第二章27 『不安視』
イツキの帰還から二時間後。セレネを含めるほとんどの者が寝静まった真夜中。
イツキ、シル、ガイルの三人は小さな明かりの元に談話していた。
「――するてっとォ、お前はやっぱ死神にあったんだな」
「ま、多分だけどな。……って、なんでわかんの?」
ただでさえギラつく瞳を明かりの光でさらにギラつかせるガイルの直感に驚くイツキ。彼の服はいつも寝巻きとしている集落のものとは異なり、このルクス邸に置いてあった客人用の寝巻きで、和装に近い形をしている。
「あァ? そりゃ道端で伸されてたお前を運んだのァ俺だからだろォが」
「そりゃ助かった。で、なんでわかんの?」
「あなたが見つかった時、その姿は無惨なものでした」
「無惨って……俺、ちゃんとした記憶ないから何があったのか……。まぁ想像はつくけどよ」
二人の言葉に割って入るのはつい先程まで隣のベッドで寝ているパルムを寝かしつけていたシルだ。
シルの遠慮のない表現に顔を引きつらせつつ、先日の出来事を頭の中で思い出す。
イツキの記憶の中では、死神と鉢合わせた瞬間、自分の視界が天を向き、月が二つに見えた。
「……ん? 二つ……?」
本来一つしかないものが二つに見えるのは、泥酔などで脳に影響を与えたか、あるいは距離感の差分か、または、普通一定距離にあるはずの双睟が何らかの状況により唐突に変化した場合。
イツキは当然、泥酔などしていないし、月が近づいて来るわけもない。なら、目の高さ、あるいは距離が唐突に変化したのか。
普通ありえないことではあるが、その条件と可能性は簡単に想像できるのが辛い。
「ってことは俺は死神に頭真っ二つにされたってことか!?」
「……んむん……」
「おっと……」
イツキの声で寝静まったパルムが反応する。慌てて口を抑えるがその反省の態度を前にしてシルの手刀がイツキの額に当てられる。
「もう一度二人になりますか?」
「怖い怖い。てか二つにはなったかもだけど二人にはなってない」
先刻エリシアにも似たように箒を突きつけられたが、シルの場合本当にできそうなのが怖い。
両手を合わせ謝罪するイツキはその記憶の中で一つ、気になったことを思い出す。
「そういや死神って、子供だったんだな」
当時、意識なんてものはミリ単位では数えられなかったが、記憶というものはその一ミリ以下の意識の中で作られていく。その記憶によると、死神は、言ってみればシルより小柄で、少なくとも大人ではないと考えられた。
さらに言えば、垣間見える腕や脚は細く、考え難いが女性である可能性もある。いや、考え難い、は違う。実際にこの世界では女性であれど思わぬ力を持つ者が大勢いる。
「亜人の可能性は高いな……」
思わぬ力、から連想されたのは亜人という存在。シルやパルムのような魔導士の可能性もあれば、ネルやルボンのような獣人の可能性もある。というのも、アルベルトの話によれば、死神は強力な近接攻撃と魔法のような間接攻撃も可能だという。
細いルボンがイツキを抑えることができるほど、獣人には怪力が備わっている。魔法も魔導士と同様。
「もしかしたら魔導士と獣人のハイブリッド……ってこともありえるな」
「混血、ですか……。しかし……」
漏れるイツキの思考にシルが割り込む。だがシルも言葉を詰まらせ、その先を噤む。
その補足をするのがガイルだ。
「混じりは産まれてすぐ死ぬ。ここ数年、亜人の数が減ってることぐらいお前も聞いただろ? それでも子孫を残そうとした結果、その子供は全滅だ」
「っでもなんで死んでしまうんだ? 人間だってハーフとか色々あるけどそれが原因では死なねぇぞ?」
シルから聞いたのは亜人が狩られる立場にあることと、人間との戦争を繰り返していること。その結果として、亜人の数が減ることは理解できる。だが、混血だからといって、子供が死ぬことは理解できない。
「マナです」
「マナ? それになんの関係が?」
