君がいないと
「ちょっとアグ!」
ヌゥは宿のエントランスでやっと追いついて、アグの手を掴んだ。小さな灯りが灯っているが、そこにはもう誰もいない。
「離せよ!」
アグは怒った様子でその手を払う。
「ご…ごめんって…酷いこと言って……。俺はアグのこと…本当は信じてる…し…」
「いいよもう! 自分が見苦しいこと言ってんのはわかってんだよ! 何やってんだろうって!」
「アグ……」
「もう〜…」
アグは頭を掻きむしって、しゃがみこんだ。
「こんなに好きになってるって思わなかったんだよ……こんなに自分が嫉妬深いなんて……思わなかった……。お前は俺のものだったのに……ずっと…」
「アグ……」
ヌゥは彼に駆け寄って背中をさする。
アグは泣きそうになりながら彼女を睨む。
「お前だってなあ…逆だったら耐えらんねえぞ?! こんなの……」
「ご、ごめんって…」
「もう…何で俺ばっかり…」
ヌゥはアグの頭を優しく撫でる。
「ソヴァンとは何もないよ…友達になっただけだよ」
「わかってるよ…。前までは他の奴がお前に近づいても、ここまでにはなんなかった。お前が俺を裏切らないってわかっていたから。でもお前は俺を覚えてない。それが不安で、仕方ないんだよ…」
「ごめん……」
ヌゥはアグを、そっと抱きしめる。
アグはゆっくりと目を閉じた。
(もう…駄目なのか……俺は…こいつがいないと…)
ヌゥは優しく微笑んで、彼に言う。
「俺、君に愛されてるんだね…」
「……」
アグはヌゥをぎゅっと抱きしめた。
「ごめん……さっき、一人にして…守ってあげられなくて…」
「何言ってんの。俺の方が強いんだから」
「お前は…弱いんだ…」
「え…?」
アグは彼女を抱きしめる手を、更に強める。
「俺が…守らないと駄目なんだ…。俺がお前の盾になるって…約束したんだから…」
「え……」
なんだろう。
何かを思い出せそうなのに。
思い出せない。
俺が君を思い出せないことで、俺は君をずっと傷つける。
それが辛くて、しょうがないのに。
「……」
君とはこの前、会ったばかりなのに、君を抱きしめるたびにね、俺の心は満ちていく気分になるんだ。
俺の心は、憎しみと怒りと悲しみでいっぱいで、もう何も入る余裕なんてないはずなのに。
だから君が俺にとってすごく特別なんだっていうのはね、わかるの。
ヌゥは、アグの肩に手をやると、彼の瞳をじっと見つめた。
そしてそのまま目を閉じて、アグにそっとキスをした。
「…っっ!」
アグは目を見開いて、驚いた様子だった。
ヌゥは笑いながら言った。
「あはっ…ちゅーしたら何か思い出すんじゃないかと思ったんだけど、駄目だったみた……んんっ!」
アグはヌゥの頭に手をやって、もう一度キスをする。
「んんっ!」
ヌゥの口に自分の舌を入れて、彼女のそれと絡み合わせた。
ヌゥはきゅっと目を閉じた。
「…っっ!! んん!」
アグはもう止まらなくなって、彼女に激しめのキスをし続ける。
彼女の唇を、舐め回すように何度も咥えた。
「っはぁ…ちょ、ちょっと…」
あまりにも長いキスに、ヌゥは顔を真っ赤にしながら、やっとのことで顔をそむける。
「…ごめん」
アグも顔を赤くして、口に手を当てて軽く拭いながら、ぼそっと謝った。
ヌゥは口をつぐんで、見上げるように彼を見つめる。
「……ごめんって」
「別に怒ってないけど…」
「……」
アグはハァとため息をついて、彼女の手を握った。ヌゥもその手を握り返した。
「部屋戻って寝よ」
「うん…」
二人は手を繋いだまま廊下を歩いて、部屋に戻った。
ヌゥもアグも、心臓が鳴るのをなかなか止められなかった。
ソヴァンはもう眠っていて、二人も空いているベッドにそれぞれ寝転がった。
「……」
ヌゥはなかなか眠れなかった。
アグとのキスが頭から離れなかった。
(もう少し…なのに……)
全く知らない人だったのに…。
ていうか何で俺から…しちゃったんだ…。
はぁ…。
アグは俺のことを…弱いって言った。
盾になるって…言った。
俺の方が絶対強いはずなのに…。
俺はどうして、君に守ってもらわなくちゃ駄目だったんだろう。
どうして君は、俺を守ることができたのかな。
何から俺を、守ってくれたのかな…。
アグもまた、眠りにつくことが出来なかった。
彼女の方を見ないように寝転がって、片手で自分の唇に触れた。
アグは涙が出た。
ずっとそうだった。
あいつに執着してるのは、ずっと俺の方だった。
