誰よりも幸せになってほしいよ
部隊として1年ほど活動していると、セシリア姫が結婚するという話を聞いた。相手は他国の王子らしい。まあお姫様が、他国との関係を強化するために結婚するというのは、よくあることだ。彼女の結婚もそういう理由だろう。
その日私は、彼の様子が気になって、彼の部屋に行った。
「おい、大丈夫か」
「ベーラか…開いてるから、入っていいよ」
ジーマは事務机に肘をついて、その手に顎を乗せていた。
その表情を見るかぎり、かなりのショックを受けているようだ。
「聞いたぞ。どこぞの王子と結婚するってな」
「うん。まあ仕方ないよ。彼女は姫様だからね」
「気持ちだけでも、伝えなくていいのか」
「無理だよ。相手は一国の姫様だ。許されることじゃない」
そして彼は、私の前で涙を流した。
彼が泣いているなんて、初めて見た。
今でもはっきりと覚えている。
「どうして好きになっちゃったのかなぁ……絶対に結ばれないとわかっているのにね」
「そういうものなんじゃないのか。私には、よくわからないけれど」
彼が辛そうなのを見て、私もすごく、辛くなった。心が、痛くなった。
こんな気持ちは初めてだ。
彼がこんなに悲しんでいるのに、私には何もすることができない。
何とかしてあげたいのに。
彼に笑っていてほしいのに。
でも、無理よ。
だって私は、セシリア姫じゃないから。
私じゃ彼を、助けてあげられない。
それがすごく辛かった。
こんな気持ちは初めてだ。
私は一晩、不器用なりに彼を慰めた。
彼は私にお礼を言って、最後は笑っていた。
「僕は…この国を守る。姫様が愛しているこの国を」
「私も…力になるよ」
誰かを好きになるのって、どういう気持ち?
そんなに辛い思いをするのに、どうして人は恋などするの?
不思議だよ…。
また何年かして、シエナという女の子が仲間になった。
しばらく過ごしていくうちに、シエナがジーマに好意を抱いているのは気づいていた。
ある日、シエナが見違えるように可愛くなって、休暇から戻ってきた。
「シエナはどうしたんだ。イメチェンか?」
私はレインに尋ねた。
「ベーラにはわかんなそーだな。乙女心ってやつはよ」
「ふむ…。確かにわからないな」
(そうか。シエナは彼のために、変わったのか)
「それよりも食堂に行かないか?」
「…お前の脳みそは食うことで埋まってそうだな…」
私は、彼女のことが好きだった。
仕事にも一生懸命で、日々鍛錬を惜しまないその真面目な姿も、とても好感が持てた。口には出さなかったけれど、そう思っていた。
彼女がジーマを好きだと気づいたときも、正直嬉しかった。
もしかしたら、彼女が彼を、救ってくれるかもしれないなんて。
私には無理だけど、彼女だったら。
私は自分を変えることなんてできないけど、彼のために変わることができる、彼女だったら。
私は影から彼女を応援するようになった。
「ねえベーラ! 話があるんだけど!」
シエナはそう言うと、私を自分の部屋に招き入れた。
彼女の出窓には、見慣れた白い花が飾られていた。
「なんだ突然」
「ベーラは、ジーマさんのことよく知っているんでしょう?」
「いや、そんなに知らないが」
「嘘よ〜! だってもう何年一緒に仕事しているの?!」
「国家専任呪術師だった頃から数えたら、10年は超えるか」
「そ、そんなに長い間…!」
「まあ、腐れ縁だろう」
「ねえ! ジーマさんの好きなものとか知らない?!」
「さあ…」
シエナは布団の上にごろんと転がった。
「ああ〜ベーラなら知ってると思ってたのに!」
「役に立てずに申し訳ない」
「はぁ〜まあいいわよ。自分で聞き出すわ!」
シエナは寝転びながら私を見て言った。
「ベーラって何歳なの?」
「明後日30歳になる」
「え? そうなんだ! おめでとう! 皆でお祝いしないとね!」
「そういうのはいい」
「ジーマさんと2つしか変わらないんだ〜いいなぁ…」
「三十路を迎える私に対してはある意味嫌味になるぞ」
シエナはふと、こんなことを言った。
「ベーラって、ジーマさんのことが好きなのかと思ってた」
「他人を好きになったことは、ない」
シエナは胸をなでおろした。
