第一章10 『愚者の手をとる、開放の手』
荒々しく、まさに、怒りを体現したような姿が、イツキの持つ魔石の光に照らされ、現れる。
「ガイル……!」
なぜここに、という疑問より先に、身の危険を感じた。
怒りの体現者、ガイルはイツキを強い視線で睨む。鋭く、イツキを切り裂き、焼き殺すほどの視線で。
その鬼気にイツキは思わず息を詰まらせる。
「てめぇがここにいるってことは潰してもいいってことだよな」
「ま、待てよ! なんでそうなる!?」
彼から感じる気迫は、イツキの説得に意味を待たせないことを、イツキ自身がわかっている。いや、それに確信があるわけではないが、今のガイルは確実にイツキを敵視しているはずだ。
「シルが誰にも言わずに出てったんだ。おまけに女もいねぇ。そんでお前が抜け出した。つまり、そういうことだろぉが」
「待てって。俺は二人を捜しに出てきただけなんだよ。お前が考えてるようなことはしないって」
「この状況でどう信じろってんだよ」
「それはっ……」
フィリセのときと同じだ。状況の説明ができない。イツキは完全に抜け出す準備をしてきた。この姿が逃げる姿だと言われれば否定はできないのだ。
「だ、大体、どうしてお前がここにいるんだよ」
説明から逃避するためにようやく原点の疑問にとりつく。正直これはただの悪あがきに過ぎないのかもしれないが。
ガイルはすぐにイツキを襲おうとはしてこない。むしろ、まだ話を聞こうという態度ではある。だが、その説得が無意味なのは先に述べたとおりだ。
それができないのであれば、イツキはどうすべきなのか、考える。
「てめぇらがここに来たときから怪しい臭いが収まんねぇ。ずっと監視してたが案の定、この様だ」
十数メートル。その距離を縮めながら、話し出す。一歩ずつ、ガイルが歩みを進める度に、イツキの体が固まっていくのを感じた。
裸足が土を掴み、地を抉る。
「シルはどうもてめぇらを気に入ったらしいが、俺は認めなかった。聞けばてめぇらはイセカイとかいうところから来たらしいが、そんなもん聞いたことねぇ。おまけにてめぇは奇妙な力ぁ持ってやがる。それがただの人間だなんて思えるか」
「でも、俺の力は亜人ではあり得ないってシルも言ってたんだよ。マナとかいうやつで突然変異起こしたって」
「馬鹿か、てめぇ。んなもん黒いの使えば簡単に騙せるんだよ」
「黒いの?」
「闇の魔石だ、馬鹿野郎。しらばっくれんじゃねぇよ」
ガイルは、顔を訝しめたイツキに罵声を浴びせる。だが、イツキは闇の魔法がどんな効果を持つのかを知らない。しかしそれもまた、説明は不可能だ。
「亜人はマナを使って力にしてんだ。黒いのでそれを封じれば誰だってマナの干渉が疎かになっちまう。てめぇらはその習性をうまいこと活用してシルを騙したんだろぉが」
「待て待て、そんなもん知らねぇんだよ。使いようがねぇだろ。大体、そんなもん持ってるなら俺が寝ている間にわかるだろ」
「体に埋め込んでりゃ気付くもんも気付かねぇんだよ」
目の前まで、近づいてきたガイルに気圧されながら、必死に食い下がり、何とか説得を試みるが、やはりガイルはそれを認めない。
気付けばガイルはすでにイツキの数歩手前にいる。
「とにかく、てめぇは敵だ。ぶっ潰す!」
「待てって――」
ガイルから感じる鬼気が強くなり、イツキはそれに死を見る。慌てて抵抗した両手は、ガイルの腕の薙ぎ払いで弾かれる。――そう表現するのは正しくないのかもしれない。
ガイルの放った薙ぎ払いは、たった一瞬でイツキの手から肘までの骨を砕き、肉を裂いた。腕の形を損なった腕を見遣り、激しい痛みが遅れてやってくる。
「――ぁ?」
理解不能な激痛は判断能力を低下させる。対処すべきことを頭の中から遠ざけてしまうのだ。目の前の脅威を忘れ、イツキはその場で最も意味を持たない行動をした。
イツキがとった行動は見たことのないものに好奇心旺盛な赤子がするような行動だ。
壊れた自分の腕をつつき、ぶら下がった肉を持ち上げる。滴る血を見て、考えてしまう。
――これは俺の血か。
当たり前のことを考えるが、イツキにとっては当たり前なんかじゃない。怪我をしたこともある。自分の血が出たことだってある。でも、ここまでの惨状は自分のどころか、誰のものも見たことがない。落ちかけた腕が、千切れかけた肉でかろうじてつながっている状態など。
