母になる
アグが目を覚ますと、その部屋には誰もいなかった。
『俺とアグの子だよ』
「ヌゥ!」
アグはハっとして起き上がった。
(気絶してた…?! 青の衝撃は俺の許容エネルギーを超えていて使うこともできないのか……)
部屋を出ると、リビングに出た。
「アグさん!」
キッチンで料理を作っていたベルが声を上げる。彼女の隣にはカルベラがいる。
「ヌ、ヌゥは……」
「そっちの部屋ですよ」
アグは急いでその部屋に入った。
カルベラはそんな彼の様子を見ていた。
アグが部屋の中に入ると、愛しい彼女の姿があった。
その横の布団には、小さな赤ちゃんが眠っている。
「アグ!」
ヌゥはアグを見ると、満面の笑みを浮かべた。
「ヌゥ……お前……」
9ヶ月ぶりにあった彼女の白髪は伸びていて、肩を超えて胸元まで届きそうだった。
元々長かった7−3分けの前髪も更に伸びて、耳にかけられるようにもなっていた。
何だか顔つきも身体付きもやたらと女の子らしくなっていて、ちょっと別人みたいにも思えた。
すると、寝ていた赤ちゃんが顔を赤くして泣きそうな表情を浮かべた。
「ああ! もう起きるの!」
「オギャアアァ」
まもなく泣き始めて、ヌゥは赤ちゃんを抱っこする。
何度も抱っこするうちにかなり慣れてきたようだ。
ヌゥが赤ちゃんを揺らすと、赤ちゃんは泣き止んで、ヌゥの腕の中でまた眠ってしまった。
「アグ! 見て!!」
ヌゥは赤ちゃんをアグの目の前に持ってくる。
「お前、この子……」
「アグと俺の子だよ!!!」
アグは安らかに眠るその赤ちゃんを前に、空いた口が塞がらない。
「男の子なんだよ!! 可愛いよねぇ!!!」
ヌゥはその子にメロメロの様子で、満面の笑みでアグに笑いかけた。
「俺らの子って……ほんとに……」
「本当に決まってるじゃん! シィトルフォスの時に出来たんだよ! あぁ! エルスセクトのあの親切なおばさんにも見せにいかないとねぇ!」
「?!」
ヌゥは再び眠りについた赤ちゃんをそうっと布団に寝かせた。
アグは驚いた様子でヌゥを見つめる。
「お前、記憶が……」
ヌゥはにっこりと笑ってアグを見た。
「俺、思い出したよ…全部」
ヌゥはそう言うと、アグに抱きついた。
「待たせてごめんね! アグのこと忘れるなんて、本当にどうかしてる!! でももう大丈夫だから! 俺全部思い出したから!!」
ヌゥがそう言ってアグの顔を見ると、彼は泣いていた。
「アグ……?」
「……っく……ひっく……」
アグは溢れる涙が止まらなかった。
ヌゥは心配そうにアグを見ている。
「ありがとう……」
「え…?」
「産んでくれてありがとう………」
そう言いながら、アグはヌゥを抱きしめた。
ヌゥもまた、涙を流した。
「怖かったろ……1人で……。辛かったろ……産むのも……」
「アグ……」
「頑張ったな……頑張った……ありがとう……ありがとうヌゥ……」
アグはヌゥの背中に手をやって、強く彼女を抱きしめている。
彼女の温かさに触れて、また涙が止まらなくなった。
驚いたのと、嬉しいのと、何だろう……たくさん溢れてきて、言葉にもならない……。
君はずっとここに閉じ込められて、俺との子供を必死でお腹で育てながら、待っていてくれた。
君が辛いとき、俺はそばにいることができなかった。
本当にそれが、申し訳なくて…頭も上がらないけど…
でもヌゥは笑ってくれて、俺のことも思い出してくれていて、2人の子供が寝ていて、こんな幸せなことが、あってもいいんだろうか…。
赤ちゃんは安らかに眠りについている。
正直言うと自分の子供だなんて信じられない。
だけどその寝顔はヌゥにそっくりだ。
その天使のような可愛さに、愛しさが溢れ出てたまらない。
赤ちゃんはクリームの色の暖かそうな毛糸のドレスを着ていた。
「これね! 俺の手編みだよ? すごくない?」
「え? まじ? ああ確かに、よく見たらこことかほつれてる」
「そんなとこ見なくていいから!」
ヌゥが顔をしかめたので、アグは笑った。
「凄いじゃん。リアナほどじゃねえが」
「リアナと比べないでよ〜」
ヌゥとアグは穏やかな心地で、話をしていた。
「ねぇ、名前何がいい?」
ヌゥは見慣れた屈託のない笑顔を浮かべながら、アグに尋ねる。
「え…そんなすぐには……男だろ…。え……どうしよう……。お前は何かねえの?」
「えー! そうだなあ……スノウはどうかな」
「雪か……。いいんじゃねえの。冬生まれだし。ちょっと女っぽいけど…」
「ほんと! じゃあ決まりだ! スー君だねぇ〜可愛いねえ〜」
ヌゥはスノウの頬をつんつんしながらデレデレとしている。
