介助
ヌゥは応急処置を受けたあと、独房で仰向けに転がっていた。全身包帯男とまではいかないが、腕も足も包帯がぐるぐる巻にされ、皮膚損傷の激しいところにはガーゼがたくさん貼られていた。
「あ、長袖の服を頼むのを忘れてた」
アグはこの死に損じみたいなイカれ野郎を横目で見ながら、心底呆れ返った。
「お前、よく生きてんな」
「そりゃもちろん。だって、拷問器具で相手殺しちゃったら意味ないじゃない? 死なないようになってるでしょ〜」
もしかして、聞いた俺が馬鹿なのか?と思う時がある。何度もだ。こいつはいつもそうだ。狂人も狂人、常識なんかありゃしない。人間なのかと疑うことも多い。
「それよりさ、頭さっぱりしたねぇ! なんか焦げ付いてチリチリしてるけどさぁ。アグも短くなって、とってもかっこよくなったね」
「礼なんて言わねえぞ。お前が勝手にしたことだからな」
「え? 何の話?」
こいつに借りを作るなんてごめんだ。こいつも貸しだとは思っていないようだ。ならこれ以上、その話はしなくていいか。
はじめて、こいつの顔をよく見れた気がする。いつも長すぎる前髪で覆われて、青い瞳ってことくらいしか知らなかった。もっと気持ち悪い顔をしてるって思ってた。予想以上に綺麗な顔立ちだった。小顔で、肌が白くって、柔らかい雰囲気だ。傷だらけだけど。
「お前、女みたいな顔してるな」
「女だよ」
仰向けのヌゥは、天井を見たまま答えた。
え?!っと俺がヌゥの方をバッと振り向いたのがわかって、ヌゥはニヤニヤ笑っている。
「あはは…嘘に決まってるじゃん」
「つまんねえ嘘つくなよ…」
「じゃあさ、リアナとどっちが可愛い?」
今日のこいつは本当にくだらない。俺はヌゥを無視して、いつもみたいに後ろを向いて横になった。
しばらく沈黙が続くと、夜ご飯が運ばれてきた。
部屋の隅にお盆が入る小さなボックスがあって、そこにガサガサ音がすると、ご飯が来たのがわかる。5分以内にとらないと、食べる意思なしと見なされて回収される。30分以内に食べて食器を返さないと、警告放送が入ると共に、次のご飯が1回分すっ飛ばされてしまう。
アグは速やかに2人分の食事を受け取った。
いつもながら質素な食事だ。常にご飯、汁物にメインのおかずと小鉢が1つ。ある意味健康的でもある。
ヌゥは仰向けになったまま、天井を見つめて動かない。いや、動けないんだ。だって全身麻痺だから。
(はぁ…。食べれるわけないよな。くそ…)
アグはヌゥの隣に座ると、横にお盆をおいた。ヌゥは横目でアグの顔を見つめている。
アグは無言で茶碗を手に取り、箸でご飯をよそうと、それをヌゥの口元に近づけて、彼を睨みながら「ん」と鼻を鳴らした。
「ええ? 食べさせてくれるの?」
「黙れ。時間が少ない」
ヌゥは唯一ペラペラ動いていたその口を動かして、寝転んだままご飯を食べた。
「てっきり俺のもアグが食べちゃうのかと思ってた!」
「そんな極悪人じゃねえよ…」
「何言ってるの! 極悪人だよ、俺たち!」
「いや、そうだけど…。もういいから、喋んねえで食えっての!」
「ふぁ〜い!」
ケラケラ笑っているヌゥの口に、薄っぺらいコロッケを丸めて全部突っ込んだ。
「れかいろぉ〜(でかいよぉ〜)!」
「ふん!」
ヌゥにご飯を食べさせるのに時間がかかったので、アグは急いで自分のご飯をかけこんで食べた。そのままお盆をボックスにざっと突っ込んだ。
(ふぅ。間に合った。1食抜かれるのは、もうこりごりだからな…)
ヌゥがべらべら話しかけてきたせいで、食器を返すのが遅れて1食抜かれたことがある。あの日は腹ペコで死にそうになった。もうあんな仕打ちはごめんだ。その時もヌゥはひょうひょうとしていたもんで、こいつは食べなくても死なないんじゃないかと思ったこともある。
「ありがとう、アグ」
ヌゥは笑って言った。
「今日は大人しく寝るよ。明日の朝には元気になってるさ。何度も迷惑はかけられないからね」
「毎日大人しく寝てくれたらありがたいんだけど」
