拷問部屋
朝9時になると、アグとヌゥは教室に向かう。20歳になるまでは、ここで授業を受けるのだ。
アグたちの看守兼先生であるカンちゃんの使う黒板や教壇のスペースと、アグたちが使う木製の机と椅子の間には、防弾製のガラス板が仕切りとしておかれている。これは、最年少殺人鬼のヌゥが、カンちゃんに危害を加えることを阻止するためだ。
「ねぇカンちゃん。この髪さ、見てよ。どう思う?」
ヌゥは教壇に立つ男に向かって話しかける。ヌゥよりも色濃い黒髪の、40代くらいの背の高い男だ。目は少しタレ目で、いつも気怠そうな顔をしている。しかし仮にも先生たるもの、身なりは割としっかりとしている。毎日ヒゲもきちんと剃っているし、髪の毛も清潔なショートヘアだ。
そのガラス板は特殊な素材なようで、声はしっかりと通る。
「ん? ボサボサ」
「うん、他には?」
「不潔、臭い、長い」
「いや、カンちゃんのとこに臭いはいかないでしょ」
アグも一言いれたが、ヌゥの試みは別のところなのでスルーされた。うん、知ってるよ、髪切りたいってさっき言ってたからな。てか遠回しに話をするのもほんと面倒くさい奴だ。はっきり要点を言えっての。
「カンちゃん、1つ正解があったよ」
「いや、全部正解だろ」
「そう、長いの。だからさ、カンちゃんお願いだよ、髪を切るものが欲しいよ」
カンちゃんも面倒くさがっているな。こいつ、毎日この調子で話しかけてくるんだぞ。俺の気持ち、わかってもらえるだろうか。
「無理だな。刃物を囚人に渡すのはルール違反だ」
「…だよね。でもさ、何年切ってないと思う? 14年さ! この前髪もさ、長すぎて黒板が読めないよ。授業きちんと受けたいしさ、頼むよカンちゃん。カンちゃんがささっと切ってくれたらいいじゃないの」
「無理だな。その時にお前は俺を殺して、脱獄するかもしれない」
ヌゥは大きなため息をついた。
「嘘でしょカンちゃん。何年俺の先生やってるの? 俺が大好きなカンちゃんに、そんなことするわけないじゃん」
いや、大好きな母ちゃんなら殺しただろ。大好きかどうかはしらねえけど。お前ほどの狂人の言うことなんて、誰も信じねえんだよ。
でもまあ確かに、俺も10年この髪を切ってないからな。腰まで届きそうだし、髪洗うのも乾かすのも大変なんだよ。諦めてはいたものの、さすがに邪魔だ。出来ることならなんとかしてもらいたい。俺たちが要望を言えるのも叶えることができるのも、カンちゃんだけ、か。さて、どうしたもんか。
「カンちゃん、頼むよ。俺はこの髪を短くしたいだけなんだよ。脱獄なんて考えたことないよ」
カンちゃんはもう無視して授業を始めた。黒板に数学の問題を黙って書いていく。
「じゃあカンちゃん、拷問機に乗るのはどう? あそこに乗って縛られたら見動きできないだろ? そしたらカンちゃんが、俺らの髪を順番に、スパッとはさみで切るだけ」
アグは言った。独房とは別に備え付けられている拷問部屋。その中にある拷問機。あそこに乗れば、大体の奴は罪を吐く。そこに、自ら座ればいい。名案だ。
カンちゃんは、チョークを動かしていた右手を止めた。2人の方を振り返るといつもの無愛想な表情のまま答えた。
「いいよ」
ヌゥもキラキラと目を輝かせた。
「えっ! 本当?!」
「ああ。でも操作盤に他の看守を見張りに置くけどいいか」
「うん! もちろんかまわないよ!」
アグはぎょっとした。
おい。駄目だろそれは! 他の看守なんて信用できるか。絶対操作盤を押して、こいつに意味のない拷問をさせるぞ。
