姫を護ることは彼の仕事
「ジーマ、いらっしゃい」
彼女の部屋に入ると、セシリアは僕を満面の笑みで迎えてくれた。
彼女の部屋で2人きりという状況に、最初はある意味まいったが、だんだん慣れた。
「何で僕が、あなたの護衛に選ばれたんですか」
「それはもちろん、あなたが優秀な騎士だと認められたからに決まっているじゃないですか」
「そうですか…」
僕がそう言うと、セシリアは少し笑って言った。
「私が、あなたがいいと、お願いしたんです」
「え?」
ジーマは顔を赤らめないように必死だった。
「ああ、そうでした。今度国民の前でスピーチをしないといけなくって…ジーマ、そういうの考えるの得意ですか?」
「いやあ…どうでしょう……」
ジーマは苦笑しながら、2人は机に向かい合った。
護衛というのは名ばかりで、基本的な仕事は彼女のそばにいることただそれだけだった。彼女の公務の手伝いをしたり、勉強を教えたり、時には雑談なんかもして、とにかくまあ呑気に過ごしていた。
彼女とずっと2人で過ごせる毎日は、彼にとってみれば本当に天国。幸せの絶頂期だった。
ただ悲しいことに、その気持ちを伝えることはできない。
一国の姫に告白なんて、言語道断。下手をすれば城を追い出されかれない。
そんな危機を感じざるを得ないわけは、セシリアの母親の存在であった。
セシリアの母親、つまりこの国の女王は実に厳しい人で、立場をわきまえない者を心底嫌う。もし女王に、セシリアにのろけながら過ごしている様子でも見られようものなら、今にも護衛を降ろされるだろう。なのでジーマは彼女に一線をひいて、真面目に彼女の相手をした。
セシリアもそれを知ってか知らずか、彼が護衛として、彼女との距離を詰めすぎないようにしていることに対して、何も言うことはなかった。
日中セシリアの相手をしているジーマだったが、鍛錬は惜しまない。彼女の寝ている早朝と深夜、彼は剣をふるった。黒刀は、腰にしまわれたままである。
【なあジーマ、腹ペコで死にそうなんですがねぇ…】
「うるさいな…死なないでしょう、君は刀なんだから」
【いやいや、空腹ってホントに辛いんだぜ?! わかるだろ?! お前も本当は暇してんだろ。あんな姫様相手にだらだら過ごしている日々なんてさ! 俺はもうあきあきだ! 騎士団に戻って、そろそろ誰か殺そうぜ?】
「殺さないよ…。それに、僕がいたら、この国の騎士団も育たないしね…」
【そんなこたあどうだっていい! お前だって本当は、そらそろ誰か斬りたくてうずうずしてんだろ?】
「そんなわけないだろ…」
しかし相当腹が減ったらしいその刀は、だんだん話す元気もなくなってきた。
なんだか少し可哀想な気もしたが、その頃の彼にとってはセシリアと過ごす時間が全てだ。1分1秒でも長く、彼女と一緒にいる時間を大切にしたい。
彼女の護衛について数ヶ月ほどしたある日、初めて護衛らしい任務を行うことになった。
2年ほど前にバットラ国と戦争を行い、勝利したセントラガイトであったが、バットラが友好関係を築きたいと意表を唱え、セントラガイトの王族を城に招きたいという手紙が届いた。
「私は行きませんわよ? 過去に戦争を仕掛けてきた国ですわ。また何か、悪いことを企んでいるに違いありません」
女王は断固反対していたが、国王はそうではなかった。
降伏宣言したバットラは、これまでに反省の意として数々の謝礼をセントラガイトに贈ってくれた。国王はそのお礼もいいたかった。
「バットラは建設業や工業、製造業に非常に精通している国だ。彼らと友好関係が築ければ、我が国も多くの恩恵を受けられるに違いない」
国王は、娘のセシリアを連れて、バットラに行くことを決めた。女王は最後まで反対していたが、国王の意思には女王も逆らえなかった。
