第二章23 『反駁』
「――九日後、王都にて王候補者の演説会があります」
とある夜。シルの口から唐突にそんなことが告げられた。
場所はシルの部屋。パルムに呼ばれたイツキはシルの部屋まで来ていた。その場には既にガイルとカインも揃っていた。
「そりゃまた急な報告だな。いつもながら」
「何も決まらずに報告しても困惑させてしまうだけなので」
「回らない頭持ちで悪ぅござんした! ってボケるのはもういいや」
いつもの調子で騒ごうとしたが、雰囲気に負ける。
この面子でこうして揃うことも最近はあまりなくなってきていた。シルはセレネとの会議に務め、ガイルはそれに同行し、カイン、パルムはイツキとともに村まで出ていく。そんな日々を送っていた。
しかし、その日々が無駄に流れていった訳ではない。少なくとも、イツキにとっては考えを巡らすための時間を稼ぐことができたと言える。
今、ここでその考えを言おうとは思わないが、王選が始まる前に、セレネにだけは伝えておかなければならない。
「……それで、俺たちに話すことができるほどにはまとまったんだろ? どうするんだ?」
「ええ。ですが、イツキさんが気にすることはありません。王都へはセレネさん、ルシールさん、ガイル、私の四人だけで行きます。カインとパルムには邸に残ってもらい、いざという時に備えてもらいます。それと一応演説内容というものは決まりましたので……」
シルは口調を変えず淡々と説明し、イツキの反応を見ることもせずに本格的に王選が始まる旨を話し始める。だが、イツキはそのことも、話の内容もほとんど頭に入れていないままだった。
解放された少女、フュテュールは順調に回復し、エリシアに様々なことを教わりながら、少しずつ邸での生活に慣れてきていた。それでも皆の前で何かをすることをまだ恐れているようではある。
パルムも村の子供たちと仲良くやっているようで、カインはその輪には入れていないが、子供たちは亜人であることを知ってなお、カインを迎え入れようとしてくれている。
村民も変わらず平穏な日々を送り、そこに悲劇など感じさせない。あってはならない。
セレネやシルが目指している目標は、誰もが不幸から守られ、平等のもと平和な国を作り出すことである。その目標へはただならぬ道程で、成功の可能性もまた低い。もし、それが失敗に終われば――。
ある程度の説明を受け、それぞれ解散となったのは、日が暮れて夕食の時間になろうかという頃。一度部屋に戻って便所に籠もったイツキは空腹を感じ始めていた。食卓、という表現では足りないその部屋までにカインの部屋、ガイルの部屋、シル、パルムの部屋が順に見える。
カインの部屋は既に無人で、ガイルの部屋からは彼の雰囲気が。シルたちの部屋からも同様に彼女らの雰囲気を感じるのかと思いきや、あるものを発見し、それどころではなくなる。
シルの部屋の扉をノックし、
「あのな……これ……」
そう言って、出迎えたシルに渡したのは小さな白色の布で大きな穴が一つ、小さな穴が二つ空いている。その縁が縫われて丸く作られている。手にとったその布は人間の温かさが残っており、若干の匂いも残っていた。
「これはパルムのですね」
「……?」
簡単な言葉で表すのなら、イツキが拾ったそれはいわゆるパンツというもので、サイズからしてパルムのものだということもわかっていた。
シルが冷静な調子でそれを見つめ、確認が取れたところで本人であるパルムがやってくる。彼女は何のことかわかっていない様子だ。
詳しい理由を説明すると、集落では下着という概念はなく、邸に来てからはセレネやルシールのお古を共有するようにしていた。だがパルムにとってパンツの感触が嫌だったらしい。それで気になったらすぐにその場で脱ぎ捨ててきたらしいが、
「場所は考えようぜ……」
邸にいる誰もそのことを責めたりはしないだろうが、このまま大人になるのは流石に不安だ。せめて自室でのみやって欲しい。今回は惜しかったが。
「私はガイルを呼んできますので、イツキさんはパルムを連れて先に行っててください」
シルがパルムをイツキに押し寄せ、ガイルの部屋へ向かう。カインのことに触れなかったことから、居場所はわかっているようだ。シルのことだからカインの心情も察しているかもしれないが。
「――」
皆が揃った食事の場。妙に緊迫感が走るのは、セレネがいつもと違い、どこか強ばった表情で喋ることもしないでいるからだ。
イツキはこの景色をどこかで見たことがある。
何故セレネがそんな様子かはわからないが、おそらくそれはこの食事の場に原因があるのだろう。それは見た目ではなく、イツキには、他の誰にもわからないような何かが。
「すみません。今日は一人でお食事させてください」
唐突にそう呟き、席を立つ。誰もがその言葉を黙って聞き入れるが、少なくともイツキだけはそれを許したことを後悔した。それからの食事の場では必ずセレネが退室し、まるですれ違いのように、お互いの考えが知られることなく進んでいく。
そんなことが、二日も続いたから。
三日目の朝、同じようにセレネはいない。この三日間、シルはセレネとの話し合いを繰り返し、方針は決まっていく。しかし、セレネが皆の前に顔を出すことは減っていくままだった。
