第二章18 『両者の過去』
「――――は?」
唐突な言の葉に虚を衝かれ、理解が遅れた。伝えられた言葉に乗っていた意味は単純なものだが、遅れた。
「ルシールさんも、エリシアも――セレネも……?」
イツキの小さな呟きに、セレネとルシールは静かに頷く。
「……っでも、セレネは当主になったんだろ? なら――」
貴族の家系のはず。そう言いかけて止まった。
睡眠を取れていないせいか、今日は頭の回転が悪いのが自分でもわかる。いや、悪いのは回転ではなく考え方かもしれない。
もう少し、ゆっくりでもいいから、ちゃんと考えよう。
「悪い……。続けてくれ」
手を軽く上げ、自分の言葉をかき消すように小さく振る。
そのイツキの姿を見て、「では」と話を続けるルシールだが、彼女もセレネへの配慮を怠ってはいないようだ。若干俯いたセレネにちらと視線を送り、自分がどこまでを口にしてもよいのかを考えながら会話を続ける。
「ルクス家が成立してから半年後、初めて私が開放される奴隷として拾われました」
ルシールはこのルクス家が成立してからの十五年間という長い年月を、自分の身近で起きたことから歴史的な変化まで、事細やかに説明した。
十四年と半年前、ルシールが拾われた。その七年後、今から大体八年前、セレネが拾われた。それまでの間にも多数の奴隷が拾われてきたが、二人は特別に、当代の領主、ルシ・エルによってこの邸に置かれ、ここで過ごしてきたという。
そしてその年、セレネの未来視について追求したルシ・エルは、エルフのもとを訪れたのを最後に、姿を消した。ルシ・エルは出発の時、ルシールにこう言い残した。
「もしも、僕が帰ってこなければ、あの子を、セレネを当主とするんだ。あの子の悲願は僕のものとよく似ている。この世界を変えられるのは恐らく、あの子だけだ」
ルシールが十七の歳を数えた年、セレネは九となり、ルシ・エルの言葉通り、ルクス家の二代目の当主となった。ルシ・エルの消息が不明になってから四年の月日を歴史は歩んでいた。
翌年、エリシアが開放される。その名をセレネが与え、ルシールが呼び、エリシアが応えた。彼女は邸に残った三人目の少女だった。
それまで開放されてきた奴隷だった者たちは皆、領主からの支援のもと、村を築き上げ、自分たちの土地を作った。イツキたちは領内へ入るのに特に何も必要なかったが、本来はセレネの許可証がなければ入ることもできないそうだ。
その理由としては、奴隷を開放しているところを他貴族に見られるわけにはいかないからだ。
カムスラフスの村で、またその他の村でも、ルクス領は金銭を扱ってはいない。食料や生活用品などは全てセレネたち邸の者が集め、配っているらしい。中でも、大きな村では自ら畑を耕し、食料を確保しようとする村もある。そうすることで邸にかかる負担を軽減しようという考えだ。
そして、邸の財源となっているのは、この領地の端にある鉱山だ。
実はこのルクス領ができた当時は財力を蓄える方法がなく、奴隷開放もうまく進んではくれなかった。しかし、開放された奴隷の中から、有志で採掘を始め、邸へ送る者が現れてから、財力は復活し、莫大な資産を得ることができたのだ。というのも、その鉱山で採れる鉱物はただの金属や宝石などではなく、魔石だったからだ。しかも、高火力の魔剣が生成できるほどの良質なものが溢れるように採れるらしい。
それらの財源をもとにルクス領は形を安定させ、今に至っているという。
「村で金が回っていない理由と籠もったままの村人がいる理由はよくわかった。奴隷を買っている理由もな……。まぁ疑ったうえに上から目線で腹正しく思うかもしれないけど、とりあえず安心したよ」
他の貴族とは明らかに違っている。今はそれだけでそう思える。少なくとも、非人道的なこの国で、セレネたちはその道を外れようとしているのだ。それが可能か不可能かの話は端に置き、イツキが変に疑う必要はなかった。
イツキの反応にほっと胸をなでおろしたセレネは、強張った顔を和らげた。
「……あっ、えっと、イツキさん?」
「ん?」
「他に聞きたいこととかは?」
「んー、ないかな。今は」
沈黙の後、セレネが何かを思い出したかのような声で、その沈黙を破る。彼女からの質問に間を開けずに答えたイツキだが、実際は気になることは多い。だが、それらの点はセレネたちが知っていることではないうえ、この場で話すのは相応しくないと考えられるものだったため、口を噤んだ。
