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『心から貴女を俺のものにしたい』
『独占したい』
『他の男と共にいるな』
『俺だけを見ていろ』
『人生のすべてを俺のそばで過ごせ』
艶っぽい唇から放たれた台詞の数々が、リリーベルの内側で反響してやまない。
低い美声で告げられた言葉は、もう何度、思い返したことだろう。
とどめは次の一言。
『結婚してくれ、リリーベル。俺は貴女がほしい』
リリーベルの頬に血がのぼる。
(あんなこと、言うから……! 私、どうして真面目に答えたの!? 相手は魔物、それも紅の一族の位階持ち!! 問答無用で、斬るべきでしょう!?)
昨夜、持ち場である城壁に戻り(暗示をかけられていた兵士達は、聖水をかけたら治った)、見回りを交代して聖殿に戻って以降。
リリーベルはずっと後悔していた。
魔物を浄化して人々を守ることこそ、白騎士たる自分の使命だというのに、昨夜の自分の不甲斐なさときたら。
(それは……私一人では、勝てたかはわからないけれど……)
でも、玉砕覚悟でぶつかっていくべきではなかったか?
リリーベルがこれほど悩みつづけるのは、単純に「強敵を逃してしまった」という後悔からばかりではない。
『結婚』という単語を教えたことで、あの魔物の青年の要求がリリーベルの理解できる形で明確になり、彼女の戸惑いと混乱が深まってしまったのだ。
(結婚って……魔物が……紅の一族なのに、意味を理解しているの?)
どう考えても、意味を勘違いしているか、いっそ、からかわれているとしか思えない。
『結婚なら理解できる。要は、番になるということだろう? 貴女が俺と結婚すれば、俺は貴女をずっと手元に置いて、他の男を寄りつかせずに済む』
あの魔物の言葉がよみがえる。
(いいえ、違う。意味がわかっていたとしても、本気のはずがない。こちらをからかって、遊んでいるだけ――――)
『俺は貴女に嘘はつきたくない』
心で否定するたび、否定の言葉の記憶が思い出されて、リリーベルの頭なのにリリーベルの意見を受け容れようとしない。
(もう!! 集中しないといけないのに!!)
リリーベルは自分の頬を叩いてやりたくなった。
すぐそばに、同僚である白魔術師と白騎士達がいて、それぞれの作業に集中している。
リリーベル達の周囲にずらりと並んでいるのは、剣に槍に矢じり。それから、いくつもの鎧や兜。リリーベルが愛用する剣と鎧も並べられている。
午前中の聖殿の中庭だ。白魔術師と白騎士の日課の一つである、武器や鎧の聖化と、聖水を作る白魔術を行っているのだ。
闇の生き物である魔物は、昼の王たる太陽の光の前には消滅するしかない。白魔術の力もまた、太陽や月の光の助力を得て、発揮される。
したがって、こうして太陽の下で聖化の術をほどこすことにより、白魔術の力と聖化の効力を最大限に引き出す効果があった。
こうして聖化された武器や聖水が、城壁や街を守る警備兵達に渡され、魔物の侵入から人々を守る彼らの心強い道具となるのである。
特に、最前線で戦う白騎士であるリリーベルの武器と防具は、念入りに聖化する必要があり、いくら聖化してもしすぎるということはない。
それなのに。
(なにを心乱されているの、私は!!)
思わず強く頭をふると、リリーベルの近くで作業していた白魔術師が驚いたように気遣ってきた。
「どうしました、ナイト=リリーベル。あまり進んでいないようですが、どこか具合でも……」
リリーベル同様、白魔術師の証である白い長衣を着た、二十歳前後の女性だ。
剣や弓を扱うには、一定以上の筋力と体格を必要とするため、白騎士を志願する女性は少ない。が、白魔術は(体力や集中力は必要であるものの)強い筋力を必要とせず、性差による素質や実力の差も見られないため、白魔術師になる女性は少なくない(世が白魔術師を求め、一度、認められれば食いっぱぐれることはない、という理由もある)。
声をかけられたリリーベルはいそいで首をふり、動揺を隠して務めに戻ろうとする。
「いいえ、大丈夫です。コーデリア=ホワイト。あ、そちらに並んでいる分も、私が担当します」
「え? ですが、紅の一族の位階持ちを倒して、まだ五日ですし……まだ本調子ではないのでは? いざという時のためにも、少し休んだほうが……」
「いいんです! 大丈夫です! 私がやります! 今、少し自分を罰したい気分なんです!!」
リリーベルは強引に勤めに戻ろうとしたが、中庭にやってきた修道女から「聖殿長がお呼びです」と伝言され、けっきょく、あとを仲間に任せることになった。
聖殿長の執務室に入室すると、修道士、修道女の証である明るい青の長衣に身を包んだ、濃い灰色の髭を生やした聖殿長から、珍しい命令をうけた。
「スノーパール城伯ロドニー・シープフィールド卿から依頼があった。リリーベル=ホワイト、これからスノーパール城に赴くように。スノーパール城伯の令嬢が、体調をくずされているそうだ」
白魔術は治癒や回復の術も扱うため、白魔術師は医者代わりに呼び出されることが少なくない。白騎士を意味する『ナイト=リリーベル』ではなく、白魔術師を意味する『リリーベル=ホワイト』で呼びかけられたのは、そういう理由だろう。
だが、リリーベルは疑問に思った。
リリーベルも治癒の白魔術は体得しているが、彼女の本領は魔物との戦闘だ。
そのような目的ならば、リリーベルより、治癒を得意とする白魔術師に行ってもらったほうがいいに決まっている。
リリーベルの心を読んだように、聖殿長は詳細な説明を付け足した。
