人魚の懇願
「に、に、人魚…す、すご……うわぁ…この鱗とのつなぎ目、ど、どうなってるんだ……」
「こら! 変態君! セルフィーユさんが怯えてるわよ! 離れなさいっての!」
「メリさん! やきもちですかぁ? 嬉しい〜」
「違うわ、あほんだら!」
メリは、人魚を凝視するソヴァンの耳を引っ張って、人魚から遠ざけた。
人魚の名前はセルフィーユ。透き通るような水色の長い髪は腰のあたりまで伸びていた。話に聞く姿とまるで同じ。へその下は魚のようにきらびやかな光り物のように、青々しい鱗が並んでいる。上半身は人間で、白い布が巻かれて胸元は隠されている。言葉ももちろん通じる。
人魚は陸に上がると10分も持たないというので、ベーラは巨大プールを船上に作り、セルフィーユをそこに入れて話を聞いた。
どうやら、人魚はもっと遥か遠くの海底に城を立てて住んでいたようなのだが、突然巨大なクラーケンが現れ、人魚を襲ってきたのだという。
クラーケンは魚を餌にする。人魚もまたクラーケンにとっては美味たる餌で、彼女たちの大敵だった。遥か昔から人魚はクラーケンを恐れ、逃げながら生きてきたようだ。
人魚たちの話によれば、クラーケンは2000年前に起こった戦争で絶滅し、生きているはずがないとのことだった。
「人魚は2000年前の歴史を知っているんだな」
「はい…。私達は海の底で生きていましたので、神の使徒様の術も、届かなかったようです。戦争にも関与していません。私達は人魚だけで平和に生きていければそれでいいんです」
人魚たちの寿命は300年。戦争開始の人魚たちから数えると、世代的には7世代目くらいだろう。平和主義の人魚たちの思考は今でも変わってはいない。
「クラーケンから逃げてここまで来たのか?」
「はい。何日もかけてこちらまで逃げてきました。ですが、クラーケンも追いかけてきて…何人かの人魚は既に犠牲となってしまいました。私は人間たちに助けを求めて泳いでいたところだったのです。すると、下等魔族のアリゲイツの群れを見事に倒すあなた達を見つけたというわけです!」
「なるほどな」
「よっしゃ! とりあえず俺たちがそのクラーケンをぶっ倒してやるよ」
「あ、ありがとうございます! そういえば皆さんのお名前は…」
「俺はレイン。よろしくな」
「ベーラだ」
「ソ、ソヴァンです…。え、えっと…鱗、触っても…いいですか?」
「駄目よ! セルフィーユさんに手出し禁止! あ、私はメリです! 私たちが必ずクラーケンを倒してあげるわ!」
優しく強い人間たちに出会えた人魚は感激と感謝のあまりに涙した。
「ええ?!」
「ほら! あんたが変態発言するから、セルフィーユさんが怖くて泣いちゃったのよ!」
「ぼ、僕のせいですか…? す、すみません…人魚さん…」
「いえ、違うんです。安心して……ぐすっ、毎日…怖くて…」
メリはセルフィーユの手を強く握った。
「大丈夫よ! 私たちが絶対にあなた達を助けるから!」
「メリ…ありがとう…」
人魚は泣きながら、お礼を言った。
「クラーケンは夜行性で、夜にならないと動き出さないんです。昼間は眠っていますが、敵に攻撃されると不思議な墨を吐くんです。墨がかかるどんな生き物も、クラーケンの餌に姿を変えるのです」
「餌ってまさか…」
「魚…つまり…」
ラミュウザ・ダリシエー。あいつも墨にやられたのか…。
良く無事で逃げてこれたもんだな…。
「人間が1人、顔だけ魚にされた。どうすれば元に戻せる?」
「墨をかけたクラーケンを倒すしかありません」
「決まりだな。クラーケンをぶっ倒してラミュウザを元に戻して話を聞く!」
「やつの居所はわかっているのか?」
「はい。私たちの海底城の近くの洞穴で眠っています。私達は奴から逃げるために、城を持って移動中です」
「…城は持っていかなければならないのか? その身だけで逃げることはしないのか?」