「マナは不足すると外気から吸収されますが、過剰に体内に存在するとそれを放出するための行動をしなければなりません。魔導士であれば魔法を使い、獣人であれば獣化する。様々な種類の亜人がいますが、各々、体内のマナを使用して特性を活かしています。しかし、人間が産まれた時から言葉が使えないのと同じように、亜人も産まれた瞬間から特性を活かすことはできません」
「マナが多くて何がまずいんだ? それが亜人の力の源になってるんならむしろ歓迎モードにならね?」
「確かにマナが多いだけで死ぬことはありえません。それで言うのなら、パルムにマナを与えられたカインは今頃死んでいる可能性だってあります。イツキさんの言う通り、マナが溢れるようにあることは大変喜ばしい。ですが、混血の場合、異なる特性二つにマナが反応します」
シルは一枚の紙とペンを取り出すとわかりやすく図式化して説明し始めた。以前と同じようにイツキにわかるように日本語を混じえて。
「亜人は元々、体内を巡るマナに干渉することで対応してきました。それはつまり、干渉できない場合、体内のマナに耐えられなくなるということです。種族として産まれた時からある程度干渉することができるため、普通の亜人はこうして成長することができます。しかし、混血となると違った種の対応と大量のマナの放出が同時に求められるため、それに耐えられなくなった脳や細胞が腐敗していくんです」
「な、なるほど……? とにかくあれか。ハーフの亜人はありえないってわけか」
「いや、そうとも言えねぇ」
シルのわかりやすい説明にもついていけなかったイツキが最初から出ていた答えを繰り返したところで、それさえも否定された。
しかめっ面で否定したのはガイルだ。彼はどこか嫌そうな声色でその続きを吐く。
「その死神ってのが混じりの可能性は十分にある。ってぇのも、そいつは前にハサンっつー集団にいやがった。そのハサンの中にゃ顔を晒したやつも多い。そん中の『バルガス』ってのが間違いなく混じりだ」
「バルガス……? 何と何との混血なんだ?」
「……人虎と……麒麟だ」
人虎。文字通り人と虎の亜人だろう。だが、麒麟とはいかなるものか。
イツキもここで「そいつは首が長いのか?」などと巫山戯た問いを投げかけることはない。
麒麟と言えば、おそらく伝説上の麒麟の方だろう。この世界ならその伝説上の動物が実在してもおかしくはない。が、それがどういった姿なのか、大変興味深いものである。
そう思うからこそ、麒麟という人種について疑問が浮かぶ。いや、どちらかと言えば麒麟は動物か。
「それでどんな姿なんだ? ……ってのは今はいいか」
「まぁ簡単にいやぁハサンには他にも混じりがいてもおかしかねぇってことだ」
「じゃあ死神繋がりでそのハサンについてもちょっと聞きたいところだ」
イツキの要求に答えるのはシルだ。彼女はガイルとは異なり、情報収集によって知識を得るタイプだ。ちなみに、ガイルは自ら噂へ乗り込んで自分の目で確かめるタイプなので、おそらく今彼が述べた情報は実際に見たことなのだろう。
「ハサンとは言わば宗教団体ですかね」
「宗教? 神でも崇拝してんのか?」
「あながち間違いではないですね」
嘲笑しながら滑稽に扱う言葉をシルに否定され、イツキは空気を変える。ガイルの過去の話とも関わりがある可能性が出てきたからだ。
神、なんてもの、信じることは難しいが否定することも怪しい。だからこそ、イツキは今の話題を嘲る対象から真剣に考える対象へと意識変更したのだ。
「まず先にお伝えしておきますが、ハサンは極めて悪。決して関わっていい集団ではありません」
「まじか……。バルガスってやつなんかめっちゃ強そうだからあわよくば協力を、って考えてたんだけど」
イツキの脳内では、亜人イコール強いというイメージがある。その強い亜人をセレネの王選の戦力として迎え入れることができれば、ガイルに加えてあらゆる攻撃的な敵意を防ぐことができる。と、考えてはいたのだが、どうやらそうもいかないらしい。
