アスカ高原
「ああもう! ヴィルスゲーテまで何日かかんだよ! トロイなあ!」
レインはパカパカ歩く馬に文句を言う。
「3日ほどですわ」
「俺に乗れば3時間で着くんだよ!」
「レインさん、流石にそれは盛り過ぎでは…」
「そもそも足にされるの嫌がってませんでした?」
「うるせえな…」
マルティナはレインに乗るのをこっぴどく嫌がり、結局馬車で行くという選択肢しかなくなった。
マルティナの家の彼女専用の馬車を持ち出し、研究会に事情を話してさっさと休暇をもらうと、ハルクたちを連れて沿岸国のヴィルスゲーテに向かって出発した。
「ベーラさんに報告は?」
「したした。ヴィルスゲーテにいつ着くかもわかんねえってな」
レインはため息をついた。
「まあいいじゃなーい! のんびり旅行を楽しみましょっ! ね〜ハルク!」
マルティナは隣に座るハルクの腕に手を通してぎゅっと抱きついた。
「離してください」
「んもう! いいじゃなーい! 元彼なんだからぁ!」
「えっ!」
「まじ?!」
「はぁ……」
メリとレインは目を丸くした。
ハルクは大きなため息をつく。
「えっ、ま、マルティナさん! 昨日はそんな話してませんでしたよね?!」
「え〜? ハルクの話は知ってると思ってぇ」
「し、知りません! ちょっと!ハルクさん!」
「おい! まじかよハルク!」
「はぁ…いつの話ですか……」
マルティナは左腕を彼の腕に通したまま、ニコニコ笑いながら話をする。
「んーとぉ、10年くらい前?」
「若気の至りですね」
「ちょっとぉ! なんてこというのよ〜!」
メリは(ま、まじかあ〜!)と言う顔つきで彼らを見つめる。
レインは眉を釣り上げて、ハルクを見据えた。
「な、なんで別れたんですか?」
「ハルクにふられたんだもーん!」
「あなたとの結婚を目論む上位貴族の男に、別れないとただじゃすまないって脅されたんですよ」
「えー! そんなの私知らな〜い! 脅されたくらいで好きな女簡単に捨てないでよぉ!」
「別にそこまで好きでもなかったので。面倒なことになる方が嫌ですし」
「ひっどぉぉーーい!!!」
メリとレインも完全にあっけにとられながら、ハルクの口から飛び出る新事実に目を丸くした。
今ではもうただの昔話なのか、マルティナもけらけら笑って気にしていない様子ではあった。
(き、貴族の恋愛、怖あ〜……)
「人間ってのは一途じゃあねえよな〜、ほんとに」
「何よ! あんたみたいな野蛮な獣人、恋愛なんてしたこともないんでしょう!」
「んだと?!」
「あんたみたいな口の悪くて乱暴で、おまけに人間ですらない獣を好きになる女なんて、いないって言ってるのよ!」
「マルティナ…レインは既婚者ですよ」
「はあ?! 誰?! 誰なのそのアホな女は!! 脅したんでしょう! 結婚しないと食い殺すとか言って!」
「あのなぁ…」
「話してもいいですか、マルティナに」
「別に構わねえけど! 暇つぶしくらいにはなるからな」
「良かった。私の大切な友人がバカにされるのはそろそろ耐え難いので」
ハルクはレインに笑いかけた。
レインはハルクに大切な友人だと言ってもらえたことにちょっと照れて、腕を組んで窓の方を見て目をそらす。
「私も、ざっくりとアグから聞いただけなんで、知りたいです!」
メリも隣に座ったレインにぐいっと寄るように言った。
「俺が話すのかよ」
「作り話じゃないでしょうね」
マルティナは、はなから疑うようにレインを見下している。
「はぁ…まあ俺がライオンだった時の話からさせてもらうけどよ…」
マルティナとメリは、食いつくように彼の話を聞き始めた。
ヌゥがまだ5歳だった頃、一人で初めて森に遊びに来ていた。
