亀裂
俺の中で、リアナは特別な女の子だった。
同じ呪人同士っていうのも、もちろんあるんだろうけれど。
どうして彼女が特別なのか、俺はもう気づいていた。
あの悲しい出来事から2年ほどたった。
俺たちがその話をミラにすることはなかった。
ある日、リアナとラディアは森に来ていた。
「見てみて! あったよ、眠り華」
リアナは目を輝かせて、その真っ白な華を引き抜いた。
「良かったな」
「これでミラ、ゆっくり眠れるかな〜! 最近不眠症だって言ってたからさ! 初めて本なんて読んで調べたよ! そしたらこの森に咲いてるっていうからさ」
「お前は優しいな、ほんとに」
ラディアは彼女を見てふっと笑った。
こいつはいつも、誰かのために何かをしようとする。
それが偽善なんかじゃなく、天然でやっているから、どんな人間よりも優しい奴なんだ。
リアナがラディアのところに戻ろうとすると、リアナに近づく黒い影に気がついた。黒い影はリアナに襲いかかった。
「リアナ!」
ラディアはリアナを押し倒した。すると、黒い影はラディアに狙いを変え、彼に噛み付いた。
「ら、ラディア!!」
毒蛇だった。
ラディアは顔をしかめて苦しそうにする。傷口があっという間に真っ青になっていき、段々と毒が広がっていく。
「あああ!!! ラディア!!! ラディアぁ!! どうしよう! どうしよう!!!!」
リアナは泣きそうになりながらラディアを抱えて、急いでミラのところに戻った。
血相を変えてリアナが帰ってきたので、ミラは驚いた。
「どうしたの?!」
「ら、ラディアが…毒蛇に噛まれて……」
「なんですって? 見せて!」
ラディアは既に気を失っていた。顔も身体もが青ざめている。
「ミラ…どうしよう…どうしよう……!!!」
「大丈夫よ、任せて!」
ミラはラディアに呪術をかけ、毒耐性の能力を付加した。
だんだんと、ラディアに血の気が戻っていく。
「うん! 時間が経てば治ると思うわ!」
「あっ…ああ…うう……うわーん!!! ありがとうミラ! ありがとうぅぅ!!! 良かった…! 良かったぁぁ!!!」
リアナは泣きながらミラに抱きついてお礼を言った。
ミラも笑って、リアナの頭を優しく撫でた。
「ベッドに横にさせてあげましょう」
リアナとミラはラディアを抱えて、ベッドに運んだ。
「何で遠くの森に行ったの?」
「ああ、そうだ、これ!」
リアナは満面の笑みで、眠り花をミラに差し出した。
「ミラ、不眠症だっていってたでしょ。この花の花粉をかいだら、ぐっすり眠れるんだって!」
「わ、私のためにわざわざ?」
「当たり前でしょ! だって私、ミラのことが大好きなんだもん!」
「リアナ……」
ミラは目を潤ませて喜んだ。
帰ってきたのが夕方だったので、もうすぐに夜になって、ミラは先に寝るねと言って、眠り花をちらつかせてリアナに笑いかけた。今日はゆっくりいい夢を見てねと、リアナも言って、自分の部屋に入るミラを見送った。
ミラはいつも自分の部屋で、リアナとラディアは寝室で眠っていた。どうして一緒に寝ないのかと聞いたら、ミラは1人で真っ暗にして静かに寝たいのだという。一度3人で寝たことがあるのだが、リアナがずっと喋りかけてきてそれがうるさくて眠れなかったからだ。まあ、リアナには言わなかったけれど…。
リアナはまだ目を閉じたままのラディアのそばに、椅子を持ってきて腰掛けた。
「ラディア…ごめんね……私をかばって…」
リアナはラディアの手をぎゅっと握った。
私たち呪人も、死ぬほどのケガをすれば消えてしまう。それに人間に近い私たちには、痛みもあるの。
そしてもし消えてしまって、ミラがまたラディアと同じ顔の人間を作り出したとしても、それはもうラディアじゃないんだって。ラディアは人間と同じ、これまで一緒に過ごしてきた思い出や思考なんかがラディアを作っているから、もう二度と同じ呪人にはなれないの。
「生きていて良かった…」
リアナは彼の手を握りながら、涙を流した。
「んん……」
「ラディア?!」
ラディアの目がきゅっと動いて、彼が目覚めた。
ラディアはゆっくりと目を開けた。
「リアナ……」
