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 翌日。リリーベルは日課と食事の間のわずかな時間を利用して、聖殿の外に出た。

 街としては大きいスノーパールだが、王都と違って道も広場も地面のままであり、建物も含めて、全体にどこか『急造』の雰囲気がただよっている。

 この街は魔物との戦いにおける最前線というべき位置にあり、いつまでこの地を防衛できるかわからないのが、その理由だ。スノーパールの街が石畳や石造りの大きな建物を手に入れるには、少なくとも、あと十年は敵の侵攻を防ぎきった実績が必要だろう。

 そんな街だから、広場にいるのも、武装した兵士や腰に剣をさげた傭兵らしき男達が多く、鍛冶屋へ武器の手入れに行く者もいれば、昼間から屋台で酒を呑んで行き交う若い娘にからかいの言葉を投げる者もいる。

 未婚の娘らしく髪をおろしたリリーベルも、白魔術師の衣装が外套に隠れていたせいか口笛を吹かれたが、ちらりとそちらを見やると同席していた別の男が彼女の顔を知っていたようで「おい、やめろ」と慌てて口笛を吹いた赤ら顔の男を制した。

 いちいち咎めるのも億劫で、リリーベルは無言でその場を通り過ぎる。

 目的の人物は先に来て、待ってくれていた。


「リリーベル」


「カレルお兄さま」


 広場中央の噴水の横に立っていた、すらりと背の高い青年が手を挙げてリリーベルを呼ぶ。リリーベルの遠縁で、身寄りのなくなった彼女を引きとるよう、親を説得してくれた人物である。

 リリーベルが駆け寄ると、カレルはすばやく彼女の両脇に手を差し込み、リリーベルが抵抗する間もなく彼女を抱えあげて「高い高い」の格好になった。


「お、お兄さま!」


 リリーベルは頬を染める。周囲の視線が集まるのがわかる。

 カレルは頓着せず、嬉しそうに亜麻色の髪に緑の瞳の娘を見あげる。


「元気だったかい、リリーベル。聞いたよ、大手柄じゃないか。あかの一族は数多いるが、位階持ちを倒した者は白騎士――いや、白魔術師の中でも一握りしかいない。君は、その一握りの一人だ。親族として、君の兄代わりとして誇りに思うよ、リリーベル」


「カレルお兄さま……」


 兄代わりに称賛されたリリーベルは照れくさそうに視線をそらす。 


「カレルお兄さまこそ、また立派になられました」


 すらりとした長身に、金色の短髪と紫の瞳。飛び抜けた美形ではないが、穏やかで優しげな顔立ちは完全に大人の男性のものに成長している。

 昔から近所の少女達の間では人気の存在だったが、六年前に国王直属の王都の騎士団に見習いとして入ってからは、どんどん垢抜けていき、去年、とうとう騎士に叙任されると、立場上、着る物にも気を遣わなければならなくなったせいもあって、都の若者と見分けがつかないほどになった。

 深い青の上衣に、太腿まである革の長靴。革製のベルトにさした短剣は護身用だろうが小さな装飾がついており、白い手袋まではめた姿はいかにも都風の青年騎士だった。


「小母さまと小父さまには、お見せしたのですか? きっと大喜びですね。すっかり王都の騎士になられて……それで……そろそろ、おろしていただけませんか?」


 恥じらうリリーベルを見て、「残念だ」とカレルは笑って彼女をおろす。


「カレルお兄さまは、いつまでスノーパールに?」


「騎士団長の視察の護衛だからね。あちこち連れ回されるだろうけれど……十日前後じゃないかな。騎士団長の気が変わらなければ、ね。せっかく東に来られたのだから、家にも顔を出したいけれど……スノーパールからだと、二日は休暇をもらわないと無理かな。リリーベルは顔を出しているのかい?」


「あ、ごめんなさい。私もずっと、聖殿の勤めが忙しくて……」


 魔物は、いつ襲ってくるかわからない。火急の用件でもない限り、二日間もの休みをもらうのは気が引けた。


「しかたないね。優秀な白騎士様なのだから。気にしなくていいよ。お互い、上司が気まぐれを起こしてくれるのを祈ろう」


 カレルは明るく笑った。金髪が陽光に透け、春の野の精霊が青年に変身したら、このような容姿、このような笑顔ではないかと思わせられる。周囲の娘達も、ちらちら、カレルを見ているのがわかった。

 カレルは広場に出ていた屋台の一つで、リリーベルに焼き菓子を買ってくれた。それを食べながら、しばらく互いの近況を報告しあう。そして任務に戻っていった。

 スノーパールの街は中央に広場があり、その広場をはさんで聖殿と議会場が向かい合う形で建っている。

 騎士団長は今、議会場を視察しており、護衛のカレルは休憩時間を利用して、リリーベルに会いに抜け出してきたのだ。

 カレルと別れたリリーベルはすぐには聖殿に戻る気がわかず、噴水の縁に腰をおろす。

 焼き菓子は食べ終えており、なにも考えずに水音と広場の喧騒に耳をかたむけていると、外套の端を引かれた。


「あの……お花を買って」


 幼い少女が小さな体にふつりあいな大きなかごを抱えて、こちらを見あげている。かごには花が詰まっていたが、時間が経っているのだろう、少し萎れていた。


「ちょっと待って」


 リリーベルは手巾をとり出し、噴水の水で濡らすと少女の顔を拭き出す。少女は驚く。


「顔と手はこまめに洗って、きれいにしましょう。その方が、お客の受けがいいですから。それと『買って』ではなく、『お花はいかがですか?』のほうが、ていねいに聞こえます」