「いえ、万が一遭遇してもすぐにその場から離れてください。とはいえ、ハサンの多くは姿が不明で遭遇したかどうかは自分では判断できないでしょう。ですが、遭遇は飽くまで万が一。ハサンの団員は世界中にいますが、非常に少ない。そう簡単には遭遇しません。ただ、どこかへ外出した時、あるいは誰か訪問者が来た時、自身の体や精神に異変を感じたらすぐに伝えてください」
「そりゃなんだ? 直接関わらなくても影響あるってことか?」
「その可能性があるということです。イツキさんは大丈夫だと思いますが」
確かにイツキの体質、自然治癒なら傷はなんとかなるだろう。しかし、精神面となるとイツキは少し脆い。
ある程度ハサンについての注意事項が述べられた後、その詳細が明らかになる。
「ハサンという宗教団体は暗殺教団で、読んで字の如く、暗殺を得意とする傭兵が集まります。ガイルは数名との戦闘を経験したことがあるようですが――」
「どいつも生半可な実力じゃねぇ……。ぶつかった奴の中でも潰し損ねた奴の方が多いくれぇだ」
ガイルの強さ、というのは、イツキにはざっくりとしかわからない。それは、圧倒的な力の差というものが存在しており、イツキとガイルでは戦闘ではなく、一方的な暴力になるからだ。
だが、イツキは少なくともガイルが他と一線を画するほどの実力者であることは理解している。
そのガイルが勝ちきれない相手となると、確かに生半可なものではない。先程名の上がった『バルガス』という人物もガイルとほぼ互角かそれ以上の実力者なのだろう。
ガイルの先程の顔色を思い出しながらイツキはそう推測する。
「ハサンの中では順位が定められており、総数は不明ですが、少なくとも十人、いえ、二十人以上の団員がいると考えられます。ガイルが出会った中で一番順位の低かった者が丁度十位の者でした。ちなみに今現在、『バルガス』は一位らしいです」
「やっぱバルガスってのがつえーのか……」
「そうですね……。ガイルとクロトさん、二人がかりで闘えば間違いなく勝てるとは思いますが、今はどうかと。それに種族が種族です」
「麒麟ってのはそんな面倒な種族なのか?」
「いえ、不安視しているのは人虎の方です。もちろん麒麟という種族は不明な点が多くありますが、人虎の危険性は明確です。何せ成長限界がありませんから」
「なんだそれ、羨ましいことこの上なしだな」
暗殺教団、ハサン。人智を超えた者がいることは間違いない。いつか遭遇してしまうのではないかという不安がイツキの脳裏を過る。その不安を紛らわす冗談も、いずれ冗談では済まなくなるだろう。
願わくば、セレネの夢だけは邪魔して欲しくないものだ。
「そして、死神についてですが、ハサンの団員だった頃は一位だったと言われています」
「元一位、か……。てか、そんな情報誰が言うの」
「死神がハサン抜けたっつぅのは仲間内での争いが原因らしい。そんで抜けた死神を抹殺するとかなんとか言ってたのが何人かいてな」
「あらヤダ」
もしそれが本当なら、内輪揉めでの壊滅、なんてことになってくれればいいのだが、元一位だけあって、死神は恐ろしく強い。強さに鈍感なイツキでも、ガイル並に強いのはわかる。いや、体感上に過ぎないが、素早さだけならガイルを遥かに超えている気がする。
シルが危険視する『バルガス』の戦闘力がガイルと同等だとすれば、死神を倒すことができる団員はいないだろう。まして、今聞いた話によるとハサンは個人で疎らに活動しているようで、少なくともそういった状況が続くのなら、ハサンの自滅は妄想に留まることだろう。
「話を戻しますが」
再び一人思考に落ちるイツキ。シルは彼が顔を上げるのを見て、本題に入ろうとする。
「全世界に散布しているハサンが死神を追っている。そしてもし、イツキさんが見た人物が本当に死神なら、いずれこの国にもハサンの手が伸びることでしょう。今死神がなんのためにここに来ているのかはわかりません。ですが、接触は避け、ルクス家に目を映らせないように注意してください」
「いや、待て」
シルの忠告の後、イツキが待ったをかける。シルの言葉の中で気にかかる情報があったからだ。
「死神ってそんな近くまで来てるのか?」
「イツキさんが倒れていたところまでは来ているはずですね」