それからの食事は長い時間を取ることはできず、全員が食べ終えたところですぐに後片付けに移った。というのも、『サイカンの蔵』から避難した従業員たちの食事の時間を確保するためだ。
片付けはルシールが進め、セレネは自室兼職務室へ、イツキたちも個人へ与えられた部屋へ戻ろうかというところ。
「おっ?」
イツキが見かけたのは一人分の食事をせかせかと運ぶエリシアだ。彼女は小走りで、且つ、食事が溢れないように注意しながら、その金髪を揺らして行く。
「を、止める。――へい、そこゆくポニーガール」
「っ!!? ややっ! あなたはお客様気取りのパヤヤ・タヌキさん!」
「誰だよ! カヤ・イツキだよ! どんな間違いだよ! あぁ、焦ったわ、何故か俺が」
声をかけられたエリシアは一瞬飛び上がるように反応し、イツキに気付いたその様子でイツキを驚かす。イツキは思ったものと少し異なった結果に斬新な感覚を脳に刻んだ。
「わたしの背後で何を企んでいるんですか! 事と次第によってはそれなりの対処をさせていただきますよっ?」
「いや待て。それは勘違いが過ぎるぞ」
先程ルシールから聞いた話では、今目の前に構えているエリシアももとは奴隷だったという。彼女のイツキへの反応の理由がこれと多少でも関係しているならと、イツキは少し真面目な表情で向き合う。
「ルシールさんから聞いた。君がもともと奴隷だったって」
「――っ!」
「俺なんかがこんな事言えるもんじゃないとは思うけど、相当辛かったのは想像できる。いや、そんな簡単な言葉じゃ表せないのかもしれない」
たった数時間とはいえ、何が起こるのかわからないことに恐怖した経験がイツキにもある。エリシアがどれだけの期間、奴隷として生きてきたのかはわからないが、その恐怖や苦痛が半端なものでないことはわかる。
だからといって、イツキにそれが共感できたところで何かをしてやれることも、できることもない。それを重々に理解した上で、イツキは言葉を重ねる。
「心の傷はきっと消えてくれないかもしれないけど、それを共感してくれる人たちがいれば――」
「何を勘違いしているのかはわかりませんが」
イツキが言葉を繋げようとした時、エリシアの声が静かに刺さる。その彼女らしさがない声にイツキは踏み込んではならない域に足を踏み入れてしまったのかと少し反省する。誰しも触れられたくない過去はある。エリシアにとってそれがイツキの知る過去であったのなら、いや、恐らく彼女の過去の中でその出来事は一番の苦痛であっただろう。
その過去にイツキが容易く足を踏み入れ、エリシアもそれに何かしらの感情を芽生えさせたのだと、イツキはそう感じた。のだが、
「わたしは既に救われています。確かに奴隷であった時には苦しいこともありましたが――今は! セレネ様とルシール姉様がいらっしゃるので全っ然、辛くありませんともっ!」
「……」
どうやら一瞬の静けさはセレネとルシールの名を出すための溜めであったようだ。
妙に焦ったイツキは謎のドヤ顔を送るエリシアを見て、思わず吹き出してしまいそうになる。それを抑え込み、それでも小さく微笑む。その微笑に「はっ!」と何かを思い出した様子の彼女は、
「気安く話しかけないでくださいと言いましたよねっ? 大体何故、姉様はこんな人に……」
「せめてこの人にしてくれない? それだけで俺の心は救われる」
「あー! あーあーあー! やめてください! お食事に唾を飛ばさないでください!」
「被害甚大なのは俺じゃねぇだろ……って」
さっと食事の乗ったトレーをイツキから離し、反論させる間もなく立ち去って行く。
「――? あれ? じゃあなんで俺はあんなにも貶されてんだ?」
そんなイツキの疑問が晴れるのはまだまだ先の話である。
イツキは自室へ、ではなく、今ある様々な問題の詳細を知るため、とある人物の部屋へ足を運ぶ。ガイルの部屋だ。イツキはあえて遅れて移動することで、なるべく人目を避けることに成功した。そうしたのは今からするガイルとの会話で、おそらく彼が他人には聞かれたくない話もあるだろうと、そう判断したからだ。
シルなら、と考えもしたが、先日の奇襲時のガイルの様子から彼女を誘うことを辞めた。ガイルはきっと、シルの記憶のことも知っている。
ガイルもそのつもりだったのだろうか、イツキが彼の部屋まで来た時には扉の前でその時を待っていたようだった。彼は何も言わずにイツキを中へ導き、自身の身を床に置いた。イツキも同様に座り、その空間にしばらくの静寂が訪れた。
