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アルベルテュスが腕を組み、真面目な口調でリリーベルに訊ねてきた。
「この際だから、確認しておきたい。貴女はどうして、そう俺を拒むんだ?」
「え?」
「俺は貴女を守れる。貴女を助けられるし、貴女に物を贈ることもできる。今だって、貴女は俺の話を興味深そうに聞いてくれた。俺が貴女を楽しませられないとも思えない。なのに何故、拒む? 守って助けて楽しませて、経済的な援助をして……人間の男が人間の女にすることを俺もできているはずだが、貴女はそれを認めてくれない。俺は貴女を妻にしたいのに、番になりたいのに、貴女はずっと『否』としか言わない」
「それは……と、当然です!!」
リリーベルはあえて強い口調で断言した。
本気で傷ついているような声音に騙されてはいけない。
「あなたは魔物で、私は人間です。魔物は人間を襲って糧としたり、誘惑して堕落させたりするではないですか。魔物のために、これまでどれほどの人間が犠牲になってきたことか……私は、その魔物を倒して人々を守り、この大地を人間の手にとり戻すことが使命の、白騎士です。私達が相容れるはずがありません!」
リリーベルは言っているうちに、たとえるなら、これから歴史の勉強をはじめようという時に、今更「文字がわからない」と言われた教師の気分になった。つまり『基本中の基本』である。
しかし相手は、そう思わなかったようだ。
「魔物というのは否定しないが。その一言だけで片づけられても困る。俺は紅の一族で第六位で、そこらの理性も知性もない、本能だけの低級な魔物と同類に扱われたり、ひとくくりにされるのは不愉快だ。俺が見るに、貴女は『魔物』というだけで、俺に対して先入観を持ちすぎているようだ。俺はもっと、俺自身を見てほしい」
「先入観って……」
「貴女の言い分は『一人の男にひどい目に遭わされたから、男は全員、信じない』という女と同じ理屈だ。貴女にとって、それは正しい考え方だろうか」
リリーベルは返答に詰まる。
「俺はそこらの人間を襲ったりしないし、堕落もさせない。面倒だからな」
「……信じられません」
「貴女には信じてほしいが。紅の一族は無闇に人間を襲ったり、食い散らかしたりしない。そもそも紅の一族は、糧に、いちいち人間が死ぬほどの量の血を必要としない。毎日、ウサギや羊を殺して食べなければならない人間より、はるかに穏健だぞ?」
「穏健って……」
『どの口が言うか』とリリーベルは思ったが、アルベルテュスは真剣だ。
「我ら紅の一族にいわせれば、貴女方人間のほうがよほど血を好む。獣も植物も毎日殺し、人間同士で糧を奪い合い殺し合い、金持ちは食料をためこんだ挙句に食い散らかす。俺達は基本的に、血を飲む時は相手の承諾を得るが、貴女方人間は麦や羊の承諾を得ているのか?」
リリーベルは虚を突かれる。
「それに『魔物から大地をとり戻す』件も……」
「そ、それは、あまねく世界は、神から人間に与えられたもの。この緑豊かな常磐色の土地からすべての魔物を追いはらって、大勢の人々が移住して羊のあふれる野になる手伝いをするのが、私の役目です」
紅の一族は「うーん」とうなった。
「土地も世界も、単一種族の所有物ではないし……そもそも貴女方人間は、魔物や紅の一族が何故この世に存在するか、きちんと知らないと思う。貴女のいう神に『許されたから』『認められたから』とは考えないのか」
「え……」
「俺もこの目で見たわけではないので、断言はできないが。魔物はともかく、紅の一族と人間は共存しあっていた時代もあったと聞く。第一位が語るには、千年前は紅の一族こそ、神と崇められていたそうだ」
「そんなはずは……」
「第一位は実際に千年を生きて、その目で古の時代を見てきたそうだ。貴女は百年も生きていないが、千年前の出来事を知っているのか?」
「それは……っ」
リリーベルは短剣の柄をにぎりしめた。
たしかに、リリーベルは十六年間しか生きていないし、最初の二、三年に至っては記憶がほとんど残っていない。千年前のことなんて知るはずないし、毎日、麦や林檎や、キャベツや玉ネギのような野菜を収穫して生きている。時折、食卓にあがるウサギや羊だって、誰かが絞めたものだ。神に日々の糧を感謝する祈りは捧げてきたが、食べ物達に了解をとったことはない。
「それは……」
リリーベルの口調が弱まる。反論できないのが悔しい。
でも、紅の一族の言葉をそのまま受け容れることはできない。肯定することはできない。
「ま、魔物は滅ぼすべき存在です」
だって自分は知っている。魔物がどれほど恐ろしくて、おぞましい存在かを――――
「魔物がいたから、あんな存在がいたから、私の父さんも母さんも……」
