第二章10 『もう一つの不安』
「何者かが、この蔵に侵入した様子です」
イツキの質問に答えたシルは、イツキの代わりにまとめた荷物をイツキに渡す。心なしか、その荷物が重く感じたのだが、それは気のせいだろうか。
「侵入したって、この蔵の人じゃないの?」
一番あり得る可能性だ。この『サイカンの蔵』は貴族が所有しているもので、元王国騎士団長がいるのだ。そう簡単に侵入しよう、などとは考えないだろう。
そう思ったイツキの言葉を、「いやっ」とカインが否定。
「この蔵とはまったくちげぇの臭いがすんだよっ。ありゃなんか企んでやがらっ」
臭い。カインがそう言うのは、犬族としての特性からだ。彼の嗅覚は人間の何百倍にも及ぶと聞いた。ならば間違いないだろう。
「じゃあ、どうすんだよ?」
「ひとまず、セレネさんとルシールさんにこの事を伝えなければなりません。ですが……」
「最悪、もうやられてるかもしれねぇ」
シルに続くガイルの言葉に焦りを感じる。だが、まだ大丈夫なはずだ。
セレネがいる部屋は、蔵の奥の奥、それも三重扉の先だ。イツキも体感してわかったが、扉の間はかなり音が響く。さらに、それだけでなく、セレネの部屋には隠し通路が存在するらしく、侵入者がきたとしても、簡単に逃げられる。
「とりあえず、二人を連れてルクス領に向かいます。私たちは侵入した者が敵対する者とわかれば、順次撃退します。イツキさんはセレネさんとルシールさんを連れて安全なところまで逃げてください」
「シル、体は大丈夫なのか?」
「命懸けるくらいやらないとですよ」
イツキの問いに何の戸惑いもなく頷くシル。いつもと変わりはない。だが、イツキは不安を感じざるを得なかった。
この蔵は二階建てで、イツキたちのいる二階は宿泊施設になっており、一階は食事場と中央カウンターと厨房。そしてその奥が従業員の個室、さらに奥にセレネの部屋がある。
二階から一階への階段は二箇所、中央カウンターを挟む形になっている。静かに部屋から出た五人は、侵入者をそっと見遣る。
侵入者は八人のグループで、窓から覗く複数人もまた、侵入者の一味と思われる。少なく見積もっても計二十人近くはいる。
どれも全身を隠し、姿を見られまいとしていることから、恐らくルクス家と仲を持たない。つまり、敵だ。
「ッらあぁぁッ!!!」
それを察したガイルは、階段を飛び降り、一人を蹴り伏せた。その行動に気付いた他の侵入者は後退り、腰に備えた剣に手をかけ、引き抜く。その慌てた様子から、ガイルのことを知っていると見える。
「くっせぇんだよっ!」
ガイルが降りたのとは反対側の階段から、カインが飛び降りる。ガイルと同じく、一人を叩き伏せ、威嚇する。
二人の動きを合図とし、シルとパルムが重力を無視した跳躍で中央カウンターの上に立つ。これで奥へは進ませない。
だが、相手は数が多い。同時に押されれば、ガイルたちでも隙ができる可能性はある。とるべき行動は早い方がいい。
「よし! ――あででででででででででっ!? あーくそっ、かっちょわりぃ!」
いざ、というところで階段から滑り落ちるイツキ。そのどんくささは底がない。でも今回は、それがある意味役立つ。
つい声を上げてしまったイツキに、一瞬気をとられた侵入者の一人が、目の前のカインに掴まれ、なぎ倒される。次にそれに目を移した者がシルの魔法で吹き飛ばされ、と混乱する敵陣はばたばたと伏せられていく。
意外な隙を作ったイツキは、赤面しながらそそくさと中央カウンターの中に入り、奥へ進む。
三重扉のその奥にセレネの部屋がある。そこまでの道のりには、いわゆる厨房的な場所があり、そのすぐ隣には従業員の宿泊スペースがあると言う。
