崩れ去る山
シエナは恐るべき威力の格闘技で、封鎖されていた奥の道を解放した。
そこには先ほどの声の男がいた。中年で太っていて、汗をダラダラかいていた。しばらくの間、ここに閉じ込められていたのだろう。
「いや、助かったよ…ふぅ…生き埋めになるところだった」
男は服の袖で滴る汗を拭いながら、安堵で一息ついた。アグは男を横目で見ながら、同時に大きなため息をついた。
(もう少し遅かったらやばかったな…このオヤジ…)
「ちょっと、何これ! 何にもない!」
少し奥に走っていったシエナは、辺りを見渡すと大声で叫んだ。アグもシエナを追って彼女のそばまでやってきた。どうやらここが最奥のようだ。鉱山の奥は広い円形の空間になっている。ここは鉱山手前よりも珍しい鉱石がたくさん生えている場所らしいが、あるのは岩壁ばかりで鉱石は1つもない。
「ああ、これは酷いな」
「だから、知らなかったんだよ! 俺だってこんなことしたくなかったさ」
ノロノロとした足取りで2人を追ってきた男は、仏頂面で呟く。
「一体誰に毒を渡されたんですか?」
「知らない奴だよ。ローブを深くかぶっていて、顔が見えなかったんだよなあ。雰囲気も声も、男みたいな女みたいな…」
「…まあいいです。まいた毒はまだ余ってますか?」
「ああ、ほとんど使っちゃったけど、これだよ」
男はポケットから瓶を取り出すと、アグに渡した。中には透明な液体が、底を覆うくらい僅かに残っていた。アグは瓶を軽く持ち上げてその液体を凝視する。
(充分だ)
そしてアグはリュックからたくさんの道具を取り出すと、黙々と作業を開始した。男は不審な目で彼を見ながら、シエナに尋ねる。
「兄ちゃんは、何やってんだ?」
「実験なんですって。趣味なのよ」
アグはスポイトでとった毒薬を、何種類もの謎の粉末に次々振りかける。粉末は色が変わったり、消えてしまったり、はたまた個体化したりと、様々な反応を見せている。その結果から、アグは毒薬の成分を見極めることが出来る。
(良く出来た毒だ…)
巧妙な成分で作られたその毒に、アグは感動すら覚えた。並の研究者ではこれは作れないだろう。
アグは毒を打ち消す薬を作り出す。素材を削り、混合し、燃やし、ろ過し……完成まであと一歩のところまでたどり着いた。
(あとは……)
アグはシエナをちら見する。
「シエナ、こっち来い」
「何よもう!」
シエナはアグに駆け寄った。
「ほら、これ見て」
「はあ?」
アグに指さされたわけのわからない液体をシエナは覗き込む。その隙にアグは、彼女の頭の髪飾りを、ゴムの根元からナイフで切り取った。
「ちょっと! 何すんのよ!!」
「悪いな。これ借りる」
アグはシエナの髪飾りのトルマリンたちを奪い取ると、瓶の中の液体にいれて蓋を閉め、燃やし始めた。
「ぃやああ!!! 何すんのよぉおお!!!」
「トルマリンの性質知ってるか? 燃やすとマイナスイオンが出るんだぜ。これで解毒成分が完成する」
「私の髪飾りがあああ!!!!」
シエナが叫ぶのも虚しく、トルマリンたちはグツグツと燃やされていく。
(お母さんがくれたのにぃぃいいいい!!!)
シエナは半泣きで、何て卑劣な奴だという目でアグを見た。
(まじこいつ!! 極悪犯罪者なんですけど!!!)
「よし、出来た」
アグの薬は完成した。瓶の蓋をあけると、もくもくと煙を上げ、あっという間に洞窟中に充満していった。瓶の中には欠けてしまったトルマリンだけが無残に残っている。
「うぅ……」
「何だ何だ?」
悲しむシエナを他所に、毒まき犯の男は煙を見て声を上げる。
「解毒剤です。この毒は人間に害があるものじゃないけど、鉱石を腐らせる成分でできていました。いくつもの成分が融合してて、ほとんどの鉱石はこれで腐って壊れる。よく出来た毒でした…。でも何とか対応できました」
「へぇ〜」
(はあ……何言ってるかわかんない)
「シエナのトルマリンのおかげだよ。ありがとな」
「そりゃあ良かったわね……」
シエナは諦め、大きくため息をつくばかりだった。
しばらくして薬が効くと、みるみるうちに地面から鉱石が生えてきた。鉱山の奥には珍しい鉱石がたくさんある。あっという間に鉱山内は、様々な色の鉱石で満ちていく。
(すっげ…)
アグは鉱石が生える様子を見るのは初めてだった。呆然とその様子を見ながら彼は呟く。
「鉱石ってこんな風に生えてくるものなんですか…?」
「ここはノッカーの住む鉱山だ。彼らの力で、ここ一体は常に鉱石が充満するようになっているのさ」
毒まき犯の男は答えた。
そこには赤く輝く鉱石もあった。間違いない。ルベルパールの鉱石だ。先は薄透明と透き通っていて、芯が赤く染まっている。
「あったわ! アグ! さっさと採掘して出ましょう!」
