記憶喪失
「は?!」
「え?!」
レインとハルクはあり得ないヌゥの証言に目を見張る。
アグは喪失とした表情を浮かべた。
「え……」
「君は、誰なの……?」
ヌゥはアグの方をまじまじと見て、そんなことを言う。
レインも顔をしかめて言った。
「何言ってんだ?! アグに決まってるだろ!」
「アグって……誰?」
アグは愕然とした様子で、ヌゥに近づくと、彼女…いや、彼に尋ねる。
「ヌゥ…俺のことが、わからないのか?」
「……??」
レインも眉をひそめた。
「おい、冗談だったらやめろよ…」
「冗談って…? レインこそ、この人本当に誰なの?」
「……」
(俺のことはわかってる…何でアグのことがわからない…?)
「ヌゥ、それじゃあこいつは?」
レインはハルクを指差す。
「え? ハルクさんでしょ」
「じゃあ残りの部隊のメンバーは?」
「ジーマさん、ベーラ、アシード、シエナにベルちゃん、メリ…もういないけど、ヒズミとアンジェリーナも…」
「…!!」
レインとハルクは顔を見合わせる。
(アグのことだけ、覚えていないのか?!)
アグはもはや、言葉も出ない。
「どうしたの…? レイン…」
ヌゥはきょとんとした面持ちでレインに尋ねる。
アグはへなへなと力が抜けて、地面に膝をついた。
「あれ? 君、大丈夫?」
ヌゥはしゃがみこんで、アグの顔をまじまじと見つめる。
レインも言った。
「ヌゥ、そいつはお前の恋人のアグっていう男だけど」
「え? 恋人って…? 全然知らないんだけど…。ていうか、俺は元々男なんだけど…」
アグはショックを受けなから、ヌゥを見つめる。
(俺のことだけ…覚えていないのか……)
レインはヌゥの首元をがっと掴んだ。
「何で! 何でアグのことを覚えてねえんだ!!」
ヌゥはレインのその手を握ると、ビリッと電気を送った。その電気にびっくりして、レインは手を離した。
「おい! てめっ! 何すんだよ!」
「それはこっちのセリフだよ! レインこそいきなり何すんのさ!」
「何って、お前がふざけてるからだろ?!」
「ふざけてないよ! しつこいなあ! こんな人知らないって言ってるじゃん!」
「はああ?!?!」
張り詰めた空気がその場を襲った。
(何なの……?! 誰なの…アグって……)
ヌゥはまるで見覚えのない、その茶髪の青年アグに目を向ける。
アグは非常にショックを受けた様子で、立ち上がる気力もなくなっている。
(どういうことなの……)
ヌゥもまたアグの様子を見て、不安に駆られる。
「ここまで言っても駄目ってことは、冗談じゃなさそうだな…」
「記憶喪失…なんですかね?」
レインとハルクは顔を見合わせながら思考を続ける。
「記憶喪失……俺が……?」
「まあこの状況みりゃあ、俺たちからしたら、そうとしか…」
「……」
レインはしゃがみ込むとアグの顔を覗き込んだ。
「おい、大丈夫か…?」
「す、すみません…突然のことで…理解が…」
「ああ…だろうな…」
「すみません……」
ヌゥも心配そうに見知らぬ彼を見つめた。
「とりあえず、ヌゥさんの話を聞いたらどうですか?」
「…そうだな。話せるか? ヌゥ」
「うん…」
アグも何とか立ち上がって、席に座った。
レイン、ハルク、そしてアグの3人は、ヌゥの話を聞いた。
ヌゥは、エクロザに瓜2つの女と、ソニアが自分たちのところに突然やってきたところから話を始める。
その女は自分のことをエクロザのコピーだと言っていた。顔も声も姿も全く同じだが、俺の知っているエクロザとは違う人らしい。口調も確かに、少し異なっていた。しかし、エクロザと同じ空間移動能力を使えるようだ。
エクロザのコピーは俺を捉え、それ以外の皆はソニアと一緒に異空間へ消えた。おそらくソニアの能力によって、ラビリンスに連れて行かれた。そして俺はゼクサスの棲むアジトへ連れて行かれた。
「敵のアジトに行ったってまじかよ…」
「どこなんですか? それは…」
「モヤをくぐっていったから、わからない。それに、この世界にある場所だとは思えなかった。見たこともないような空の色をしていたし…そのアジトは城の形をしていて、広い庭があるんだけど、それ以外は何も見えなかった」
「何だよそれ…」
「まあゼクサス自体も、この世のものとして説明がつかない謎の存在です。異空間にとばすシャドウや時空を移動できるシャドウもいる。私たちが容易にたどり着ける場所でないことは明らかでしょう」
「だな…まあいいや。とりあえず最後まで聞くか」
ハルクは頷いた。
アグは言葉1つ発さない…。レインはアグのことを心配そうに見ていた。
ヌゥは続ける。
アジトにはシェラとアギがいた。レインとハルクの目撃証言とも噛み合うので、ジーマさんたちを襲ったシャドウの2人で間違いなさそうだ。
「ゼクサスの部屋にたどり着いたあと、俺は禁術解呪の薬をエクロザのコピーに飲ませて、能力を封じた」
「私達の薬が役に立ったんですね!」
「うん。ハルクさんのおかげだよ!」
「アグも、一緒に作ったんですよ」
ハルクがそう言うと、ヌゥはアグのことを見た。
「そう…なんだ…」
(ほんとに何も覚えてねえって感じだな…)
レインは腕を組んで、ヌゥとアグを眺める。
