記憶の夢
「前もこんな風に、アンジェリーナに乗ってヌゥさんを助けに行きましたね」
ベルは言った。
「懐かしいな」
2人は空の上から、広がる森と岩山を目にする。
「ベル…ごめん。俺のわがままに付き合ってもらって」
「いいえ。いいんですよ」
本当は俺1人の力で何とかしたいけれど、俺にはその力がない。
だから、どうしてもその力がほしい。
そのためだったら、なんだって……
「ベル……俺はお前のこと…」
アグがそう言うと、ベルは微笑んだ。
「いいんです。利用してください。私のこと」
アグは目を見開いて、彼女を見据えた。
(わかっていて…一緒に来てくれた……)
「ベル……」
「嬉しいんです、私。アグさんの役に立つことができて」
「……」
「だって初めて出来た、お友達なんですもの」
アリマに飛んだあの日、アンジェリーナの背中の上で、無数の星たちに照らされながら、2人は友達になった。
『なる? 友達』
『え…?』
『あ…ごめん…。囚人の俺と…なるわけないか…』
ベルはあの夜、俺の手を握って、
『なります! 友達!』
今みたいに、屈託のない笑顔を見せてくれた。
『ありがとうございます!アグさん!』
俺はね、大切な仲間であり、友達である君さえも、利用するんだよ。
そんなこともさ、出来ちゃうくらい、俺はね、守りたいものがある。
アグは優しく笑うベルを見て、涙を流した。
「ア、アグさん…?!」
「ごめん…ベル……」
「な、泣かないでくださいよ!」
ベルはアグのそばに寄ると、背中をさすった。
「俺さ……もう駄目なんだ……」
「アグさん……」
「ヌゥがいないと、俺はもう、生きていけないんだよ……」
アグは震えながら、彼女の前で泣き崩れた。
「絶対助けましょう。また会えますから…絶対」
「…っく…ひっく……」
白いドラゴンは2人を乗せて、夕暮れの空を突き抜ける。
彼の涙は風に攫われて、真っ赤な空に吸い込まれた。
しばらく空を進むと、2人はグザリィータにたどり着いた。
「ベル。イースを」
そう言って、アグは別の鍵付きの箱を彼女に渡す。
「きゅうん?」
「ごめんね、イースちゃん。少しの間、ここにいて」
「ほおお?!」
イースは小さくされて、箱に閉じ込められた。
「いっぱいお菓子入れておいたから…ごめんねイースちゃん。この中で少し、待っていて」
「きゅううん!! お菓子だお菓子だあ!! イースは休憩〜!」
ベルは安心した様子で箱の鍵を閉めた。
「行きましょう」
「ああ……」
アグとベルは、グザリィータの街を歩いていく。
「ねえハルクさん、アグ知りません?」
買い出しを終え、研究所にやってきたメリはハルクに尋ねる。
「そう言えば、買い出しに行ったっきり戻ってきませんね」
「ええ?! もう外真っ暗ですよ?」
アグの姿が見当たらない。
メリは不審に思っていた。
(会議でのあの態度、絶対おかしい。絶対何か企んでる…)
「メリさん!」
ソヴァンが研究所にやってくる。
「やっぱりベルさんもいませんよ」
「……」
メリは顔をしかめた。
(あの2人、一体どこに行ったってのよ!)