「ヌゥ」
アグに呼ばれて、ヌゥは何?と振り返った。
「結婚しよ」
ヌゥは一瞬何を言われたのかわからなくて、目を丸くしたまま固まった。
あんぐりとしたまま、アグを見ている。
「いや、法律的には無理かもしんねえけどさ…まあ気持ち的に…だけでも…」
「……」
「え? しねえの?」
「…え?」
「うん?」
「えええええええぇぇぇ?????????」
「オギャアアアアァァァ!!!」
ヌゥが叫んだのでスノウも声を上げて泣き出した。
「何やってんだよ…」
アグは手慣れた手つきで赤ちゃんを抱き上げてあやした。
「いやいやいや! アグがいきなり変なこと言うから!!」
「変なことは言ってねえだろ…」
「言ったよ! ていうか何で抱っこ慣れてるの?!」
「だってしたことあるだろ」
「ないよ! ないない!」
「あー…あれは俺じゃなかった。ラディアだった」
「ああ……ミラの妹……」
それは俺たちが生まれる前のリアナとラディアの話。
2人の主人であるミラの妹を抱っこさせてもらったことがある。
非常に辛いことにミラの妹は亡くなってしまったのだけれど…。
「ヌゥさん! アグさん!」
ベルがドアをコンコンとノックする。
「ベルちゃん! 入っていいよ!」
部屋の中にベルが入ってきた。
リビングの方からすごくいい匂いがする。
「ご飯作ったんです! 皆で食べませんか?」
「うん! ありがとうベルちゃん!」
「ほとんどカルベラさんが作ってくれましたよ」
「行こうアグ! 俺が抱っこする」
「ああ、うん」
ヌゥはアグからゆっくりとスノウを受け取ると、包み込むように優しく抱いた。
スノウは泣き止んだが目を覚ましたようで、ぼーっと天井を見ている。
ベルは微笑みながら赤ちゃんを覗き込んだ。
「アグさんに似てますね」
「え? そうかな」
「ヌゥさんにも似てると思ったんですけど、目と口元はアグさんに似てますね」
アグは少し嬉しそうだった。
「ベルちゃん! 名前ね、スノウにしたよ!」
「ヌゥさんが考えていた名前になったんですね」
「何だ、思いつきじゃねえのか」
「んなわけないじゃん! そんなすぐに思いつかないでしょ!」
だったら俺に聞くなよ…とも思ったが、まあいいか。
リビングに着くと、カルベラが皆の飲み物をついでいるところだった。
カルベラはそのクマのある目でアグを見ていた。
アグも彼と目があって、声をかけた。
「あの…さっきはすみませんでした…。俺あなたのこと…殺そうと…」
「いや。俺が2人を引き離したんだ。殺されても文句はないさ」
「アグ、カルベラを許してあげて」
ヌゥは心配そうな表情でアグを見ている。
アグもうんと頷いた。
「話はまた、聞かせてもらいますけど…、今日はおめでたい日なんで」
スノウがニコっと笑った顔を見せた。
「笑った! 今スー君が笑ったよ!!」
「新生児微笑というんですよ。筋肉が引きつって笑ったように見えるんです」
「えー! でも今本当に笑ったんだもん!!」
「うふふ! そうですね!」
ベルは2人に飲み物を配った。
「さあ、皆でスノウ君の誕生をお祝いしましょう! でもヌゥさんはお酒は飲めませんから、ジュースですよ」
「わかってるよ! 俺、別にお酒は好きじゃないから!」
「カルベラさん…料理ありがとうございます。こんなにたくさん…」
「カルベラは料理うまいんだよぉ! 俺の好きなのばっかり並んでる〜!!」
アグはちょっとだけカルベラを睨んでいた。
(……まあ9ヶ月近くも一緒に住んでたんだからしゃあない)
「それじゃあ乾杯しましょう!」
「かんぱ〜い!!」
4人はそれぞれのグラスに口をつけた。
「俺が抱いてるから先に食べたら?」
とアグが言ったが、ヌゥは首を横に振った。
「アグが終わってからでいい」
「そうかよ…じゃあま、先にいただくよ」
「う〜ん! このハンバーグ絶品ですぅ!!」
「そいつは良かったさ」
3人のイキイキとした様子を見て、カルベラは安堵した。
話題はほとんど俺とアグの赤ちゃんのことで、スノウという名前をつけたことをカルベラにも教えた。
途中でアグがスノウを抱っこしてくれて、俺もカルベラの祝い飯をたらふく食べた。
産む前まではあんまり食欲がなかったのに、お腹が空になったからか、もりもり食べられた。ベーラほどじゃあないけど、カルベラの作った料理は全部食べきった。俺の食べっぷりを見て、カルベラも嬉しそうにしていた。
夜になったのでスノウをお風呂に入れようということになって、俺はベルちゃんに教えてもらいながら初めての沐浴を経験した。アグもそれを見ては、スノウの小ささに感動していた。
