研究所
アグとハルクはエントランスで遠征チームを見送ったあと、アジトの外へ向かった。
「研究所は外なんですね」
「はい。まあでも、すぐ隣ですよ」
アグとハルクもそのまま外に出た。アジトのすぐ隣に、同じく倉庫のような見た目の建物がある。そこが研究所だ。地下室はなく、広々とした大きな一室であった。
研究所に入ったアグは、目を輝かせた。
右側の壁には長机があり、たくさんの薬や開発品が、展示品のように並んでいた。それ以外の壁際に敷き詰められた棚には、数々の素材が綺麗に仕切りでわけられて入っており、研究のために必要な道具も一式揃っている。真ん中には作業台となる大きな机が置かれていた。
「すごいや…」
外の見た目からは想像もつかないくらい、研究所内は非常に清潔的だ。日頃からかかさず掃除も整頓もしているのだろう。
(ハルクさん、几帳面そうだしな……)
雰囲気も口調も落ち着いているし、大人って感じがする。あのレインって奴とはえらい違いだ。
だけどハルクさん、全然怖くはないのだけれど、何というか笑顔がない。あのベーラとかいう呪術の女ほど無表情ってわけでもないけれど、常時淡々としている。
まあでも、何でもいいか。ここは職場だ。馴れ合う必要はない。殺される心配がないというだけで平和そのものだ。
(それよりも、本当にすごいな、ここ……)
「禁術に対抗する薬の開発をしているのですが、なかなかうまくいっていません。正直データ不足も否めませんが…」
アグは博物館にでもきたような、非常にわくわくしたような気分で、開発品を眺めていた。その中の1つを手に取った。ビスのついた、手のひらサイズの爆弾だ。
「これは、手榴弾ですか?」
「そうです。ですが威力も弱いですよ。アグさんのものとは比べ物になりません」
「……」
ハルクに深い意味はなかったが、アグは少し顔をしかめた。
「あの爆弾は、どうやって作ったんですか?」
ついでハルクは尋ねる。
「あれには特別な材料が必要なんで…手に入れるのは難しいですよ。同じものを作れるかと言われると…今はもう厳しいと思います」
「そうですか…。あのレベルの爆弾ができれば、こちらとしても、切り札として使えると思っていたんですけどね」
ハルクは顎に手を当て、淡々と呟いた。
俺の作った爆弾は、小国ガルサイアの城を木っ端微塵にふっとばした。あれは悪魔的な兵器だ。作ってはいけない物だった。
「まあでも、あのレベルは難しいですが、武器としてある程度の手榴弾を作っておくにこしたことはないと思います…」
「そうですね。牽制にもなりますし。問題は薬の開発なんですよ」
ハルクは紙と羽ペンを机の上に用意した。2人は背もたれのない丸椅子を机の下から出すと、隣同士に並んで座った。ハルクが説明を始めると、アグは覗き込むようにして、ハルクの文字や説明図を追いながら話を聞いた。
「禁術は呪術から派生したもので、正直科学だけでは説明できません。呪術にオリジナリティが加えられたような、新しい力を持つ術です。私たちはこれまで5人の禁術使いの討伐に成功しました」
アグはそもそも禁術という言葉自体、初めて聞いた。その言葉は、セントラガイトの王族が勝手に決めた呼び名である。混乱を招くことを恐れてか、各国のお偉いさんたち以外には、禁術使いの存在も知らされていないのだという。
ハルクは捕らえた5人の禁術使いたちが、どのような術を使ったのかを、説明し始めた。
2人は催眠術で動物を操って街を襲っていた。人間相手にはどうやら催眠術は使えないようだ。
別の2人は物の大きさを変化させることができる。自分の大きさも変化できるようだ。主に窃盗犯罪に使用されていた。
上記4人の禁術使いたち当人の戦闘能力はほとんどなく、前衛隊のシエナやレインたちの相手ではなかったので、捕らえるのは容易だったという。
最後の1人は風を操る術を使い、小さな街の住民を襲っていた。その街では死者も出たようだ。その術はかまいたちのごとく、風の刃を放って攻撃を仕掛ける。通称風使いの討伐は他の4人の討伐に比べれば困難を極めたが、前衛隊3人がかりで無事に倒したそうだ。