「ああ」
アグがマトックをとりだし、赤い鉱石に近付こうとすると、上から先ほどのノッカーが降ってきた。アグの前に立ちはだかると、マトックをこちらに向けた。アグはノッカーから1歩退く。
「人間コロス。鉱石トラセナイ」
「毒はもう消した! 安心しろ!」
「マタ、イツカ毒マク。人間、鉱石アゲナイ」
ノッカーはマトックを振り上げ、アグに襲いかかった。アグは両手を前に出して身をかばいながら、目を瞑った。シエナはアグの前に立ちはだかると、ノッカーのマトックを腕の小手で受けた。
「話をしても無駄みたいよ!」
シエナは腕でマトックを止めたまま、ノッカーに蹴りつけた。シエナの蹴りを受けて、ノッカーは後ろに下がったが、何とか踏ん張り耐えると、シエナを跳ね返した。
「まだよ!」
シエナはまた勢いをつけて襲いかかると、ノッカーは地面から鉱石を生み出した。地面に目がいっていなかったシエナは鉱石につまづき、転びそうになったが、なんとか手をつき体を押し上げ、そのままくるんとまわって床に着地した。
「ふうん。あんたのフィールドってわけね」
シエナはすぐに体制を整え、ノッカーに向かっていく。ノッカーは後ろに飛び退きながら、次々に鉱石を生やしてシエナを狙うが、シエナは軽い身のこなしでそれを避け、ノッカーに距離を詰める。
「人間コロス」
ノッカーはマトックを上に向けた。天井から岩が落下し、シエナを襲う。その目の良さと動きで攻撃をかわし続けていたシエナだったが、避けた先に下から生えた鉱石を避けようとして足を取られた。その隙に、1つの大きな岩がシエナの背後から襲いかかる。
「シエナ!!」
「ふん!!」
シエナは手の甲の小手を押し当てながら、パンチで岩を打ち砕いた。ノッカーは驚いたような表情を浮かべる。
「あんたなんて私の敵じゃないわ!」
シエナはノッカーを射程圏内にいれると、跳び上がった。ノッカーがマトックをふるうと、シエナはノッカーの腕を右手で受け止めた。そのままシエナは、ノッカーの上をとびこえるように身体を回転させると、ノッカーの後ろに回り込んだ。そしてノッカーの首の後ろに、得意の回し蹴りを打ち込んだ。
「ゔぎゃっ」
ノッカーはフラフラして、地面に倒れた。そして、そのまま消えてしまった。
「やった!」
シエナは大きくガッツポーズをした。しかし喜んだのもつかの間だった。ゴォオオと激しい地鳴り音がして、天井がみしみしとひび割れを起こし始めたのだ。
「まずい! 天井が崩れそうだ」
「早く逃げましょう!」
「ま、待ってくれ! 足が…」
毒まき犯の男は叫んだ。足がすくんで動けなくなっていた。
「もう! 乗って!」
シエナは自分の3倍くらいある体格のその男をおんぶすると、鉱山の入り口に向かって駆け出した。
「アグ! 急いで!」
「わかってる!」
男を背負うシエナとアグは、入り口に向かって走り続ける。
「汗臭いのは嫌いなのに〜」
シエナは文句をもらすが、足を止めている暇はない。鉱山は大きく揺れ始めた。天井からパラパラと、石が落ち始めた。
「シエナ! 止まれ!」
この先はノッカーに封鎖された落石で行き止まりになっている。アグが手榴弾を投げ入れると、爆発して道が開けた。その代わり、天井のヒビに大きな亀裂が入っていく。
「閉じ込められちゃうわ!!」
「急げ!!」
男を背負ったシエナとアグは全速力で入り口を目指した。後方では既に落石が起こっている。
「きゃああ!!」
「うわっ!!」
間一髪のところで、彼らは鉱山の外に出ることができた。入り口はその後すぐに封鎖され、鉱山の鉱石たちは完全に山の中に埋まってしまった。
「助かったよ…ありがとう…」
男はそう言ったが、シエナはすかさず男に手刀を食らわせた。男は一瞬で気絶してしまった。
「な、何やってんだよ」
「こいつは鉱山に毒をまいたのよ。その事実は変わらないわ。そのせいでノッカーを怒らせ、さらに鉱山は封鎖。さすがに無罪ってわけにはいかないわ。国に連れて帰るのよ」
「お気の毒だが、仕方ねえか…」
ノッカー倒したのはお前だけどな…。それで鉱山が崩れたのも俺らのせいだけどな…。
「ノッカーはもう死んじゃったのか?」
「死んではないと思うわ。でもこの鉱山にはもう住まないと思う。遠いところの、別の鉱山に住みつくだけよ」
「そっか…」
シエナはハッとして言った。
「そういえば、ルベルパール! あ!」
アグはポケットから赤い鉱石を取り出すと、シエナに見せた。
「お前が戦ってる間に採掘させてもらったよ。他の珍しそうなのもいくつか」
「アグ…あんた、意外と抜け目がないわね」
シエナは呆れていたが、何とか当初の目的は果たされたようだ。安堵でほっと一息をついた。