「――何から話しゃいいかわかんねぇ」
「奇遇だな。俺も何から聞けばいいかよくわからん」
沈黙の後、そんな言葉から二人の会話は始まった。お互いに詰まるところがあるため、会話の切り口は決まらないが、それでもそのきっかけは作られた。
イツキはまず直近の疑問、と言っても直近かもわからないのだが、最初に浮かんだ疑問から解くこととする。
「まぁ全部シルについてのことなんだが……」
そう一つ間を置き、自分の頭を掻きながらこれから言葉にすることをまとめていく。現状、積もった問題はイツキの言った通り、シルのことだ。
何故シルに触れたルシールが気を失ったのか。何故致命傷を負ったにも拘わらず、短時間で完全回復したのか。何故回復したシルにその夜の記憶が無いのか。数え始めれば疑問は尽きない、が今大きな問題と言えばこの三つが挙がる。いずれも普通に起こる出来事ではないものだ。
聞いて何かができることもないだろう。しかし、彼女に関わった以上、知る義務があるはずだ。本来なら、パルムやカインもその義務がある。だが、先ずは一番年上であるイツキが。
「とりあえず、そうだな。シルは魔導士だって聞いてるんだが、その能力に人を気絶させたりできる能力はあるのか?」
イツキが聞いたのはシルがとある病気を患っているということ。が、イツキの中では、病気に他人を気絶させるような影響があるとは考えられない。それはもちろん、この世界ではそういうこともあるのだろうが、しかし、その影響が起きるほどの症状なのに、シルは全くの無影響であることが疑問である。
そのことから、ルシールが気絶した理由はシルの病気と関係がないのでは、と推測できたのである。
ならば、そのような事態になったのはやはり亜人の力でというものが働いたのではないかと思ったのだ。
その問いをガイルへ。彼はその意図を測り、
「簡単な話だ。病気ってのは納得させるための口実だ。実際はそんな訛っちょろいもんじゃねぇ。もっとでかくて面倒な力がシルを押さえつけてる」
「面倒な力?」
ガイルの答えは予想ができていた。シルの身体にある何かしらの「異」を病気と言っていたことは。しかし、それが亜人の力ではなく、面倒な力と表現したことに疑問を抱く。
――だが、その疑問にガイルは答えてくれない。
「じゃあ、ルシールさんが気絶したのは……」
「その面倒な力のせいだ」
「それは……?」
「――」
やはり、その実を話そうとはしてくれない。
「今までに似たようなことはあったのか?」
「いや、今回が初めてだ。多分これからもそういうことが増えてくる。その点では病気っていうのは間違ってねぇ」
なるほど。今の言葉からこれまでも若干ながら何かしらの「異」が垣間見えたことがあるとわかる。
病気のように症状が悪化してきている、ということだ。
「シルの怪我が治ったのも面倒な力ってやつか」
「少し違うが、似たようなもんだ」
「じゃあ、シルの――」
記憶が。そう言いかけて。
ガイルはまだシルの記憶が失われたことを知らない。彼の反応次第では収集がつかないなんてことも起きかねない。
それを聞くべきか、イツキは悩んだ――――。
「――やめだ」
「あ?」
沈黙の末、突然そんなことを言ったイツキに、ガイルは虚を突かれ、彼らしくもなくきょとんとする。
「なんか色々考えたけどわからんもんはわからん。だから遠慮もしねぇ」
何を言っているのかと、そんな顔を見せるガイルだが、イツキはそれを気にも留めない。
「ガイル。お前が隠してること全部話せ。そうだな。シルのこともだがお前自身のことも。なんならパルムとかカインのことも。全部だ。今回のことに関係なくてもいい。出会いからでも。――これは提案じゃない。強制な!」
にっ、と笑ってピースサインを押し付けるイツキは、恐らく何を言っても意見を曲げようとしないだろう。そう考えたガイルは深く溜め息を零し、暫く考えた末、ようやく顔を上げる。
「昨日の夜、お前は俺たちのことを知りたくなったって言ったよな」
「そんで話したい時に話せっって言ったけどそれは取り消しだ」
「ああ、今話す。だから――忘れるなよ」
全てはあの集落に来る前から始まっていた。十年くらい前のことだ。
俺は一族の風習である「狩り」に参加した。それが初めてのことで、その風景を見た時は吐き気がした。目の前で血肉が飛び散り、仲間がそれを啜り喰らいしてる様は気持ちのいいもんじゃない。
俺たちの「狩り」は近くの村を丸ごと滅ぼすことだった。誰も何も教えちゃくれねぇから初めての時はそんな感じだった。