刻一刻と迫り来る王選に挑むセレネに一つ言わなければならないことがある。それを為すためにも彼女が抜け出すのを止めなければならない。事実、何度か呼び止めては見たが、セレネは謝るばかりで留まろうとはしなかった。その真意も測らなければいけない。
昼食。やはりセレネの姿はない。その雰囲気に慣れてしまった。ルシールはセレネに大事はないと説明していたが、実際そんなことはないだろう。正直、これまでのセレネの行動は異常だ。必要以上にこの場を避けている。
「――んでだよっ!」
「っ?」
突然、怒りに満ちた言葉が部屋に響いた。ガイルとカインの方からだ。立ち上がるカインがガイルを睨みつける。
「なんでっ……オレを強くしてくれるってっ、言ったじゃねぇかよっ!」
「強くはしてやる。けどお前には限界がある。時間がかかるもんでもねぇ。急がなくてもいいんだよ」
眉間に皺を寄せ牙を剥くカインに対し、ガイルは冷静に言葉を聞き流す。
これはいずれ直面するであろう問題だった。カインが悩み続けていた理由こそ、ガイルのカインへの無関心さ故である。それはおそらく、彼ら以外の誰にも解決できることではなく、首を突っ込んだところで何もできない。
「オレはっ……早く強くなりてぇんだよっ」
「無理だ」
「だからっ! なんでだよっ!」
「……お前が獣人だからだ」
「っ!? んなもんっ……」
「獣化すれば力は上がるだろうがお前にはそれを扱いきれやしねぇ。けど半獣状態の今じゃあ強くはなれねぇ。無駄に体力を使うこたぁねぇだろぉが」
「だったら獣化すりゃあいいってことじゃねぇかっ!」
「だからそれを扱えてねぇだろ。そして今はそれ以上の強さは必要ねぇ。もう少し待てや」
「っ! だからっ……」
「いい加減にしなさい」
一方的に熱の上がるカインの言葉を刺すような声が遮る。シルだ。彼女は食事を進めていた手を置き、二人の方に目を遣る。
「カイン。セレネさんが国王になるまでは獣化はしないと約束したはずです。それにガイルの言っていることは正しい。今はそれ以上の力を付ける必要はありません」
「でもよっ……」
シルは有無を言わせない口調と態度でカインを黙らせる。
「獣化せずに勝てないのなら戦線から退きなさい。そもそもあなたがここに来たのはイツキさんの――」
「シル、そこまでにしとけ」
言の葉を並べるシルを今度はガイルが止める。カインとパルムがここまで来た本来の理由はイツキやヒナタの素性を明かさないようにということだった。が、それをこの場で口にする訳にはいかない。それを察してのことだ。
「とにかく、今はできることだけをしてください。無理は禁物です」
「――」
気不味い雰囲気に不安げな表情を浮かべるパルム。そのパルムはイツキの手にそっと触れ、目でその感情を訴える。
ルシールも身内話に入ろうとはしない。不穏な空気がその場に充満した。
ガイルとシル、二人とカインの距離が離れたまま時間は経ち、微妙な空気感のまま夕食の時間は訪れた。
「すみません。今日も一人で……」
いつも通りセレネが席を立ち、一礼して退室しようとする。だが、
「――ちょっと待てよ」
イツキはいつもより強めの口調で彼女を呼び止める。その呼び止めを誰も予想しておらず、いつもふざけてばかりいるイツキが真剣な眼差しでセレネを見ていることにも目を見開いていた。
「な、なんでしょう?」
背を向けたまま返事をするセレネ。ゆっくり振り向く彼女の瞳には焦燥の色が映っている。だが、そんな彼女の心情さえ、イツキには届かない。
「一つ言っておきたいことがある」
このルクス領に訪れてからというもの、イツキは発見の連続だった。
他を知らないこともあるが、イツキが思い浮かべる一般的な貴族とは違い、ルクス家は奴隷を解放する方針にある。
そのことから邸の財力は奴隷を買うため、または解放された領民の食料調達、など全ては領民のために使われる。
カムスラフスの村民も皆、セレネやルシールを尊び、愛している。誰も今の生活を苦に思わず、平和で幸福な生活を送ることができている。
大人だけでなく子供たちもまた、パルムやカインが亜人であろうと、異形であろうと、そこに偏見などなく迎え入れてくれる。
解放されたフュテュールもこれから次第にこの生活に慣れ、新たな人生を築き上げていくのだろう。
この領内の全員が幸せなのだ。
セレネが目指す国はおそらくこのルクス領とよく似ている。
誰もが笑顔で、ここに訪れた者がそれを受け継ぎ、離れていく者がそれを普及させ、範囲が拡大していく。その中心であり、根本を実現させたこのルクス領は何としても守らなくてはならない。
だが、ルクス領の外は全く違う。貴族の重圧が民衆を押さえつけ、逆らえば処刑される。周りと違う意見を出せば異端児と扱われ、そこに巨大な差別が生まれる。
幸福の中心であるルクス家が密かにしてきたことは、それらの対象となりうる、否、それらの対象そのものである。
誰かの幸せを守るということは、それはルクス領を守ることに繋がる。ならば、ルクス領を脅かす危険は避けなければならない。
だからこそイツキは考えた。
外の世界からの危険を避けつつ、幸福の中心であるルクス領からその範囲を広げていく。誰も不幸にならない、そのために――
「――王選は、諦めろ」




