悪魔カルベラ
「お、お前は…誰なんだ……何で俺を…」
ヌゥは腕に手錠をはめられ、頭の上にあげられたまま、部屋の柱に繋がれていた。その手錠はヌゥの力を持ってしても壊すことができないほど頑丈だった。両足もまた手錠をかけられ、ヌゥは身動きがとれない。
ヌゥが着ているのはビリビリにさかれたはずの彼女の服ではなく、可愛らしい真っ白なワンピースだった。
ヌゥの目の前には、真っ黒な姿の生き物が立っている。そいつに顔はなく、赤くて丸い目が2つ、ついているだけだ。しかし人間らしく、フードのついた灰色のパーカーのような服を着ている。
「俺はカルベラ。ずっとこの日を待ってたよ、ノア」
そう言って、カルベラはヌゥに近づいてその顔を近づけた。
「俺はノアじゃない…」
「いいや、お前はノア。お前はノアの、コピーだ」
ヌゥはカルベラを睨みつける。
「君は、魔族…なのか?」
「そう。悪魔族」
「この手錠をとれ」
「とったところで逃げられないさ。俺たちはここから出ることはできないよ」
カルベラは言った。
「ここは俺と君が死ぬまで暮らす要塞さ。知り合いの呪術師に頼んで作ってもらった特別な2人の家。一度入れば中からは絶対に出られないのさ。そして外からも、もう誰も来ないよ」
カルベラはじぃっとヌゥを見ている。
「それに君も抵抗しそうだしね、手錠はまだつけておこう」
その赤い瞳は石のようにただそこに埋め込まれていて、こいつが何を考えているのかもまるでわからない。
「ああ、ごめんごめん。この姿のままだった」
カルベラはそう言うと、人間に姿を変えた。
乱れた黒髪で、目の下にはクマがある。
身体は少し小さくなって、先程のパーカーはぶかぶかになった。
人間になったカルベラは頭を振って前髪をどけると、再びヌゥを見た。
「ずっとこの日を、夢に見たよ」
「……?」
人間になった彼の表情から、彼の気持ちがよくわかる。
(こいつ…俺のこと……)
カルベラはヌゥに近寄っていく。
「やっと2人になれた。ノア」
カルベラはヌゥの背中の壁に手をかけると、彼女にキスをした。
「っ!!」
ヌゥは何とか抵抗しようと身体を動かすが、頭を強く抑えられた。
(やめて! やめて!)
カルベラは唇を離すと、少し火照った顔でヌゥを見つめる。
「君と愛し合ってみたくってさ、人間になったよ、俺」
「な、何を言ってるの…」
カルベラはヌゥの身体を触ろうとその手を近づけていく。
(駄目だっ…このままじゃこいつに…犯される…っ!)
カルベラは彼女の肩をゆっくり撫でた。
「この服も、似合ってる」
カルベラの手が、彼女の肌に触れた。
ヌゥは怯えた目でカルベラを見た。
カルベラは笑っていた。
カルベラは自分の服を脱ぎだした。
「どんな感じなのかな…君に触れたら…」
彼の裸を見て、ヌゥは驚いた。
カルベラの身体は、中性的だった。男でも女でもない。
「せっかく着せたけど、脱がせないとね」
そう言って、抵抗できない彼女の服をも脱がせていく。
「やっ、やめて……」
「今は女の子の身体なんだね…。まあ、どちらでも、いいけれど」
カルベラは食い入るように彼女の身体を見ていた。
そうしてカルベラは、怯える彼女を強く抱きしめた。
「っはあ……ずっと……ずっとこうしたかった!!!」
カルベラは彼女の肌を自分にこすりつけるように身体を動かした。
「あああ!! 気持ちいいね!! ノア!! 気持ちいいぃぃぃ!!!」
カルベラは彼女の肌に身体を重ねるだけでもう、昇天してしまいそうなほどよがっていた。
真っ赤になった顔で彼女を見つめると、またキスをした。
彼女の口の中に舌を潜らせる。
「んんん!!」
ヌゥは泣きそうになりながら目をつぶった。
「っはぁ…」
カルベラは吐息を漏らしながら、彼女の首筋を舐めていった。
「ノアぁ……やっと俺のところに来てくれたねぇ!! ずっと待ってたよ…!」
「やっ…やめろ…! 俺はノアじゃない…! っくぅ……」
「好きだよ…好き……!! 愛してるよ…ノアぁ!!!」
カルベラは狂ったように彼女を抱きしめて離れない。
(ああ…気持ちいいね……シェム………君も、こんな気持ちだったのかい……)
カルベラはその手を彼女の中に這わせていく。
「っ!!」
ヌゥは悲痛な表情を浮かべた。
(やめて…俺の身体は……君のものじゃない…)
アグ…、アグ…
駄目…絶対……絶対っ……
「やめろぉぉおおおおお!!!」
ヌゥの憎悪は、姿を現す。
カルベラの右手は、その闇の刃にスパンと斬られた。
黒い血が切り口から溢れていく。
「触るな触るな触るなぁぁぁああああ!!!」
ヌゥはカルベラを強く睨みつけた。
ヌゥの闇は真っ黒い腕に姿を変えて、カルベラの身体を切り刻んだ。カルベラはヌゥから引き剥がされ、その闇の手に押されたまま、壁まで飛ばされた。闇は更に、彼の心を壊そうと、彼の身体の中に入っては掴みかかった。
カルベラは悲壮な表情を浮かべて、その腕を抜こうと必死で抵抗する。
「俺に触るな!! 俺の身体はアグのものだ! 誰にも渡さないぃぃっっ!!!」
殺してやる! 殺してやる! 殺してやる!!!