「そう! そうよね! ベーラはそういう、恋愛とか興味なさそうだもんね!」
「興味ない」
「そうよね! ベーラだもんね! 良かったあ〜」
彼女は笑いながら、起き上がった。
「シエナ、その花」
「ああこれ? ベーラの出した土から咲いたのを見つけたから、とってきちゃった! だめだった?」
「構わないが、これは眠り花と言って、花粉を吸うと半日は寝てしまうぞ」
「ええ?! そうなの? あっぶない! 知らなかった!」
「まあでも、別名は夢の花と呼ばれていて、ぐっすりといい夢を見ることもできるぞ」
「そうなんだ…。ならもう少し飾っておこうっと! ベーラってお花好きなの?」
「いや、別に」
シエナは既に土に落ちていた眠り花を拾って、ベーラの頭に掲げて、ベーラの髪型に合わせる位置に花を持ってきた。
「似合う似合う! ベーラって可愛いよね!」
「やめろ。くだらないことは」
ベーラがシエナの手をはたくと、花粉が出て、その日2人は半日眠ってしまった。
ある日私は、彼も彼女が好きになっているということに気付いた。
それがいつからだったのかはわからない。
もしかしたら彼女が変わった、あの日からだったのかもしれない。
ウォールベルトでの戦いを経て、帰路に帰る途中だった。
「あの子は……いい子だね」
「うん…。ベルも誰かに叱ってもらわないと、辛かっただろうしね…。本当は僕がやらなきゃいけなかったんだけどな…。シエナに助けられたよ」
「ふ…。お前があの子を好きになるのも、よくわかるよ」
「はは……そう?」
「ああ。私もたまに、思うことがあるよ。あの子みたいになれたらって」
「え? 君が…? どうして?」
「さあ。どうしてだろうね」
私にも、わからないよ。
「ベーラはベーラのままで、いいじゃないか」
「ふふ…まあそれでもいいよ」
この気持ちは、なんなんだろう。
わからないよ。
誰か、教えてくれ。
そしてついに、彼が皆の前で、シエナとの結婚の約束を公言した。
私は彼らに、拍手を贈った。
その時の、彼の幸せそうな笑顔が、忘れられない。
その日、私は自分の部屋に戻ったあと、涙が溢れた。
何……これ………。
何の……涙なんだ………。
わけもわからず溢れてくる涙に、ベーラは戸惑った。
ベーラは、そんなことを思い出して、
今になって、初めて気付いた。
いや、本当は、気づかないふりをしていただけなのかもしれない。
彼を困らせたくない。
彼女を悲しませたくない。
誰も得をしない、無意味な恋だから。
でも…。
私は、彼のことが好きなんだ。
初めて彼の笑顔を見た日、もしかしたら、あの時からだったのかもしれない。
思えば、城にいるとき、練習場を眺めると、無意識に彼のことを目で追っていた。
いつも1人でいる彼が、アシードとだけは話をしていたこと、私は知っていた。
セシリア姫に恋する彼は、幸せそうで、私も彼から話を聞くと、嬉しかった。私は幸せのおすそ分けをしてもらっているんだと思っていた。
こんなに暖かい気持ちになったのはいつぶりだろうか。彼が喜ぶ顔を見ると、私は幸せだった。
私は、彼の笑った顔が、好きだった。
シエナと結ばれた彼がその笑顔を見せたとき、私はすごくすごく、嬉しかった。
なのに、涙が出た。
だって、私じゃなかったから。
彼の笑顔が見たいのに、彼を幸せに出来るのは私じゃなかったから。
私じゃ、彼にあんな顔をさせてあげられないから。
それがわかってしまって
それが、すごく
辛かったから。
「ねえキサティ、私のこの気持ちも、恋なのか……」
ベーラの目には涙が溢れていた。
「ええ。あなたは恋している。とっても素敵な恋よ。あなたの愛は、美しい。嫉妬だらけの人間たちの恋の香りの中で、あなたの香りは驚くほどにそれがないわ。おおらかで、暖かくて、彼のことを大切に思っている。心から彼の幸せを願っている。こんなにいい香りは初めてよ」
そうか…。
私も…恋していたのか…。
ベーラはほんの少し口元を緩め、笑った。
「力を貸してくれるか…キサティ」
「もちろんよ!」
キサティはベーラに力を送る。
(これが…妖精の力……?!)
ベーラは今までに感じたことのない溢れ出る力を感じた。
倒せる…これなら…レニを…!