さらに奥へ進むことでようやくセレネの部屋の前に辿り着いた。
「セレネ! ルシールさん!」
重い扉を三度開き、奥で眠る二人の名を呼んだ。が、
「くそっ、もう来てやがる!」
セレネとルシールは目を覚まし、その正面に一人の男がいるのを捉える。先に侵入して来た者かと、そう疑った瞬間、
「曲者め! ここをどこと心得るか!」
「へっ? あれ?」
イツキが警戒した男は逆にイツキを侵入者呼ばわりし、セレネたちを背にイツキと向き合う。当然意味が分からないイツキは、混乱を隠せず、その場の誰かに説明を求めるかのようにきょろきょろと目を動かした。
「アルベルトさん! その人はイツキさんです! 味方です!」
「む? しかしこの溝から出てきたかのような怪しげな顔。いかにも悪意に満ちた男ですぞ?」
「失礼にもほどがあんだろ! じーさんよ!?」
男がイツキに組みかかる既でセレネが男を呼び止める。
白髪と皺に見合わない立ち姿の彼はアルベルト・シュース。この蔵の従業員で、話に聞いた元王国騎士団団長だった。
「無礼な態度、申し訳ない。しかし、ここに来られたということはやはり……」
「ああ、敵襲ってやつだ」
理解を得たアルベルトはイツキと状況を確認しあう。
「状況的にガイルがいることがバレたって考えるのが普通だが、今はそれはいい。まずはセレネたちを逃がさねぇとまずい。で、俺はそれを伝えに来た」
「他の方はどうしておられる?」
「応戦中だ。ま、あいつらは異常なほどつえぇから心配はいらない。けど四人しかいない。相手は十人以上。最悪ここまで来られることも考えたら……今すぐにでも退避しておいた方がいい」
「む。理解した。従業員どもに言うておく。しかしながら、それからどうするつもりなのか教えてもらいたい」
「俺たちは……どうすんだ? わからねぇけど多分敵さんが逃げるか全滅になるまで戦うと思う。それと、セレネたちが逃げるのに追手は最悪だ。できるだけ隠れて頼む」
「む。伝えよう」
本当に最悪の場合、セレネたちが逃げるルートでさえ、敵の手が回っていたとしたら、完全に手詰まりになる。それを避けるべく、なるべく早く出発させなければならない。
従業員は十人程度。一つの鳥車で移動するのは困難を極める。最低二つになるが、数が増えればその分目立つ。ここは、一人だけでもこちら側から護衛をつけるべきか。
そう思ったイツキは厨房を駆け抜け、シルたちのいるカウンターゾーンへ。
「おいおい……人数増えてんじゃん!」
再びその場に現れたイツキは、目に見える人数が最初の倍、四十人近くになっていることにさらなる焦りを感じる。
するとそこへ、
「イツキさん。セレネさんは?」
「指示は出してある。けど、人数が予想外だ。それにセレネたちが逃げるのに追手対策がない。一人は向こうに付かないと」
「全員逃げられるのであれば私とガイルで潰せますので、カインとパルムを連れて行ってください」
「マジか。マジか。無理すんなよ?」
「わかってます」
シルの言葉に驚きを隠せないイツキだが、それでもシルの心配は欠かさない。しかし、念押しした忠告にさっと背を向けたシルは、近づく敵を一人二人と凍らせ、戦闘に戻ってしまう。
何が彼女をここまでするのかわからない。イツキはやはり、知りたいと思った。
「パルム! カイン! こっち来い! でもって俺を守って!」
人数が増えたのにも関わらず、いまだ観戦状態のパルムと、その反対に自らの体を撓らせ、敵を弾き飛ばし続けるカインを呼ぶ。
「なに?」
「パルムとカインはセレネたちを守ってくれ。この奥に進めばいるから。頼んだぞ?」
「イツキ、は?」
「俺は万が一のためにここに残っておく。大丈夫だ。俺はそう簡単には死なねぇから」