「城は私たちを守ってくれる砦です。クラーケンは城には入ってこられないのです。しかし、城から出なくては私たちもまた餌を得られず、餓死してしまいます。クラーケンが私達の食べ得る魚も全て飲み込んでしまい、私達は海を移動しなくては生きていけないのです」
海の生物も生きながらえるのは大変なようだ。
ベーラは顎に手をやて、頭をひねる。
(絶滅したはずのクラーケンが、何故かこの時代に現れている。例のニ角獣、バイコーンのelnathも、絶滅したはずの魔族だ。クラーケンの復活もゼクサスの仕業に違いない…)
セルフィーユを含めた五人は、クラーケン退治の対策を練った。
「まあ普通に寝てる間に仕留めりゃいいんじゃねえのか。昼間は寝てんだろ」
「でも、洞穴って海中ですよね?」
「洞穴の深さは8メートルくらいあります」とセルフィーユは言う。
一般人が潜れる目安は12メートルくらいと言われている。その先は経験者でないと難しいことがわかっていた。
「アクアラングをいくつかもらってるんだろう?」
「ああ。マルティナが多めにくれたから洞穴まで行くのは余裕だと思うぜ」
「ど、どうやって…倒しますか…? ぼ、僕の銃は…防水性ですが、す、水中銃ではないのですが…」
すると、ベーラは水中銃を作り出し、ソヴァンに渡した。
「す、す、すごい……」
「地上では使えないぞ。注意しろ」
「あ、ありがとう…ございます…!」
ソヴァンは銃をまじまじと見た。ベーラは銃弾もつくり出すと、彼に渡す。
「50発くらいで足りるか」
「じゅ、充分…です!」
「まあ足りなくなったらすぐに出せるが」
ソヴァンは驚いた様子でベーラを見ていた。
それを見たレインは言う。
「この姉さんはまじ何でもアリだかんな」
「みたいですね。いや〜すごいなぁ…」
「ベーラさんは最強なのよ! 私達部隊の誇らしき隊長だもの!」
「そんなに持ち上げられても何も出ないが」
セルフィーユはにっこりと笑いながら人間たちを見ていた。
「今日はもう暗くなってきているから、明日討伐に向かおう。船はここで停止させるぞ」
「おっけー。人魚もそれでいいな」
「はい。皆様本当にありがとうございます!!」
セルフィーユは深く礼をした。
「さてと、海にも潜ったし、風呂にでも入るか」
「この船お風呂もついているんですか?!」
「当然だ。大浴場とまではいかないが、男湯女湯と2つあるぞ。その他にトイレもキッチンも寝室も全て完備されている」
「キッチンて、誰が料理なんてすんだよ」
「誰でも好きに使っていいぞ。私はあとで、あのワニたちを唐揚げにする」
「甲板に山ほど積まれてたもんなあ!!」
「た…食べられるん…ですか…あ、あの…ワニは…」
「おいソヴァン、やめとけよ。腹壊さねーのはベーラだけだぞ」
「ベーラさん! 私もお風呂行きます!」
「うむ。セルフィーユさんは?」
「わ、私は大丈夫です! 熱いお湯は苦手なので。ここにいます!」
「そうか。じゃあ行くぞメリ」
「はい!」
ベーラとメリは浴場へと進んでいった。
それを見届けると、ソヴァンはセルフィーユに近づいた。
「セ、セルフィーユさん…あ、あの…」
「何ですか?」
「鱗、触ってもいいですか?」
「は、はい…構いませんけど…」
「おいおい。どんだけ触りてーんだよ。メリにまた怒られんぞ?」
ソヴァンはレインの話も聞かず、セルフィーユの鱗を撫でまわすように触った。
「うわぁ…ほ、本物だ…す、すごいなぁ…。ほ、本当に下半身は、さ、魚…なんですね…」
「ええ。人魚ですから」
あまりにもベタベタとソヴァンが触るので、セルフィーユは少し顔を赤くしていた。
「おい、それくらいにしとけって」
「すみません…」
ソヴァンはレインに手を掴まれて、パッと人魚から手を離した。
「そうだ。僕たちも、浴場行きましょうレインさん!」
「え? ああ、そうだな」
