魔法の歌
保育所にて、4、5歳の子どもたちが、レインを取り囲んでは、水鉄砲の銃口を向けている。
「ぎゃははは! ゾンビだゾンビ!」
「やっつけろ〜!!!」
「ゾンビじゃねえっての!! んぎゃー!!!」
「ぎゃーはははは!!!」
レインの顔の火傷を見た子どもたちは、彼のことをゾンビ呼びわりして標的にしていた。子どもたちはレインに水を放射しながら大爆笑だ。レインはあっという間にびしょ濡れにされていた。
「やったな〜!! このガキ共〜っっ!!」
「きゃー!! 逃げろ〜!!!」
「ゾンビにされるぞ〜!!!」
「ひゃ〜〜!!」
レインが子どもたちと戯れる様子を、ベーラとユアンは遠目に見ていた。ベーラの腕にはまだ0歳児の男の赤ちゃんがすやすや眠っている。先程哺乳瓶でミルクを飲ませ、眠りについたところだ。
「あんなに怖い顔やのに、子供に懐かれるなんてな〜」
「うむ」
祭りの時に、レインは子供が好きだと言っていたことをベーラは思い出した。その時に、お前はあんまり子供は好きじゃなさそうだと言われたことも思い出した。
確かに自分は無愛想だと思う。国王に雇われた時からわざとそうしていたのだが、いつの間にかこれが普通になってしまった。歳も歳だし、子供の頃みたいに女の子らしくなんて、今更無理だ。
だけど、ベーラは子供が好きだ。かなり好きだ。
自分がまだアイラだった頃、よく弟のベーラと一緒に、村の幼い子供たちの相手をしたものだ。ベーラは土の造形で子供たちを喜ばせていた。自分が歌を歌えば、子供たちも一緒に歌ってくれていたっけ。
赤ちゃんを抱っこしたこともある。村に赤ちゃんが産まれるたびに、抱っこさせてもらいたがっていた。女の子は子供の頃から母性本能みたいなものがあると聞いたことがある。自分にもそれがあったのかもしれない。
ベーラは抱っこしている子供の寝顔をじっと見た。
(可愛い……!!!)
無条件の愛らしさだ。誰の子かもわからないというのに、赤ちゃんというのは心底可愛くて心が癒やされる。
「そんな小さい子まで預けられてんねんな〜」
「父親が魔族に殺されたそうだ」
「そら気の毒に」
ベーラはユアンを睨みつけた。
「いやいや、あたいちゃうで?」
「わかってるよ」
「魔族をひとくくりにせんといてや! あたいは誰も殺したりなんかしてへんで」
「拉致はしていただろう」
「もう皆解放したったやろ!」
「したのは私たちだろう…」
ベーラはため息をついた。赤ちゃんは寝ぼけながら、口をもごもご動かしている。
「お前も片親か。私と一緒だな」
ベーラは赤ちゃんに向かって呟いた。
「え? ベーラはんも父親死んだん?」
「母親だ」
「そらベーラはんも気の毒に。やっぱり母親おらんかったら悲しいか?」
「まあ、別に」
「なんや、そんなもんかいな」
ユアンは終始淡々とした様子だったが、ベーラはそれ以上に無表情であった。
「母親は私が産まれた時に死んだからな。記憶にないんだ」
「そうかいな」
私の幼少時代、親がいないのは珍しいことじゃなかった。戦争で両親共になくした子供だってたくさんいる。それに比べれば、私には弟もいたし、村の皆も家族のように慕ってくれたから、寂しい思いなんてしたことはなかった。
「ユアンの家族は?」
「魔族に家族とかいう概念ないねん。たまに群れとう奴はおるけどな。魔族は産んだら終わり。親は子供置いてどっか行く。すぐに1人で生きていかなあかん」
「そうなんだな」
人間と魔族。同じ言葉を話すのに、その根本的な思考はやはり別の生き物、ということか。
「子供を産んだことはあるのか?」
「さあ〜、わからん。記憶にないから、ないんちゃう?」
「ふうん」
その話はそれで終わった。すぐに保育所の先生に呼ばれると、ベーラとユアンは2、3歳の子どもたちの面倒を見るようにと指示された。
保育ルームにはたくさんのおもちゃが棚に並んでいる。10人くらいの子供たちが、皆各々好きなおもちゃを取り出しては遊んでいる。1人の男の子がユアンの元にやってきてはスカートの裾を引っ張った。
「あしょぼ! あしょぼ!」
「ちょおベーラはん! 助けて! こいつ男や!」