そしてセシリアの護衛として、ジーマも同行することになった。
「私、生まれて初めて国の外にでるんです…! とても楽しみだわ!」
「良かったですね…。でも気をつけてください。バットラは僕達に負けた国です。少なからず、恨みを抱いている者もいるでしょうから」
「うふふ…大丈夫ですよ。だってジーマ、あなたが守ってくれるんでしょう?」
セシリアは笑った。
「…ちゃんと僕の見えるところにいてくださいよ」
「わかってます」
そして国王と国王の護衛2名、セシリア姫とその護衛のジーマは、それぞれ馬車に乗ってバットラを目指した。王族の遠征に対して護衛が少ないと思われるかもしれないが、国王は自分の護衛を心底信頼していたし、ジーマも1人で仕事をしたいことを国王は昔から知っていたので、その旅は少人数編成であった。
馬車の中から国の外の景色を見て、セシリアは非常に喜んでいた。その無邪気な様子を見ていると、まだまだ子供だなあなんて、愛おしくも思う。
セシリアは、国の外どころか、まともに城からも出たことがなかったので、彼女にとっては今回の旅は非常に有意義なもの、になるはずだった。
一行がバットラに向かう途中、柄の悪い山賊の集団に襲われた。
「王族がこんな少数精鋭で旅とは、馬鹿なやつらだな」
「殺されたくなかったらさっさと金目のものを出しな!」
国王が自分の護衛に山賊の撃退を命ずる間もなく、馬車から1人外に出たジーマは山賊を一瞬にして皆殺しにした。
【きたきたきたぁ!!! しばらくぶりの飯ィィいい!!!】
鬼はむしゃむしゃと、その30人近くいた山賊たちをほうばった。
「じ、ジーマ…」
初めて彼が人を殺す姿を見たセシリアは、怯えていた。
「ほう! 初めて見たが、確かに鬼が憑いておるな! 実に見事じゃジーマよ!」
王様は喜んで、彼を褒めた。
ジーマは刀を握りしめたまま、しばらく立ち尽くした。
(やばい……何だこれ………)
久しぶりに人を斬ったジーマは、かつて味わったことのないほど深い欲望に駆られる。
(斬りたい………)
その心の声を聞いた黒鬼は、にんまりと笑った。
「ジーマ!」
セシリアの声にハっとして、ジーマは刀を鞘にしまった。
【ちっ! 邪魔な女だぜ】
黒鬼は舌打ちをして、姿を消した。
「ほれ。先を急ぐぞ。明日の昼には城に来るように言われておるからな」
国王たちの馬車は出発し、ジーマもセシリアと馬車に乗り込むと王たちのあとを追った。
「ジーマ……あなた……」
僕を見て、彼女は怯えていた。
「ああ。僕が人を斬るのを見るのは初めてでしたか?」
「……はい。あなたのその…刀……」
「初めて会った時に言ったでしょう。鬼の棲む穴の中で、子供たちを斬ったのは僕だと。この刀には、鬼が宿っている。僕はこの鬼を斬りました。でもその時から、僕には鬼が取り憑いているんです」
「鬼……」
セシリアは言葉を失った。
ジーマが鬼憑きという異名で呼ばれるほど、強いことは知っていた。戦争で彼がたくさんの人を殺してきたことも、もちろん知っていた。
でも初めて、人を躊躇なく斬る彼を見て、そして彼に取り憑いたそのおぞましい鬼を見て、セシリアは酷く心を痛めた。
「申し訳ありません…あなたを怖がらせて…」
わかっていた。
あなたといると、つい忘れそうになっていただけだ。
自分には、鬼が憑いている。
自分の心は、鬼に選ばれるほど、すさんで醜いものだ。
【ぎゃっはっは! この女の怯えた顔ったらねえな! 全くいい気味だぜ! なあジーマ! お前は心の底では人が斬りたくて仕方ねえんだ。その気になればお前が愛してるこの女だって、お前は斬ることができるんだぜ】