それでも続けていくうちに慣れていくもんだ。いや、それが種の性質ってやつかも知んねぇが、段々それを楽しんでくるようになってた。
一月に一度行われる「狩り」に俺は毎回参加した。そこに楽しみを見出してしまってたから。
けど、ある「狩り」の時に何か違和感があった。
「狩り」ってのは村を襲ってるんだが、それは人間も亜人も関係なしでだ。だから種族的な違和感はいつもあった。それでもその時の違和感はいつもと全く違う違和感だった。
その月の「狩り」の対象は魔導士の村だった。
「まさか……」
そうだ。そこにシルがいた。
それまでも何度か魔導士を相手にしたことはあったから余裕はあった。だが、どうしても違和感を忘れられなかった。
その違和感に引き込まれた俺たちはその正体に気付いた。
後から知った話だが、その村では一年に一人生け贄を差し出すらしい。神だかなんだか知らねぇ何かの怒りを静めるだとか言ってな。
なんでかは俺もわからねぇ。
いざ強襲って時に俺の体が勝手に動いちまった。縛られた一人を囲う複数人を仲間が殺す間、俺は一人、仲間を殺してた。その原因なんてもんはわからねぇし、知りたくもないが、想像はできる。今ならな。
魔導士と俺の一族が争ってる間に俺は生け贄を連れ去った。その生け贄だったのが、
「シルか……」
ああ。当然、魔導士側も俺の仲間たちも全員で俺を追ってきやがった。俺だってなんで逃げてんのかわかってねぇのにな。
そんで逃げた先にあったのがあの集落だ。つってもその時ゃまだフィリセとエイドと、それとホルンだけだった。
死にそうだった俺たちをフィリセが見つけて連れ帰ったらしい。その頃には俺も意識がなくてなんも覚えてねぇ。気が付きゃあそこだ。
とまぁ、それからはずっとあの集落で生活してきた訳だが、そんなもんはどうでもいい。問題はシルだろ。
どうしてああなっちまったか、簡単に言えば俺のせいだ。
「ガイルの? お前のおかげでシルは救われたんだろ? それをせい、だなんて……」
いや、あん時の俺がいつものままなら、そうだったらシルは今頃あんなに苦しんでねぇ。
「でも助けなかったらシルは死んでたかもしれないだろ」
その方がよっぽどマシだ。今は地獄みたいなもんだ。
「何故だ? 一体シルに何があったって言うんだ?」
――俺は神だなんて信じちゃいなかったんだが、きっと今のシルの状態がそうなんだろうよ。
魔導士の生け贄の儀式が神の怒りを静めるためっつったよな。その儀式から生け贄がいなくなりゃ当然、儀式は成立しねぇ。だが代わりに、その神とやらはシルの身体を乗っ取りやがったんだ。
「身体を? じゃあ今のシルの……精神みたいなものはその神のもんだってことか?」
それは違う。とは言いきれねぇが、フィリセが言うには違うらしい。それと思念もな。
だがあれが普通のシルだったとしてもだ。神の侵食は続いてる。ルシールが倒れたのも怪我が治ったのも、死んだ奴の記憶がなくなっていくのもそのせいだ。
「――! そういうことか……」
そのことには気づいてたみたいだが、そんなもんはちっさいことだ。一番の問題はいつまで持つか、だ。
「いつまでって……!?」
当たり前の話だが、生きもんには寿命ってのがあんだろ。今のシルにはそれがねぇ。その代わりに完全に神に侵食されるまでの時間は決まってる。その間にあいつは目的を果たそうとしている。
「その時間ってのは……?」
それは――――
ガイルがイツキの問に答えを遅らせ、息を吸い込んだ時、とん、と部屋の扉を叩く音が、まるで迷いの果に為されたかのように小さく響いた。
「――」
二人は無言でそれに答え、ゆっくりと開かれる扉の奥に注視する。そこから覗いた向日葵のような幼女の登場に、焦燥を感じながら。
お久しぶりです。どうも、凪と玄です。
一週間間隔で投稿するとか言っておきながら……。いろいろ悩ましい時期なんですよぉ!! ……と言い訳は置いときまして。かれこれ三ヶ月近く更新しておりませんでした。
今まで悩む機会も多かったんですが、今回の長期休暇で私は、いや、今回も、なんの成果も得らrっぷしfりゃんち%dqめnと――。これ以上は止めときましょう。
私自身まだまだ未熟なものですから、何かをぱっと決めるというのが難しいのですよ。ですので、更新間隔は不定期になると思います。ちゃんと悩んで満足の行く作品にしていきたいと思いますので、これからもよろしくお願いいたします。




