夢の扉
「はぁ…はぁ…」
入ってしまった。生存率0%と言われる死の扉に。
ベーラは自分の後ろの閉ざされた黒い扉を見る。
まあいい。仮に私が死んだとしても、あとの2つは皆ならクリアできるはずだ。
前に広がる薄暗い通路の真ん中を、ベーラは歩いていく。
その先には明るい出口が見える。
「ようこそ! 夢の扉へ!」
「うん?」
暗くて見えづらかったが、うさぎが立っている。
ピエールとは違うようだ。
「ここでの試練を説明しますね」
「またガイドうさぎか」
「マイクと申します!」
「で、私はどうすればいい」
「はい! とっても簡単ですよ」
「ん?」
(生存率0%なのに?)
「あなたの望みを叶えることです」
「はあ?!」
それだけ言って、マイクは消えてしまった。
それだけ…?
意味がわからないな。
とりあえず、出るしかないか。
ベーラが外に出ると、そこには見慣れた風景があった。
「え…?」
そこは、破壊されたはずのアジトだった。
ベーラは1人、元通りの姿のアジトの前に立っている。
「うん?」
ベーラは頭が少し重いことに気づく。おもむろに自分の髪を触ると、その長さは肩をこえていた。
(なんで伸びているんだ)
すると、聞き慣れた声がする。
「ベーラ、おかえり!」
「は?!」
ジーマがアジトから出てくると、笑顔で彼女を迎えた。
「どういうことだ?」
「仕事お疲れ様! ご飯食べるでしょ!」
「え? は? うん?」
「皆待ってるよ! 行こう!」
ジーマはベーラの手を握ると、アジトに彼女を連れて行く。
「はあ? おい、この手を離せ」
「え? 何で?」
「何でって、何やってんだお前」
「ベーラ、さっきからどうしたの?」
「いや、それはこっちの…ああ!」
ジーマはにっこりとただ微笑んで、彼女の手をしっかり握って食堂まで連れて行った。
(……)
初めて彼と手を繋いだ。
いや、どうせ偽物だろう。
なんだ、現実世界風のこのステージで望みを叶えろというのか。
というか、私の望みってなんなんだ?
「よお! おかえりベーラ!」
「食事の準備はできておるぞ!」
レインとアシードが快く彼女を迎える。
「はぁ…お前らまで」
「何が?」
目の前にはごちそうが並べられている。
はぁ……。
ベーラはとりあえず流されるように席に座る。
「それじゃ、いただきまーす!」
皆は手を合わせて、ごちそうを食べ始めた。
(…普通に美味い。食事は本物だな)
すごい勢いでほとんどの料理を平らげながら、ベーラは尋ねる。
「他の皆は?」
「他って?」
「いや、シエナとか、ヌゥとか…」
「シエナ? ヌゥ? 誰それ」
ジーマはきょとんとした顔で彼女を見る。
「ベーラ、なんか変じゃぞ?」
「仕事で疲れて頭まわってねーんじゃねえの」
「ふうむ」
(うーん…シエナたちはいない世界なのか? そこに関しては現実と異なるな)
「私の仕事って」
「特別国家精鋭部隊の任務に決まってるだろ」
「シャドウを倒すことか?」
「シャドウってなんだ?」
「それじゃあ、今は西暦何年だ」
「なんだよいきなり」
ここにはシャドウもいない。
西暦について聞くと、今現在と日にちまで同じだとわかった。
ふうむ。過去というわけではないのか?
まあ皆、見かけを見る限り今と同じだしな。シエナが入る前なのかと思ったが、若くはない。ジーマも眼帯に眼鏡かけてるし。違うのは私の髪が長いことだけか。
全く、よくわからない世界設定だな。
というか、この髪うっとおしいな。
ベーラは呪術でハサミを作り出す。
呪術は問題なく使えるようだ。
それを見たレインは彼女に言う。
「おい、何ではさみなんか出してんだよ」
「いや、髪が長くてうざいから切ろうと思って」
「はあ?! 何言ってんだよ! 式のためにここまで頑張って伸ばしたんだろ?」
「はあ?」
「はあ?じゃねえよ! 3日後だろ! 式は!」
「式ってなんの?」
「結婚式に決まってんだろ」
「一体誰の」
「お前と、ジーマのだよ!」
ベーラはゆっくりと皆を見回す。
ジーマを見ると、手に顎を乗せてこちらを見ながらニッコリと笑っている。
レインとアシードも、にんまりとしていた。
そしてベーラは、自分の左手の薬指に輝くダイヤモンドのはめ込まれた、指輪がついていることに気づいた。
「………」
…はぁ?