ヌゥは口角を緩ませて笑うと、そのまま眠りについた。
そうそう、こいつの回復力さあ、本当に異常なんだ。それこそ人外能力。1日眠ると、どんな致命傷でも完治する。それを知ったのは何年も前。実験の授業中、俺がトイレに行ってる間に薬品を間違えて大爆発を起こし、大火傷を負った。にもかかわらず、次の日に完治した。俺もカンちゃんも、目を疑ったよ。
とにかくこいつは、どうも普通の人間とは違う。身体も。心も。
まあ世間からしたら、俺もこいつと同レベルなんだろうけどなぁ。ここに入るやつなんて、ろくな人間じゃない。
そういえば、10年一緒に住んでるけど、お互いの罪について話をしたことはない。
聞いてはいけないことのような気がしていた。今更って気もするし。
俺自身は思い出したくもないし。
ヌゥは俺より4年前に捕まったから、ヌゥが何をしたのかは知ってはいた。自分の住んでた村の人間を、自分の家族もろとも皆殺しにした。村人全員の首を斬ったらしい。男も女も、老人も赤子も。ついでに誰かのペットの犬も。村には大量の生首が転がっていたという。最悪の事件だった。この辺で彼の名前ヌゥ・アルバートを知らない奴なんていない。
でも何でヌゥがそんなことをしたのかは、知らない。
知りたくないっていえば、正直嘘だけど。
まあ、今日はこいつもぼろぼろだしな。てか寝ちゃったし。
俺も寝るか。
ヌゥの寝顔を一瞥したあと、アグもそのまま目を閉じた。
朝は7時にご飯。8時50分になると呼び出しの放送がはいって、専用の通路を通って教室へ移動する。この独房、一応監視されてるし、何かあれば放送が入る。何もしなければ、朝の教室への呼び出し放送と、3日に1回の入浴時の呼び出し放送の2つだけがかかる。
9時から授業。カンちゃんのさじ加減で休憩があったりなかったり、はたまた長い自習があったり。
12時から30分だけお昼ご飯。それは教室で食べることになっている。その後また15時まで授業。終わったあとは独房へ帰る。
18時に晩ご飯。その後は特にすることがない。入浴がある日は適当に呼び出される。21時には勝手に電気が消され、ただでさえ薄暗いこの特別独房は、真っ暗になる。
ちなみに時計はないから、自分の体内時計が全て。朝もアラームなんてないから、自力で起きるしかない。寝坊して朝飯がなかった日は本当に辛い。アグはボックスの近くで寝て、最悪食事が運ばれた時のガサガサという音で、目を覚ますようにしている。
ヌゥはもちろん、時間加減なんて適当だ。アグが来る前までは、1食も食べれない日もよくあったと言っていた。イカれてる上にアホだ。
今でも時間管理はアグが頼りだ。それが気に入らなくて、黙ってヌゥのご飯を平らげてしまったことも昔はあった。本当に極悪人だよな。
10年近く経った今じゃあ、アグも諦めの境地に入っている。食事が来ると、無言でヌゥの横に1つ置く。
それが今日なんか、ヌゥに対して食事を介助してあげるだなんて、俺も変わったな、なんてアグは思っていた。
こいつに対して何らかの情があるわけでもない。犯罪者の俺たちに道徳心や思いやりの心なんて微塵もない。はずだ。
「……」
はぁ。眠れねえな。いつもはこいつがうるさくて寝れなくて、早く寝たいって思うんだけどな。
そのままヌゥの寝顔を見る。そういえば、もう1つ思うことがあった。
俺、リアナの顔、知らねえ。
リアナが誰かも、本当は知らない。正直、女か男かも知らない。勝手にこいつは女だって思ったみたいだけど。
でも、名前だけが強く刻まれている。
物心ついた時から、名前だけ知っている。リアナって人がどこかにいて、リアナに会いたい、会わなくちゃいけない、そんな風に思い出すことがある。
でも顔も出てこない。どんな人なのかも全くわからない。わかるのは、名前だけなんだ。
まあでも、それももう出来ない。俺は一生この独房から出られないから。結局リアナが誰なのかは、ほんの少し気になるけれど。
もしかして、前世の伴侶だったりして。
……そんなわけないか。寝よ寝よ。