許してもらえなくてもいい。死ぬまで反省するんだ。そしてこの人たちのために…死ぬ気で働こう…)
「ごちそうさまでした!」
「ごちそうさまでした…」
ベルとアグは空になった丼ぶりを前に手を合わせ、レインに頭を下げた。
「おかわり」
「はいい?!?!」
ベーラは空いたパフェグラスを、空ジョッキのようにレインに向けた。
「いつまで食うんだよ……」
ぶつぶつ文句を言いながらも、レインは立ち上がった。
「ベル、アグ、お前らもう帰っていいぞ。キリがねえから」
「は、はぁ……」
「それじゃ、お先に行きましょうか、アグさん」
アグはベルと共に食堂を去った。レインの隣でステーキが食べられるなんて、アグは夢にも思わなかった。
自分の罪が許されたわけではない。だけれどアグの心の痛みは、随分と和らいでいた。その分彼が傷ついてやいないかと心配にもなったが、そんなことを考える資格さえないのだともアグは思う。
そんな自分が今出来ることといえば、研究しかない。禁術解呪の薬の開発は順調だろうか。作業に時間はかかるだろうが、アグの考えでは、ルベルパールがあれば、ほぼほぼ完成に近づけるはずだった。
「無理はいけませんよ、アグさん」
アグの心を読むように、ベルが言った。アグはびくっと肩を動かした。
「まだ完治してませんからね」
「………」
アグが自分の部屋に帰るのを、ベルはしっかりと見届けた。
「はぁ〜。本当によく食うなあ〜……」
レインは机にうつ伏せて顔をあげた。ベーラは3つ目のパフェを頬張っている。
「お前も部屋に戻っていいんだぞ。無理に付き合う必要はない」
ベーラは淡々とパフェを食べ進める。何層にも連なるパフェの中間には、旬の苺がたっぷりと詰まっている。
「ちょっと姉さん! そんな冷たいこと言うなよ〜……」
アグとベルの前では先輩風を吹かせ、傲慢な態度のレインであったが、そんな彼も彼女の前ではそうではない。口を尖らせ、仏頂面で彼女を見つめる。しかし彼女はレインに見向きもしない。
「それにしてもあいつら、なぁ〜にがステーキ丼だよ。バルギータの報酬もパーだぜ」
「ほんと、甘いな」
「だ〜って、しょうがねえだろ? どうすりゃいんだよ。アグの奴、びーびー泣きやがって。人生で初めてだっつの。土下座なんてされたの!」
レインは身体を起こすと、腕を組み、背もたれにどーんともたれかかった。
「やっぱ俺が甘いのかぁ〜…? でもさ、アグはもう隊員なんだぜ? 早々に結果も出しやがって、ハルクも面食らってたっつの。一緒にいてギスギスすんのも嫌だしさ。やだろ? お前だって」
「甘い」
「いや、そうかも知んねえけど……。はぁ……。俺もわけわかんねーんだから。生涯の仇が今更仲間になるなんて…。大体な、ジーマのせいだぞ? 囚人引っ張ってくるって、頭イカれすぎなんだよ!」
レインが大声をあげたところで、何かが彼の口の中に入ってきた。ベーラのロングスプーンにのった、半分にカットされた真っ赤な苺だ。
「何すんだよいきなり!」
「甘いだろ」
「はぁ〜?!」
確かに口の中には苺の甘味が広がっている。レインは苺を飲み込んで、訝しげにベーラを見て呟いた。
「……何だよ…それのことかよ…」
「旬の果物はやはり美味いな」
「姉さんさ、俺の話聞いてた?」
「いや、あんまり」
「……」
そう言って、ベーラはパフェをぺろりと平らげた。
「今日はこのくらいにしておこう」
「そうしておいてくれ……」
ベーラは満足気に、微塵も膨らんですらない自分のお腹にぽんっと手をやった。