はぁあああああ??????
似合わぬ叫びを脳内で響かせたあと、ベーラはジーマに向かって言う。
「何で私がお前と!」
「え? どうしたの?」
「おいおい! ここにきてマリッジブルーかあ?! 勘弁してやれよ姉さん」
「誰がマリッジブルーだ! おい! ちょっと来い!」
ベーラはジーマの胸ぐらを掴むと、彼を連れ出した。
「どうしたのベーラ」
「どうしたって…何でお前と結婚しなきゃならんのだ」
「何でって…プロポーズしたらおっけーしてくれたじゃん」
「プロポーズぅう?!」
一体どうなっているんだこの世界は。
「そ、それじゃあ、セシリア様はどうした」
「セシリア様? 誰それ」
「誰って、この国の王の娘だよ」
「国王の子供は息子だけだよ」
「……」
セシリアまでもいない世界なのか…。
ベーラはうさぎのマイクが言っていたことを思い出す。
『あなたの望みを叶えることです』
(……)
私の望み?
ベーラは目の前の彼を見上げる。
「どうしたの? 結婚、やっぱり嫌になっちゃった?」
「嫌というか……」
「まあそうだよね。君が僕のことを本気で好きになんてなるわけないか…。君は優しいから仕方なくおっけーしてくれただけだよね」
「いや…そんなことは…」
というか、プロポーズされた覚えはないんだがな。
そこはすっ飛ばされてるわけか。
「今日、もう仕事ないからさ、良かったら付き合ってよ」
「…まあ、いいけれど」
その後、ベーラはジーマと2人、城下町をしばらく歩く。
拍子抜けにもほどがあるな…この試練。
もっと地獄みたいな迷宮内を駆け巡るとか、恐ろしいラスボスみたいなやつがでるとか、そういうのじゃないのか。
なんでこいつとデートみたいなことをしなければならんのだ。
「もうお腹はいっぱいになった?」
「まあ、いっぱいになるということはない」
「あははっ、そうなの?」
ベーラが横を向くと、彼は笑顔を浮かべている。
私の1番好きな…君の表情。
「何で、この世界ではお前が私を好きになるんだ?」
「え? プロポーズした時に言ったじゃない」
「…なら、ここでもう1回、言ってみろ」
「えっ! ここで?!」
2人がいるところは城下町の賑わう商店街だ。広い歩道だがそれでもたくさんの人が溢れている。
2人が一瞬足を止めたので、ベーラは後ろを歩いていた人に衝突された。
「ひゃっ!」
「危ないよ」
ジーマはベーラの腕を引いて、自分の方に抱き寄せた。
ベーラは彼の胸元に顔をうずめて、心臓がバクバクなるのを感じる。
「………」
ジーマは笑って、彼女の手を握ると足を進めた。
「ここじゃ危ないからさ。うん…わかった、じゃああの店まで行こう」
「あ、あの店って?」
「プロポーズしたお店! もう1回、言ってあげるから」
「……」
駄目だ…完全にこの世界に飲まれている。
この世界の人間なんて皆、偽物だって思っているのに。
君だって…。
『あなたの望みを叶えることです』
マイクの言葉が脳裏に響く。
私の望みって…一体……
私は、どうしたらいい?