(……何を言ってる。僕がセシリアを斬るわけないだろ…。僕が手にかけるのは、さっきの山賊みたいな悪い奴らだけだよ)
【けっ! どうだかね! まあいいぜ。俺は今のところは満腹になったしな!】
せっかくセシリアと楽しい道中を過ごしていたのに、全く自分が嫌になる。
「ねえジーマ」
「なんですか?」
「私、あなたが人を殺すのなんて、もう見たくないです」
「………」
セシリアは彼の瞳をまじまじと見つめながら言った。
彼女の青い瞳に、吸い込まれそうだ。
「約束してくれませんか? もう誰も、殺さないと」
【馬鹿が! そんな約束するわけねえだろ! こいつはもう斬ることしか頭にねえんだ! 俺と一緒に人間を斬りまくって生きていくんだからな! ぎゃーっはっはっは!】
「…約束します」
【おいぃぃ!! 許さねえぞそんな約束! このクソ女! そんな口約束こいつが守ると思うなよ! 次に俺を抜いてみろ! まずはお前の喉を斬り裂いて脳天とばしてやる!!】
こいつを…この刀を抜くから…駄目なんだ。
……もう絶対に抜かない。
その後も黒鬼はブツブツと何か言っていたが、僕は無視した。
約束を交わしたセシリアは、また元のにこやかな笑顔に戻って、僕の中の鬼もどこか遠くへ行った。
そしてその後は何事もなく、翌日の昼前にはバットラ国にたどり着いた。
「お待ちしていましたよ! セントラガイトの国王様! 姫君様!」
バットラ国王の予想以上のもてなしで、僕たちは非常に滞在を楽しんだ。そこには藍色の髪をしたヴィリという名の王子も同席していた。
「はじめまして。ヴィリ・バットラです」
彼は非常に礼儀正しい振る舞いで、バットラ国王同様に僕たちをもてなした。
「大変お美しい姫君ですね」
「ほっほっほ! わしの愛娘のセシリアじゃ」
ヴィリは国王と話をしていた。
「あの側近の方は…?」
「ああ。ジーマ・クリータス、セシリアの直属の護衛じゃ」
「へぇ……彼が鬼憑きの」
「ほう! よく知っておるな! 我が国最強の騎士じゃ」
ヴィリは僕のことを見ているようだったが、その時は特に気にしなかった。
「ねえジーマ! バットラの観光地に鍾乳洞があるでしょう! 私、そこに行ってみたいのだけれど!」
「国王の許可がおりましたら…」
「ねえ! いいでしょう! お父様!」
「ほっほ。ジーマがついておれば安心じゃ」
国王は、僕に対してかなりの信頼をおいていた。
セシリアと僕は、バットラ国王の家来に案内され、その有名な観光地の鍾乳洞へと向かった。
僕も鍾乳洞へ入るのは初めてだった。
予想よりも開けた空間に驚いた。話で聞いたことがあるが、非常に涼しい。
すると、家来の男は話した。
「ここはただの鍾乳洞ではないんですよ。噂では妖精のノッカーが住んでいて、珍しい鉱石がたまに生えるんです」
「まあ! 素敵ですね!」
「気まぐれなノッカーで、鉱石が見つかるのは本当に稀なんですけどね。近くにあるときは、コンコンとノックする音が聞こえてきて、その場所を教えてくれるといいますよ」
「そうなんですね! 面白いですね」
「もし鉱石を見つけたら、それは観光者の物です。このマトックを持っていってください」
「ありがとうございます!」
セシリアはジーマの方を向くと、「なんだかわくわくしますね」と小声で言った。
「観光地として開拓されてるので、洞窟は一本道になっています。20分も歩けば行き止まりになっていますから、そこまで行ったら折り返してきてください」
「わかりました。どうもありがとうございます」
いつもは観光客で賑わっている洞窟内だが、他国の王族が観光するということで、しばらくの間鍾乳洞は貸し切りとなっていた。
セシリアと僕は、その洞窟を進んでいった。




