第二章14 『強く』
裏口から入ってきた二人は各々、違った雰囲気を出していた。
「カイン、お前……大丈夫か?」
「――」
体中傷だらけで満身創痍のカイン。それに対し、パルムは無傷だが、ずいぶんと落ち込んでいる様子だ。何があったのか、気になるところではあるが、正直、色々なことが重なりすぎてイツキもそこまで余裕がない。
だから、その余裕を少しでも作るために、
「えっと、シル。一応まだ二人には記憶のこと言わないままでいよう。ガイルと話してから、それから決めた方がいい」
「ええ、わかってます」
二人に近づきながらシルに耳打ちし、シルもそれに同意する。そうでもしなければ混乱が続くだけで、状況は改善されない。
「カイン……は話せそうにないな……。パルム、ガイルとは出会ったのか?」
「ん……。敵もた、おし、た」
こくんと頷いたパルムは、そのままガイルとセレネたちのことを説明し、イツキもとりあえず安全な状態に入ったことを理解した。
「で、カインはどうしたよ?」
「おち、こんでる」
「だよな」
「……」
見たままを説明したパルムは、それ以上を続けず、口を噤んで黙り込む。わかってはいるが、言いにくいのだろう。
「とりあえず、怪我の手当てだ。じーさん、なんかない?」
カインの傷を見てただの怪我ではないとわかったイツキはアルベルトに指示を出す。
「なんか、とは曖昧だが、理解した。今持て来る故、しばし」
アルベルトはそう言って蔵の従業員の個室スペースへその何かをとりに行く。その間、イツキはカインに話を聞こうと思ったが、彼はずっと下を向き話そうとしない。いつもうるさく、気分もころころと変わるカインだが、彼がここまで落ち込んでいるのを見るのはこれが初めてだ。
イツキは壁に縋って俯くカインの隣にそっと座る。そして何も喋らず、ただ、黙っていた。そうしてカインから口を開くのを待つ。
「――」
イツキにも何度か落ち込んだことはある。それなりに人生を歩んできたつもりだ。まだ十七年と十一か月ではあるが。
それでもカインよりはそういった経験は多い。だから、イツキにも何か言えることもあるのではないか。せめて心を共にすることはできるのではないか。
「――オレはっ……」
イツキが隣に座って数分後、静かな間にカインの声が小さく零れる。
「オレはっ……よえぇっ……」
その言葉は誰へというわけでもなく、ただただ質朴な空気として放たれた。
「頭たんなくてっ、すぐ諦めてっ……。よえぇっ……」
その言葉は誰へというわけでもなく、ただただ質朴な空気として放たれた。
「たった一つの武器でっ、たった一回の攻撃でっ……負けたんだっ……」
その言葉は誰へというわけでもなく、ただただ質朴な空気として放たれた。
小さく呟かれるその言葉にはたった一つ、想いがあった。
『強く、なりてぇ……』
強さへの願望。
「俺もな――」
「イツキ殿」
「……」
イツキは強さを求める少年へ、その糸口のさらにその最初の一歩の踏み込み方を、自分なりの言葉で伝えようとした。のにも関わらず、間の悪いことにアルベルトが早くも戻ってきた。
「どうかされたか?」
「かっこつけさせてほしかった……」
「……?」
「まぁ、後でいいか。で、それが医療箱的なやつ?」
不満を振り払い、本来の目的に戻る。
アルベルトが持ってきた木製の箱を受け取り、金具をはずして中身を確認する。中には瓶に入った薬品や、目の粗そうな包帯、それを切るための鋏など、この世界の時代感を感じさせる質の医療用具だった。
その中から何を選ぶか、という話だが、
「文字も読めなければ薬のことなんて何も知らねぇからな……とりあえず包帯。止血が先だな」
適当なことはできまいと無難な手段をとるのだが、イツキにはもう一つ疑問がある。それは、この医療品を使うに至ったカインの怪我の、その内容だ。
刃物による切り傷で間違いはないのは見てわかるのだが、問題はその刃物が何なのか。いや、彼をここまで傷つけた代物だ。見当はつく。本来なら、攻撃を当てるのも難いカインをこれほどまで追い詰めたその剣は相当の力を持つ。
それは闇の魔剣以外あり得ないのだが、その魔剣の力がどういったものなのかもわかっていない。シルの記憶を消したのもその魔剣の力なのだと考えるのならば、カインの傷が普通のものでないと考えるのも当然。何かしらの症状を持つと思われる。
「包帯の巻き方あってんのかな、これ……」
普段なら近づくイツキを蹴飛ばしてくるカインが無抵抗で治療を受け入れているが、包帯をうまく巻けていない気がするイツキは、言ってみれば適当に、彼なりには無難なやり方で進めていく。その結果、カインはミイラのように包帯で体を包まれた形になってしまった。