「……」
ベーラは白々しい目でユアンを見ていた。男嫌いがこんなに小さい子供にも当てはまるとは。
(本当にどうしようもないやつだな)
「あしょぼあしょぼ!」
「ぎゃああ! 触らんといてぇ!!」
ユアンが逃げ回っていると、レインもその部屋にやってきた。見知らぬ服に着替えている。子供たちに衣服を濡らされたので保育所に着替えを借りたようだ。
「おいこら! 何やってんだよアホ馬!」
「あしょぼあしょぼ〜!」
「おう坊主! 遊ぼうぜ〜」
ユアンを追っていた男の子を、レインは軽く抱き上げた。彼が高い高いをしてみせると、男の子はきゃっきゃと甲高い声をあげて喜んでいた。
「幼児の相手は終わったのか?」
「ああ。びしょ濡れにされて参ったぜ。次はお前らとこっちの子どもたちの相手を頼むってさ」
「もっかいして! もっかい〜!」
「はいはい! おりゃっ! とーべ飛べ飛べ〜!!」
「きゃーっっ!!」
ヒーローが空を飛ぶように男の子を抱きかかえ、レインは保育所を走り回った。男の子は大喜びだ。
「兄ちゃん、僕も!」
「あたちも!」
「よっしゃ! 順番に並べ並べ〜」
活発そうな子供たちはレインにたかっていく。あっという間に子供たちに囲まれたレインを、ベーラはじっと見つめていた。
その光景を見て、ただ単純に彼女は思う。
彼はいい父親になれると。
彼にもし子供がいたら、その子はきっと幸せになるに違いないと。
それを脳内で言葉にするまでもなく、ただ漠然と、ベーラは思った。
「………」
「どうしたん? ベーラはん」
「いや、別に。というかユアン、お前真面目に仕事しろよ」
「え? いやいや、しとうって!」
「本当か?」
「ほんまやって!」
うわーんと、女の子の泣き声が聞こえてきた。ユアンは服従の術で攻撃されないようにと、女の子の元に駆け寄った。
「どうしたんや〜?」
「ママ〜!!!」
母親がいなくて泣いているようだ。その子は最近この保育所に来たばかりで、まだこの生活に慣れていないそうだ。他の子供たちが自由に遊ぶ最中、女の子は1人泣きわめいている。
「ママはもうちょっとで迎えにくるで! それまであたいと遊ぼうや!」
女の子はユアンをひと目見て一瞬静かになったあと、更に大声で泣き始めた。
「うわーーーん!!」
「ほら! こっちにおままごとあるで! それとも絵本でも読んだろか?」
「うわーーん!! ママがいいよ〜!!!」
「そんなこと言うてもしゃあないやんか〜!!」
「うわーーーーん!!!」
女の子は更にヒートアップして泣きわめく。ユアンは完全にお手上げ状態だ。
(無理や! 無理無理! 大体魔族に子供の世話なんてできるわけないやんか!!)
「ベーラはん何とかして〜!!」
「……」
見かねたベーラは女の子の元に駆け寄った。
「うん?」とレインも他の子供たちの相手をしながら、その様子を伺った。
「ちゃらららら〜んん」
似合わぬ効果音を言い出したかと思うと、その手の中からベーラはうさぎのぬいぐるみを呪術で生み出した。
「!」
女の子はびっくりして、泣くのをやめてベーラを見た。
「私は魔法使い。どんなものでも簡単に出せるんだよ〜」
ベーラはいつもの口調でそう言った。レインは似合わぬ彼女の台詞に「ぶっ」と息を吹き出した。ユアンは目を丸くして彼女の様子を見ていた。
「うさぎさんは何が好きかな? うーん、あたしはにんじんが好きだぴょん。ふむふむにんじんだね。任せなさ〜い」
手に持ったぬいぐるみを動かしながら1人芝居を始めると、ベーラは再びちゃらららら〜んと呪文を唱え、もう片方の手ににんじんのおもちゃを生み出した。
「すごい!」
女の子は思わず声を上げた。「なになに?」と他の子どもたちも集まってくる。
「私は魔法使い。何か欲しいものはあるかい?」
「飛行機!」
「アクセサリー!」
「僕ロボット! こ〜んなに大きいやつ!」
子供たちは次々にお願いをし始める。ベーラはぽんぽんと呪術でそれを作り出した。子供たちは大喜びしながら、欲しいおもちゃを受け取ってそれで遊び始めた。
(ベーラのやつ、クソチートかよ!)