イツキには形を失ったそれが何なのか、わからなくなってしまうほどに。
だが、考えるイツキを待ってくれるほど、処刑人は優しくはない。
「あっうぅ!?」
自らの腕を眺めるイツキの腹部を、ガイルの足裏が突く。それも異常な勢いで、もう少し強ければ腹をぶち破り、中身がばらまかれていたかもしれない。
そんなことを考える隙すら与えず、次はあばらに強い衝撃が届く。
立て続けに繰り出された蹴りに吹き飛ばされ、一本道の外へ。いくつもの木々にぶち当たり、鈍い音を立てて壁に激突。
頭蓋骨を打ち、意識が飛びかけたのを蘇った自我でなんとか保つ。だが、その衝撃はガイルの蹴りに相当するほどのもので、頭に受けた被害は小さくない。
死への恐怖と激しい痛みに意識が朦朧とする中、ばらばらに肋骨が砕けていくのを感じる。
「てめぇ、なめてんのか」
かなり吹き飛ばされたはずなのに、ガイルはすぐ傍に近づいていた。彼は横倒しになっているイツキを上から睨み、そのイツキの姿に血管を浮かばせる。
「今更無力ぶっても意味ねぇんだよ! ボケがぁ!」
再び彼の蹴りが腹部に入り、その一撃でイツキの口から血飛沫が溢れ出す。
蹴り飛ばされ、地面を転がっていくイツキを、またしても追いついたガイルが足で止め、弱り切ったイツキの体躯に馬乗りになり、固く握った拳をイツキの顔面に何度も食い込ませた。
彼の怒りはイツキが未だに白を切っているということからだ。だが、イツキが本当のことを言っても、今のガイルには届かないし、そもそも、それをガイルは疑っているのだ。
「対抗しやがれ! このクソ野郎! うっぜぇんだよ!」
殴られ続けるイツキにはもうほとんど意識がない。それでも怒りを治めないガイルは、血に塗れたその拳を止めることなく振り続ける。腕が、脚が、肩が、腰が、背中が、首が、完全に感覚を失った。
そんなときだった。ガイルの攻撃が止まったことを、消えゆく意識の中で感じたのは。
「……なんで、ここにいやがんだ?」
「……ったから」
ガイルが動きを止めた原因が、ぼそり、言葉を放つ。それが誰なのか、なぜなのか、何を言っているのか、何もわからないまま、イツキは無意識の世界へ向かっていった。
ずるずると、何かが引きずられる音がする。それはゆっくりと、歩みを続ける足音と同じタイミングで聞こえる。
「――うっ」
回復した意識が頭痛を引き起こす。
イツキが感じたのは、自分が何かに運ばれている、そんな感覚だった。
「何が……う!? あで!?」
言葉を発した瞬間、自分を支えていた力が消え、地面に叩きつけられる。
体は動かず、何が起きたのか確認できない。かろうじて見ることができたものは、目の前にある、白い布のようなものだけ。それが何なのか、理解するまではそこまで時間はかからなかった。
白い視界に、小さな手と細い腕が入り込む。その手に力が加わり、イツキの体を上向きにした。
そして、新たな視界に映り込んだのは――
「パルム?」
イツキを見下ろす形となって姿を見せたのは、白いマントに身を包む小さな少女、パルムだった。
彼女はイツキの声に反応し、つい落としてしまったらしい。彼女ならあり得る、とイツキは内心納得する。
しかし、それとともに疑問が浮かぶ。
「な、なんで、お前が……?」
イツキの質問に少しビクついて、体を引く。
パルムはハープと同じ部屋だった。それはクロトの部屋の上にあり、抜け出すにはそこを通る以外ない。こんな時間にそんなことをすれば、クロトが黙って通すわけない。それでもパルムがイツキを追う理由は、ガイルと同じなのか。
パルムはしばらくこちらを見つめた後、静かに言葉を音にし始めた。
「イツキ、を追って、来た……」
どうやってここまで来たのか、そういう意味の質問だったが、パルムはそれとは違う答えを言う。きっとイツキの予想は正しい。パルムもまた、イツキを疑っているのだろう。
だが、それなら、ガイルはどこへ。
「ガイルはどうなった?」
イツキの意識が消える寸前まで、ガイルは近くにいたはずだ。