それでも反応しないカインを見て、「ま、いいか」と包帯のことは、放っておく。
「イツキさん」
「ん?」
とりあえずは、と一息ついたイツキの背後から、治療の間アルベルトと話していたシルが声をかける。彼女は記憶がないことも思わせない様子でこれからの予定を告げた。が、やはり、その判断はいつものシルには劣るものがあった。
それは捕虜からの情報聴取をシル自身が行わないことだ。普段なら、彼女が今の状況のその原因を調べるのが妥当であろう。だが、記憶を失っている彼女はそれをしたところでどうできるわけでもない。イツキやアルベルトとの確認だけでは事実は伝えきれていないからだ。
だからこそシルは、自ら情報を聞き出すことをしないと判断した。それがいつものシルとの違いを晒すことになったことに気付けていないまま。
しかし、そのことを言ったところでどうしようもない。むしろ、パルムやカインがそれ以上そのことに意識を向けないように黙っておいた方がいい。
「ここのことは任せておいてよいとのことですので、私たちは急いでルクス領へ向かいます」
「じーさんたちも一緒の方がよくね?」
「む、主に任せられたこの蔵故、離れることはできぬ。それに汚血に塗れた状態で放っておくことなどなおさら。この男からは情報を聞き出しておこう」
「ま、そうだわな」
「ルクス領までは一日近くかかります。本来ならば朝方に出発するのが最適ですが、状況が状況だけに移動は早い方がいい。ですので、すぐにも出発したいのですが」
「俺は大丈夫だ。けど、子供たちは辛いだろうよ」
「この町を抜け、ルクス領への道の途中に一つ小さな町があります。割と近い距離ですのでそこまでは我慢してもらい、そこで少し休憩をとることにしましょう。できても一時間程度ですが」
「できるだけ多くの毛布やらなんやらでその先も休めるようにしよう。それにシルも休憩が必要だろ? あの鳥の走らせ方だけでも教えてくれたら俺と交代で操縦できるし、出発してからでも教えてくれ」
「わかりました。ありがとうございます」
このようにこれからの予定を一通り確認した後、イツキたちはすぐに出発するために荷物をまとめたりなど、準備を進める。その間、鳥車の準備をストゥが務め、緊急時の対策用具をアルベルトが蔵の中から集める。
そうして出発の準備はものの数分で済まされた。だがやはり、パルムの睡魔は彼女を完全に落としてしまったようで、既にシルの背中にその矮躯を預けてしまっていた。
当たり前だ。九歳十歳の少年少女が深夜に起こされて眠気を感じないわけがない。それでもここまでよく頑張ってくれたと、イツキは二人を心の中で激励する。
とは言うものの、カインの落ち込みようはその睡魔でさえ敵わないものであるようだ。が、その深さが尋常でないためイツキはいつものようにそれを笑いにすることもできない。だからこそ、何とか彼の力になりたいのだ。
「残党はまだいるやもしれん。注意を怠らず、無事、帰還なされよ」
「ああ、そっちも気をつけてな。ストゥは……そうだな」
「……どうだよ!?」
「じゃ、行ってくる」
「む」
「おい!?」
無視されたストゥは騒ぎ始めるが、それをさらに無視。一応危機を救われたのだが、それもイツキたちを襲った過去の罪の贖罪として受け取ってもらおう。感謝は心の中でしておく。
そうして『サイカンの蔵』から出発し、小一時間。予定通りの町へ辿り着く。
「やはり長居は許されません。一時間とは言わず、数十分程にします」
「シルの判断だ。賛成は賛成だけど無理も禁物だ。今のうちに鳥車の操縦と道を教えてくれ」
「はい」
ルクス領へ向かうまで一日近くかかるのだ。イツキに比べればシルもまだ子供。体力的にも精神的にも疲れは感じるはず。ならば少しでも休める時間を作ってあげなければならない。
イツキが操縦を教わっている間もパルムは毛布に包まって睡眠をとっており、カインは眠ることもせずに俯いている。説明を聞きながら横目にその姿を見るイツキは、彼にかける言葉を探していた。
「強さ……か」
カインの言葉から感じる強さへの思いと自分の弱さを憎む思いは、その歳には相応しくない重さだった。
イツキは今のカインの心情には何歩譲っても並ばないが、似たような思いは持ったことがある。過去の話だ。
イツキもサッカー部だっただけあり、試合中の闘争心というものは強くあった。体同士のぶつかり合いや、走力の持久戦。個人で何とかできる面で勝てないところがあると、どうしても勝てるようになりたいと、強く願ったものだ。いや、その努力をした。強くなるためにそのための努力をした。
時間はかかる。その結果が振るわなければ、憂鬱にもなる。だが、それでも強くなりたいと思い続けることで、勝てる相手も増えてきた。