「スノーパール城伯は『大事ない』とおっしゃっている。あちらの城には常駐の医師も白魔術師もいるし、聖殿から新たに派遣する必要はないのだが……いかんせん、エバーグリーン辺境伯が……」
スノーパール城伯とは、文字どおり、このスノーパールの街とその近辺を治める貴族で、街の南東の高台に建つスノーパール城に住んでいる。
エバーグリーン辺境伯はスノーパールを含めた、この東側の土地、エバーグリーン地方の統治者で、スノーパール城伯の父親だ。エバーグリーン地方は、東方地帯における魔物との戦いの前線地域という重要地域のため、ここを治める貴族は、ただの伯爵よりも一段高位の『辺境伯』の爵位をあたえられている。
エバーグリーン辺境伯は信用できる身内に、領内でも最前線にあたる街の一つ、スノーパールの防衛を任せている、というわけである。
「辺境伯は、ただ一人の孫娘を殊の外、愛されている。息子の城伯が『心配無用』と伝えているのに、『長患いだ』と耳に入れた者がいるようで、『スノーパール城の医師や白魔術師はあてにならない』と言い出して、自身のお抱えの医師と白魔術師をスノーパールに派遣したそうだ。城伯も令嬢も、丁重に大事ないことを伝えたらしいのだが……どこをどうしたか、辺境伯には『令嬢は男の医師や白魔術師に体を見られたくないから、診察を拒んでいる』と伝わったらしい」
「それで、女の私ですか? それでしたら、コーデリア=ホワイトのほうが……」
「単に『女だから』というだけではない。エバーグリーン辺境伯は『紅の一族第十一位を倒した、強力な白魔術師』を名指ししてきたのだ」
リリーベルは理解した。
彼女自身は、白魔術の中でも治癒術は得手とはいえない。しかし実態を知らない辺境伯は、ただただリリーベルの大きな功績だけを見て、依頼してきたのだ。
リリーベルは確認する。
「純粋に治癒術の技量だけを比較するならば、私より、コーデリア=ホワイトのほうが適任と存じます。ですが、それを承知の上での『私への依頼』ということでしょうか?」
「承知の上だ。要は『辺境伯の求めに応じて、依頼どおりの人物を派遣した』という体裁が整えばいい」
そうすればこちらの言い訳は立つし、相手の顔も立てることができる、というわけだ。
リリーベルは了承した。
本音を言えば、複数の医師と白魔術師を動員できる軽症らしき城伯令嬢の治療より、警備の兵士達の武器や、身を守る防具の聖化作業のほうを優先したい。
しかし聖殿もスノーパールの街の中にある以上、スノーパール城伯はむろん、その上のエバーグリーン辺境伯の意向を無視するわけにはいかない。
魔物退治には多くの資金も人手も必要とするため、それらを抱えるシープフィールド家とは、良好な関係をたもっておくに越したことはないのだ。
そういった裏の事情を察したリリーベルは、仲間達に状況を説明して、勤めを抜け出すことを謝罪すると、手早く身支度を整え、修道士一人を供に、街の南東へむかった。
高台に建つスノーパール城は見るからに堅牢だった。『防衛』を最優先に、石を積み上げて建てた城に装飾性はなく、周囲を深い人口の堀で囲まれている。
跳ね橋を渡って入城する頃にはちょうど正午にさしかかり、白魔術師にとっては最高の条件がそろっていた。
リリーベルは城主のわざわざの出迎えをうけ、短いあいさつを交わすと早速、令嬢の寝室へ案内される。
スノーパール城伯令嬢グレイシー・シープフィールドについては、リリーベルも少し知っていた。
城伯の一人娘で、芳紀まさに十五歳。家族は目に入れても痛くないほど彼女を可愛がり、街の人々の間では『スノーパールの白薔薇』の異名で知られている。祭りで彼女が聖女の仮装をしてパレードに参加すると、男達は競って花や硬貨や恋文を投げるのだ。
まあ、形だけでも診察すれば義理は果たせるだろう、と考えていたリリーベルだったが。
「出て行って! 私は健康よ!!」
寝室に入った途端、甲高い怒声が飛んできた。
寝台を囲む侍女たちは、おろおろ、顔を見合わせている。
たしかにグレイシー嬢は元気だった。
声は。
「お嬢様、そのように興奮されては……」
「うるさいわね、私はなんともないと言っているでしょう!」
天蓋付きの寝台の上で、上半身だけ起こした華奢な少女。
たしかに噂どおりの美少女だが、顔に血の気はなく、頬はこけ、寝間着からのぞく首筋や手も青白くて、妙に細い。
ただリリーベルをにらみつけてくる青い瞳だけは、ぎらぎらと力を宿していた。
「白魔術師なんて無用よ! 病は、無責任な街の者が流した流言なの! すぐに帰ってちょうだい!!」
侍女達はむろん、案内してきたスノーパール城伯も手を焼いているのが、彼らの表情から察せられる。
リリーベルは言葉を選んで令嬢に訴えた。
「たしかに、お嬢様はお元気なようです。認めます。ですが、エバーグリーン辺境伯は、孫のあなたをとても心配しておられます。辺境伯を安心させるために、『健康だ』という確認だけ、させていただけませんか?」
令嬢の返事はなかった。かわりに枕元に置かれていた水差しを、がしっ、とつかんだ。
「やめなさい、グレイシー!!」
「お嬢さま!!」
「帰りなさい!!」
水差しが飛んできた。
白騎士として日々の鍛練を欠かさず、危険な魔物との実戦もこなしてきたリリーベルは、か細い腕の少女が投げた水差しをやすやすと受けとめる。
ただし逆さまに受けとめてしまったため、頭から中身の水をかぶる羽目になった。
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