その後ジーマに無線で連絡すると、馬車をこちらに向かわせてくれた。2人もその馬車に乗って、セントラガイトへの帰路についた。
4人乗りのその馬車で、毒まき犯の男を向かいに座らせると、アグとシエナは隣同士に席についた。
「は〜ぁ。疲れたわ」
シエナはふわぁと欠伸をしながら、ふんぞり返るようにだらんと席についた。横目でアグを見ると、鉱山で拾ったと思われる石ころを取り出しては、じっと眺めている。
「あんたも好きね〜」
「ジオードだよ。これさ、割るとすんごい綺麗なんだよな」
アグはそう言って、その石ころを割ろうと道具を取り出す。ここで割るの?!と言わんばかりに、シエナは彼を白けた目で見る。しかしそれよりも彼女は疲れていて眠いのだ。大きな欠伸が彼女を襲う。
「ふわ〜あ。てかあんた、寝てないくせに眠くないの?」
「ああ。これが終わったら寝る」
「あっそ」
(そんなの後でやったらいいじゃな〜い。ふわ〜。こんな変人ほっといて、私は寝よ〜っと)
馬車の緩やかな揺れに身を任せ、シエナはすぐに眠りについた。安らかな彼女の吐息を聞きながら、アグはジオードを割った。中からは美しい唯一無二の色合いを奏でるクリスタルが顔を出す。
「お。青い」
中のクリスタルの色は、割ってみるまでわからない。透明なものもあるし、色味がかったものもある。そのどれもが、とても美しい。
アグはジオードを加工する。信じられないほど器用な彼の手は、青いジオードを更に美しい花の形に象っていく。
「出来上がり」
全ての作業をやり終えたアグは、馬車の壁にもたれながら眠りについた。
知らぬ間に馬車はセントラガイトの城下町まで帰還していた。
「ふに〜ジーマさん……ん」
ちょうどその頃、シエナは目を覚ました。窓の外には見慣れた城下町が広がり、隣ではアグが眠りについている。
「うん?」
シエナはふと頭の違和感に気づく。そっと手をやると、ゴムだけになったはずのポニーテールの根元に、髪飾りがついている。
「え?!」
シエナはハっとして髪飾りに手を触れた。まあるい感触はトルマリンのものだ。しかしそれはヘアクリップで頭に突き刺さっている。シエナはそっとそれを頭から外して手にとった。
「うわぁ……」
思わず声が漏れた。それほどその髪飾りは可愛らしく、美しかった。
「あぁ……すげぇ寝た」
シエナの声を聞いてか、アグも目を覚ました。
「アグ! これ!」
シエナは髪飾りをアグの前に突きつけた。アグは目をこすりながらそれを見る。
熱されて欠けてしまったトルマリン。そのヒビわれや欠片を取り繕うように、ジオードを掘って作った美しく細やかな青い花が散りばめられている。
「ああ……ごめん。トルマリン割れちゃったから、直してみたんだ…それで許して」
シエナは髪飾りを見つめると、呟いた。
「これ、お母さんが誕生日に私にくれたのよね」
「えっ……」
アグは気まずそうな声を出す。シエナはその反応を見ては、ふっと笑いながら、それをもらった日のことを思い出した。
『見てシエナ! これ全部、本物のトルマリンなのよ。すごく綺麗でしょう! ほら、お母さんが髪の毛結ってあげるから〜!』
シエナの母親はお洒落で可愛い女性だった。身なりに大変気をつかっており、彼女はいつでも美しかった。
『要らない! そんなの!!』
初めてシエナがそれをもらった日、彼女はそれを振り払うようにして放り投げた。その時のシエナは、今とは少し、いやかなり、違っていたのだ。
(懐かしいわ…)
シエナはふと、そんなことを思い出した。そのあと色々あったが、今ではその髪飾りは彼女の大切なものとなっていたのだ。
「ご、ごめん…シエナ…。そんなに大切なものだって知らなくて……」
アグは冷や汗をかきながらシエナに謝った。シエナはアグを見ると、首を横に振った。そして顔を上げると、彼に言った。
「あんた本当、最低ね」
そう言った彼女の顔は、朗らかに笑っていた。その笑顔を見た時アグは、ただ単純に驚いた。
(笑ってる……)
「ま、いいわ。前のデザインより気に入った」
「え……」
シエナはそう言って、髪飾りを再び頭につけた。例えば小悪魔のようにアグを見つめながら、彼に尋ねる。
「どう? 可愛い?」
「……」
アグは何も言えなかった。その後すぐに「お世辞でも可愛いって言いなさいよ!」と怒鳴られてしまった。
とはいえ、シエナの機嫌は良さそうだ。時折髪飾りに手を当てては、ふふっと笑っていた。
(…許してくれたみたいで良かった)
アグも安堵の表情を浮かべた。
「あ、着いたわよ」
いつの間にやらアジトにたどり着いた。毒まき犯の男の身柄は御者に任せ、アグとシエナは馬車を降りた。
こうしてアグとシエナはルベルパールを手にし、無事にアジトに帰還した。