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イセカイカクメイ  作者: 凪と玄
第二章 双月
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第二章19 『名前』



「イツキ……おしっこ……」


 ひょっこりと頭を見せた向日葵は、赤く染めた顔でそう呟いた。


「パルム……」


 いつもなら、何かしらの褒め言葉を述べるところだが、今回は少し訳が違う。彼女が為したノックは、まるで何かを迷ったかのよう。それがなんの迷いなのか。イツキはその疑問を脳に残した。


「便所なら部屋にあっただろ? それにわざわざ報告に来ることもないんだぞ?」


 パルムはこれで察しが良い。迂闊に「話が聞こえたか」などと質問をすれば、たとえその応えが否定であっても、イツキたちが何かを隠そうとしていると、そう考えを巡らせるかもしれない。もちろん、イツキもパルムに隠し事などしたくはないし、それを疑われることも嬉しくない。だからこそ、全くそれをさせないように、平然を保って言葉を発する。


 その言葉にパルムはぶんぶんと首を横に振り、赤らめた顔そのままでちょこちょこと歩みを進め、イツキの服の裾を掴んでくいくいと引っ張る。


「使い方、わからない……から」


「え……、ああ、そうか。あっちとは勝手が違うもんな」


 一度目にしたイツキにはわかるが、ここの便所は集落にあった簡易的なものとは大きく異なる。未知の道具に恐れを感じるのは子供の本能である。また好奇心が湧くのも本能であるが、今回は前者でよかった。

 とはいえ、仕組み自体は大して変わらない。変化があるのは外見だけだ。しかし、その小さな変化でさえ、パルムには思考の対象となるのである。

 集落のものは用を足した後、水の魔石と光の魔石を使用して水を流す。そしてその水は水路を通って鍛錬場裏の海へ流される。

 一方で、この邸に備わったものはまず便器に蓋がある。その時点で少し戸惑いがある。触ってみれば蓋だとわかるが、それを触ることにすら恐怖がある。さらに、集落では剥き出しであった魔石も、装飾やらで覆われているため、一見それと判らない。


「とは言ってもな、そういうのはシルに聞いたほうがいいんじゃないか? あいつならすぐに教えてくれそうだぞ」


「シル様、ねてる。……早く」


 イツキも眠たいところだが、もじもじするパルムを放っておくのも可哀想だ。かと言ってイツキが教えるわけにもいかない年頃だ。だからこそ、こんなにも赤面しているのだろうが。

 なんにせよ、イツキが一緒にというわけにもいかないので、他の女性陣に頼むしかない。そうしてふと頭に浮かんだのが、先程も相見えたエリシアだ。と、浮かんだのはいいものの、パルムが受け付けるだろうか。同じ金髪だが同種ではない。その上、今エリシアは何やら忙しくしているであろう。

 では、と次に浮かんだのは、そこそこパルムとも仲良くしているセレネだ。ここまでくればルシールの顔も浮かんだが、エリシアと同様にやはり、パルムが変に緊張してしまうのではないかと、その案は却下となる。


 ガイルの部屋から退室し、セレネの部屋の場所を探し求めて、パルムの下半身の硬直が解かれたのはそれから五分後の話だった。『サイカンの蔵』の従業員たちでもこの邸のことはよく知っているらしい。おかげで場所はすぐにわかった。セレネも忙しそうにしていたが、パルムの様子を見てすぐに理解してくれた。こうしてダムの決壊は免れた。

 パルムはそれから部屋に戻ろうとするのだが、そこにイツキたちの話を聞いていたような素振りや雰囲気はなかった。その様子に注意しながら彼女の背を追いかけるイツキ。そのイツキをちらちらと見返すパルムにはやはり、疑いなど見えなかった。


 そのままシルとパルムの部屋についたイツキは、少し中の様子を確認する。造りはイツキの部屋やガイルの部屋と同じで、しかし、荷物は整っている。流石シルと言ったところだ。

 その彼女は寝台で横になり、二度と目覚めないのではないかという表情で眠りについている。長距離移動の疲れか、或いは神の侵食による作用か、彼女も彼女なりに苦労を溜めているのだろう。しっかりと休眠をとってほしい。何せ彼女には時間が限られているのだから。

 結局その時間を聞くことはできていないが、それはまたの機会とする。




 イツキたちがそんなことをしている間に、先程一人分の食事をせかせかと運んでいたエリシアは、自室ではない一室へ籠もっていた。


「やはり先にお食事を取るべきですよ。それからぐっすり眠ればいいんですから」


 そう言って少女の手を取り、トレーに乗ったパンを手渡す。しかし、少女はそれを受け取ろうとはせず――否、受け取る力すらもなく、そのパンはエリシアの手から離れることはない。

 その様子を見たエリシアはそれがただの疲労からではなく、他の原因であることにすぐ気付く。


「薬ですか……」


 力の感じないその様子に見覚えがあるのは、エリシア自身もかつては奴隷であったからである。彼女の経験の中でも、意識を朦朧とさせる薬物というものはあった。見る限り、目の前の少女にも同類の薬物が使用されている。

 自分の経験からという浅い確証しかないが、その薬は二十日程度の効果期間がある。少女にはいつ投与されたのか、それはわからないが今の状況を見る限り、彼女の体力はあと二日で尽きる。今食べておかなければ死は近い。


「わたしで本当に申し訳ないですが……失礼します」


 そう言うとエリシアは自らがパンを口にし、咀嚼する。そしてその口で少女の口に触れ、小さくなったパンを口移しで少女に飲ませる。


「少し頑張って、飲み込んでください」


 代わりに噛むことはできても、飲み込むことはできない。エリシアは残った食事も少女の口に流し込み、二時間かけてようやく完食させる。少女は時折、苦しそうにむせ返ったりもしたが、少し休んではそれを再開した。


「お疲れ様です。今日はしっかり休んでください。わたしはここにずっといるので……」


 少女には言葉を口にする力も残ってはいないだろうが、エリシアはそれでも、彼女の苦しみを理解しようと、そばに残ると決めている。

 エリシアは「ありがとうございます」と小さく呟き、少女の頭を撫で付ける。その手の動きで瞼を閉じた少女は深い眠りについた。


 少女。橙髪の少女には、おそらく名前がない。奴隷になる者は大抵が赤子の頃から奴隷となることが決まっており、その者たちには名前を与えられることはない。実際にエリシアもそうであった。この名をセレネに貰い、その恩と愛から、生かされた命を彼女のために費やすことを本懐としている。

 そこから恩義を感じさせるため、など到底考えてはいないが、少女に、彼女が歩むこれからの人生に祝福がもたらされることを願い、エリシアは少女の名を一生懸命考えた。


 名前とは、あるだけでそこに意味を成し、意味を成した名前はただの音以上の力を発する。

 一般の人間はその力に気付くことはできず、限られた人間にだけそれを知ることができる。たったそれだけ、を持っている人間には、その小さな幸福がわからないものなのだ。当然、などという言葉は、与えられる者が使うべきではない。苦しみを知り、有り難みを知り、ようやくそこに温かさを感じる。

 名前を与えられることは、その最初に受ける気付かれ難い幸せなのである。

 呼ばれるだけで力が湧き出ることがある。自分は独りではないと思うことができる。たったそれだけで、生きていくことができる。




「――――」




 その晩、悩みに悩んだエリシアは少女に幸福の未来を約束した。




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