「ヌゥ、わかってるのか? 理由もなしに拷問されるかもしれねえぞ?」
「かまわないよ! 髪を切ってもらえるならね!」
このイカれやろうが…。その条件なら俺はごめんだ。髪は伸ばす。
「じゃ、午後の総合の時間にそれ、やるか」
カンちゃんもひでえな。ヌゥが拷問されるところでもみたいのか? まあ所詮俺らと看守の関係なんてそんなもんか。看守にとっては俺らは奴隷みたいなもんだ。特に働かず授業受けるだけの俺らなんて、相当つまらない囚人のはずだからな。ヌゥのやつ、酷い目に合うのは目に見えてるぞ。
そのまま淡々と授業は進んで、質素な昼飯を平らげて、あっという間に総合の時間がやってきた。
約束通り、ヌゥは拷問部屋に入れられた。部屋には鉄製の椅子が1つ、座れば腕と足が錠によってロックされ、身動きが取れない。
部屋は教室のように、ガラス板で仕切られている。仕切りのこちら側には、操作盤のある部屋だ。カンちゃんが連れてきた、いかにも性格の悪そうなガタイの良い男が操作席に座る。カンちゃんもその横に立った。この男がボタンを押せば、数々の拷問器具がヌゥを襲うことになる。
アグはその部屋の更に外、監視部屋にて待機させられた。
両腕に手錠をかけられた上に、部屋に鍵もかけられ、逃げることなど到底できない。俺が出来るのはただ1人、静かにヌゥの動向を見守ることだけだ。
まあ、ヌゥがどうなろうと構いやしないよ。あいつはただの、同居人さ。
ヌゥは呑気に、俺に手なんか振っている。これから何が起こるのか、本当にわかっているのだろうか。さすがに知らないほど馬鹿ではないはずだけれど。
ヌゥは約束通り、1人で例の椅子に座った。
「これ、1回でいいから座ってみたかったんだよ」
ヌゥが座ると、自動で腕と足に手錠がかかり、あっという間に拘束された。ヌゥは軽く腕を動かして、簡単には抜けないことを確認する。
「おお! こりゃすごい!」
ちなみにアグのところまでは、ヌゥの声は聞こえない。口が動いているのが、なんとなく見えるくらいだ。
「あいつ、本当に座りやしたぜ、カルトさん」
「ああ、イカれてるからな」
「本当に、やっちゃっていいんですかい?」
「いいよ。上にも許可はとってある。器具を新調したから試したいって聞いてたんだ。なかなか乗せる罪人がいなかったからな、ちょうどいい。あいつが意識を失ったら、約束通り髪を切ってくるさ」
「いや〜相手が囚人のガキなんて、気分も最高ってやつですよ」
「じゃ、ある程度試してみてくれ」
「わっかりやした!」
看守の男はどのボタンを押そうかと両手を揉み込んでは、まるで初めての玩具をもらった子供みたいに、わくわくしていた。
「へへ、それじゃあ始めるぜ」
「お願いします。ズバッといっちゃってくださいね!」
ヌゥはいつものようにヘラヘラしながらそう言って、男に笑いかけた。
「よし、じゃあまず手始めにっと」
ボタンは全部で5つ。男は1番左のボタンをカチッと押した。
すると、ヌゥの膝の上に、たくさんのトゲのついた板が現れ、間もなくガシャンと降りてきた。もちろんそのトゲは、ヌゥの膝に突き刺さり、グシャっと彼の足から血が吹き飛んだ。
「あら、ズバッと足からいっちゃった」
ヌゥは叫ぶどころか、顔色1つ変えない。それどころか面白そうに、血が吹き出す自分の膝を見ていた。
あいつ…やっぱり拷問器具で遊ばれてんじゃんかよ…。しかしなんで笑ってんだ? あんなの悶絶レベルで痛いはずだろ…?