「討伐した禁術使いたちはセントラガイトの独房にいれられました。皆何かしらの犯罪を行い、死刑判決になった者もいます。しかし皆、私達の実験のために生かされています。死刑判決の者は解剖も許可されていますよ」
「か、解剖…」
「ええ。でも私も人体解剖は専門外ですので、実行には及んでいませんが」
「あいにくですが俺もです…」
アグは苦笑した。
さすがのアグも、人体解剖の知識はない。
ハルクは立ち上がって、壁際の棚の方へと進んでいった。
「私が現在開発に取り組んでいるのは、禁術を解く薬です。禁術のベースとなる呪術を実験に取り入れているのですが……見てください。このネズミたち」
ハルクは3匹のネズミが入った透明なゲージを手に持ち、真ん中の机の上まで運んだ。大きな虫かごのように、上に蓋がついていて、中身を出し入れできる。ネズミたちはチューチューと元気な声で鳴き、ゲージ内を動き回っている。
「このネズミは、元はカエルだったんです」
「え!」
アグは驚いた声を上げ、ゲージ越しにそのネズミたちを凝視した。見た目と鳴き声は完全にネズミだ。しかしよく見ていると、動きはどことなくカエルに似ている気がする。
(これがカエル……? 呪術ってそんなこともできるのか…)
「ベーラさんの呪術がかかっています。彼女は呪術師の中でもかなり強い力を持った方だと聞いています。呪術の作用を弱める薬を開発途中なんですが、見ていてください」
ハルクは瓶に入った緑色の液体を取り出した。ゲージの蓋を開け、それをふりかけた。ネズミはびっくりしたようにチューと声を上げながら、その薬で全身びしょ濡れになった。
「!」
ネズミの足が鮮やかな緑色のカエルのように変形した。顔はネズミだが、鳴き声はゲロゲロとカエルのように変わった。ネズミとカエルの融合体のような、やけに、気持ちの悪い生き物となった。
「なるほど…」
完全に元通りとまではいかないが、術の一部が解けたということか。
そしてしばらく時間が経つと、生き物はネズミに戻った。
「ベーラさんの呪術は強力で、薬をかけても効き目はほんの少しの時間です。このネズミを完全にカエルに戻せるような薬が完成すれば、実践でも使える可能性があると思いませんか?」
「そうですね。薬のレシピを、教えていただけますか?」
「もちろんです。こちらです」
ハルクは細かく書かれたレポートの束をアグの前に持ってくる。アグはそれを受け取ると、それらの文書を隅から隅まで読み始めた。
(なるほど…。これは…面白いな…)
アグがそれらを読む間、ハルクは自身の研究を再開した。主に素材を煮たり干したりだ。時間がかかる作業も多いので、手が空くと爆弾などの戦闘用武器の開発に取り組んだ。
「ハルクさん、俺も手伝います」
「もう読み終わったんですか?」
「はい。呪術については独房でも勉強していましたし……理論は大体理解しました。確かに難しそうですね」
「そうなんですよ…。不可能ではないはずなんですが、素材の組み合わせは無限ですからね…」
「ですよね…。あ、この部品をとりあえず組んでいけばいいですかね?」
「は、はい。お願いします」
アグはハルクの作業を見ながら、同様に武器の開発を手伝い始めた。アグの手慣れた取り組みを見て、ハルクは驚くばかりだった。
(作業が異様に早い…。頭がいいとは聞いていましたが、それだけじゃない。手先が器用なんですね…)
「ハルクさん、薬に詳しいんですね」
「え…?」
作業をしながらアグはハルクに話しかける。目線と手先は部品の組み立てに集中しており、アグの手が止まることはない。
「さっきのレポート、相当最先端の薬学知識ですよね。俺も初めて聞くものも多くて、びっくりしました」
「ああ…薬学が専門でしたから」
「いやぁ…本当にすごいです。テリアの薬草を煮沸してろ過したものに拮抗作用があるなんて知りませんでした」
「!」
ハルクは目を大きく見開いて、アグの方を見た。
(うん…?)
