第二章6 『未来の先に』
ガイルからシルとルシールの話を聞いたイツキとカインは、それに驚きを隠せずにいる。
だが、二人が聞いたことは真実ではない。
「セレネは大丈夫だったのか?」
そう案じるのは、彼らが知らされた話が、シルが無意識に上げてしまった湯船の温度で、ルシールが逆上せて倒れてしまった、という、全くの嘘だったからである。
何故そのような嘘が彼らに伝わったのか、それはガイルの判断によるものだった。
ガイルはイツキを完全に信じている訳ではない。シルの持つ「病気」を知って何が起きるかわからない。そういった懸念が、イツキを騙すきっかけとなった。
ガイルの隣にいたシルも何も言わず、否定の行動もとらなかった。
セレネとパルムにはなんとなくではあるが伝えてある。ルシールにも目覚めたら謝罪とともに伝えるつもりだ。
願わくば恐れないで欲しい。
「まぁ、全員無事ならいいんだけど……。シルも気をつけろよ?」
「――はい。すみませんでした」
「うぃ。じゃあ俺たちも風呂入ってくるわ」
ぺこりと、深々と頭を下げるシルの肩を、イツキが軽く叩き、そう告げる。
シルのことだ。悪気があるはずがない。思ったより風呂が快適で気が抜けたくらいだろう。でなければ疲労か何か。
いつもなんらかの形で世話になっているのに、こんなことで強く責めるなど無粋の極み。
そう思ってシルのことを頭から流す。
問題はルシールのことだが――
倒れてセレネの部屋に運ばれたルシールは未だ深い眠りについていて、彼女が横たわるベッドの傍らには心配するセレネと、パルムがいる。
二人はガイルの言葉を信じて、ただルシールが目覚めるのを待つ。セレネは特に、パルムもルシールの身を案じているのだ。
だが、パルムが最も案じていることはそれではない。その原因、シルについてだ。
ガイルは何が起こったのかを説明してくれた。だが、あれが全てではないのだろう。
パルムはシルと出会ってから、あるとき、その瞬間を境に彼女の近くを離れようとしなくなった。
いつもシルの傍にいる。だからこそわかるものがあり、わからないものがあることに気付けた。
シルは自分とは、魔道士としての力とは全く違うものを持つ。それがなんなのか、これまで様々な指導を受け、感じてきた。
自分には使えない魔法を使え、自分ではありえないほど強大で広範囲な魔法を使える。
シルとの年齢差は五年と少し。出会ったのは二年前。そのときからすでに力の差は歴然としていた。
パルムはその二年前まで、魔法を使ったことはない。シルと出会い、教育を受け、今のように実用できるまでに成長してきた。
その成長率は同じくガイルに指導を受けてきたカインと比べれば、数十倍の速さだと言っても過言ではない。パルム自身がそう言い切れる。
それなのに、この二年間、シルに近づいたことなど、ましてやそんな勘違いさえしたことがなかった。時が流れるにつれ、彼女との距離は離れていく一方だ。
――シルは何かを隠している。
そんなことを考え始めたのは最近のことだ。
珍しく夜更かししたパルムが偶然聞いた話は、とある一室、フィリセの部屋だった。
そこからは聞こえたのはフィリセとシルの声。いつもと変わらない声色で、ぼそぼそと話していた。
その当時は何を話しているのかわからなかったが、それがただの世間話でないことは察していた。
数ヶ月後、奇妙な二人がやってきた。初めて目にする人間だった。
一人の女は「ヒナタ」と名乗り、不思議なくらいハープと仲が良くなった。
もう一人、「イツキ」と名乗った男は、最初死んだように眠っており、二人が来てから一週間近く眠ったままだった。
目覚めて、すぐにシルと行動し始める。そのとき、ようやく二人とシルの関係が見え始めた。
二人が来てからすぐ、シルに言われる。
「イツキさんを見ててください」
「イツキ」を守れと。
それからまたすぐに、事件が起こる。
シルと「ヒナタ」がいなくなった。
シルは何かを隠している。その意識を念頭に置き、それでも彼女の言いつけを守る。