俺はもう、あいつがいないと…駄目になる…。
あいつがいないと、生きて、いけない。
アグは声を殺して、震えながら泣いた。
「っ……っ………」
ヌゥはそれに気づいて一度振り返って彼を見たけれど、気づかないふりをして向き直った。
ごめんねアグ…ごめんね……。
ヌゥは心がきゅうっと痛くなるのを感じた。
まただ…この痛み…。
ヌゥは自分の胸元に右手を置いて、握りしめるようにぎゅっと手を閉じた。
眠ったのか、眠れなかったのかも、もう思い出せない。
ただ二人は目を閉じて、朝が来るのをひたすら待った。
「かっ、可哀想〜っ!!! うっ、うっ、ううっ」
「レインさん…ぐすっ、うっ、うわ〜ん!!!」
マルティナとメリはレインの話を聞いたあとしばらく号泣した。
「はぁ…」
レインは泣き散らす女共を横目で見ながら、ため息をつく。
ハルクは肘たてに立てたその左腕に顔を委ねて、ぼーっとこちらを見ている。のかと思ったら寝ていた。
「おい! お前が話せっつったんだろ!」
マルティナはレインの手を握りしめると、言った。
「ごめん! ライオン君! あんたのこと誤解してたわ! 素敵よあんた! 世の中にこんなに一途な男がいるなんて! 私は感動したわ!」
「そらどーも……」
いきなり豹変しやがったぞこの女……。
てっきりバカにされるかと思ったが…まあおもったよりはクソな女じゃなさそうだな…うん…。
「うう…レインさん…ごめんなさい…」
「何でメリが謝んだよ」
「だって私もあの国にいたし…何か責任感じちゃって…ぐすっ…」
「え? 何でメリちゃんが責任感じるの? 爆発したやつが悪いんでしょう?」
「私の好きな人なんです…爆発させたの…」
「はいいい?!?!」
マルティナは目が飛び出るくらい大きく開いた。
「ちょおちょお! 待ちなさいって!! 確かアグとか言ってなかった?! 何なのそいつ! まじやばい最低男じゃん!!! てか犯罪者じゃん!!! ちょっと何がどうなってんのぉ?!?!」
「姉さん落ち着けって! メリも余計なこと言うんじゃねえよ!」
「す、すみません…っ!」
「ていうか何でそいつ牢屋でてきてんの?! 死刑囚でしょそんな事件起こしたら! え? 何?! どうなってんの?! え? 何なの? 幽霊? おばけ? どうなってんのぉぉ!!!!」
「うるさいっっ!!!」
ハルクは目を覚ましたかと思うと、騒ぐマルティナの首に注射を打ち付けた。
マルティナはすうっと意識を失って、首をがくんと下におろした。
「ちょお! ハルクさん?! 何したんですか?!」
「精神安定剤と即効性睡眠薬を入れました」
「んでそんなもん持ってんだよ…」
「色々持ってきてますよ薬は」
「はぁ……」
「ハルクさん…怖いですよ…」
マルティナはしばらく目覚めなかった。
馬車はヴィルスゲーテに向かってのんびりと足を進めていた。
目を覚ましたマルティナは都合のいいことに眠る直前の話のことは忘れたようで、ハルクとの思い出話なんかをケラケラ話しては、ハルクに小突かれていた。
暗くなってきたので、途中の小国に寄って宿をとることにした4人だったが、マルティナが気に入るキレイな宿を探すのに随分な時間がかかった。マルティナが全部払うからと言って、全員に個室をとってくれた。さすが貴族というところか、金の使い方が荒い。大盤振る舞いだ。
夜ご飯までマルティナにご馳走になったあと、宿に帰ってそれぞれ自分の部屋に行った。
レインは定時連絡を済ませ、ハルクは持ってきた資料と素材を机に広げ、少しだけ研究の続きを行った。
メリはベッドに横になって、ぼーっと天井を見上げる。
レインさん…あんなに大事な人を殺されたのに、アグに優しくしてくれてるんだ…。
凄いなあ……理解できないなあ……。
レインさんは私にもよく気を遣ってくれる。
彼を見ているとそうだ。
彼はいつだって、部隊のみんなの心の支えになっている。
私も…あんな風になれたらな…。
『痴情に溺れる人は苦手なので』
ハルクにばっさりとそう言われたことを、ふと思い出す。
「はぁ……」
メリはため息をついた。
そういえばアグたち、セシリア様の護衛をしているんだっけ。
どうかな…アグとヌゥは、仲良くやっているのかな…。
ヌゥ、少しはアグのこと思い出してくれたかな…。
「……」
応援するって決めたんだ。
私も…。
メリは色んなことを考えて、なかなか眠れなかった。