アグもそれに気づいて、一旦手を止めて彼と目を合わせた。
「熱すると細胞が変化するんですよ! 面白いですよね! いやぁ……テリアの薬草って普通は生で使うでしょう。だけど研究会に所属してる時にたまたま……」
そんな話を始めたハルクの目は、キラキラと輝いていた。まるで別人みたいにテンションが上がり始めた。
ハルクはその後も嬉しそうに自身の研究の話を続けた。特別国家精鋭部隊内で、研究職はハルクただ1人だった。話がわかるやつなんて、もちろんいない。
そして2人の雑談は、大いに盛り上がった。
昼食はハルクが2人分用意してくれた軽食で済ませた。アジト内に食堂もあるそうだ。アグも当面の食費はジーマからもらっていた。しかしハルクは食堂まで行く時間が勿体無いと、いつも研究所に昼飯を持ってきているのだという。
そんなハルクにアグは同調した。昼を食べる時も、2人は研究の話ばかりしていた。
(ハルクさん……この人、生粋の研究オタクだ! 話めちゃめちゃ面白い!! こんなに頭がいい人と一緒に働けるなんて!)
ヌゥとじゃこんな話は一生出来ない…!
「他にも研究をまとめたものがあれば、後で見させてもらってもいいですか?」
「もちろんです!」
ハルクはこれまでの研究をまとめたレポートをどっさりアグに渡した。アグも作業の合間にそれらに目を通し、ますます2人の話はヒートアップした。もちろん、手は休めずにだ。
これまハルクがで1人でやっていた研究・開発作業は、アグの加入で大変捗った。窓から外を見ると、あっという間に夕方になっていた。
「アグさん、終業時間です。もう今日はこのくらいにして上がりましょう」
「はい! 今やっている作業だけやったら上がります。ハルクさん、先に上がってください」
「そうですか? それではお先に失礼しますね。終わったら研究室の鍵を閉めて、大広間の入口横のボックスに返しておいてください」
そう言って、ハルクは研究室から出ていった。アグはお腹がすいたことも忘れ、その後もレポートの熟読と研究作業に取り組んだ。
研究室中の薬と素材を並べ、各々の作用を見極めていく。
(そうか…これとこれは効果を打ち消す……ハルクさんの研究は禁術を解く薬を作るために有効なものなんだ。だからここに配属されたのかな? へぇ…ビヤナの実の殻って耐熱性があるんだ……。なるほど…じゃあこれをこうして……)
アグは無我夢中だった。
(やっべ……研究所の仕事って………!!)
ただひたすらに、楽しい!
次の日の早朝、ハルクは大広間に向かった。
(…研究所の鍵がない)
ハルクはまさかと思って研究所に行くと、案の定鍵が空いていた。机の上にふせるようにして、アグが眠っている。研究所の道具や素材たちは酷く散乱している。
(まさかあのまま徹夜で…?)
ハルクが研究所内を見回すと、例のゲージに目がいった。
中身は見事に、3匹のカエルになっている。
「…驚きました。一体どうやって……」
(私が何ヶ月研究しても駄目だった薬を一晩で…。ジーマさんの言っていた通り、彼は天才…)
ハルクは寝入っているアグを見て、同士を見つけたかのような歓喜の笑みを浮かべた。
(そして、根っからの研究者なんですね…!)
ハルクがガサガサと片付けを始めると、アグはハっと目を覚ました。
「朝飯! じゃなくて、え? あれ、ここどこ?」
「大丈夫ですか。アグさん」
「ハルクさん……ああ、そうだ! 俺はあのまま寝ちゃって…すみません! こんなに散らかして…すぐに片付けます!」
「いいんです。片付けは私がやりますから。アグさんは部屋で少し寝てきてください。今日は午後出勤です。いいですね」
「いや、でも…」
「寝てきてください。命令ですよ」
「す、すみません…わかりました…」
「その間に、これ、見てもいいですか?」
ハルクは、アグが昨日のうちに書き留めたメモを手にとった。そこにはアグが行った様々な実験の検証結果と、禁術を解く薬のレシピが、走り書きのように書かれている。
「も、もちろんです! 汚い字ですみません…」
「いえいえ。それじゃあ、またお昼に」
「わかりました」
アグは言われた通りに部屋に戻った。
徹夜なんて何年ぶりかのことだった。アグはベッドにつくと、一瞬で眠りに落ちた。