「顔怖いですよ」
ハルクは言った。メリはぎくっとして、彼を見た。
「行くわよソヴァン!」
「は、はい…」
メリはソヴァンを連れて、研究所を出た。
怒った様子のメリは、ずかずかと廊下を歩いていく。
「どこに行くんですか?」
「ベーラさんに、報告する。呪鳥に探してもらう」
「なるほど」
ソヴァンは怒った彼女の背中を呑気に眺めていた。
メリとソヴァンはベーラの部屋に入って話をすると、呪鳥で城下町中を探してもらった。
すると、ベーラは言った。
「そういえば」
「何かあったんですか?」
「長期遠征になるから万が一のために全員の血液を確保したいと、ベルに血を取られた」
「え…?!」
「どうしたんですかメリさん」
「いや…」
(怪しい……。何するつもりなの…アグ……)
メリは不安になりながらも、遠征の準備をして呪鳥の帰りを待った。
「…どういうつもりだい、君たち…」
ラミュウザは顔を強張らせ、椅子に縛り付けられ口をガムテープで塞がれた妻と、手足を拘束され首元にナイフを突きつけられた自分の子供を見る。妻も子供も、睡眠薬で眠らされているようだ。
見知らぬその男女2人は、顔を隠し、ラミュウザを脅迫した。
「…わかったよ。研究所に来てくれ……」
「人質としてこの子供を連れて行く」
ラミュウザは人質の我が子とその2人を連れて、研究所へやって来た。
「だけど君たち、そうは言っても、それには呪術師の血が…」
男は血の入った瓶をラミュウザに渡す。
「シャドウも数名連れてきた。足りなければこいつらも使って何とかしろ。殺してもいい」
「…わかったよ」
男は手術台に乗った。
「そこの女は医者だ。俺に下手なことをしてみろ。すぐにお前の子供を殺す」
「大丈夫だ…失敗はしない…」
ラミュウザは手術に取り掛かった。
女は祈るように、眠った子供を支えながら、その手術を見ていた。
アグは夢を見ていた。
それは俺と君が出会って数年経った後の、独房内でのいつもの日常だ。
「ええー! また満点?!」
「見んなよ…」
「いいじゃん! 俺なんてほら、半分も合ってないんだよ!」
ヌゥはバツだらけの答案を俺に見せる。
するとカンちゃんは、ヌゥにプリントの束を渡す。
ちなみに俺達とカンちゃんの間にはガラスの仕切り板があるが、テストやノートを渡すための細い扉付きの穴があるので、プリントはそこからこちらに送られた。
「え?! カンちゃん何これ」
「ヌゥ、お前は赤点。ペナルティ。明日までにこれ全部やること」
「げげげ!!」
顔をしかめるヌゥを見て、アグはため息をついた。
授業が終わった2人は独房へと帰る。
「待ってよアグ〜!」
ヌゥを置いてさっさと帰る俺のあとを、ヌゥは追いかけてくる。
独房につくと、俺は借りてきた本を読んでいた。
勉強に必要な本は独房内に持ち込める。他にもノート、羽ペンといった、勉強に必要な道具は大体持ってこれた。
本は城の図書館に要請して借りることができる。どんな本があるかはわからないので、まあそこはカンちゃん経由で適当に見繕ってもらう。
ヌゥはカンちゃんから渡されたプリントを、必死で解いていた。
「う〜〜ん…」
俺は彼に背を向けて、本を読む。
「あ〜〜あれ? う〜〜ん…あ! いや、あれぇ? あれれれ???」
「うるせえな!!!」
アグはヌゥを怒鳴りつけた。
いつものことなのでヌゥもヘラヘラとしている。
「アグ〜わかんないよぉ! ねえ教えてよ〜そんな分厚い本ばっか読んでないでさ」
ヌゥはアグに近寄ると、背中から抱きついた。
「離れろクソ! 1人でやれ! 俺に話しかけんな」
「えー! そんな冷たいこと言わないでよ! ねぇちょっとだけ、この問題だけ!」
アグは断り続けるがあまりにもヌゥがしつこいので、見かねてそのプリントを見る。
(くっそ…こんな問題もわかんねえのかよ…)
「アグ?」
「紙貸せよ…」
ヌゥはパアっと目を輝かせて、紙と羽ペンをアグに渡す。
アグはすらすらと問題を解いていく。
「ここまではわかるのか?」
「うん。でも次が…」
「ここはこの公式を使ってだな……」
「え? 何で?! 何でここでこれ使うの?」
「いや、だからさ……」