こんなに小さいのに生きているんだと、小指の爪なんて米粒ほどに小さいのに、しっかりと作られているんだなあと、感心していた。
そのあとは授乳をしようということになって、不安な俺はベルちゃんにレクチャーを受けながら部屋にこもった。
その間リビングにはアグとカルベラの2人だけになった。
アグはカルベラと話をした。
どうしてヌゥを捕まえたのかを聞くと、カルベラとシェムハザとの話を聞かせてもらった。
そのあとカルベラは何度も俺に謝って、深く深く頭を下げた。
カルベラは悪魔族で、魔王の直系血族だとも言うけれど、本当に人間らしくて驚いた。
本当は悪い人なんかじゃないと、俺もよくわかった。
そのあとはカルベラとヌゥの9ヶ月がどのようなものだったのかを聞かせてもらった。
ヌゥは毎日本を読んで穏やかに過ごしていたと教えてもらった。カルベラに料理を教わったり、育児の本を読んで予習をしたりと、真面目な生活を送っていたようだ。
そうするとベルが部屋から出てきた。
「授乳終わったのか?」
「終わりましたよ。ですがミルクも一応足しておきます」
「ああ悪い。話に夢中だったよ」
「いえいえ!」
「ベル、俺に作り方教えてくれるか」
「もちろんです!」
アグはベルに粉ミルクの作り方や哺乳瓶の消毒の仕方なんかも教わった。
「じゃあこれからは俺がやるから。ベルありがとう」
「いえいえ。アグさん、想像以上にいいお父さんですね」
「そうか? 普通じゃねえの…?」
「うふふ。産後、母親は特に鬱なんかにもなりやすいですから! パートナーの助けがどれだけあるかは重要ですよ」
「そうなのか…。ヌゥが鬱って…想像つかねえけどな」
「アグさんがついていれば大丈夫です! そろそろ冷めましたよ! 持っていってあげてください! スー君パパ!」
「恥ずいからやめろよ…」
アグは笑いながら哺乳瓶を受け取って、ヌゥとスノウの部屋に入った。
「アグ!」
「ミルクの作り方教えてもらった。作ってほしい時は言ってくれれば俺がやるから」
「ほんと? ありがとう!」
ヌゥは哺乳瓶を受け取ると、スノウに飲ませる。
「スー君!ミルクだよ〜!」
スノウはその小さな口を一生懸命動かしてミルクを飲んだ。
「可愛い〜!」
「自分の子にベタ惚れだな」
「だって! 俺が産んだんだよ! しかも俺とアグの子なんだよ!! 可愛いに決まってるよ〜!」
ヌゥは飲み終わったスノウの顔を肩に乗せて、優しく背中をさするとゲップさせた。
「飲み終わったあとね、ゲップさせないといけないんだって! 飲みきれなかったミルクで窒息するかもしれないんだよ!」
「そうなんだ…」
(すっかり母親か……)
アグはそんなヌゥを見ながら、笑みを浮かべた。
赤ちゃんを布団に寝かせて落ち着くと、アグは言った。
「そういや返事聞いてねーんだけど」
「え?」
「結婚、してくれんの。くんないの」
ヌゥは顔を真っ赤にした。
「す……するよ! するに決まって…」
アグはヌゥの返事を全部聞くこともなく、彼女の肩に手をやると、彼女にキスをした。
久しぶりだ……懐かしくって、愛おしくって、たまらない……この感じ……。
アグは何度も彼女の唇を咥えた。互いの舌が深く絡み合って、離すのが惜しい。
しばらくキスしたあと、彼女を見つめながらアグは言う。
「もう…家族だな……」
「うん……」
ヌゥは笑って頷いた。
家族のいない俺たちは、この日家族になった。
俺は今日からヌゥ・テリーを名乗るよ。
子供の名前はスノウ・テリー。
俺とアグの、宝物。
友達だったはずの俺たちは、恋人になって、家族になった。
そこには確かに深い愛がある。例え俺の中にどんなに憎悪のこもった血が流れていようとも、それは揺るがない愛だ。
俺はアグとの大切な思い出だって取り返して、これからは3人で新しい思い出を増やしていくだけ。
誰にも、邪魔はさせない。
俺はもっと、強くなる。
強くなれる。
だって、母親だから。
俺には愛がある。だから負けるわけがない。
ゼクサス、君がノアだというのなら、君はいわばもう1人の俺だ。
だから君のことは、俺が絶対に倒す。
憎悪に飲まれた君を倒すことができるのは、愛を産んだ俺だけに違いない。
必ず行くから。待っていて、ゼクサス。
ヌゥはその夜、強い心で、憎悪に立ち向かう決心をした。
第3章終了です!
かなりの長旅になってしまいましたが、ここまで読んでいただいて本当にありがとうございます!
次は番外編です。ラフ画③と、今回は短編2つです!
イメージを損ないたくない方は、ラフ画を飛ばして次に進んでください。




