大浴場で
「皆おかえり! 無事に禁術使いを討伐してくれたみたいだね。バルギータから国王に、直々にお礼が届いたところだよ。僕らへの報酬金もはずんだよ!」
ヌゥたちがアジトに帰還すると、ジーマが笑顔で彼らを出迎えた。ジーマは紐で縛られた白い袋を4つ取り出した。袋からじゃらじゃらと金貨の音がする。報酬金である。
「よっし! 久々にうまい酒が飲めそうだな」
レインは1番に報酬金を受け取ると、袋の紐に指を入れ、くるくるとそれを回した。続いてベーラとベルもそれぞれ袋を受け取った。何もしていないとレインに馬鹿にされたベルは、苦笑いをしながらぺこぺこと頭を下げた。
「はい、ヌゥ君」
ジーマはヌゥにもその袋を渡した。ヌゥは見かけよりも重いその袋を両手に乗せたまま、それをじっと見つめた。
「何これ」
「何って、報酬金だよ。初めてのお仕事、お疲れ様」
「俺もお金がもらえるの?」
「もちろんだよ! 好きなものを買っていいよ。ただし、食料なんかの生活費もここから出すから、計画的に使ってね。外に出たい時はベーラと一緒に、だよね?」
ジーマはベーラの方をちらりと見た。ベーラはうんと頷いた。
「うむ。基本的には私が同行する。または他のメンバー2人以上と一緒にだ。そうしないと、服従の紋が発動する」
「うん! わかってる」
ヌゥは袋を開いて中身を確認する。金貨が数十枚入っている。自分でお金を稼いだのは生まれて初めてだ。ヌゥは袋を閉じて、大切そうにそれを懐にしまった。
「そうだ! アグは?」
「アグ君はシエナとシプラ鉱山に鉱石を採りに行ってるよ。馬車が迎えに行ってるから、今日中には帰るんじゃないかな」
「そっか…。次の仕事は?」
「今日はもうないからゆっくりしていいよ。明日の朝、アグ君たちも一緒に会議をするから、9時に大広間に集まってくれる? 皆もよろしくね」
ジーマが言うと、皆は頷いた。レインはうーんと両腕を上に伸ばした。
「よーっし、んじゃ今日はもう上がりだな! 俺はハブに顔出してくるから! また明日」
レインはそう言うと、1人颯爽と城下町に繰り出していった。
「皆は行かないの?」
ヌゥが尋ねると、ベルは答えた。
「わ、私はお酒が飲めませんから…まだ18歳なので」
この国では、お酒は20歳からと法律で決まっている。
「え? ベルちゃんて年下だったんだ。同い年かと思ってた」
「うふふ。違いますよ。ヌゥさんは20歳でしたよね。レインさんと一緒に行かなくていいんですか?」
「あ〜俺はいいや。アグが帰るの待ってる」
「そうですか。私も今日は部屋に戻りますね」
「ふーん。ベーラは?」
「お前が外出したいなら付き合うぞ。しないなら私も部屋で休むとするかな」
「そっか。じゃあ俺も部屋に戻ろうかな。えっと…ジーマさん、俺の部屋ってあるんだっけ」
「もちろん。案内するね。それじゃあ、ベルもベーラも長旅でお疲れだろうし、ゆっくり休んでね」
「は、はい!」
「うむ」
ベルもベーラもそれぞれ部屋に戻っていった。ジーマは地下3階にある空き部屋にヌゥを案内した。
「おお!」
ヌゥは部屋の中を見回した。ベッドと机と椅子と棚が用意されており、トイレにシャワーまでついている。棚の中にはパジャマ代わりのローブと数枚のタオルが入っている。歯ブラシなんかの必要なアメニティも、充分に揃っていた。その他に必要なものがあれば自分で買い足して構わないし、とにかく好きに使ってくれていいという話だった。
「これが部屋の鍵ね」