「ラディア! 良かったあ! 目が覚めたんだね!」
リアナはぼろぼろ泣いて、ラディアに抱きついた。
「ちょ、ちょっと…」
なんでこいつこんなに泣いてんだ…
ああ、そうか、俺こいつをかばって毒蛇に噛まれたんだっけ…
でももう治ってるみたいだな…
リアナはぎゅっと俺を抱きしめたまま、離さない。
「うう…ラディアぁ……ごめんね…私のせいで…ごめんね…」
「別にお前のせいじゃねえし…」
「うう…ラディアが…ラディアが死んじゃったらどうしようって、私……」
「ごめんな。心配かけて」
リアナはゆっくり力を弱めて、首を横に振った。そしてくしゃくしゃになった顔で、ラディアを見つめたあと、また泣いた。
「…ごめんな」
考えるより早く、身体が動いたんだ。
俺は、お前のことを守りたい。
心から、そう思うんだよ。
俺は泣いているリアナの頭を撫でた。
俺と、リアナと、ミラ。
3人はいつも一緒で、みんな仲が良くて、大切な家族であり友達。
3人で日々を過ごして数年経った。
その頃ミラは18歳になって、俺達も同じように成長していた。
リアナはだんだん女の子らしくなって、俺は男らしくなってきた。心も、身体も。
ミラの勉強内容が、だんだんと難しくなってきたらしい。
見かねた俺も何とかならないかと一緒に勉強を始めた。
すると、思いの外楽しいことに気づいて、俺はあっという間にミラの学力を追い越した。
特に実験のある化学は面白かった。俺は街から出て少し遠出しては珍しい鉱石や薬草なんかを取ってきて、家に持ち帰って1人実験したりして遊んだ。
「ねえラディア! これ見て!」
ある日、リアナは満面の笑みで後ろから俺にしがみつくと、とても美しく輝いた、水色のクリスタルの欠片を見せた。
「…何これ」
「水晶だよ! 水晶! 雪山の近くで拾ったんだ〜」
「シィトルフォスか…あの辺はお金払ってツアーに参加しないと入れないだろ」
「知らないの? 今の時期は寒いし危険だから誰もいないんだよ〜!」
「じゃあ尚更行くなよ! 危ねえな…」
リアナの身体が密着する。俺は少しドキドキした。
「ふふ! でもすっごく綺麗だったから、ラディアにあげようと思って!」
「…なんで俺? ミラにあげたら?」
「うーんそれでもいいけど、ラディアこういう石みたいなの好きじゃん」
「…そうだけど」
「だから、ね、あげる」
振り返ると、リアナの顔がすごく近くにあって、俺は顔を赤らめた。
はぁ…。
俺はリアナから水晶を受け取って、離れていった彼女のことを目で追っていた。
いつからとははっきりわからないが、俺はリアナのことが気になっていた。それは多分、ずっとずっと前から。
初めてこの気持ちを持ったときにはよくわからなかったけど、今ははっきりわかる。
俺は、リアナのことが好きだ。
ある程度勉強を理解した俺は、それをミラに教えた。
「すごいラディア…この問題もわかるの? 頭いいね…」
「そうか? てかお前が俺を作ったんだろ」
「いや、そうなんだけどね。あ、ねえ、この問題は?」
「どれ、見せて…」
ラディアの顔がミラに近づく。
ミラはラディアの横顔を見ながら、顔を赤らめた。
「ああ、これはこの公式を使ってだな…おい、聞いてる?」
「え? ああごめん。なんだっけ…」
ミラは最近たまに上の空になることが多い…。
俺たちが勉強している間、リアナは編み物をしていた。
一緒に勉強をやるかと聞いたが、難しいのは嫌いだからいいと断られた。
せっかく勉強して頭が良くなったところを、彼女に理解してもらえないのは少し残念だ。
俺とリアナが同じ部屋で寝ていると、ある日ミラがこれからはリアナと二人で寝たいと言い出した。
「わーい! ミラと一緒に寝ていいの?」
「うん! これからは女の子同士で! もうお年頃だしね」
リアナは喜んでいた。
俺もまあ確かに、リアナと一緒だと緊張して寝られなかったりするから、その方がいいか…。
ミラの部屋に布団だけ運んで、リアナとミラは二人きりになった。すると、ミラは言う。
「ねえ、リアナってラディアのこと、好き?」
「え? …うん! 好きだよ! ミラのことも同じくらい好き!」