「それってのは……?」
「以前休息を取ろうとした町にも届かないところでしょうか。ルクス領の少し外と言った方がわかりやすいですかね」
「……恥ずかすぅい! ああ恥ずかすぅい! 一人で集落まで帰ってた夢見てたよ。恥ずかし!」
「それにわざわざ遠回りしようとしていましたね。以前地図を渡した時は『完全に覚えた』と言っていましたが」
「それは王都からここまでのルートの話! だってシルがあの集落の場所を地図に書いてくれてないんだもん!」
子供のように駄々を捏ねるイツキが倒れていたポイントは、ルクス領から王都を通過して集落までの道程の二割程度の場所だったようだ。
その騒がしいイツキの額に再びシルの手が当てられたことにより室内は静寂に染まる。
「とにかく、死神には気をつけろってことだな。了解」
「それとイツキさんの傷ですが……」
適当に纏めたイツキに対し、シルがまたも言いにくそうに告げる。
「あなたの首から上は一度完全に体を離れています。ガイルが見つけた時は既に完治に近い状態ではありましたが、普通離れた部位を繋げるのには時間がかかります」
「でもま、俺の回復力ならすぐ治ってもおかしくはないだろ?」
「それは離別した体についても言えることですか? それに問題はどれくらいの時間で治ったかよりもどうやって治ったかです」
確かに、今まで致命的な怪我が治るのは見てきたが、その中で体が分離したことは一度もない。
「離れた部位が引かれてくっついたのか、あるいは体から再生して行ったのか。以前、イツキさんの髪の毛を抜けばすぐに生え変わりました。つまり、後者の可能性が高い」
「勝手に髪抜くのやめてもろて……。でも切り離されたのが勝手に引き寄せられるってのは回復の領分を完全に超えてるからな。確かに再生ってのがしっくりくる」
「そうとなると、ガイルが発見した時、その場には切り離されたはずの体、または頭があるはずです」
「まさかなかったとは……」
そのまさかの答えを横目でガイルに求める。しかし、彼も首を縦に振らない。
「いや、そこにあったのはイツキの死体と」
「死体って言うなよ」
「血ィだけだ」
「考え難いことですが、分離された二つの部位がそれぞれ再生し、もう一人のイツキさんが生まれた、のかもしれません……」
深刻な表情のシル。彼女がこの可能性を述べるのは、切り離された部分が脳を含む頭だからだ。
人間の体の中での司令塔である脳と、血液を巡らす心臓。どちらもが再生の中心となりうる。
たとえ腕が切り落とされたとしても、腕から体が再生することはないだろう。しかし、体と脳なら、どちらもありえるのだ。
「そして、早く回復したイツキさんは一人でどこかへ、あるいは本当に集落まで帰ったのかもしれません」
「……。夢の中で見たことは本当だったって可能性もある……のか?」
「それはわかりません。一人で動いた、ということであれば、人格が芽生えたということでしょう。記憶が共有されるとは考えにくい」
考え込むイツキとシルに珍しくガイルが彼なりの気遣いの言葉を出した。
「もう一つの可能性としちゃ、死神が片方を持ってったとかな」
「そうであった方が嬉しいようなそうでもないような。もう一人の俺も無力だからいても問題ないと思うが……」
「死神が拾ったとすれば既にイツキさんは目をつけられているということになりますし」
「げ……。そりゃダメだ。どっかの犬に食われたことにしとこうぜ? な?」
「とにかく、これからしばらくは落ち着いてはいられません。全て万が一に備えた行動を心がけるようお願いします」
ガイルの励ましも虚しく、結局茶化す役はイツキになる。シルはそれをもスルーして再度注意し、明かりを消した。
それを合図としてイツキとガイルは立ち上がり、部屋を後にする。二人とも自室までは一言も発さず、各々考え込む時間を過ごした。
セレネの王選のこと。死神とハサンのこと。存在するかもしれないイツキの別個体。
イツキの頭の中で優先順位をつけるのは、案外容易いことだった。