見てればわかる「イツキ」の異変。それが不安から出るものだとも。
――怖いのは嫌だ。痛いのは嫌だ。苦しいのは嫌だ。独りなのは嫌だ。
「イツキ」がこの状況に、負の感情を抱いているのなら、自分ができることをしてあげたい。――シルとの約束などなくても。
その夜、「イツキ」が動く。不安に煽られ、この集落から逃げ出した。予想通りの動きだった。
そして当然、その動きにガイルが反応する。最悪の場合、ガイルは「イツキ」を殺す。
説得の効かないガイルとの交戦後、「イツキ」とともに、フィリセの部屋まで逃げ帰る。
シルが帰ってきたのはすぐ後。
そこでまた気付いた。
シルの言いつけは、まるでこのことを予想していたかのようなものだったことに。
でもシルはその場で何が起きたのかを問うた。
わからなかった。何が正解なのか。
シルは知っていたのか。偶然には思えないこのできごとを。
――シルは何かを隠している。
何故パルムには教えてくれないのか。
「――シル様」
この世で誰よりも尊敬する、しかしそれでも遠く離れている名を、誰にも届かない声で呟いた。
「――俺はいらねぇ。勝手に行ってろ」
「え? まじで?」
手招きして大浴場へ足を運ぼうとするイツキとカインに、さっさと背を向けたガイルがそう言い放つ。彼はシルの手を掴み直し、扉の外へ出たイツキを手で払う。それから強く扉を閉め、一瞬の静寂を作り出した。
そんなガイルに、イツキもカインも首を傾げるが、頭の働かない二人は理由がわからないままだ。
「ま、だいじょぶじゃね?」
「べっつにっ、心配なんかしてねぇよっ」
「泣いてもいいのよ……カインちゃん」
「気持ちわりぃっ」
「しらこっ!?」
よしよしとカインの頭を撫で付けるイツキの横腹に割と本気な肘打ちが入る。
原因はわからないが、違和感があるのは確かだ。それはイツキだけでなく、カインも気付いている。だが、そこにある何かを感じることはできても、知ることはできない。
気にしすぎなのかもしれないが、そのまま放っておくには大きすぎる違和感だ。
「やっぱおかしいよな……」
シルが魔法をうっかり放ってしまい、ルシールに影響があったのだとしても、何故シルがそんなことをしてしまったのか。シルほどの人物が、うっかり、なんてミスをするとは思えない。――否、それも思い込みに過ぎないのかもしれないが。
そんなことを考えていると前を歩くカインが立ち止まり、直進を続けていたイツキがその背中にぶつかる。その硬い頭に歯が当たり、押されるような痛みを感じた。
「いってぇなっ! どこ見て歩いてんだよっ」
「ヤンキーか! てか急に止まったのはお前だろ」
「もう風呂に着いたんだよっ、バーカっ」
「んあ!? 字が読めねぇんだよ!」
「バーカっ」
「もう一回言うな!」
カインが指差すところを見れば、そこには木の板でできた看板らしきものが掛かっている。その看板には黒い字で何かが書かれているのだが、それは見覚えがない文字。すなわち、イツキの知らない複字である。
単字ならまだしも、複字が読めないのは勉強不足などではない。しかし――
「読めねぇのは不便だな」
複字は元の世界でいう漢字のようなものなのだが、それをマスターするのは平仮名的存在の単字の難易度とは比にならない。
それでも少しくらい、それこそ元の世界の小学生程度にはなっておきたい。
それは知らないでいることの不便さもあるが、何よりこれからの事のためにも。
セレネたちにはイツキが異世界人であることを知らせていない。シルがそれを否定したからだ。
何故否定したのか、シルは説明が面倒臭いと言っていたが、勿論本音ではないだろう。
実際にイツキの真実を明かしてしまえば、何がどう出るかわからない。イツキの身の安全のためにも隠す方が無難なのだ。
だからこそ、イツキが文字を読めないとなると、それをもセレネたちに隠さなければならなくなる。
そういった面はシルに任せておけばよいのだろうが、「信頼しろ」などと言った手前、このままにしておくのも心が痛む。