その思いの根源を今はもう持たないのだが――。
もっとも、カインの求める強さはサッカーで求められる強さよりも圧倒的に会得する難易度が高いのは承知だ。イツキが知る努力で簡単には為されないものだろう。
だが、根本的なことは同じだと思う。どれほどの努力が必要とか、どんな修練が必要とか、そんなものはただの幹に過ぎない。強くなるには根がしっかりしていなければならない。そこから幹が伸び、枝が伸び、葉が着き、そうしてようやく花が開く。
その過程はどんな物事にも同じことが言える。道のりが長くとも、何より先にしっかりとした根を張ることが大切なのだ。
「――カイン」
イツキはようやくカインに声をかけた。再出発し、シルも少し睡眠をとると言って体に毛布を掛けてからのことだ。
カインはその声に返事をすることはない。だが、イツキは話を続ける。
「俺はお前が弱いやつだとは思わない。てか正直めっちゃ強すぎて俺が恥ずかしく感じるくらいだ。その強さにマジで憧れる。――でも」
「――」
「まだ足りないんだよな」
「――」
「もっと強くなりたんだよな」
「――」
イツキの言葉に、カインが音で反応することはない。だが、彼の心の中で何かが叫んでいるのがわかる。悔しさに地面を叩き、その振動で彼の心臓を動かしているのが、わかる。
――十分ではないか。彼は強いではないか。
まだ強くなりたいと思うことができる。もっともっと強くなりたいと思うことができる。彼は今の自分の弱さに悔しさを覚えることができる。
「――それが本当の強さだ」
「――――」
イツキは短い言葉で言い切った。その言葉がカインに響くなどとは思っていない。強さの本質が何なのか。その根本的な何かとはどういったものなのか。それをただ声に出しただけだ。
「負けてからなんだ。失敗してからなんだ。強くなれるのは。――そしてその力の源は、心だ」
「――」
「強くなりてぇ。弱い自分が悔しい。そういう気持ちが自分の力を高めてくれる。だから、生かせ。自分の目指すところへの気持ちを、悔しい気持ちを、生かせ」
「――」
「魂を、生かせ」
「――」
根本的な強さとは何なのか。簡単だ。
「――強くあれ」
――――植物とは不思議な生き物だ。
根は大地からの養分を吸収する。茎や幹はその養分を全体へ送る。外皮は己を守り、枝は葉を支え、葉は光をエネルギーとして取り込む。花は美しく咲き、次の命へ、雫を落とす。
組織のすべてが心臓のような働きをする。一つたりとも欠けてはならない。
だが、根だけは他と違う。根がなければ茎や幹は育たず、枝も葉も成長しない。美しく花を咲かすこともできない。本当の心臓だ。
根が強ければ、植物は美しい。
強くあろうとすることで、強くなろうと努力する意義が生まれる。強さとはそういうものだ。
「自分の弱さに負けんじゃねぇ」
――これですべてか。イツキが強さを求めるカインに言ってやれることは、これですべてか。伝わっただろうか。彼はこれから、魂を強く生かせていけるだろうか。
自分が思ったことを伝えたイツキは、言い切って急に不安になる。自分に先輩面は似合わないと思っているからだ。
最後の言葉を放ってから数秒後、イツキはそっと後ろを向こうとする。
「ああっ!! もうっ!」
「いってぇ!? なんだよ!? いてぇよ!」
顔を向けようとしたその瞬間に、暗い背後から自分の顎に足がぶち当たる。そのせいで鳥車の操縦を誤り、急停止させてしまう。
そうして再び振り向いたイツキに足の持ち主であるカインが指を突き付け、
「言っっっとくけどなっ! 兄ちゃんに言われなくってもっ、オレがつえぇのはわかりきってることだっ! だけどっ、まだだっ! まだオレはっ、強くなってやるっ! 兄ちゃんが一生かかっても勝てねぇぐらいにっ、強くなってやるっ! ガイルだって超えてやらぁっ! 最強だっ! オレはっ、最強になるっ! ――そんでもってっ、みんなオレがっ、守ってやるっ!!」
今の状況など何も気にせず、大声で怒鳴る。だが、イツキはそのカインの声を遮るようなことはしなかった。
カインは口元を緩ませ、そこから覗いた鋭い牙を光らせる。その行動がどういう意味を持っているのかなど、考えるまでもない。
イツキは「はっ」と息を吐いた。それが自分の言葉が必要なかった、という呆れの表れなのか、はたまた、カインの強さに対する喜びの表れなのか、それはわからない。
だが、カインは宣言したのだ。自分は強くあり、強くなる、と。
それで十分だ。
そう言い切れるのであれば、彼はやはり強い。そしてこれからも強くなっていく。それがわかる。
彼の笑みにイツキも笑みを重ねた。