もし仮に、パルムがガイルからイツキを奪うようなことをするとしても、あの力を体感したイツキには、パルムが止められるなど到底思えない。ましてや、あそこまでの行為をなしていたガイルを説得できるはずもない。だが、パルムは一人でイツキを抱えていた。
「落とし穴、掘って、落とし、た」
「そんなんでいけるやつかよ」
ガイルの力は、異常だ。推測だが、落とし穴程度でどうこうなるものではない。だが、その推測すら、この状況からの現実逃避に過ぎない。パルムがイツキを疑い、追って来た以上、パルムもイツキを敵視していると断言するしかない。
「すぐ、追い、ついて来る、から、帰らな、いと」
パルムはそう言って立ち上がり、イツキの身体を起こし、背に乗せる。
イツキは動かない体に力を入れようとするが無意味だ。崩れた体をパルムの支えに任せ、一度深く呼吸する。
目覚めてから心音が激しくなる一方なのだ。
それはここに現れたパルムが原因になっている。イツキの抱えた状況は、確実に死をもたらすガイルから避けられたからなのかもしれないが、変わらずイツキを疑う存在は近くにいる。
ガイルを罠に嵌めることができる、魔法を使えることができるパルムが、イツキを連れ帰ろうとしている。抵抗はできないし、しても負けは決まっている。
だが、このまま帰れば、そこにはフィリセがいる。ガイルの話から察するに、フィリセはきっとイツキを殺そうとするだろう。
イツキに今できることはただ、死を待つだけなのかもしれない。
「はぁっはぁっ、はぁー……」
足を引きずられながら、高まる心拍をなんとか抑えようと試みる。が、その吐息がパルムの耳にかかり、彼女の肩がその都度跳ねてしまう。
その跳ねた肩が、イツキの顔に当たり、痛みが走る。そして気付く。パルムの肩が赤く染まっていることに。それもイツキの血液によって。
それを見て、「何か」が引っかかる。
――「何か」、パルムには別の考えがあるのではないか。
「どうして、こんなところまで来たんだ?」
「シル様が、言った、から」
「いや、違う……そうじゃなくて」
パルムが慕うシルが、そう指示したのなら、シルもイツキを疑っている――いや、それは確証はない。疑っていないとも言えないが。
そんなことより、いくらシルを慕っているとはいえ、やはりガイルを相手にして無事でいられる保証はない。そんな危険を冒してまで、イツキを連れ帰る意志を、彼女が持っているとは思えない。
少なくともガイルよりは考えることをするはずだ。して、連れ帰ることを選んだのかもしれないけれど。
「お前の意志じゃないのか?」
ガイルとは違い、パルムが考えられる人物なら、説得はできるかもしれない。そんな意味を持つ一言だ。もし、パルムが少しでも靡くのなら、説得の余地はある。だが、それができたとして、フィリセに伝わるか。否だ。
フィリセは堅い。話していれば感じるものがある。いつも何かを企んでいる顔をしている。笑顔もそうだ。怪しさを感じずにはいられない。
その不気味さが、イツキを疑わせ、シルとヒナタを捜させた。つまり、フィリセは最初からこのつもりでイツキと会話をしていたのだ。これも飽くまで推測だが、これには確証はある。フィリセがイツキに試練を与えたことだ。
だから、パルムを信じさせても、フィリセは疑うことをやめず、イツキはそこで殺される。最悪さらに余計な死人が出かねない。
もう、イツキには打てる手がない。それでも、「何か」、イツキは欲しい。――一度感じた「何か」が。
だからこそ、発した一言。一人が信じてくれるのなら、まだ、考えが浮かぶはずだ。誰かが信じてくれるのなら、イツキはフィリセを説得する方法を考えられるはずなのだ。
だが、パルムの答えはイツキの期待どおりではなかった。
「イツキが、不安そ、うな、か、顔してた、から……」
「――。――――。――――――は?」
期待どおりではなかった。だが、それは予想もつかない方向を見ていた。
一瞬、パルムが何を言っているのかわからなかった。意味不明な発言にただ呆然と立ち尽くすことしかできない。
だって、そんな表情を誰かに見せた覚えはない。そんな表情をしたのは自分の部屋だけだ。ましてや、顔を合わせることを避けていたパルムには、決してわからないはずだ。
なのに、そんな表情をいつ――
「――ずっと」