アグはヌゥの様子を見ていた。その後、ちらりと操作盤の男を見る。
不服そうな表情だ。
そりゃあそうだろ。叫んだり痛がったり、そういう様子を見たくてやってるんだ。さぞかしつまらないだろうな。
(なんでこのガキ、痛がらねえんだ…? よし、だったらこいつはどうだ)
男は左から2番目のボタンを押した。
両脇からチェーンソーが現れ、ギュイイイインと激しい音を立てながら、徐々に近づいてくる。
「切り落とす前に止めろよ」
とカンちゃんは言った。
「わかってますよカルトさん。ちょーっと当てるだけですって」
ヌゥはチェーンソーが真横までたどり着いても、全く動じない。そのあとチェーンソーが腕に当たって、皮が切られ、ビッと血が吹き飛んでも、全く無反応だ。
「止めろ」
カンちゃんの声で男がボタンを押すと、チェーンソーは動きを止め、元の位置へと戻っていった。
「まだ骨までもいってなかったのに。優しいなあ〜…」
ヌゥは切れた腕を見ながらそう呟いた。そしてそのまま操作盤の男をじっと見つめた。
男は気味が悪くなって、逆に恐怖していた。
(な、何なんだ、こいつ…。何で怯えない? どうして痛がらない? 絶対怖いだろ? 痛いだろ? 何でだ…何でこいつ…笑ってんだ…)
「こ、これならどうだ」
男は1番右のボタンを押す。
全身に電圧を加えるボタンだ。
ヌゥの身体に電気が走った。
「わぁ、これは痺れるかも!」
一定時間が経つと、電流は自然に止まった。
ヌゥの全身は焦げついた色になり、皮膚はめくれているところも多かった。
見ているだけで痛々しいし、アグも気分が悪くなった。
「な、何なんだよこいつ!」
男は立ち上がり、叫んだ。
「いや、だからイカれてるって言っただろ」
「に、人間じゃねえのか?! 俺はもう下りる!」
男はそう言って、部屋を飛び出した。
それを見たカンちゃんは頭をかいて、はぁと深いため息をした。
「じゃ、切るか」
「あ、もう切ってくれるの? カンちゃんは優しいなあ。いつも俺のお願いを聞いてくれるよね〜」
「いいから。じっとしてろよ」
カンちゃんはヌゥの部屋に入ると、ヌゥの後ろに回った。
電流のせいでヌゥの髪の毛はかなり縮れていた。
ハサミを取り出し、カンちゃんはざくっざくっとヌゥの髪を切った。かなり乱雑だ。相当に適当に切っている。
「はい、終わり」
椅子の周りには、彼の黒い縮れ毛がたくさん落ちた。
「ありがとうカンちゃん! じゃあ約束通り、お願いね」
「わかってるよ」
カンちゃんはハサミを持って、アグのいる部屋に入った。
その間、ヌゥはまだ椅子に縛られたままだった。
「な、何? カンちゃん」
「あのイカれと約束したんだよ。拷問器具で遊ばせてやるからアグの髪も切ってくれってな」
「お、俺はあの椅子には座らねえぞ」
「わかってるよ。俺が力で敵わねえのはあのイカれだけだ。お前に抵抗されたって何の問題もない。だからって下手な動きをするなよ。髪型が気持ち悪くなるからな」
そう言うと、カンちゃんはアグの茶色い髪を切った。
「どうする? 結構短くしちゃうか?」
「カンちゃんに任せる…」
カンちゃんは俺の髪に関しては、割と丁寧に切ってくれた。プロみたいにさくさくと、10年分の俺の髪が周りに落ちた。
襟足も短くなって、びっくりするほど頭が軽くなった。
「ずいぶん好かれてんだな、あのイカれに」
カンちゃんは髪を切りながらぼそっと言った。
「俺は好きじゃないですけど、あのイカれは」
アグはちらっとガラス越しに、ボロボロになったヌゥを見ながら答えた。