「お、おおっ……」
服を脱ぎ、浴場へ足を踏み入れると、そこにはイツキのよく知る温泉があった。その広大さに思わず声が漏れるカイン。
馴染みのないそれに見入る姿は先刻のパルムと同じだ。その姿を見ていないイツキはなんとも言えないが、やはり子供だとは思う。
そんなイツキも湯気立つ水面を見遣り、懐かしさを感じながら、
「この世界にもあるのかぁ」
などと哀愁の言の葉を放つ。
元の世界との共通点を見つける度に、それが元の世界へ帰るためのヒントではないか。そう感じることもある。
シルはイツキとヒナタがこの世界から帰れるように手伝う気でいるようだが、だからと言って、はいお願いします、と簡単には言えない。本来それはイツキたちだけでやるべきことで、他人に、しかももっと大きなことをやろうとする彼女に頼むべきではないのだ。
だから、こうして少しでも多くのヒントを探し出し、なるべく小さな動きで迷惑をかけないように、帰る算段を立てようとしている。――実際にできることなどほとんどないのかもしれないが。
「ふあぁ……」
体を洗い、多量の二酸化炭素を排出しながらゆっくりと湯船に浸かる。
考えてみれば久しぶりのちゃんとした風呂だ。
かの集落では、ほとんど泡の立たない石鹸もどきで一生懸命体を洗い、体はともかく、心が休まることなどありえなかった雰囲気の中、異世界の男のモノに圧巻され、おまけに二日に一回制。
誰にというわけでもないが、誰かに文句を言いたい。
「――ひーやっっっ、ほいっ!!」
「っ!? ぶっ、はぁ!!?」
静寂に溺れるイツキを強引に引き戻したのは、新しいものへの興奮に溺れるカインだ。
彼は天井近くまで高く飛び上がり、風呂の中心に盛大な水飛沫を上げながら着水した。
「ぬぁにやっとんじゃぁい!!!」
「っっっ!?」
水飛沫に仰け反り、大きな音を立てて後ろに倒れ込んだイツキは、怒りに溺れてはしゃぐカインを一喝。普段はふざけてくだらない言い合いになるところだが、その厳格な老人並みの声でカインも驚きに溺れる。
これだけ溺れても溺死者が出ないのは奇跡だろうか。――否、一つの感情に溺れる直前で新たな感情が生まれるからだ。
安寧を邪魔されたイツキが犯人のカインに説教を垂れようかと、そんなときだった。
湿った木の扉の開閉音がして、誰かの足音が聞こえる。
「――?」
怒りが冷めたイツキは正面のカインと目を合わす。が、カインも肩を竦めて知らぬ様子。
ガイルかと想像したイツキは意外な人物の登場に唖然とした。
足音が一つ二つ、二人分聞こえる。そして話し声。
「――とに無事でよかったです」
「ん。よかった」
「でもガイルさんに言われたとおりもう少し安静にしておかないとですね」
「ん。あんせい、あんせい」
うきうきとした声と、落ち着いた声。聞き覚えのある。
それは――
「パルム!?」
「――?」
「やべっ」
若干濃いめの湯気の中から伸びた脚は、細く短い。だが、どちらも遠目でもわかる程に滑らかだ。
その若々しい脚を見て、瞬時に持ち主を言い当てたイツキの声に、一人が反応する。
正解だろうが不正解だろうが、二人が女を性に持つことは間違いない。つまり、この状況はそういうことで、そういう場合は大抵男が悪とされる。まずい。
状況を察したイツキは慌てて身を屈めて隠れようとするが、その行動は全くもって無駄だった。だって、
「パルムと姫さんじゃんかっ」
「っ!? あいつ!」
イツキとは対照的に身を乗り出したカインが、完全に姿を見せた二人に堂々と話しかけたのだ。イツキはそんな彼の行動に頭を抱える。
「カイン……」
「えっ!? カイン君!? ど、どうしてっ?」
カインが「姫さん」と呼んだのは銀髪の美少女、セレネだった。
彼女はカインの声を聞くなり、慌てふためき目を瞑り、手で体を隠しながらしゃがんで背を向ける。これが普通の反応。
だが、パルムは違う。恥ずかしげなく、当然のようにそこに立つ。
「イ、ツキも……」
