ヌゥとアグ(※)
「ねぇ、アグ。今は一体何時だと思う? 多分早朝かなぁ〜、うん、絶対早朝! 5時すぎくらいかなぁ。ほら、たまに早起きしちゃう日ってあるでしょ。絶対まだ寝ていられる時間のはずなんだけど、何だか頭が冴えてきた。目もばっちり開く。よし起きるかって! うん、今日はいい朝だなって、そんな気分!」
黒髪の男は問いかけた。まるで女の子のようなくっきりとした高い声であった。黒髪の男のすぐ隣には、アグと呼ばれた男が向こうをむいたまま横になっている。
アグの髪は赤みのある明るい茶色だ。でもこの暗がりの部屋では、その色も黒髪に見えなくはない。そして二人の男の髪はまともな手入れがされておらず、どちらも肩を超えて腰の辺りまで伸びきっている。
「てかさ、今は何月なのかな? 肌寒いし、もう秋頃? 何だか涼しくなってきたと思わない? そろそろさ、長袖にしてもらった方がいいよね? 今日カンちゃんにお願いしようかなぁ〜」
黒髪の男は話をし続けるが、アグは横になって後ろを向いたままで、微塵も反応がない。いや、反応しないのだ。理由は2つ。アグは眠くて仕方がないことと、彼と話すこと自体が非常に面倒くさいからだ。
(うるせえな)
黒髪の男はアグがどんなに無視をしても、気にもとめずに話を続ける。答えずとも質問を次々と繰り出す。そしてその内容も、いつもどうでもいいことばかりだった。
「そういやさ、アグはここから出たら、何かしたいことある?」
(したいこと……)
目を閉じても耳を閉じることは当然出来ず、一度目を覚ませば最後、黒髪の男の声が永遠に聞こえ続ける。周囲の音がまるでない静寂なこの部屋の中は、驚くほど沈黙になってはくれない。
(あるよ。もちろん。でもな、ヌゥ、お前に話すことじゃあない。そもそも、ここから出られる日なんて来ない。それはお前もわかってるだろう……)
心の中では返答を続けながらも、アグはだんまりを続ける。
(ヌゥ、俺はな、まだ眠いんだ。まだ寝てるんだ。お前の声なんて聞こえちゃいない。話しかけても無駄だ。はぁ…こいつのせいで何か目が覚めてきちまったな……クソ……)
脳内で何らかの思考が始まれば最後、それをやめることもまた難しいのだ。
(今何時だって? 絶対まだ深夜の3時とかだろ? 俺はそのくらいの気分だよ。起きて、時計見て、まだ寝れるじゃん!って安堵して、幸せにもう一眠りする気分なんだよ……)
「俺はね、そうだなあ…。リアナに会いたいかな」
「?! 何でお前がリアナを知って…?」
しまった……とアグが思った時にはもう遅かった。体操座りをしていた黒髪の男―――ヌゥ・アルバートは、顔が見えないくらいに長く伸びたボサボサの前髪をめくりあげて、ニヤっと笑った。
「なんだ、アグ起きてるじゃん!」
「お前がうるさくしつこく話しかけるからだろ」
「ひどい言い草だなあ」
「で、何でお前がリアナを知ってんだよ」
「知らないよ。そんな人」
「はぁ?! じゃあ何で……」
ヌゥの瞳は、透き通るような水色だ。その瞳はいつも、真っ直ぐにアグの瞳を見つめている。その一際美しいブルーの瞳と目が合えば、まるで呪いでもかけられそうな、あるいは心の中が読まれそうな気がして、アグはいつもすぐにヌゥから目をそらしていた。
「アグがね、寝言で言ってたんだよ。リアナに会いたいって。1回じゃないよ。何回も。その人、アグの大切な人なんでしょう。だからさ、会ってみたいなって」
「何だそれ…」
アグは大きなため息をついた。
(クソ……よりによってこいつの前で何言ってんだ俺。そもそもそんな夢見たことあったっけ? はぁ……別に俺は会いたくねえよ。もう一生、会うことなんてねえんだよ)
「あとはバッサリ切りたいかな、この髪を!」
「それだけかよ……それこそカンちゃんに頼めよ」
「うん、まあそうなんだけどね」