「ありがとう!」
ヌゥはジーマから部屋の鍵を受け取った。ちなみにジーマはマスターキーを持っている。万が一の時は入らせてもらうこともあるかもしれないと言った。
地下4階にはセルフ食堂があって、お金を払えば安価でご飯が食べられるらしい。また、地下2階には大浴場があり、これも自由に使って構わないと言っていた。
「他に何かわからなかったら、僕の部屋に聞きに来て。場所覚えてる?」
「うん、覚えてる! 1番奥でしょ」
「そうそう。それじゃあヌゥ君、今日はお疲れ様。また明日ね」
「ありがとうジーマさん」
ジーマが立ち去ると、ヌゥは目の前の白いベッドに座った。
「ふぅ…」
初めて1人になったヌゥは、どうにも落ち着かない様子だ。部屋中をキョロキョロと見回した。
「ホテルみたい」
独房の頃とは大違いだ。
お風呂も毎日入れるし、ご飯も好きな時に食べられる。それにこのベッド! こんなにふかふかな布団で眠れるなんて、夢みたいだ。
ヌゥはそのベッドに仰向けに倒れ込んだ。幾何学的な円の模様の描かれた白い天井を、ぼーっとした様子で見つめていた。
「アグ…早く帰ってこないかな…」
馬車に乗って、外に出て、海を見て、バルギータで美味しいものを食べて、風使いと戦って…ああ、何から話そう。アグに話したい事がいっぱいあるよ…。
「……」
ヌゥは、レインの話を思い出した。
フローリア姫の死を確信した時のレインの気持ちが、今ならわかる。俺にも、やっと大切な人が出来たからだ。
大切な人を殺される…そんな気持ちなんて、想像するだけで心が握り潰されそう。いや、俺の想像なんて遥かに超えて、酷く辛い憎しみと悲しみに違いない。呪いなんてなくたって、その相手を殺したくってたまらなくなるだろう。
「アグ……何で城を壊したの……」
ヌゥはむくっと起き上がった。
馬車の帰り道、ずっとその事を考えていた。頭がもやもやする。今までこんなことなかったのに。
本当はもう、考えたくもない。全部忘れてしまいたい。だけど絶対に忘れてはいけないことだ。
城を壊したのはアグの罪だけど、自分も同じくらいの罪を犯した。俺が殺した村の皆もまた、誰かの大切な人だった。そのことに、やっと気づいた。気づいてから俺は…俺の心はいつも、言葉にすら出来ない罪悪感で、張り裂けそうになる。
だけど当時の俺は、そんな罪悪感もさえもまるで抱いていなかった。
俺の意思で殺したわけじゃなかった。だけどこの身体が村の皆を殺そうとした時俺は、正直、清々しい気持ちだった。
俺のことを悪魔と呼んで、罵り、遠ざけ、俺の家族ごと殺そうとすらした皆を、心の何処かではいなくなればいいと思っていた。
俺の心は本当は醜く荒んでいる。終いにはそれを通り越して、人としての感情さえも失っていた。
アグに、会うまでは。
不思議だった。アグの傍にいるだけで幸せだった。空っぽだった心が、初めて熱を得たように高ぶった。
俺の心は穏やかになって、だけどその代わり、自分の犯した罪の重さにも気づくことになってしまった。
今でも事件の日のことを、鮮明に覚えている。人を斬った感覚も、飛び散った血飛沫の温かさも、死に際の皆が恐怖する顔も、全部だ。
『さよなら、ヌゥ』
母さんは死ぬ前に笑っていた。だけどあの笑顔の奥で、母さんは大きく絶望していた。きっと俺を産んだことを後悔して、俺が皆を殺したことに失望したんだ。
「…っ!!」
ヌゥは呼吸が苦しくなるのを感じた。苦しすぎて涙が溢れた。
(ごめんなさいっっ……!!)