「貴女の親?」
短剣をにぎりしめる手がふるえる。
暗がりに、あるはずのない光景が鮮明によみがえりはじめる。
「父さんも母さんも……二人共真っ赤で……弟は二歳だったのに!! みんな、あの魔物が……っ!!」
凄惨な光景。日常が一転した瞬間。
父は倒れ、母も倒れ、血が床をおおい尽くさんばかりに流れていて、二人とも二度と動かなくて、弟は……「見るな」と大人達が言った。
あの絶望。突然の喪失感。
「どうして弟が、父さんが、母さんが殺されなければならないんです! どうして私は、家族を失わなければならなかったんです!! あんなものがいたから、私は故郷を離れなければならなくて……私の故郷……待雪草の丘……あの魔物さえいなければ、私は今もあの村で、家族と……私は……私は……っ!!」
一瞬、あの日の光景が鮮明に見えて、リリーベルは拒絶するように体をちぢめる。
身をよじって慟哭しそうになる彼女をとめたのは、横から伸びた手だった。
強く手首をつかまれたかと思うと、引っぱられ、気づいた時にはリリーベルは長い腕と広い胸の中にいる。
きょとんとした。
なにが起きたか理解できない驚きが、よみがえりかけた恐怖と哀しみを失念させる。
(なにが……)
「すまない。貴女を傷つける気はなかった」
耳のすぐ近くで低い美声がささやく。
「純粋に、疑問を述べただけだった。だが、貴女がこうなると知っていたら、訊かなかった。謝罪する。本当にすまない」
大きな手が寝間着越しに肩を、背をなでて、落ち着かせようとする。その優しげな手つき。
リリーベルは気づかなかったが、短剣をにぎった彼女の手をアルベルテュスがつかまえたおかげで、身をちぢめようとした際に自身を傷つけずに済んでいる。
リリーベルは拍子抜けのような気分を味わった。
いったん、あの時のことを思い出したら、嵐のように心乱れるのが常だったのに、今のリリーベルの胸の内は凪いでいる。
むしろ別の事柄が気になる。
(ええと……この状態……この状況は……)
リリーベルは頭を回転させようとするが、頭は状況の把握を拒んでいる。
長身とは思っていたが、こんなに広い肩、広い胸だったのか。
(え? え? え?)
混乱しかけたすぐそばで、パチっ、と赤い火花が散り、我に返った。
「なんですか!?」
「すまない。鎮静のために、弱い紅魔術をかけようとしたんだが……貴女の肉体の聖化が思いのほか進んでいて、はじかれた」
リリーベルは理解し、落ち着きも完全に取り戻す。
「今度は、もう少し強めに……」
「いえ! けっこうです! もう大丈夫です!!」
リリーベルはアルベルテュスの胸を押して、遠慮した。
気を落ち着かせるためとはいえ、紅の一族の魔術など、かけられないに越したことはない。
アルベルテュスも無理強いはせず、手を引っ込めた。
するりと腕をほどいて、体も離す。
「このまま貴女を抱きしめていたいが……貴女に嫌な思いをさせたのも事実だ。今夜は、これで失礼しよう」
リリーベルの手の平にキスが一つ、落とされる。
「では」
アルベルテュスが寝台を離れて扉にむこうに消えかけた寸前、リリーベルはようやく我に返って、慌てて呼びとめる。
「ま、待ってください! どこに行く気ですか!?」
「帰るだけだ。それとも、『留まれ』と誘っていただけるのか?」
「城内で誰かを襲うつもりなら、私がここで、あなたを倒しますよ!! グレイシー嬢なんて、体調をくずされているのに……!」
リリーベルは短剣をかまえて宣言した。刃先が白く淡く輝き出す。
「グレイシー? 貴女は彼女と懇意なのか?」
「違います」
「では何故、その名を?」
「紅の一族は、若く美しい、高貴な糧を好むと聞いたからです」
アルベルテュスは笑った。
「貴女のほうが百倍、美しくて魅力的だ」
扉が閉じられ、リリーベルは客室に取り残される。
歩きながら、アルベルテュスは深く満足していた。
昨夜につづいて、今夜もリリーベルと話せた。リリーベルは自分の話を聞き、自分はリリーベルの興味を引く話をすることができた。寝ている時も剣を手放さないのは驚いたが、薄手の寝間着一枚の彼女は、鎧姿より白魔術師姿より、可憐で愛らしかった。
失態といえば、最後に彼女に嫌な思いをさせてしまったこと。
叫ぶ彼女は本当につらそうで苦しそうで、腕の中にとらえた体は頼りなく、肩をふるわせていた。
リリーベルを苦しめるのは、アルベルテュスの本意ではない。あとでなにか、埋め合わせをしたい。
ふと、足を止めた。
視線の先には、城主一家の私的な居住区域がある。
アルベルテュスは帰還の予定を変更した。
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