カルベラは涙を浮かべて、ヌゥを見る。
「ノア……やめ…て…苦し……」
「俺はノアじゃないぃぃっっ!!!!!!!」
(っ!!!)
ヌゥは目を大きく見開いて絶望する。
(……こいつ!)
ヌゥの闇は、カルベラの心を壊しきれない。
ヌゥの憎悪に、彼は対抗している。
その力の名前を、ヌゥもまた知っている。
(こいつの中には……強い愛がある……)
「うぅっ…ノア……ぅぅぅ……」
カルベラはただ、泣いている。
(殺せない……俺の憎悪じゃ………こいつを……)
ヌゥは諦めて、その腕をカルベラから抜いた。
カルベラは震えるように顔を真っ赤にして泣いた。
完全に切り落とされてしまった自分の右手を、左手で拾った。
そんな彼を見て、ヌゥの心もどうしてか痛んで、溢れていた憎悪も、姿を消してしまった。
カルベラは右手を腕にくっつける。しばらくすると、その手は元通りになった。身体の傷も、ゆっくりと治っていくのがわかった。
「っく…ひっく…ひっく……うぅぅ……」
「っ!!」
カルベラは震えるように泣いた。
「うぅ…何で………ノアぁ………」
「カルベラ……」
「ひっく……ひっく……うぅ……こんなに愛してるのに……ずっと待ってたのに………」
「……」
「君は俺を愛してはくれないんだね……」
「……?」
「うう……誰も俺を、愛してくれない…ぐすっ…ぅぅ…」
こいつは悪魔……魔王の血をひく魔族…
だけど…こいつは、愛を、持ってる…
愛を、知ってる……。
カルベラは激しく震えて、泣き続けている。
多分君が大好きだというこの俺に、これ以上ないくらいに拒絶されたから。
「うう……どうすればいいのさ………ひっく……ぐす……」
「カルベラ、君は…君は一体…」
カルベラは顔をあげると、ヌゥを見つめた。
彼は口を開かない。
彼は脱ぎ捨てた服を着て、俺にも服を着せてくれた。
俺にはわかる。カルベラの目は、愛する人を映している。
「君は、ノアのことが好きなの…?」
カルベラは涙を拭って、しばらくして落ち着きを取り戻すと、口を開いた。
「ああ…そうさ。…ヌゥと言ったかい。ノアのコピー」
「俺は…本当にノアのコピーなの…?」
「そうだとも。だって俺が、ノアをコピーしたんだから。思い当たる節はあるだろう」
「……」
ヌゥもカルベラに初めてそう言われた時、絶対に違うとはどうしても思えなかった。むしろその方が、自分に起こった不可解な現象にすべて説明がついた。
天使シェムハザとシャドウの人間の子供、ノア。
ヌゥの生まれ持つ治癒能力はシェムハザの力。
呪いはノアの持つ憎悪が俺の中にもコピーされていたから。
リアナの核を抜かれても問題がなかったのは、元々もう1つ核を持っていたから。
性別が変わるのも、ノアと同じ。人間と魔族の混血、それは男にも女にもなり得る存在、あるいはどちらにも属さない存在。
「でも俺には両親がいる。父はタシル、母はベリー。2人は俺を赤ちゃんの頃からずっと育ててきた…」
「ヌゥ、君は2人の子供じゃない。君の母親が赤ちゃんを産んだとき、本当はもう、死んでいたんだ」
「え…?」
「俺がすり替えた。死んだ赤子と赤子のノアのコピーを」
「っ!!」
両親は…俺の生みの親じゃない……。
「どうしてわざわざそんなこと…。ノアが生まれたのは2000年近く前だろ。どうして2000年も後の時代にノアのコピーを、連れてきた……?」
「そうしたら、また会えると思ったから…ノアに…」
カルベラは話し始めた。
それはその昔、彼が愛した1人の天使との話に遡る…。
カルベラは悪魔族だった。天使族と同じ、魔王の血を受け継ぐもう1つの種族だ。悪魔族は、天使よりも遥かに長い寿命を持っていた。その長さは4000年を超えると言われていた。
悪魔族は生殖をしなかった。群れるのも嫌いで、孤独を愛する悪魔は、子孫を残すことに興味がなかった。