その後ゼクサスを倒そうと思ったが、バリアのようなものがはられていて一切攻撃が効かなかったこと、それを打ち砕くには古の武器が必要であり、シェラの大鎌デスサイズと、エクロザの黒い槍ログニスがそれに該当すること、そして全ての武器を集めると強い力を得ることができ、ゼクサスもそれを狙っていることを伝える。そしてシェラが、デスサイズをヌゥに託したことも。
「その鎌が…」
「うん…」
そしてゼクサスに身体を侵食され、リアナの核を奪われたことを話した。
「え?! まじかよ」
「核が奪われても、ヌゥさんは大丈夫なんですか?」
「別に、何ともないみたい…」
「これまで通り戦えるのか?」
「うん…そこも問題なさそう。キズもすぐに治ってく」
「シャドウが核を抜かれても平気とはな…」
「シャドウのことに関しては、私たちでは知識が乏しすぎますね…」
「お前の例の呪いも…そのままか…?」
「あ……」
ヌゥはハっとした。
俺の呪いは恐らくリアナの核にまとわりついていたゼクサスによるもの。それがなくなった今、俺は誰かに怒りを覚えても相手を傷つけずにいられるのだろうか。
「うーん…怒ってみないと…わかんない」
「そっか…」
「それでその後、どうなったんですか?」
ヌゥはシャドウのシェラが自分を助け、逃してくれたことを話した。
「敵なのに?」
「シェラは庭園で争った時から、自分がシャドウとしてやってきたことを悔いていたんだ。だけどゼクサスに逆らってしまったから…もしかしたらあの後…」
「死んだ…のか?」
「かもしれない……」
ヌゥは涙を流した。
ヌゥはブラントとシェラのその思い出も、悲しみの全ても、知っていた。
ゼクサスは、人間、あるいは呪人の中に眠るその憎悪が溢れたとき、そいつの前に現れて仲間にしている。ゼクサスの餌は人間の憎悪だ。
「俺にとって覚醒状態は憎悪が引き金となって引き起こっていた。俺はゼクサスを追い出そうとして、この姿に戻ろうとしたんだ」
「今まで戻れなかったのにか?」
「うん……でもその時どうやって戻ったのか、そこはあんまり思い出せないんだ…」
「ふうむ……」
皆は頭を悩ませる。
「でもね、最後にリアナが言ったんだ。憎悪に負けないのは人間の愛なんだって」
「愛……?」
「うーん。俺にはよくわからないんだけどさ」
「……」
アグは辛そうな表情を浮かべる。
レインとハルクもそれに気づいた。
「ゼクサスは俺の身体に入れないことに気づいて、他の身体を探すと言っていた。奴が欲しかったのはリアナの核だ。もうゼクサスは、俺の身体を求めていない。次会ったときは、俺のことも殺しにくるよ」
「っ!!」
皆は目を見張った。
「それと、最後に逃げてくる途中、エクロザのコピーに追いかけられて、何かを奪われたんだ。何か、すっごく大切なものだった気がするんだけど」
「それか…」
「それって?」
「わかんねえけど、その時アグの記憶を、抜かれたんじゃねえか?」
「……」
ヌゥは皆の神妙な面持ちから、その事の重大さを察する。
(アグ……君は、誰なの。俺にとって君は…一体……)
「はぁ〜話聞いたはいいけど、わけわからんことばっかで、これからどうしたらいいのかもわかんねえ!」
「1回頭を整理したいですね…」
「ジーマたちも、誰一人戻ってきやしねえ」
「とりあえず、ジーマさんたちのことは、もう少し様子をみましょう。私達に出来ることはありませんし」
「お前ってそういうとこ冷たいよな本当」
「失礼ですね…私だって心配しているに決まってるじゃないですか」
「じゃあ、これから俺らはどうすんだよ」
「自由行動でいいんじゃないですか?」
ハルクはヌゥとアグを見ると言った。
「2人きりで話した方が、何か思い出せることもあるかもしれません」
レインも頷いた。
「確かにな。アグ、お前、大丈夫か?」
アグもまたレインに頷いてみせた。
「大丈夫です」
「それじゃあま、俺らはこっから出てくからよ…城からは出ねえようにするからさ。また何かあったら呼んでくれ」
「わかりました」
そうして、レインとハルクは広間を出ていった。
ヌゥはアグと2人きりになって、少し不安そうだった。
椅子に座ったまま、微動だにせず、こちらを見ている。
アグもそれに気づいていた。
アグは切なそうに笑うと、ヌゥに言った。
「無事でよかった、ヌゥ」
「………!」
ヌゥは彼の笑顔を見て、なんだか無性に心が掴まれるような思いだった。
「ごめんね…俺、君のことを……」
アグは首を横に振った。
「いいんだ。お前が無事なら、もうそれだけでいいよ」
「……」
「よく……帰ってきてくれた」
アグは涙が出そうになるのを堪えた。
ゼクサスに、飲み込まれていてもおかしくなかった。
そうしたらもう、君に2度と会えなかった可能性だってあった。
そう思ったらさ、怖くて、仕方なくなった。
「俺もお前も、核の記憶を消されて、ついこの前まで全部忘れていた。だけど思い出すことができた。だから、無理に俺のことを思い出そうとなんてしなくていい」
アグは優しい口調でそう言った。
ヌゥは彼を見つめる。
(君のことを…俺は愛していたの? そして君は…)
「君は俺のことが好きなの?」
ヌゥはアグに尋ねる。
アグは驚いたように彼を見たが、優しく微笑んだあと答えた。
「愛してる」
ヌゥは目を目開いて、アグを見つめた。
愛って…何なのかな…。
俺はそれさえもね、もう、思い出せないよ。