レインは心内で突っ込みながらも、彼女に賞賛の拍手を贈りたい思いだった。
「何か欲しいものはあるかい?」
1人残った先程泣いていた女の子に、ベーラは尋ねた。
「……ママ」
女の子は小さな声でそう呟いた。
(そんなん無理に決まってるやんか…!)
ユアンはハラハラとした様子で2人を見ていた。
「あなたのママはこの世に1人しかいない。だから私の魔法であなたのママを出しても、それは偽物のママなんだ」
「ぐす……」
「でも大丈夫。ママが来てくれるように、私が魔法の歌を歌ってあげる」
「魔法の歌…?」
ベーラは女の子に向かってにっこりと微笑んだ。
(あ……)
ユアンは目を丸くした。ベーラが笑ったところなんて、初めて見たからだ。
ベーラは女の子を抱っこした。3歳になるその子は、先ほど抱いている赤ちゃんに比べるととっても大きかった。その子はベーラにしっかりとしがみついた。
「♪〜♫♪〜〜」
ベーラは歌い出した。その歌はベーラの好きな童謡だった。1人の少女が見知らぬ国にやってきては、仲間を増やしながら旅をする有名なお伽噺を、歌にしたものだった。
その少女はとっても勇敢で、ベーラはこの歌を歌うといつも、勇気がもらえるような気がしていた。
「♪♪〜〜♫♬〜」
ベーラに抱かれた女の子はうとうととし始めた。ベーラはゆっくりと身体を揺らしながら、歌を続ける。いつの間にやらその女の子は、眠ってしまっていた。
ユアンは呆然と立ち尽くした。ベーラはまるでその子の母親のようだった。そのくらいベーラの笑顔はあたたかかったし、ベーラの歌声は優しかったからだ。
その時、ユアンの目から一筋の涙がこぼれた。
『あんたはあたいとサヨリの子やで。生まれてきてくれてありがとう』
今と同じ人間の姿のユアンは、誰かを抱きしめている。それは自分と同じで真っ黒な毛並みの、小さなユニコーンだった。
そのユアンから溢れ出すような慈愛の表情は、ベーラのものとそっくりだ。
「は……?」
一瞬、そんな映像が脳内によぎった。
(夢……やろか……)
そらそうや。子供を産んだ記憶なんてない。さすがに子供産んだことを忘れるってことはないやろ。
(サヨリって誰……)
「……」
ベーラは女の子をお昼寝用の布団に寝かせた。スースーと寝息を立てて、安らかに眠っている。ユアンは涙を拭うと、ベーラの元に駆け寄った。
「ベーラはん、魔法使いなん?」
「そんなわけないだろ」
「ふふ! でもベーラはんって、ええ母親になりそうやんな!」
「え…?」
ユアンはベーラに笑いかけた。ベーラは驚いた様子だった。
「そんなこと、生まれて初めて言われたよ」
「そうなん? まあでも母親イコール処女喪失やからな! やっぱりベーラはんには、母親になってほしくないわ!」
「何だそれ」
ベーラが鼻で笑うのを見て、ユアンもまた微笑み返した。
「もっかい! お兄ちゃんもっかい〜!!」
「ま〜たかよ〜! 一体何回やらせんだよ!!」
「きゃははは!!」
「おい! ベーラとクソ馬! お前らも相手しろよ!!」
レインはベーラたちに向かって声を上げた。少し離れたところで子供たちに囲まれている。その様子を見たベーラとユアンは顔を見合わせ、軽く頷きあった。
「誰がクソ馬や〜!!」
ユアンは子供たちの元に駆け出した。ベーラも後を追い、その後も3人は保育所の仕事をまっとうした。
そしてその翌日の夜のことだった。
ユアンは仕事から帰ってきたベーラと一緒に、夜ご飯を食べていた。メリとソヴァンはまだ帰っていない。
「あのうるさいライオン野郎はどうしたんや」
「酒を飲みに行ったよ。いい加減我慢ができないと」
「ほらな〜。男はろくでもない奴しかおらん」
「まあ確かにな」
ユアンはそのお気に入りの薄紫色の髪の少女の姿で、缶詰をつついている。
「それに比べてベーラはんはホンマに素晴らしい! だってその歳まで処女ってことは恋愛なんてしたことないんやろ! 男にも興味なさそうやもんな!」
「…処女というなと言っただろう」
「誰もおらんのやからええやん! ベーラはんは仲間の前で話ししたらあかんて言うたんやで!」