「に、人魚さん…また…あ、あとで…」
セルフィーユをプールに残したまま、2人も浴場へ向かった。
「お前なあ、メリのことが好きなんだろ?」
「好きです! 可愛いです!」
「じゃああんまり他の奴に手出すなよ…」
「え? 出してないですけど…」
「いや、人魚のことベタベタ触ってただろ?」
「ベタベタなんて…だってあの人は魚でしょう。鱗見せてもらってただけですよ」
「あのなぁ……まあいいやもう」
浴場に入り、2人は身体を洗い始めた。
「レインさん、全身火傷の跡がすごいですね…」
「え? ああこれな。火の海の中飛び込んでったからな〜」
「何でそんなことを?」
「まあ、好きな女のためよ」
「!!」
ソヴァンは目を輝かせて彼を見た。
「何だよ……じっと見んなよ、気持ち悪りぃな」
「レインさんって、怖そうですけど、いい男ですよね」
「はあ?! 何だそりゃ」
「僕もレインさんみたいになれたらなあ…」
「…いいよ俺みたいなのにはなんなくて。頭も悪いし短気だし口も悪りぃから!」
「そうですかねぇ…。そういえばアグさんはすごく頭がいいですよね…。メリはアグさんが好きみたいだし、アグさんみたいにならないとかなぁ…」
「でもそれじゃ、意味なくね?」
「え?」
「お前はお前なんだからさ。無理して誰かの真似しても、それはお前じゃねえだろ。本当の自分を好きになってもらわなくちゃさ、意味ねえよ」
ソヴァンはぱあっと目を見開いた。
「そうですよね! 他の人間にはなれないですもんね! ああ…でも僕みたいな奴を好きになることなんて…はぁ…やっぱり駄目かなぁ……」
「何でそんなに自分に自信がねえんだよ。王族の護衛なんて普通の奴にはなれねえだろ。あんなにいい腕があんのに…」
ソヴァンはうつむいたままだった。
そのまま先に湯船に浸かった。レインもあとを追いかけて湯船に浸かる。
「おい…」
ソヴァンはせつなそうに笑って、彼を見る。
「お前は駄目なやつだって…ずっとそう言われて育てられたから…」
「ソヴァン……」
「だからもう、自分は駄目なんだって、そうとしか思えないんですよね」
レインは傷だらけの彼の身体を見ている。ソヴァンもそれに気づいた。
「これね、僕が駄目だって証なんですよ。この傷全部、駄目な僕を両親が叱った時に出来たんです。レインさんの傷跡とはまるで逆ですよね」
ソヴァンは笑ってそう言った。
「だから本当は、僕なんかが、誰かを好きになることだって、許されないのかもしれません…」
彼がそう言うと、レインは彼の頭をコンと小突いた。
「痛っ!」
「誰が誰を好きになったっていいだろ。それが例えばどんなに叶わない相手だって、あるいはもう生きていない相手だって…いいだろ…別に……」
「レインさん…。もしかして、レインさんの…好きな女って…」
「もう死んだんだ。生きてりゃそういうことだってある。でもメリは生きてる。好きなやつが生きてるってのは幸せなことだぜ? だからソヴァン、お前はもっと頑張れよ。振られても諦めないで好きでい続けろよ。お前は駄目じゃねえ。過去に縛られんなよ。お前は強いんだ。メリを守れる力だってあるんだ」
「……」
『お前は強い、ソヴァン』
セイバスは僕に言った。
『自信を持てよ! もっと胸を張って生きろよ! そうしたら、そんなお前を好きになってくれる奴がきっと現れる』
ソヴァンはバッと立ち上がった。
水しぶきがレインに跳ねる。
「うわっ! 何だよいきなり! びっくりさせんなよ」
「レインさん! ありがとうございます!」
ソヴァンはさっさと浴場から出ていった。
「何なんだよ…本当に変な奴だな……」
ソヴァンはベーラが用意してくれていた青いストライプ模様の浴衣を着て、メリを探した。
風呂上がりのベーラとメリがキッチンで料理しているところにやって来ては、メリの手を引く。
「ちょお! 何! 触んないでよ! なんなのよ!」