謎の治癒能力。この世界の人間にならわかるが、自分に起きたその変化を中々受け入れられなかった。でも、こういった場では役に立つ。この世界の自然の原理に感謝だ。
「カイン! 早く!」
「なんだよっ!?」
「説明めんどいから適当に言うぞ。セレネたちを守れ。パルムが先に行ってる。この奥な」
「わあったぁよっ」
指さし、セレネの部屋を示す。カインは嫌々ながらに頷き、すぐにその場を立ち去る。
これで、セレネ側の守りは大丈夫なはず。が、こちらの戦力が減ったことに敵が気付かないわけがない。恐らくすぐに気付くだろう。
分散された戦力は相手も同じ、心配はない。
「ひとまず安心……か?」
カウンターの中に身を隠し、再び状況整理を始める。
現状、相手の素性ははっきりしない。どこかの貴族からの遣いか、奴隷商か何か。少なくともセレネに敵対する者であることは確かだ。
だとすれば可能性が高いのは貴族絡み。つまり、王選が関係してくるわけだ。
「めんどくせぇな……王選って」
敵が持つ武器は見たところ剣、短剣、槍の三種類。イツキの中では槍を使えば一番安全だと考えられている。そしてそれは、ガイルやシルに叩かれた敵が持っているもので十分に補えるので、イツキもこの中に入って戦えないでもなさそうだ。実力は見ないものとするとだが。
「すまぬ。遅れた」
「じーさん……あんたも逃げた方がいいんじゃねぇか?」
思考するイツキにアルベルトが合流する。彼はイツキの心配を首を横に振ることで否定し、
「我が主に任されたこの蔵、自ら命を張って守るのが務めというもの。ここで他人に任せて引き下がれようか」
「戦えんのかって聞いてんだけど……それも大丈夫そうだな」
「む。こう見えても騎士の一介。傭兵どもには負けておられぬ」
そう言ってすっと立ち上がり、カウンターを抜け、シルとガイルの戦闘に加わろうとする。が、
「む!?」
「どうした!? まさか、もうやられたのか!?」
「剣を忘れた次第!!」
「くそじじい!!!」
見ればアルベルトは腰に剣を、勿論その手にも持っていない。武器なくして戦える相手でないことはわかっていたはずなのに、どうしてこう間抜けなのか。老化とは恐ろしい現象だ。
「って、敵の使えよ!」
「悪の剣など振るえはせん!」
「な!?」
剣をとりに厨房へ走り去るアルベルトにイツキが考えていた方法を伝えるが、彼は自らの剣を振るうと言う。
悪の剣は振るわない。イツキが自分の考えていた作戦を恥ずかしく思うほど立派な騎士道だが、今この場でそんな悠長なことを言っている場合ではない。
と、言うまでもなく立ち去ってしまった彼を、心の奥底から嫌いになりそうだ。
「って、今はどうでもいいわ。問題はこっからどうするか。シルたちが負けるとは思わねぇけどバラバラなのも不安でしゃあねぇし」
セレネたちは無事逃げられただろうか。カインもパルムも尋常じゃなく強い。ただ、人数に不安があるのだ。
よく考えてみれば、逃げたグループの人数は、カインとパルムを除いても十人以上。二人だけで守り切れるのかも心配になってくる。
その人数をシルに伝えなかったせいで二人に苦戦を強いることに繋がらなければいいが。
「あともう一つ不安なのは――あぁんびりぃ!!?」
さらに思考を続けようとしたイツキのすぐ横に、巨大な何かが飛び込んできた。
見ればそれは人間で、見たことがない者。つまりガイルかシルが飛ばしたのだろう。まったく亜人は遠慮と配慮を知らないのか。
「心臓バックバクだぜ……っと、これ借りるぞオッサン。またはお兄さん」
そう言って倒れて気絶した敵の武器、イツキの得意な、いや、無難な槍を手に取る。いつ参戦するか、そう考えてはいるが、必要ないなら戦いたくない。