ヌゥと話をするのは本当にくだらないと、アグは思った。アグはヌゥが何を考えているのか、さっぱりわからない。
「お前が会いたい奴はいねえのかよ。俺の知り合いなんかじゃなくてさ」
「いないよ」
ヌゥはまるで考えもせずに即答した。その解答ばかりはアグの予想通りでもあった。
(だよな)
ヌゥの家族はもういない。ヌゥが住んでいた村の住民は、一夜にして全員その命を落とした。
(知り合いはお前が全員殺したんだもんな。大量殺人鬼さんよ)
当時まだ幼かったヌゥが死刑にはなることはなかった。しかし無期懲役は確定。ヌゥ・アルバートは、終身刑だ。
(まあ俺に言われたくはないか)
そしてアグ・テリー、彼もまた、同等の罪を犯した終身刑囚人である。
「俺の知り合いはアグだけ。他にはだーれもいない。もうみーんな殺しちゃった!」
ヌゥはニヤついた顔で言った。ヌゥはいつもニヤつき、並びにヘラついている。アグはその昔、ヌゥの不気味さに怯えていた。ヌゥに殺されるのではないかと日々恐怖していた。
しかしそれも最初の内だけであった。アグはヌゥと牢獄を共にしてもう10年近くなる。アグたちは今年の冬で20歳になる。
アグはヌゥが自分を殺さないことを理解した。アグはヌゥの大切な話し相手なのだ。1人きりでここにいるのは相当退屈である。もしアグを殺してしまったら、次に誰かがここに入ってくるのに何年かかるか。いや、二度と入ってこないかもしれない。だからヌゥは自分を殺さないのだと、アグは承知していた。
ここは、無期懲役を言い渡された極悪犯罪者だけが入る、たった1つの特別な独房だ。彼らの国―――セントラガイトでは大量殺人を犯せば即刻死刑となる。しかしアグたちが殺されなかったのは、罪を犯した年齢があまりに低すぎたからだ。10歳以下の子供であれば、それが例え死刑レベルに酷い罪であっても、無期懲役以上の刑にはならない。それがこのセントラガイトの、並びに多数の周辺国も含めての、決まり事である。
「知り合いなら他にもいるだろ」
「え? 誰?」
「カンちゃん」
「あぁ、そっか!」
ヌゥは笑った。屈託のない笑みだ。アグがこの笑顔に怯えることはもうない。ヌゥは大きく両腕をあげ、うーんと伸びをした。
「あ〜お腹すいちゃった。でも朝ご飯まで、あと2時間くらいあるよねえ。早く起きすぎちゃったなあ」
「いや、あと4時間くらいあるだろ」
「ええ?! だって今は5時でしょ。朝ご飯は7時でしょ?」
「5時はお前の体内時計での話だろ。絶対まだ3時くらいだっての」
「そんなはずないよ。もう外では太陽が差し込んでる時間だって」
「いや、この部屋窓がないからわかんねえし。いいからもう1回寝ろよ」
「ええ〜! 今から寝たら絶対寝過ごしちゃうよ。寝過ごしたら朝ご飯が食べられないじゃん」
「うるせえな。起こしてやるから黙って寝ろ」
アグはそのままヌゥが見えないように横になり、再び目を閉じ就寝を試みた。
ここは特別独房。極悪犯罪少年の住処である。
窓はない。布団もない。あるのは冷たく硬い石造りの床と、かろうじて薄い掛け布団代わりの布切れだけだ。
アグはそのボロボロの布切れを腹にかけた。今の季節はこのくらいで充分だとアグは思っていたけど、確かな肌寒さをアグも感じる。寒いのが得意なアグであったが、それでも寒さを覚えるということは、秋の中盤に入っているかもしれない。
「はぁ〜。今から寝るのって結構至難の業だよ。全然眠くないしさ。眠くなってきた時に限って、絶対朝ご飯の時間になるよ。俺、ほんとにそれ、嫌なんだよね〜」
アグは目を強く閉じる。どうして人間、耳は閉じられないんだろうだなんて、くだらない思考が始まる。
(カンちゃんに耳栓お願いしよう。うん、それがいいや)
ブツブツ話しを続けるヌゥを無視して、何とかもう一度アグは眠りについた。