悪魔の子と罵られて友達のいなかったヌゥは、いつも一人だった。
普段は母親のベリーと一緒でないと外に出ては行けないと言われているのだが、その日は母親がでかけたのを見計らって、うまく家を抜け出したのだ。
ヌゥが森を歩いていると、突然背後から矢が飛んできた。
矢はヌゥの身体の横を通り、奥の茂みに突き刺さった。
「えっ?!」
ヌゥはびっくりして矢の飛んできた方を振り返った。
それは木の上からで、弓を持った黒髪の少年がこちらを見ていた。少年の顔にはたくさんのアザがあった。
少年は彼と目があって、怯えた様子だった。
「何するの?!」
ヌゥが叫ぶと、少年は震える手で矢の方向を指差す。
ヌゥがその茂みを見に行くと、矢は少し大きな毒蜘蛛を撃ち抜いていた。
(助けてくれたのか…)
「あ、ありがとう!」
ヌゥは振り返ってお礼を言った。
少年は震えながらうんうんと頷いた。
「君、村の子?」
少年は頷いた。
(そっか…俺と話しちゃいけないって、きっと親からも言われているよね)
すると、少年は小さな声で言う。
「ヌ、ヌゥ君……でしょ…」
ヌゥはぱぁっと顔を輝かせて少年を見た。
「そ…、そう! そうだよ!」
「も、森は…危ないよ…」
「そうだね。もう来るのはやめるよ! ねえ君、名前は?」
「………」
「あ…えっと…顔のアザ、どうしたの? 大丈夫?」
「……」
少年は木の上からヌゥを見下ろしたまま、何も答えなかった。
「ねぇ、君、俺と…友達になって?」
「……」
少年は明らかに反応して、目を大きく見開いた。しかしイエスともノーとも言わなかった。
「そうだよね…悪魔の子だもんね…俺は…」
「……」
「俺といると、ケガしちゃう…もんね」
「……」
少年は後ろを向いて、そこから立ち去ろうとした。
「ま、待って…!」
ヌゥが呼び止めると、少年は一度だけ振り向いた。
「これ、塗り薬…! お父さんが城下町で仕入れてきたいい薬…すっごくよく効くよ。君に…あげる……」
少年は木からすっと飛び降りると、ヌゥのところに近づいた。
ヌゥは腕を伸ばして缶に入った塗り薬を差し出す。
少年はその薬を受け取った。
「あ…ありがとう……」
「その顔のアザ、早く治ったらいいね」
「うん……」
少年はそのままヌゥに背を向けて、走ってどこかへ行ってしまった。
「今日は一日かけて、アスカ高原を越えましょう」
「はーい!!」
セシリアたちは再び馬車に乗り込み、その村をあとにした。
しばらく進むとアスカ高原に入った。
「うわぁ〜! 凄い綺麗だね!」
見渡す限りの緑だ。絵に描いたように木々が美しく立ち並んでいる。大きな湖の水は透き通っており、たくさんの木々を鏡のように映している。
「もう少し進むと大きなひまわり畑がありますよ。ここでは一年中ひまわりが咲いているんです。不思議ですよね」
「遺伝子組換えされた種を使っているらしいですよ。グザリィータの研究会が発表した論文を見たことがあります」
「詳しいんですね、アランは」
「いえ…たまたま見たことがあっただけです」
セシリアはにっこりと笑った。
「そこの近くに有名な喫茶店がありますよ。お昼はそこで食べましょう」
「はーい!」
「何か遠足にきてるみたいじゃのう」
「平和ですねぇ」
この景色を見ていると、自分たちがシャドウと戦っていたことなんて忘れてしまいそうだ。時の流れは穏やかで、鮮やかな深い緑がヌゥたちの目を癒やす。
「あ! あれかな!」
ヌゥは窓から顔を出して、一面に広がるひまわり畑を見つけた。
「見てみてソヴァン! すっごい綺麗だよ!」
ヌゥはソヴァンの腕を引いて、窓の近くに連れて行く。