血を浴びたくないし、流したくない。『目立たず、楽に』を遂行したい。
本当ならこんなところに残っているのも嫌なのだが、今はシルやガイルを放っておけない気がしている。
「あのくそじじいまだかよ……!」
アルベルトが帰って来ない。もしあちらで何かしらの問題があったのなら仕方ないが、どこに置いたか忘れた、とかなら事後にどうしてやろうか。
「一応行ってみるか」
ここに残っていても今はまだすること、できることがない。それに本当にアルベルトの方で問題があったのなら、向かうが吉だ。
しゃがんだ状態からロケットスタートで走り出す。またしても厨房を駆け抜け、
「じじいはどこに行ったんだよ!?」
見当たらない。いくら何でも逃げたはずはないだろう。だが、どこにもアルベルトの姿がないのだ。
セレネたちが危険な状態になったのかと、そう危惧した瞬間、
「すまぬ。待たせた」
どこへ行ってたのか、アルベルトが従業員の部屋があるその道の奥から剣を持って出てきた。
「何かあったのか?」
「む。剣をどこに置いたのかを忘れた次第」
「くそじじい!!!」
「先日、鳥車に置いたままだった故……」
「くそじじい!!!」
つまりは老化である。
「まぁいい。死ぬなよ?」
「ぬかせ」
イツキの挑発ににやりと笑みを浮かべ答えるアルベルト。そのとき彼に重なった老いが経験として見えたのは間違いではないだろう。
「――! イツキ殿!」
「っ!」
突如、アルベルトが表情を変えて叫ぶ。その視線を察し、後ろに注意を向ける。が、遅い。
黒服の男が槍を突き出し、イツキの首辺りを目掛けて突進する。イツキも瞬時に槍を構えるが、一点を狙った槍の突きは防ぐことは困難。イツキには到底かなわないことだ。
さらに、敵は高身長。よって、リーチの差が生まれ、イツキが槍を突いたところで届くかは不明。
決死の覚悟でその突きに合わせ、弾こうと試みたその瞬間、
「ふんんんん!!」
鋭い閃光が甲高い金属音とともに閃く。
「お? あれ?」
敵の槍がイツキの首を貫くか、その既でお互いの槍の柄が消えた。
「外道め、貴様の生など何の価値もない! ここで死にゆけ!」
再び一閃。敵を切り伏せ、剣についた血を振り落とす。その閃きはイツキの素人目で見てもわかるほど、鍛練に鍛練を積んだ末にようやく得られるもの。まごうことなく達人の域だ。
「台詞の酷さは良しとは言えねぇけど、つえぇ……」
アルベルトから溢れ出る剣気がイツキを圧倒し、緊張を高めさせる。がしかし、
「って、俺の槍まで斬るなよ!」
「む。すまぬ。視力が落ちた故……」
「くそじじい!!!」
一瞬で尊敬の意を失うほど、彼はどこまでも能天気な老人なのである。
と、そんなことを言っている場合ではない。
敵がここまで来たということはシルとガイルの防衛線に隙ができたということだ。そう考えた瞬間、背筋が凍った。
「まさかあの二人……! じじい! 行くぞ!」
あの二人が人間相手に負けることなど考えられない。しかもここに辿り着いたのはまだ一人だけだ。たまたま抜けることができたと考えた方が自然だろう。
だが、この拍動は何だ。高鳴る心音が緊張を最大に膨れ上がらせてくる。
残るもう一つの不安が起こったのではないかと。
「シル! ガイル! ――!」
カウンター越しに声を上げ、二人の安全を確認しようとしたそのとき、足元に赤黒い肉塊が転がっているのに気付く。
鉄の臭い。血だ。肉塊から放たれる血の臭いが鼻を突き、その異常性を物語る。
顔を上げ、正面。そこにはイツキがこの場を離れる前とは全くの別の光景が広がっていた。
「んだよ、これ……?」
蔵の赤壁が血肉に塗れ、地獄のような惨劇が、そこにあった。
最後の一つが現実となっていた。