そのお店は、ベーラは初めて来たお店だった。しかし、名前を聞いたことがある。
どこだったか…。
ああ、そうだ。
確かこいつと初めて行った仕事先で、シャルメリアの内乱を制圧したあと、ふと寄った飲食店があった。確か『le meilleur souvenir』。あそこの名前と同じだ。
「シャルメリアのところにあった店の、チェーン店かなにかか?」
「いや、移転したんだよ。って前言ったのに忘れちゃった?」
「覚えてない」
(というか、聞いてないし)
「でもこの店が、僕らが初めて行った店だってことは、ちゃんと覚えてるんだね!」
「……」
2人は店内に入った。ディナーの時間には早かったので、席は空いていた。
全く何年前の話だよ…この店に行ったのは…。
もちろん改装されているが、雰囲気はかなり似ている。というか同じだ。
というか、この世界の再現率の凄さはなんなんだ。
ベーラはメニューを広げる。
ああ、確かこのメニュー、端から端まで全部頼んでやったな。まあ移転もあって時も経って、多少は変わっているものもあるが、あの時と全く同じものもあるな。というか、私もよく覚えているな。
「あはは! やっぱりお腹空いてるんだね」
「まあ自重しておこう。このページに載ってるやつだけでいいよ」
「ははは! おっけー! 注文、いいですか?」
だんだんと食事が運ばれて、机の上はお皿でいっぱいになった。
「覚えてる? 君と初めて仕事をした後、君のお腹がぐーっとなって、この店に入ったんだよ」
「覚えてるよ」
「そうしたら君は、この店のメニュー全部頼んでさ、ほんとに驚いたよ。しかも全部食べきっちゃうんだからね!」
「だからなんだ」
「おかしくってね、涙が出るほど笑ったよ」
覚えてるよ。
だって私も、その時の君の笑顔に惚れていたんだから。
「君はいつも無愛想で、他人との距離感を保って、いつも1人でいて、自分の話なんて全然しなかった」
「……」
「そんな君のさ、可愛い一面を見ることができてね、もっと君のことを知りたいって、思ってしまったんだよね」
「…大食いは可愛くはないだろう」
「可愛いよ。美味しそうに何かを食べる姿はね、とっても可愛い」
ベーラは顔を赤くして、それでも顔を引きつらせた。
そんなに面と向かって可愛いだなんて、言われたことがない。
似合わない。私には。そんな言葉は…。
「君と一緒に、たくさん仕事をしてきたよね…。他人を遠ざけようとしていた僕が、唯一心を開いたのは君だった。そしてある時、気づいちゃったんだよね。君のことが好きなんだって」
「……」
この世界は、偽物だ。
だけど、どうしてだろう。
私は、涙が出そうになるのを、必死でこらえた。
「だから、ずっと君と一緒にいたい。僕と、結婚してください」
ジーマは微笑んで、彼女に言った。
「……」
「あれ。前は、別にいいけどって、言ってくれたんだけどな…」
ジーマはこめかみに手を当てて、悩ましい表情を見せた。
「あはは…困ったな…。まあいいや。とりあえず、冷めちゃうから食べちゃって」
ベーラは何も言わずに、机の上に並べられた食事に手をつける。
あの時食べたメニューが、たくさん載っているページにしたんだ。
ねえ、あの時食べた味と、全く同じだよ。
この世界は、おかしい。
存在している全てはリアルで、現実と変わらない。
だけど、この世界には、セシリア様も、シエナもいない。
シャドウがいないから、ハルクもベルも、ヌゥもアグもメリもいない。
おそらくヒズミもアンジェリーナも、生きていたとしてもここにはいないんだ。
この世界は、何なんだ?
セシリアとシエナがいない世界なら、私は彼と、結ばれるのか?
「ごちそうさま」
「うん! さすが早いね〜」
「お前は何も食べないのか」
「うん。さっきアジトで食べたので充分だよ」
2人は会計を済ませ、その店を出た。
ソニアは幸せそうにその様子を見ていた。
彼女のそばにピエールが、ぴょんっと跳ねてやってきた。
「どうですか? ソニア様。黒の扉は」
「あの子も幸せそうな、夢を見ているわ」
生存率0%なのには、わけがあるの。
皆はこの世界で、各々の望みを叶える。
そうするとね、出口は現れるの。
だけど、皆にはそれが見えない。
いや、見えないふりをするんだわ。
この世界から脱することを、皆、選ばないのよ。
この世界は、夢の世界。
入った者の欲望を叶える幸せの世界。
邪魔する者は誰もいない。
あなたが危険にさらされることもない。
平和で、穏やかで、幸せな、長い長い、夢を見るのよ。
そんな彼女の前には、眠っているソニアの姿があった。