声も出なくなって、心で謝ることしか出来なかった。どんなに謝っても、許されることはない。これが罪悪感というやつなんだろう。俺は死ぬまで、この痛みから逃れることは出来ない。
「ハァ……ハァ……」
しばらくすると、ヌゥは落ち着きを取り戻した。身体がどっと疲れて、重くなるのを感じた。冷や汗を拭いながら、深呼吸を繰り返す。
ヌゥは唇を噛み締めた。
(戦うんだ…ここで…皆と。この命をかけて…)
こんな安い命じゃ、まるで代償にはならないかもしれない。でもそれが、俺の償いだ。
「そうだ…大浴場に行こう」
ヌゥは気持ちを切り替えて、部屋の棚からパジャマとタオルを取り出すと、部屋を出た。地下3階には皆それぞれの個室が設けてあるようだ。ヌゥは廊下を歩いて、階段を登って、地下2階に向かった。
簡易的な休憩スペースを通れば、男湯と女湯でそれぞれ入り口が分かれている。男とかかれた紺色の暖簾をくぐれば、中は更衣室だ。
脱いだ衣服を置くためのカゴが並んでいる。カゴが空っぽというとこは、今は中に誰もいないということだ。ヌゥは服を脱いで準備をすると、浴場への入り口を開けた。
「すごいや! めちゃめちゃ広い!」
巨大な浴槽を目にしたヌゥは大層驚いた。大浴場というだけあって、浴槽は10人浸かっても余裕がありそうだ。
「こんなに大きいお風呂初めてだ…」
ここは本当に凄い場所だ。服従の紋があるといっても、ほとんど自由だ。命懸けの仕事とはいえ、独房で寝泊まりしながら工場で働き続ける人生よりよっぽどいい。
なんて素直に思いたいところだが、そうはいかない。あんなにたくさんの人を殺した自分が、こんなところでのんびり風呂に浸かることなんてあっていいのだろうか。またそんな風に思ってしまう。
だけど一度浴槽に浸かれば、その幸福感に身が包まれるというものだ。それが10年ぶりの入浴だったとしたら尚のことだ。
「疲れがとれるぅ〜…」
浴槽の縁に頭を乗せて天井を見上げては、その気持ちよさに思わず声が漏れた。すると、浴場の入り口がガラっと開く音が聞こえた。
「うん? 誰か来た?」
ヌゥは入り口の方に目をやる。しかし湯気が立ち込めて姿が見えない。
「ふぁ〜! ひっさびさの風呂や〜ん! 先客は誰や〜?」
ヌゥには聞き慣れない声だった。男はこちらにゆっくりと近づいてくる。
「んん? 黒髪? え? まさかベル? ちょ、ここは男湯やで? 間違えてるで!」
「誰?」
(ん? ベルの声やない? というか聞いたことあらへんけど?)
ようやく湯気が晴れて、お互いの顔が見えて目が合った。そこには見知らぬ赤茶色の髪の男が立っていた。
「だっ、誰やお前! うぉあ!!」
ヌゥを見た男は、驚いた拍子にすっ転んで、盛大に尻もちをついた。
「ちょっと! 大丈夫?!」
ヌゥは慌てて湯船から出ると、彼の元に向かった。
「いったあああ……。ひいっ! ほんまに誰やねん、お前!」
「俺はヌゥ・アルバート。特別国家精鋭部隊に新しく入ったんだ」
「そ、そうなん? あーもう、風呂に知らん奴おったからほんまびっくりした…あぁ…ケツが痛い……」
「君は?」
「ああ、すまんすまん。わいの名前はヒズミ・サノ。ていうか寒いわ! ヌゥやっけ? ほら、もっかい浸かろーや」
「うん…」
裸で自己紹介をかわしたシュールな2人は、改めて湯船に浸かった。
ヌゥはヒズミと名乗った男の顔をじっと見た。彼は女の子に間違われてもおかしくないような、綺麗な顔立ちをしている。