結局つきっきりで彼にイチから勉強を教えるハメになって、だけど俺が教えたところはこいつも理解していったみたいで、プリントも何とか自分で解けるようになっていった。
「アグってほんとすごい! 頭いいだけじゃない、教えるのがうまいよね」
「そんなことはねえだろ…お前も理解さえすれば根本は馬鹿じゃねえんだ。応用問題も1人で解けただろ」
「いやいや! アグのおかげだって! ありがとう!」
ヌゥはいつも、屈託のない笑顔で俺を見る。
最初は恐れていたこの笑顔も、何年も経つと慣れてしまった。
「ねぇ、アグの好きなものって何?」
「……」
「じゃあさ、好きな食べ物は?」
「……」
「じゃあ俺の好きな食べ物聞く? パンケーキでしょ、いちごでしょ、それからプリンに…」
「興味ない。黙れ」
「えーー」
アグはそっぽを向いて、彼と話をしようとはしなかった。
いつだって自分にまとわりついて、本当にうざったい奴だなんて、その時は思っていた。
「ねえ、アグのタイプってどんな子?」
「……」
「おとなしい子? それとも〜明るい子? 年上? 年下? ツンデレ?」
「……」
「目はぱっちりがいい? それかタレ目? 髪は? 長いの? 短いの?」
「……うるせえな…」
「あのさ、カンちゃんって結婚とかしてるのかな? 俺たちにはもう無理だけどさ〜! でももしだよもし! もし結婚できたら、何歳にしたかった? 子供は男の子? それとも女の子?」
「うるせえって! 黙れ!」
俺はいつも、ヌゥを避けていた。
心底嫌いってわけじゃなかったけど、まあ毎日相手するのも面倒いし。なんていうか、慣れ? こいつはどんなに酷くあしらっても、俺から離れることはなかった。
怒ったこともなかった。
泣いたことも、悲しんだことも。
ただいつもヘラヘラ笑って、絶対に俺の隣にいた。
寝る時も、朝起きた時も、ご飯を食べる時も、勉強する時も、ずっと、ずっと、そばにいた。
うざったいほど伸びていた長い髪を切ってもらって、彼の顔がよく見えた。
初めてあんなによく、彼の顔を見た。
肌が白くて、柔らかい顔立ちで、透き通る水色の瞳はとても綺麗だった。
出会った時同じくらいだった背は、歳を重ねるごとに俺の方が伸びてきて、ヌゥは男にしては少し小さかった。
「ねぇ、アグ……」
ヌゥは笑って、いつものように、彼に問う。
ああ、もっと君の話を聞いたらよかった。
君が好きなものをもっと知りたかった。
俺本当はそんなに君のこと知ってるわけじゃないんだ。
どうしてもっと知ろうとしてあげなかったのかな…。
俺のそばにいたのは君だけだったのに。
どんなくだらない話でもいいよ。
俺は君が考えてること全てをね、知っていたいよ。
そして俺の知っている全てをね、教えてあげたい。
君はきっと飽きずにね、例えどんな難しい話だって、どんなに興味のない話だって、笑って聞いてくれると思うよ。
一言でも多く、話をしたい。
一秒でも長く、一緒にいたい。
会いたい。
会って、抱きしめたい。
『アグが欲しい』
俺の方なんだ…
求めているのは……
君が俺を求めるよりも、ずっとずっとね……
アグは目を覚ました。
目からは涙がこぼれていた。
「成功したよ……」
ラミュウザは言った。
アグはゆっくりと身体を起こした。
「どんな能力なのかは、俺にはわからない。でも自分ではわかるだろう。どうだい?」
「…ありがとうございます」
「や、約束は守った……む、娘を解放してくれ…」
アグはベルを見ると、ベルも頷いた。
ベルは子供をラミュウザに引き渡した。
ラミュウザは震えながら娘を抱きしめた。
牢獄から連れてきたシャドウは、俺の手術のために核を取られ、血を取られ、解剖されて、死んだ。死体の処理はラミュウザに一任した。彼らは死刑囚であり、一度は死んでいるシャドウだ。俺は心を鬼にして、彼らを犠牲にした。
「行くぞ…」
「はい」
アグとベルはラミュウザの研究所をあとにした。
「イースちゃん」
ベルはイースを箱から出すと、元の大きさに戻した。
その街にはいられないと思った2人は、再びイースに飛び乗って南東に進みながら、途中にあった村に宿をとって一夜を明かした。