「お、おう」
カインが前に出たおかげでイツキの存在にも気付いたパルムは、その名を呟いてじっと見つめる。
目隠ししながらそれに応えるイツキは半身を湯船に、頭の中では焦りを走り回らせている。
そして、それと同じくらい混乱しているのは、イツキの名を聞いて「はわわぁ」と声を漏らすセレネだ。
「どどどどどうしてイツキさんまでここにいるんですかぁ!?」
「どうして、ってのはこっちも聞きたいんだけど、とりあえず……どうするべきだ、これ?」
「何してんだっ?」
「何してる?」
お互い何故ここにいるのかがわからず、どうすべきかもわからないでいる。というのはイツキとセレネだけで、カインとパルムはイツキたちが不自然であるかのような顔をする。
「何? じゃねぇだろ。もうちょい恥じらいをだな……」
「何にだよっ?」
「何に?」
「あのな!」
ぽかんとした二人に羞恥心の何たるかを解こうとするも、この状況に羞恥を感じないのであれば、イツキがいくら説明しても意味がない。
ため息でそのやり場のないもどかしさを殺し、大げさに現状打破を考える。
「えーっと、とりあえず俺たちは出るからゆっくり浸かってな……。パルム、目瞑ってて」
「? ん……」
イツキの提案にぶんぶんと激しく首を縦に振るセレネ。それとは反対にまたしても首を傾げるパルムだが、イツキのセリフの意味がわからないまま、なんとなく頷く。
「いやっ、なんでオレたちがっ、出てかなきゃなんだよっ?」
「っっ!? ……はぁ」
「んだよっ?」
イツキの考えどおり行けば、色々と面倒臭いことを避けられる。が、案の定、カインが入り込む。深い嘆息とともにそれを受け止め、やれやれと言った風に首を振る。
カインの言い分はこうだ。
「大体よっ、なんでさっき風呂入ったパルムたちがっ、またここにいんだよっ? それに先に入ってたオレたちがっ、出てくのはおかしいじゃんよっ」
まあ、納得いく意見だ。だが、この状況でそんな正論を出されると痛い。確かに、確かにカインの考えはわかる。パルムとセレネがここにいる理由が不明瞭なのも、まだ湯に浸かってすぐなのに出て行かなければならないことへの不満も、十分理解できる。
でもイツキの気持ちもわかって欲しいところだ。
「いやいやいやいや、いやいや! 俺たちが出ていく! 絶対!」
「いやいやっ、いやいやいやいやっ! オレはっ、ここに残るっ! 絶対っ!」
「いやいやいやいやっ、いやいややあ! セレネたちが出ていきますんで!! 絶対!」
「……何……これ?」
こんな感じで結局イツキとカインが退室することになり、その後、しばらくして交代する。
イツキたちが入浴中、カインはずっと愚痴を言っていた。それを聞き流しながら、くつろぎのない時間を過ごしたイツキは、
「安らぎが欲しい……」
と、ぼそり呟くのだった。
ときは遡り、イツキとカインが浴室へ向かってすぐのこと。
セレネの部屋にて。
「シル様……」
そう呟いたパルムの目の前で眠っていたルシールの手がぴくりと動く。
「ルシールさん!」
「セレネ様……?」
微かな動きに反応したセレネは、覆いかぶさるようにルシールに飛びつき、どっと涙を流す。
「大丈夫でずが!? どごか痛みまぜんか!?」
「? あのセレネ様……?」
「う、ああ……」
大粒の涙を頬に伝わせながらその身を案じるセレネは、困惑しているルシールに気付かない。ただ無事に目覚めたことに心から安堵しているのだ。
そうして泣きじゃくるセレネの姿を見て、ルシールも自分がセレネに不安な思いをさせてしまったことを察し、そっと彼女の背中を撫で、
「セレネ様。大丈夫です。――私はセレネ様が未来を創るまで死にませんよ」
「――っ! ぞれからも死んじゃダメでずよぅ!」
ルシールが何気なく放った一言は、セレネにとって大きい。だって――
「その先にっ、みんながいないとですがらぁ……!」
セレネが掲げる目標は、ただの目標に過ぎない。大切なのはその過程や結果。そして、その先だ。