ヒズミは浴槽の縁に腕をかけた。ヌゥが新入りだとわかったからか、何となく偉そうな態度をとりながら話し始めた。
「いやあ、でも可愛い新入りさんが入ったんやな。ジーマさんも一言ゆっといてくれたらええのに」
「ヒズミ、喋り方変だね」
「ああ〜すまんな。よう言われるわ。わい、海の向こうの大陸から来たんや」
「え? そうなの?」
「せやで。航海の途中やったんや。でも嵐に巻き込まれて漂流してな。命からがらたどり着いたんが、このユリウス大陸っちゅーわけや」
「へぇ〜すごい! 海の向こうにも大陸があるんだね。でも、ヒズミは、なんで帰らないでこんな仕事してるの?」
ヒズミは笑いながら答えた。ヌゥは彼の訛ったイントネーションが気になったが、彼の喋りは非常に流暢であった。
「帰り方がわからへんねん。流されてきたからな。それにわいは、この国が気に入ったんや。食べ物もおいしいし、人もぎょーさんおって楽しい。まあでも働き先がないと生活していかれへんやろ。そんで最初は、国の騎士団に入隊したんや。給料がめっちゃよかったからな。そしたらわいの能力を知ったジーマさんに引き抜かれてな、この特別部隊にやってきたっちゅーわけや」
「へえ〜。色々大変だったんだね。それじゃ、これからよろしくね、ヒズミ」
ヌゥは立ち上がり、浴槽から出ていく。
「なんや、もういくんかいな」
「うん。のぼせそうだからさ」
ヌゥが行ってしまった後も、ヒズミはのんびりと湯舟に浸かっていた。
(わいにも後輩ができたんか〜なんや可愛いな〜。なんか呼び捨てにされた上にタメ口きかれてたけど、まあええわ。ここの国はそんなん気にしたらあかんもんな。なんたって、ほとんど皆ジーマさんにタメ口聞いとるし〜…)
ヒズミは貸し切りになった浴槽で、うーんと足を伸ばして身体を癒やした。
(それにしても、久しぶりの大浴場、ほんま幸せや〜。2週間まともに風呂に入ってへんからな…グザリィータの宿屋は何でかシャワーしかないし、無駄に宿代も高いねん…。ほとんど野宿して宿代浮かせたわ。まぁ、そのおかげでまた儲かったわ〜)
すると、ガラっと音がして、ジーマが入ってきた。
「やあ、ヒズミもいたんだね」
「ジーマさん!」
ジーマはかけ湯を済ますと、ヒズミの隣に浸かった。
「長期間の潜入捜査お疲れ様。明日皆の前で発表してもらうから、話すことまとめておいてね」
「は、はい!」
「それより、さっきヌゥ君も来てなかった?」
「ああ! そうです! 可愛い後輩が入ったみたいでよかったですわ〜。でも初めに言うといてくださいよ。知らん奴が風呂におったから、びっくりして尻もちついたんですよ。わいがビビリなん知ってるでしょう?」
「あぁ、ごめんごめん。でもヒズミすごいね。ヌゥ君と普通に話出来たんだ」
「え? 何でですか?」
「いや、だってヌゥ君、6歳のときに村1つ壊滅させた、最年少大量殺人鬼だから」
「え、え? えええええ????!!!!」
ヒズミは顔を引きつらせ、全力で叫んだ。ジーマはハッと思い出したように、手をぽんと叩いた。
「ああそっか! ヒズミがこの大陸に来る前の事件だから、ヒズミは知らないんだ」
「なっ…え? ええ? 何でそんなやばい奴仲間にしたんですか?!」
「うーん。強そうだから?」
「勘弁してくださいよおおおぉ!!!!」
ヒズミは頭を抱え、半泣きで発狂し始める。
(嘘やろ? 敵も味方もやばい奴ばっかりや! もう嫌やこんな部隊! 命がなんぼあっても足りひん!)
そんなヒズミの様子を、ジーマはニコニコ笑ってみているだけであった。