ソヴァンはずかずかと歩いて、メリを連れたままキッチンを出て廊下に出た。メリはソヴァンの手を振りほどいた。
「なんなのもう! 邪魔しないでよ!」
「メリさん!」
ソヴァンが大きな声を出すので、メリはびっくりして縮こまった。
レインも廊下を歩いているとちょうど2人を見つけて、ハっとして隠れると、影からソヴァンの動向を見守った。
「な、何よ…」
「好きです! 大好きです!」
「っ!!」
面と向かってそう言われると、さすがのメリも顔が赤くなった。
レインもまた、おお!っと驚きながらも、彼の告白を応援する。
「だ、だから言ってるじゃない…私は、まだ…アグのことが…」
「知ってます。けど、諦めません! 僕はもう、メリさんじゃないと嫌なんで!」
「あ、あんたが好きなのは私の顔でしょ?」
「顔は好きです! でもそれだけじゃないです! メリさんは…優しくて、強くて、仲間想いで…僕なんかの相手もしてくれるし、話していると楽しいし…パフェもわけてくれるし、拳銃もくれたし…それに…」
「そ、それに…?」
メリはドキドキしながら彼を見つめた。
「体型が僕の好みどんぴしゃです!!」
レインは1人ずっこけた。
ソヴァンは言い切ったという清々しい表情をして、にっこりと笑っていた。
メリは一瞬固まったかと思うと、拳をふるふるとさせて彼の左頬にグーパンを食らわせた。
「この腐れ変態男がぁぁああ!!!」
ソヴァンはふっ飛ばされながらも、すくっと起き上がると、頬を抑えて笑っていた。
「メリさんに殴られたアザだったら消えないでほしい…!」
「はあああ?!?!? 頭わいてんのか己ぇ!!!」
「好きなだけ殴ってください! あ、また剣でも出して、僕の身体斬ってもいいですよ! メリさんの傷跡でいっぱいになったら、昔の傷も目立たないかも!」
「ドMかぁぁあああ!! ドM変態ストーカー男なんかぁあああ!!」
「そういえば、身体から剣出る瞬間見たいなぁ…! 近くで見せてくださいよ!」
「来んなもう! よもや怖いわぁあああ!! 近寄んなぁああ!」
レインは白けた目で2人を見ていた。
(何か一言多いんだよな…まあでもメリもそこまでまんざらじゃねえってか…)
レインは頭をかきながら、彼らの元から離れた。
その夜、甲板で前夜祭だなんて言って、セルフィーユも交えてちょっとしたパーティーをしていた。
お酒はやめろとベーラに言われたのだが、レインは酒を持ってくると、こっそりとソヴァンを巻き添えにして飲んでいた。
ベーラは見かねてレインを叱る。セルフィーユもそれを見て笑っていた。
メリが海を見ながらジュースを飲んでいると、ほろ酔ったソヴァンがメリの元にやって来た。
「メリさん…!」
「来たな! 変質者!!」
ソヴァンはそのままフラフラと彼女によって来ると、後ろから彼女に抱きついた。
「うわ! ちょっと! うおい! 離れなさいっての!! こら!!」
メリが全力で抵抗すると、ソヴァンはふらっと地面に倒れた。
彼の顔を見ると、眠りについている。
「何なのよ! 酔っぱらい!!」
メリはソヴァンのほっぺを軽く叩く。
「こら! ソヴァン! ここで寝ないの! 起きなさいよ!!」
「殴らないでください……」
「んもう! だったら起きなさいよ!」
しかしソヴァンは明らかに眠っている様子だ。
「殴らないで…ください……父さん……」
メリは彼を叩く手を止めた。
すると、ソヴァンの目から、涙がこぼれた。
「ごめんなさい…ごめんなさい…」
ソヴァンは目を閉じたまま、何度も謝った。
『…何それ。虐待?!』
『そうですよ。あはは…少しくらい同情してくれましたか?』
「何よ……平気なふりしてただけなの………」
身体の傷を見られても、笑っていたのに。
気がつかなかった。
彼の心は、今でもキズついたままなんだ…。
「ごめんね…」
メリは彼の頬をその手で撫でた。