「そう…あなたは…そうよね」
「……」
ミラは少し恥ずかしそうにしながら、言った。
「私ね、ラディアのことが、男の子として好きなの」
「え……?」
リアナは驚いたように、ミラを見つめた。
「おかしいのはわかってるわよ。だってラディアは呪人で、人間じゃないから…。でもね、人間のように作った彼は、私にとってはもう同じ人間なの。もちろん、あなたもよ」
「……」
「リアナ、恋ってわかる?」
「恋……」
「ほら、絵本でも、お姫様が王子様に恋をして、結婚して、キスをするじゃない? あれと同じよ」
「えっと…ミラはラディアと結婚したいの?」
「まあ、そういうことでいいわ」
「そうなんだ…」
ミラは、ラディアが好きなんだ……。
「だからね、リアナも協力して?」
「協力…」
「ラディアと私が両想いになれるように、手伝ってほしいの」
「う、うん…わかった」
「本当?! ありがとう!リアナ!」
ミラはリアナに抱きついた。
…私は、どうしたら、いいのかな…。
ミラの突然の告白に、リアナは呆然としたままだった。
それから、ミラはラディアと二人でいることが多くなった。元々教えてもらっていた勉強時間も長くなって、リアナは一人でいる時間が多くなった。
最初はミラが喜んでくれるならそれでもいいと思っていた。でもだんだん寂しいと感じるようになった。
しかし、私がラディアと話をすることを、ミラは気にしているようだった。だから私は、ラディアに話しかけるのをやめた。彼と二人になることを、避けた。
そして、ラディアもそのことが気になっていた。
ミラに勉強を教えるのは構わないが、俺はリアナともっと話がしたい。
それになんだか、避けられている気がする。
そして最近のあいつは元気がない。
俺はミラが風呂に入っている時に、リアナに話しかける。
「なあ、今日の深夜、あの公園に来てくれよ」
「え…?」
リアナたちが子供だった頃、よく遊びに行ったタイヤのある公園だ。大きくなった彼らは、公園であそぶことがなくなったけれど。
リアナはミラが寝入ったのを見計らって部屋を抜け出し、公園に行った。
先に家を出たラディアが、ベンチに座ってリアナを待っている。
「ごめん…遅くなって」
「そんなに待ってねーよ」
リアナはラディアの手に触れる。かなり冷たかった。
季節は寒気のピークだ。長い間待たせてしまったようだ。
「こっちこそごめん。寒い中来てもらって。でもこうでもしないと、お前と二人きりで話せなかったから」
「……」
リアナもラディアの隣に座った。
「…何で、俺のこと避けるの」
「え…?」
「普通に、傷つく…んだけど……」
ラディアは頭を下げて顔を隠した。
「そ、そんなつもりじゃ…。ごめんラディア。ラディアのことを傷つけてるなんて思わなくて…」
「……」
あぁ、私は彼のことも傷つけていたんだ。
もういっそ、私なんかいないほうがいいのかもしれない。
「お前、俺のこと嫌いなの?」
「そんなわけないよ! 私は二人のことが大好きでっ……」
ラディアはリアナの身体を引き寄せると、彼女にキスをした。
「?!?!」
ラディアはハっとして唇を離した。
「ご、ごめん……」
リアナは目を見開いている。
(今、何が……??)
「俺、ずっと前から、お前のことが好きなんだ…」
「え……? で、でも、ミラのことも同じように好きだよね?」
ラディアはリアナの目をまっすぐと見ている。
「俺は、ミラよりもお前が好きだ。リアナが好きなんだ」
リアナは驚いて、ショックを受けた。
「別にこれまでの関係を変えようとか…そんな気はねえよ…。ミラは俺にとって家族も同然だし、これからも3人で暮らしていけたらと思うよ。だけど、この気持ちだけは、ちゃんとお前に伝えたかった」
リアナは顔を赤らめた。
ラディアにキスをされて、好きだと言われて、嬉しかった。
でも、駄目よ…。ミラに協力するって、約束したんだもの。
「ごめんねラディア。私はラディアのことを、そんな風に見れない」
「………」
私は生まれて初めて告白されて、生まれて初めて誰かを振った。
私はそのまま彼の方を振り向かないで、公園から立ち去った。