小さく、呟く声が聞こえる。その声がイツキの頭の中で響きだす。
「昼、も、夜も、何かを隠し、てたの、わかって、た……。不安、だってわ、かったから……味方」
ようやく届き始めた声に意味を読む。
――味方。味方とは、何か。
「味方、がいな、いのは、嫌、だから……イツキの味方」
イツキを支えながら正面に向き直り、目を見つめてくるパルム。その瞳に吸い込まれるように、目を見開く。
「味方……」
その単語を、何度も何度も、何度も、繰り返す。ふっと、体が軽くなっていく感覚をその都度覚えながら。
イツキの頭の中に張り付いた「何か」が解け始める。
「イツキ、の、味方に、なるから……」
ずっと、ずっとイツキは疑うことをやめられなかった。覚えた違和感を自然と悪い方へ見てしまっていた。
シルが誰も知らないところで何かを企んでるのではないか。他の皆もイツキを疑っていて、不審な行動をしないか見ているのではないか。ここに来たパルムはイツキを追って捕まえようと考えているのではないか。
ヒナタがイツキには考えられないような行動を起こそうとしているのではないか。
考えたくない可能性も考えた。様々な可能性を。だが、イツキは全て疑いによって考えを巡らしていたに過ぎない。
信じることもせず、かけられた疑いを解こうと考えていた。疑うことをやめず、信用を得ようと考えていた。
でも、それは愚かだった。信じようとしないものは信用を求めてはいけない。イツキはまず、誰かを信じるべきだった。その間違いが無駄にイツキを潰しにかかった。回避可能に近づける方法を自らが揉み消し、勝手に破滅へ向かっていった愚者は、イツキだ。
だが、パルムは、そんな愚者の味方になると言う。
信じることを失念していた愚者を案じてここまで来たのだと、そう言うのだ。
パルムは見ていた。イツキが悩み、疑い、混乱の中、ようやく決断したことも。きっと最初からだ。イツキと目を合わせることを避け続けてきた彼女は、イツキには見えていないイツキを、最初から見ていたのだ。
「もう一人で悩まないで」
小さい体で、イツキの頭を包み込み、優しく、ゆっくりと、イツキの頭を撫でる。
パルムの胸から聞こえる小さな心音が、イツキの中の疑という疑を一つずつ消していく。それは小さな音かもしれないが、イツキには強く、心地よい音に感じられた。
「――ぁ」
固まっていた頭が、黒く染まり始めた心が、砕け、晴れていく。
自然に、涙が頬を伝っていくのを感じた。
イツキが欲しがった「何か」は「安心」だったのかもしれない。
それをパルムに感じたから、イツキは涙を流した。温かいパルムの、温かい体に、温かい腕に、開放を与えられたから。
「シル様は、帰って、くる。ヒナタも、無事。帰ってく、る。それま、で、一緒、に頑張る」
パルムはイツキの顔を袖で拭い、再び、目を見つめてくる。美しい翠の瞳だ。純粋な瞳だ。優しい、瞳だ。
「――っ、ありがとう」
その瞳に、パルムに、縋りつくように、精一杯、感謝を。
「力を、貸してくれ」
イツキは再び決心する。
「俺はパルムを信じる。帰って、二人を待とう」
パルムはイツキの言葉に静かに頷き、もう一度、その矮躯に乗せようとする。イツキはその肩に腕を伸ばし、腕を――
「腕が……!」
気付けば、折れて裂けて形を失ったはずの腕が、腕とわかるようになっている。
次第に体の痛みが減っていき、脚が、肩が、腰が、背中が、首が、同じように形を損ないかけていた各部位がイツキのそれとして回復しようとしていた。これは火傷を治したあの治癒の力なのか、それはわからない。
みるみる回復していくその感覚を確かめ、しっかりと地面に足をつけ、立つ。
その回復ぶりに驚きを隠せないイツキだが、何より驚いたのはパルムだった。当然、パルムはこの治癒能力を知らないのだが、それでも、パルムはまだイツキを支えることを止めず体を寄せている。
自由になったその腕で、思わずパルムの小さな体を抱きしめる。始め、パルムは少し跳ねたが、そのままイツキに身を委ねてくれた。
しばらく、その小さな温かみを堪能しながら、涙が止まらない顔を、彼女に見せないように隠していた。
ふと我に返ったとき、とんでもない羞恥心と罪悪感を覚えたのだが。