「あっ…ノ、ノエル…ちょっと…」
アグはその様子をじぃっと見ていた。
「すごーい! あれ全部ひまわりだって!」
「ほ、ほんとだね…」
ヌゥとソヴァンの背は同じくらいだった。ソヴァンの方が少し高いだろうが、猫背のせいでそう見えるのだ。
「アランさん?」
ベルはアグに声をかける。
「うん?」
「あの2人…なんだか仲良くなったんですかねぇ」
「…あいつが女になると、何でか男が寄ってくんだよな…」
アグは小さな声で呟いた。
「え?」
「いや、何でも…」
アグは少し不愉快そうに、二人のことを見ていた。
「はい! 着きましたよ! お昼にしましょう!」
「はーい!」
相変わらずの遠足テンションでヌゥは馬車の外に出た。
「うわぁ〜! 近くで見るとまたすっごい迫力っ!!」
目の前に広がるひまわりたちは、どれも満開で、こちらを見て笑っているかのようだ。遺伝子組換えのせいなのか、普通のひまわりよりも背が大きくて、あまり背の高くないヌゥや女性たちは、ひまわりよりも小さかった。
「席はあいてるみたいじゃぞ!」
「乗り手さんも一緒に行きませんか?」
ベルが尋ねると、馬車の乗り手は首を振る。
「いえ、私は結構です。ここでお待ちしております」
乗り手と馬車を残し、六人は喫茶店に入った。
おしゃれなワンプレートランチがテラス席に運ばれる。
「うわぁ〜素敵ですね!」
「そうでしょう! ひまわり畑を眺めながらいただくここのランチ、私のおすすめなんですよ」
確かに女子の好きそうなランチだ。色鮮やかな料理たちがほんの少量ずつ、美しく並べられている。ベルとセシリアは隣に座って楽しそうに話をしながら食べている。
アグは可愛らしいピックをつまんで、そのピンチョスを口に入れた。
「わしらにはちと物足りないかのう」
「ベーラさんがいたら秒殺ですね」
「ベーラがきたら…多分この店は潰れるのう」
「ですね…」
ヌゥはぺろっとそれを平らげる。
「ご馳走様ーっ! ねえ姫様、ひまわり見てきていい?」
「構いませんよ」
「ぼ、僕も…いい…ですか…セシリア様…」
「あら珍しいですね、ソヴァン。どうぞ」
「あ、ありがとう…ございます…」
「行こうソヴァン!」
「は、はい…」
ヌゥとソヴァンは颯爽とひまわり畑の中に行ってしまった。
「……」
「どうしたアラン。怪訝な顔をして」
「いや…何か急に仲良くなってるなって…」
「なんじゃ。やきもちか? 青春じゃのう」
「ちっ、違いますよ!」
(いや…違わない…けどさぁ…)
いつもあそこにいたのは自分だったのにと思うと、アグは何だか虚しくなって、はぁとため息を漏らすことしかできなかった。
アシードは何食わぬ顔でコーヒーを飲んでひまわり畑を眺め、ベルと姫様はお喋りに夢中だった。
ヌゥとソヴァンはひまわり畑の中に入っていった。
「あ、あんまり奥までいくと、あ、危ない…よ…」
「大丈夫だよ! 子供じゃないんだから!」
「そ、そう…だけど…」
ソヴァンは何かの気配を察して、腰の拳銃に手を当てた。
「うん?」
ヌゥもまた、異様な空気を感じとって、辺りを見回すが、特に変わったところはない。
「ノエル…こっち…」
「え?」
ヌゥはソヴァンに手を引かれて、ひまわり畑の中を走り抜けていく。
「ど、どうしたの?!」
ソヴァンは何も答えなかった。
二人は迷路みたいなひまわり畑の中を針を縫うように駆けていき、ひまわり畑から出た。そこは先程の喫茶店の近くではなく、また別のところだった。
すると、ソヴァンはヌゥの手を離して、こちらに拳銃を向けた。
「え?」
ソヴァンは拳銃を突き出し、ヌゥに向かいあうと、引き金をひいた。