その先にこれまで犠牲になった全ての人が報われる世界がなければ意味がない。そのためには誰一人として欠けてはいけない。
「それにっ……ルシールさんがいないと、セレネはダメになってしまいます。……ぐずっ……だから、絶対に死なないでくださいっ」
絶対に。
ルシールの腕の中で真摯に訴えるセレネの姿に思うものがある。記憶の底で様々な思い出に埋められた、しかしそれでも強く重い意志としてセレネの中に根付いたあるものが、今の彼女を造っている。
その記憶を知るルシールは、だからこそ、セレネの未来の先へ従うことに決めたのだ。
「――はい。一緒に連れて行ってください、セレネ様」
「――」
いつか必ず辿り着く未来の、その先へ。
「みんなで――」
――で、完全に放置された金髪の魔導幼女は、口を噤んで二人を眺めていたわけだが、それなりに考えていたことがある。
もしも、シルが原因でセレネの侍女、ルシールが倒れたのだとしたら、やはりそれは、人外の何かが関わってるに違いない。
ガイルの言う病気とはなんなのか。詳しいことは何も、大まかなことも何も、ただシルが病気を持つとだけ。たったそれだけ。シルもガイルもそれ以上を教えてくれない。
きっと過去のあのこともこれに関係している。決して許されない、蘇らないあれも――。
「じゃ、改めてお風呂に入りましょう! あ、でもシルさんは……」
パルムの思考をセレネの声が遮る。
そうだ。今は深く考えても仕方がない。シルが何も言わないのであれば、それにはちゃんとした理由があるのだ。
何かを隠していたとして、それがパルムの、他の皆の不幸になるようなことではないと、今までの出来事からも考えられる。
今こそ、信じるときだ。
「今は、ガイルといる。でも、だいじょぶ。……先、入ろ?」
そう言ってセレネの手を取り、力を入れようとするが、そのセレネはパルムの手を握り返そうとしていない。
「そうですか……」
セレネもシルの話を聞いている。これから協力関係になろうという人物が、詳細不明な病気持ちであれば、それは確かに考えものではある。――否、セレネのこの落ち込みは、もっと単純で優しい心から来るものだ。
だからこそ、シルを心配し、これからのことを不安に感じるのだ。
そして図らずも、
「私も、まだ少し力が入らないので遠慮させていただきます」
「ええっ? そんな……!」
横たわるルシールは申し訳なさそうにそう告げる。それを受けたセレネはより悲壮な顔になり、再び目に涙を浮かべる。
だが、どうしようもないルシールは、そっとパルムの手を握り、
「セレネ様をよろしくお願いしますね? パルム様」
と。
そう言われたパルムは「んむ」と頷き、セレネの顔を見遣る。ふと感じるのは、やはりセレネは美しい。泣いた顔より笑った顔が似合う。
「パルムちゃん……」
「――」
「ふえっ!? パルムちゃん!?」
パルムはぐっと手を引き、近づいたセレネの頬に口づけをした。声を上げて反応する彼女は、笑顔というより混乱を先に顔に出す。
その反応に狙い外れの感覚を覚えたパルムは、首を傾げて疑問符を浮かべる。が、それより大きな疑問を持つセレネにはただの追い打ちとなるだけだった。
パルムのとった行動は、セレネをどうやって笑顔にするかと考えてのことだが、経験のなさからか、選択肢が少ない。だから、自分がされて嬉しかったことをしたのだ。本来はそれでいいはずなのだが――
「だ、大胆すぎです!」
「――?」
「そっ、そういうのは大切な人にだけっ……」
「セレネ大切」
「……っ」
パルムの台詞に、ぼっと顔を赤くしたセレネは思わず言葉を詰まらせ、息を飲み込む。それから、
「あ、ありがとうございます」
照れ隠しか、少しむっとした声でそう告げる。が、その程度の感情はパルムにはお見通しだった。
「んむ」
それから浴場へ向かってイツキとカインに遭遇し、なんやかんやで二度目の入浴を済ませ、イツキたちが出てきたとき。
「――んで、ルシールさんは無事目覚めました、と?」
「そ」
