バットラの王子
レインが城の中を探索するのは簡単だった。
誰にも見えない。声を上げても聞こえない。
彼はこの世界に存在していないも同然だ。
不思議だ…。
扉も壁も擦り抜けられるし、怪しいやつがいてもどんなに近くにだって行ける。透明人間はこんな気持ちなのか。
ヒズミのやつ…最強の技じゃねえかよ……。
あいつはビビってばっかで、本当術の持ち腐れだな。
俺も使えるようになりてーわ…。
俺は城の広い廊下を歩いていた。
国王の部屋に見慣れない誰かが入っていくのを見つけた。
……?
俺も国王の部屋に足を踏み込んだ。
その部屋にいたのは、王様と、深い紺色の髪の男だった。
後ろ姿だったが、俺にはわかった。
(あいつは………)
俺は、その男が誰だか、知っていた。
知り合いではない。その男は、有名な奴だったからだ。
セシリア姫の……結婚相手……。
名前はヴィリ・バットラ。
確か、元々はバットラ国の王族ではなかっただろうか。
なんでこんなとこに……。
「実験は、うまく行ってますか?」
「ほっほっほ…約束通り例の薬を飲ませ、子ども達の死体を集めておるところじゃ。もう少しで必要な数に届くじゃろう。もう少し待ってくれ」
「それは良かったです。あの薬で起こる病気は医療会ですら知り得ない未知のものですから。万が一調べられたとしても誰も治せないんですよ。それじゃあこれは、約束の前金です」
ヴィリはガルサイア国王に、袋に入ったたくさんの金貨を渡した。
「ほっほっほ! さすがはヴィリ殿、気前がいい」
「いえいえ。こちらもご協力いただいて感謝していますので」
「そういえば、セントラガイト国王の娘との結婚が決まったそうじゃないか」
「はは…情報が早いですね」
「セントラガイトの権力を握るのも近いのう」
「いえ…まだ焦る時ではありませんよ」
「そうかのう」
ヴィリも国王も悪そうな笑みを浮かべている。
(実験………こいつが企てていたのか?)
「このユリウス大陸で随一の大国、セントラガイトを乗っ取れば、世界征服も夢ではないですから」
「ほっほ! これはヴィリ殿。世界征服とは、随分壮大ですなあ」
くそ……。こいつがこの疫病事件の黒幕だったのか…。
目的はなんなんだ……。
何者なんだ……こいつは……。
すると、ヴィリがこちらを向いて、目があった。
右目は前髪が長くて隠れているが、左目は完全にこちらを見ている。
レインは見動きがとれなくなった。
「どうしたのじゃ? ヴィリ殿」
「いえ…コバエがいるみたいで」
「うぬ…?」
嘘だろ?! 見えてるのか?!
レインは急いで部屋から逃げた。
誰も俺のことなんて見えていなかったのに!
いや、気のせいなのか?
くそ! あいつの殺気にビビっちまった。
地下だ……地下に子供たちの死体があるはずだ。
そこに行けば…なにか……わかるかもしれない!
レインは地下室へ下りた。
久々にやってきた懐かしの城だったが、思った以上に城内を覚えていた。
薄暗い地下室への階段を走って降りる。
初めて来た……地下室なんて……。
ここからは未知の世界だな……。
長い長い廊下が続いている。そこを抜けると、扉があった。
俺はその扉の向こうへ行った。
(これは……酷え………)
扉の向こうの部屋には、たくさんの子供たちの死体が、ゴミのように積まれていた。
部屋には誰もいない。
解剖してるなんてのは全くの嘘のようだ。
(これが……薬か?)
レインは小瓶に入れられた薬を見つけた。レインが無意識に手を伸ばすと、それを取ることができた。
(触れる……?)
レインはそれをいくつか取って、おもむろにポケットにしまった。
「おやおや…泥棒はいけませんね」
俺はハっとして振り返る。
なんの気配もなかった。声をかけられるまで、全く気づかなかった。
ヴィリが、俺の前に立っている。
「いや、驚きましたよ。あのガスを食らって起きている人間がいるなんて」
こいつはもう完全に俺が見えているらしい。
「てめえ……何者だ……」
「バットラ国の王子ですよ。今度セシリア姫と結婚して、セントラガイト国の王子になりますが」
「んなことは知ってんだよ! なんでお前は子どもたちを殺させて、死体を集めるんだ…。なんでお前だけ、俺のことが見えるんだ…!」
「そんなに熱くならないでくださいよ。そんなに知りたいなら教えてあげますよ。僕は、君たちの敵……シャドウです」
「……!!」
レインはハっとした。
こいつも……シャドウ……。
こいつは、ウォールベルトができる前から、ずっとこの大陸にいたっていうのか。
こいつの殺気…確実にレアだ…。
「もうとある1つの大陸は、シャドウに侵略されているんですよ」
「な、なんだって……」
「外の大陸を知らない君たちには、知る由もありませんか」
「………」
「僕はバットラの王子でしたが、あの方に出会って、シャドウとなりました。あの方は、僕にセントラガイトの王族になるように命令しました。君たちのアジトの場所もようやく突き止めましたよ」
「それで俺たちをレア2人に襲わせたのか」
「いや、あの2人が勝手に行ったんですよ…。あの方の器は今ルベルグの屋敷ですから、そのうちに他の奴らを殺してしまおうと思い立ったのでしょう」