遥か昔に魔王により産み出されてきた悪魔たちであったが、紀元前1000年の頃、最後にカルベラを産み、魔王も彼らを産むことを諦めた。悪魔たちはその長い寿命を終えて次々に死んでいき、生きているのはカルベラただ一人、まさに絶滅寸前だった。
とはいえ、カルベラもまた子孫を残そうとはしなかった。悪魔族は自分が死んだら終わり、その程度にしか考えていなかった。
悪魔族のカルベラは、その悪魔特有のあまのじゃくな性格もあいまって、どの魔族とも、もちろん人間とも、仲良くできなかった。
だからカルベラはいつも1人だった。1人でいるのは好きだから別に良かった。魔族たちは種族同士で群れあい、人間もまた人間同士で群れをなす。だから世界で1人ぼっちなのはカルベラだけだった。
たまに妖精や人魚みたいな、人間と仲良くしてる魔族もいたみたいだが、まあ勝手にしていればいい。
俺は人間は嫌いだし、他の魔族にも興味はない。
家族も作れるが、別にそれもいらない。
「また1人で何をしてるのさ、カルベラ」
そんな彼に、たった1人話しかけてくる魔族がいた。
それが天使族のシェムハザだった。
クリーム色の猫っ毛の髪は肩を超えるくらい伸びていて、くりんとした真紅の瞳は人間よりも大きかった。
とはいえその姿は人間にかなり似ていた。全身真っ黒で悪の化身のような俺とは大違いだ。
シェムハザはいつも真っ白なワンピースを着て、真っ白な羽をばたつかせて空を飛んでいた。
その日も彼女は気まぐれに俺のところに飛んでくると、隣に座った。
「俺に構うなよ。俺は誰とも話したくなんてないのさ」
「そうかしら。あなたこれから4000年近くも、1人きりで生きてくなんて、そんなのつまらないでしょう。誰かと話をしてみなさいな。きっといい暇つぶしになることよ」
「そういう君は、また人間と仲良くしているだろう。ゼクローム様が知ったら良くは思わんよ」
「魔王様は人間が嫌いよね」
「唯一苦手な『愛』を持っているからだろうが」
「でも私は好きさ。人間は面白いよ。『愛』もあるが、『憎悪』も秘めてる。『憎悪』は好きさ、魔王様もよ」
「それより『愛』とはなんなんだろうか」
「さあね。魔族は『愛』など知らないからね。特に私ら魔王の直系には、程遠い感情なんだろうよ」
そう言ったシェムハザは少し寂しそうにも見えた。
「まあでも奴ら、寿命も短いし、仲良くしたってすぐ死んでくよ」
「あはは。それがそれが、面白いことを始めてる奴らがいるよ」
「面白いこと?」
気がつけば、俺はシェムハザと話を続けていた。
この天使、たまに俺を見つけると必ず近寄って、今日はこんなことがあったよなんていつも教えてくれた。
その話はいつも面白い。俺は誰とも話したくないなんてあまのじゃくにいつも言い放つのだけれど、シェムハザは気にせず俺に構った。大体の奴らは話したくないというと、ああそうといって何処かへ行くもんだけれど、シェムハザだけは違って、俺と話をしてくれた。
しかしその日は、人間が寿命を伸ばそうとしているという、実に面白い、いや恐ろしい実験の話だった。
「私、協力しようと思っているのさ」
「馬鹿言うなシェム。やめておけ、そいつらと関わるなよ」
「どうしてさ? 人間との子供がどんなものか、見てみたいじゃないか」
「俺はまるで見たくないがね」
「人間が長生きしてくれたら私も嬉しいのさ。それに、人間と魔族が仲良くなれる気がするじゃあない」
「俺は忠告したぞシェム。まあお前がどうなろうと俺の知ったこっちゃないがよ」
「あはは。まあまた話を聞かせてあげるからさ」
「もう二度と俺に構うなよ」
「あはは。それじゃあね、カルベラ」
シェムハザは笑って飛んでいった。
俺はぼーっとシェムハザが見えなくなるまで目で追っていた。