ベーラはキサティの力で、暖かい光に包まれた。
【うふふ…今更何を……恋の妖精など、この世界で一番無力よ!】
「そうは思わないが」
【そうかしら? あなたたちはもうすぐ、死ぬというのに】
すると、ヌゥを蔓が完全に覆った。
【さあ、これで、私の歌を聞いているのはあなたたちだけよ。気絶している奴らも、全員死ぬのよ!】
レニは破滅の歌のラストスパートに入った。
レニの大きな悲しみが、ベーラに襲いかかった。
しかし、キサティの光がベーラを守った。
痛みを、感じない。
【な、なんですって?!?!】
自分の最強の技が効かないことに、レニはうろたえた。
「レニ、お前の悲しみもわからなくはない。しかし、お前は間違っている」
【私は間違ってなんかないわ! 私を騙したあの男が悪いのよ。もう二度と、恋なんてしないと私は誓ったの。それなのに、恋の力なんかに、負けてたまるものですか!】
「お前が愛した相手はひどい男だ。しかし、お前がその男に抱いた気持ちは、間違いじゃない。悪いことでもない。人を好きになるのは、素敵なことなんだ」
ベーラは身体から溢れ出るそのキサティの光を手のひらから放出した。
【やめろ…私は…私は…こんな力に…屈するわけには…!!】
その光はレニを浄化し、彼女を天に送った。
ベーラはその場に手をついた。
「ベーラ!」
キサティは彼女に駆け寄った。
「大丈夫?!」
「ああ…すごい力だったから……反動で身体が……動かないだけ」
ベーラは少し微笑んで、彼女に言った。
「うわっ!」
レニが死んで、ヌゥを縛っていた蔓が消えた。
ヌゥは身体をよじって受け身をとる。
レインを貫いたトゲも消え去り、地面に打ち付けられた。
「ゔ……」
レニの歌によって心を奪われていた妖精たちも我に返り、気絶していたものもだんだんと目を覚まし始めた。
「リネット!」
キサティはリネットを見ると叫んだ。
「私に宿りし癒やしの力よ…ここにいるすべての者を救いたまえ…!」
彼女が祈りを捧げると、城内にいた皆のキズが治っていった。
「皆! 大丈夫?!」
ヌゥは仲間の元に駆け寄った。
「ああ…」
ベーラは答えた。
「うう…」
アグも目を覚ました。
「アグは?! 大丈夫?!」
「大丈夫……気絶していただけだ……」
レインも人の姿になって、彼らの元に合流した。
「レイン!」
「死ぬかと思ったけど、無事みたいだ」
キサティは、死んだ妖精たちを見ていた。
「私のせいね……」
リネットとウルは、キサティに近づいた。
「キサティ様! ご無事でしたか?!」
「ウル、リネット…」
「キサティ…様ぁ?!」
レインとアグは声を揃える。
「彼女は、妖精の国の女王らしい」
ベーラが答えた。
「あなたたちのことも、酷い目に合わせたわ…。本当にごめんなさい」
「ん? 何のこと?」
「仲間の妖精たちも……。私はもう、女王を名乗る資格がないわ」
ベーラはレインとアグを引っ張ると、城をあとにした。
ヌゥもそれを見て、ベーラについていった。
「レニを倒したのはお前の力だ。妖精の国の女王よ。私達の役目は終わった」
「ベーラ……」
彼女たちが帰っていく様子を、キサティは見ていた。
「キサティ様!」
「お怪我はありませんか?!」
キサティの元には、彼女を慕う妖精たちが集まっていた。
ベーラが1人、先に歩いていくと、彼女の隣にヌゥがやって来た。
少し後ろから、レインとアグも歩いていた。
「ねえ! ベーラは、ジーマさんのことが好きなの?」
「そんなこと、言ったか」
「言ってなかったっけ?」
「言ってないよ」
ベーラは彼を横目でちらりと見ると、また前を向いた。
「ジーマさん、結婚するんでしょ?」
「そう言っていたな」
「良かったね!」
ベーラがヌゥを見ると、彼は屈託のない笑顔を浮かべていた。
「好きな人が結婚して幸せになるなんて、すっごく嬉しいよね!!」
ベーラは目を丸くして彼を見た。
そのあと、ベーラは声を出して笑った。
「あははははっ!!!」
「え? 何がおかしいの?」
後ろから彼女が笑ったのを見ていたアグとレインは、顔を見合わせ、もう一度ベーラを見た。
「ベーラが……」
「笑ってる……」
ベーラは笑いを落ち着かせると、彼に言った。
「ヌゥ、あのくだらない同盟は破棄だ」
「え? 何で?! 何で?!」
「なんでもだ」
「え? ベーラは恋ってなんなのかわかったの?」
ベーラは何も言わず、笑って、彼を置いて走った。
「ああ! 待ってよベーラ!」
ヌゥは彼女を追いかけた。
「おい、何だよいきなり!」
「ああ、待って!」
レインとアグも、2人を追いかける。
そよ風が、心地良い。
虹色の草原の上を、駆け抜けていく。
ベーラは少し走ったあと、茂みにごろんと転がった。
「ふぁあ! 追いついたぁ!」
ヌゥも横に、ごろんと転がった。
「おい、なにやってんだよ…」
レインとアグも追いついた。
ベーラは空を見上げた。
わかったよ…私にも…。
彼女はとても、清々しい気持ちで、太陽の光を感じた。