「なるほど……」
ルシールが目覚めた旨をパルムに聞いたイツキは、その違和感を噛み締める。――違和感。
場所は脱衣所のすぐそばにある休憩所的なところ。一人の従業員がぱたぱたと埃を掃っているのが目立つほど何もない部屋だが、そこに備えられた椅子は自然と体に馴染むものだった。
そしてその場にはイツキとパルムの他にセレネも同席している。カインは先に部屋へ帰ってしまったが、真面目な話をするのに彼は少々邪魔となるので都合がいい。
「その、目覚めたってのが気になるんだけど?」
「……?」
イツキの覚えた違和感。それはその単語のせいだ。
「目覚める」とは一般に、眠っている状態から解放されるようなことを指す。実際、この場合に間違ってはいない言葉だ。だが、少し大げさにも感じられるのだ。
この言葉を用いることで、まるでルシールが深い眠りから目覚めたかのような印象を受ける。イツキのとった違和感はそこにある。なぜなら、
「ルシールさんって逆上せただけだよな?」
「――」
イツキが聞いた話では、ルシールはシルの魔法によって上げられた湯船の温度で逆上せてしまった、とされている。これはイツキの常識内の考えだが、逆上せてしまったからと言って深い眠りに落ちることはそうそうないのでは、と考えたのだ。
間違ってはいない。だが違和感。
「もしかして、ルシールさんが倒れたのって別の理由?」
そんなイツキの質問にぴんと来たのはパルムとセレネの二人だ。だって、彼女たちが聞いた話とイツキの聞いた話が、明らかに違うのだから。
「それはシルさんの――むんっ!?」
セレネが口を開いてすぐに、その口をパルムが抑える。その意図は――パルムは咄嗟に思考した。
イツキに伝えられている話と自分に伝えられている話。確実に嘘なのはイツキ側。真実に近しいが何もかもが不明瞭なパルム側。この違いを作り出したのはガイルだろう。
そしてイツキに明らかな嘘をついているのは信頼度の点から。パルムたちに不明瞭なままを伝えたのはその理由があるから。
それなら、その違和感を感知したイツキに言っておかなければならないことがある。
「シル様、は……病気ら、しい」
「……病気」
パルムはただありのままを伝えた。それが最善で必須だと思ったからだ。
病気の詳細が何もわからないことも、それを教えてくれなかったことも、パルムの知っていることをありのまま教えた。きっとイツキならこの意味を察してくれると思ったから。
「信用……薄いなぁ」
全てを聞いてぽつりと呟く。イツキの頭の中では納得と理解が共存している。
ガイルがイツキに嘘をついたのは信用の問題。パルムに真実を明かさないのは重大さの問題。
勿論イツキはそれらを責めるつもりもないし、それ以上を追及する気もない。ただ、そこに至れなかった自分に嫌気が差してきただけ。もっと、彼女らのことを知っておきたかっただけ。
「ま、もいっかい言うけど……みんなが無事ならそれでよしってことだな」
「んむ」
「はいっ! そうですね! セレネたちまで暗くなることはないんです! もっと明るくしてシルさんの病気も治してしまうくらい頑張りましょう!」
握り拳を掲げ、人一倍盛り上がるセレネに賛同するように、パルムが小声で「おー」と言う。つられて、ではないが、まったくもっともだと感じたイツキも同じように腕を上げた。
なんとなく盛り上がって、セレネはルシールのいる自分の部屋へ、イツキとパルムは二階の大部屋へ戻っていく。
その途中のこと。パルムが前を歩くイツキに、聞こえないほど小さな声で話しかける。
「セレネの、め、ざす未来に……そ、の先に……シル様がい、ないか、も……しれない」
「――」
「もし、そ、うなったら……シル様を……助け、てあげて」
俯きながら喋るパルムの、その小さな声はイツキの耳には届いていないかもしれない。でも、もし叶うのであれば、そのためにはどんなことをも惜しまない。そんなパルムの何よりも大きい覚悟の言葉だった。
未来の先に届ける、言葉だった。