「器……ヌゥのことか……?」
「そうですね。君たちの仲間になっていると知って、正直驚きましたよ」
「……」
「君たちの存在は、僕らにとって非常に厄介でした。ダハムやレニが倒されたと知って、僕たちも動かざるを得ませんでした」
「……」
俺はこのヴィリという男の話を、呆然と聞くばかりだ。
「シャドウだけの世界にして、何になるってんだ…」
「それがあの方の望みですから」
ヴィリ……こいつが何を考えているのか、全くわからない…。
「ふふ……今セントラガイトがどうなっているか、知りたいですか?」
「……?!」
ヴィリはほくそ笑んだ。
「おい! ジーマ!」
アシードが声を荒げる。
「な、なんだ………?!」
ジーマとアシードは、セントラガイトに起こる事態に気づいた。
「シャドウ……?!」
「ものすごい数じゃ!」
「国境の騎士団たちが突破されたみたいだな…」
セントラガイトの城下町に、大量のシャドウが攻め込んできている。すると、ポポが飛んできて、国王から緊急事態を知らせる手紙が届いた。
「行くぞジーマ! 立てるか?!」
「ああ!」
ジーマとアシードは城下町に向かって走った。
レインは青ざめた表情で彼に問う。
「何を…するつもりだ?!」
「セントラガイトをのっとります」
「なん……だと?!」
その頃城下町では、大量のシャドウが乗り込み、平民たちを誰かれ構わず襲っていた。街は大混乱に陥った。
騎士団たちが総勢で立ち向かうが、敵の数と力は圧倒的である。
「な、なんということじゃ?!」
国王は城から身を乗り出し、この突然襲いかかったおぞましい状況を見ている。
「お父様!」
セシリアが王の元へとやってきた。
「おお! 無事だったか」
「敵は城までは、まだたどり着いていません」
「そういえば、ヴィリはどうした?」
「今朝から…姿が見えないんです……」
「むむ…」
国王は顔をしかめる。
「今ジーマを呼んでいる。奴はアジトにおるはず。すぐに駆けつけて何とかしてくれるはずじゃ」
「……ジーマ…」
セシリアは襲われる城下町を見ながら、ただただ彼の到着を祈った。
ジーマとアシードは街にたどり着き、シャドウたちを次々に薙ぎ払っていく。
「レアはいないのか? 雑魚ばかりだな!」
「ラッキーじゃないか! ここで来られてはたまらん!」
雑魚のシャドウは2人の敵ではない。しかし数があまりに多い。
「おい! 久しぶりのごちそうだぞ! 余らすんじゃねえぞ!」
【おおお!!!! 大漁大漁!!! ひゃっはぁぁぁ!!! 全員食って最強になってやるぜぇええ!!!】
鬼は高らかと笑いながら、シャドウたちを食い殺していく。
「カトリーナ! お前の真の力を見せるのじゃ!!!」
アシードは大剣を振り回し、彼を取り囲むシャドウを一斉に払った。
レインは拳を握って震えていた。
これは……怒りだ……。
彼は獣化した。
「そうか…。獣人がいると聞いていましたが、君ですか。なるほど、獣人にあのガスは効かないんですね…」
レインはキっと彼を睨みつけた。
「俺は本当は探してたんだよ……俺の怒りを向けられる相手をな……」
フローリアが死んだ。
殺したのはアグだ。
それはわかってる。
でもアグもまた、メリのためにそれを行った。
俺はいたたまれない気持ちで、どうしようもなかった。
ただこの怒りを、殺すことしかできないと、しまいこんで。
「お前を倒すのは俺の仕事だ! 他の誰でもない! 俺がお前を殺る!」
「ふふ……レアの僕に君ごときが敵うと思うのですか?」
「やってみねえと……わかんねえだろ!」
レインは吠えながら、彼に牙を向いた。
「愚かですね…自分の力を把握できないとは」
ヴィリはその手から水を吹き出した。
(水を操る禁術…?!)
レインはさっとそれを避けた。
その水は壁に穴を開けるほどの水圧だ。
「すばしっこいですね」
ヴィリは連続して水を飛ばしてくる。その勢いは凄まじく、槍や矢よりも鋭く早い。
くそっ! 遠距離攻撃ばっかりしやがって!
レインは水を避けながらヴィリの懐に潜り込む。
「噛み殺してやる!」
レインはヴィリに正面から噛みかかった。
ヴィリは水のように身体を変化させ、それを防いだ。
身体が液体に……?!
ヴィリはすぐに元通り人間の姿になった。
「わかったでしょう。君の物理攻撃は私には効かないんですよ」
レインは牙を噛み合わせて彼を睨みつける。
「諦めて、君はもう死になさい」
ヴィリは水の波動をレインに向けた。
先程よりも大きく強い。
レインは素早くそれを避ける。
「無駄ですよ。避けていても僕には勝てませんからね」
「うるせえ!!!」
レインはもう一度彼に向かっていき、その爪でヴィリの喉元を狙った。
「ふふ……本当にバカですね。学習しないんですか?」
ヴィリがもう一度身体を液体にしたその瞬間、レインは人型に戻り、彼に爆弾を投げ入れた。
「え?!」
ヴィリの身体は水しぶきをあげて吹き飛び、その一部は蒸発してしまった。
元の姿に戻ったヴィリは、傷を負っていた。
「………貴様…」
「効いたみてーだな」
レインは爆弾をぽんぽんと手の上で軽く飛ばした。
「何発でもあるぜ……耐えられるかやってみるか?」
レインはそう言って、ヴィリを見据えた。