(クソ馬め…アホそうで抜け目がない奴だ)
「恋愛なんてほんまにしょーもないもんな! するだけアホやと思うわ!」
「そう思うのか」
「そらそうやろ! 魔族は恋愛なんて無駄なものはせえへんで! 必要ないやろそんなん」
「ふふっ」
ベーラが鼻で笑ったので、ユアンは不思議そうに彼女を見た。
「何がおもろいねん」
「私は好きな人ならいるけど」
「ええ?!」
ユアンは苦そうな顔をした。
「嘘やろ? 嫌やそんなん! あたい、ベーラはんのことごっつう気に入ってんねん! せやからベーラはんに恋愛とかしてほしくないわ!」
「何故だ」
「男なんぞに目を向けへん崇高な存在であってほしいんやもん! そんな純粋かつ生粋の処女こそがあたいの求める完全無欠の女の子ってもんや!」
「そんなこと言われてもな」
ソファに座っているベーラは足を組み直した。
「誰なんその好きな男て! まさかあのライオン野郎とちゃうやろな。それだけは絶対許さへんで!」
「レインは違うよ。あいつは私の相棒だと言っただろう」
「じゃあ誰やねん」
「もうこの世にはいない。死んだんだ。私たちの敵であるゼクサスを倒すことが、そいつの敵討ちさ」
ユアンは淡々と話すベーラを見ていた。
「死んだのにまだ好きなんか」
「そうだ」
「ベーラはんに好かれるなんて、どんなええ男やねん」
ユアンは缶詰の汁を吸い付くすと、机の上に置いた。
ベーラはジュースの入ったグラスを持っては、懐かしそうに遠くを見て言う。
「そいつはダメ男だったよ。女の子の気持ちなんぞを上手く考えられないやつさ。だけどそいつは誰よりも強くて、優しかった。私の憧れだったんだ」
「ふうん……。そいつはベーラはんのこと好きちゃうの」
「そいつは私の大切な友達と婚約していたんだ。だから私と結ばれる可能性なんて微塵もなかったのさ」
「そうなんや。こんなに強くてええ女やのにな。見る目ないなあ」
「はっ…そんなことを言ってくれるのはお前だけだよユアン」
「そうなんか? まあそいつがベーラはんを好きにならんかったおかげで、あたいのご主人様の処女が守られたっちゅーことにしとくわ」
「何だよそれ」
ベーラは軽く笑った。それを見ながらユアンは、保育所でのベーラの笑顔を思い出した。
「ベーラはんて、最初は怖い人かと思うてたけど、全然そんなことないやんな」
「は?」
「ほんまは優しいし、わろたらごっつう可愛いし!」
ベーラは無表情ながらに驚きながら、ユアンを見つめた。
(変わった馬だ、本当に)
「よし! あたい決めたわ!」
「うん?」
ユアンはガッツポーズをして、突然立ち上がった。
「あたいがベーラはんの敵討ちのために、人肌脱いだるわ!」
「何を言っているんだいきなり」
「せやから、そのゼクサスっちゅー奴のとこにスパイとして潜り込んだろ言うてんねん!」
「?!」
ユアンは可愛らしいその少女の顔でにっこり笑った。
「バレたら死ぬぞ」
「バレへんバレへん!」
「敵はお前が思っているより遥かに凶悪な、憎悪の塊だぞ」
「なんや、あたいのこと心配してくれてるんか?」
「そんなことはないけど…」
ユアンは口をぶーっと膨らせた。
「そこは心配しとうでええやんか!」
「うむ…」
「まあええけど。ベーラはんも敵の情報ほしいやろ!」
「それはもちろん」
「な! 敵の仲間のふりして、あいつらの行動をベーラはんに教えちゃる!」
「それは頼もしいが…。まさかそれで私から逃げようとか思ってないだろうな」
「そんなん思てへんて! 失礼やな!」
「ふむ……」
「心配なんやったらスパイしてこいて命令してえよ」
「そんなに言うならまあ考えるけれど」
ユアンは腰に手を当てると、微笑んだ。
「ほな、決まりやな!」
ベーラはユニコーンの突然の願ってもない申し出に目を見張るばかりだ。
「何でわざわざ自らそんな危険なことしてくれるんだ?」
ベーラが尋ねると、ユアンは言った。
「ベーラはんのことが気に入ったからや!」
ユアンは笑って、ただそう言った。