 この少女には、そんな最低限の商売の知識を教えてくれる大人もいないのだろうか。

 きれいに拭き終えると、リリーベルはかごの中の商品に視線を落とす。

 花なら、部屋に飾ったり祭壇に捧げたり、いろいろ使い道がある。


「白い花を全部、いただけますか?」


 大なり小なり魔物との戦いに明け暮れるこの世界では、魔物を浄化する神と白魔術の加護を求めて、白い品物が喜ばれる。人への贈り物や神への捧げ物も、白い物が多い。『スノーパール』という街の名も、白が由来で命名されたと聞いている。

 少し多めに硬貨を渡してやると、少女は嬉しそうに手をふって去っていった。

 マーガレットにすみれ、カモミールの束に野ばらが一本。野に咲く平凡な種類ばかりだ。

 城壁の外に出て、摘んできたのだろうか。外は危険なのに、あんな幼い子供が?

 リリーベルは花の匂いをかぎながら、ため息をつく。

 家族と村を失った自分だが、カレルには本当に感謝しかない。彼がリリーベルを引き取ってくれなければ、リリーベルだって白魔術どころか、文字も数も知らぬまま、毎日毎日、わずかな小銭を頼りに暮らしていたはずなのだ。


(せめて、魔物がもっと少なくなれば……誰もが安全な夜が過ごせるようになれば……少しは世界は変わるのでしょうか……神よ……お父さん、お母さん……)


「失礼、お嬢さん」


 物思いに沈んでいたリリーベルは突然、声をかけられて、思考を中断される。

 すぐそばに、外套をはおった背の高い人物が立っていた。

 フードを深くかぶっていて、顔は口もとしか見えない。

 ただ、その口もとには笑みが浮かんでいて、ひとまず友好的な態度を見せていた。


「白い花がお好きですか?」


「え? ええ、まあ……」


 慌てて立ちあがりながら、リリーベルは外套の中でベルトにさした短剣の柄に触れる。日中の広場といえど、安心はできない。娘一人と侮って近づいてきた、人さらいの可能性だってある。

 だが相手は危険とは正反対の声音で話してくる。声と体格からして、若い男だ。


「似合うが、物足りないな。貴女なら、白と言わず、黄色も薄紅色も水色も、いくらでもふさわしい。青い勿忘草わすれなぐさも紫のすみれも薄紅色の薔薇も、貴女なら従えられる。むろん、その名にふさわしい白ゆりも」


「……はあ……」


(なんだろう、この人……)


 リリーベルのまなざしが、おかしなものを見るそれになる。

 が、男はいっそう笑みを深くして、屈むように顔を近づけてきた。肌が白い。


「その名と美しさにふさわしい白ゆりでなくて、恐縮だが。お近づきの印と、私の気持ちを込めて、こちらを」


 男の外套の合わせ目から一輪の薔薇が現れ、リリーベルの鼻先にさし出される。

 あかい薔薇だった。花びらの一枚一枚が大きく、咲きたてを証明するようにみずみずしくて、貴族の令嬢が着るビロードのドレスのようだ。

 その紅を引き立てるような、白い肌と黒い髪。

 リリーベルは息を呑んで見あげた。

 薔薇を差し出して、フードを脱いだ人物は予想どおり若い男――リリーベルが生まれて初めて出会う、美しい青年だった。

 長身に、広い肩。夜空よりなお黒い長髪を首のうしろで一つに結び、外套も、その下からのぞく上衣も趣味の良い高級品で、仕草にも顔つきにも気品が感じられる。

 整いすぎた白皙はぱっと見、女性に見間違えそうだが、涼しげな目もとや凛々しい眉がそれを否定しており、一方で、口もとには色気がただよっていた。

 リリーベルは圧倒的な造形美に目と心を奪われて、自分の手が紅い薔薇を受けとっているのにも気がつかない。

 呆然とその顔を見上げていると、相手は目を細めた。

 その、なんだかとても嬉しそうな、けれどなにかを堪えているような表情。

 深い鮮やかなその瞳の色は――――


「赤い……瞳……?」


 リリーベルはようやく認識する。

 どうして、こんな重要な事実に即座に気がつかなかったのか。

 赤い瞳は紅の一族の証ではないか。

 リリーベルはとっさに腰の短剣を抜いて距離をとろうとするが、一瞬先に、その手を短剣の柄ごと包むようににぎられて、攻撃を封じられる。ぐいと引っぱられて、距離をあけるどころか、相手と密着するような体勢になってしまった。互いの外套が触れ合う。


「お初にお目にかかる。俺はアルベルテュス。紅の一族第六位(バーミリオン)、アルベルテュスだ」


「第六……!」


 その数字に、リリーベルは絶望にも似た驚愕を覚えた。


 第十一位バーガンディーでさえ、あれほど苦労して倒したというのに、それより五つも高い位階ではないか。その上、周囲にはなにも知らぬ人々が大勢、行き交っている。

 この状況を、リリーベル一人で打開しなければならないのか。

 青ざめたリリーベルに対し、けれど赤い瞳の青年は恫喝してきたりはしなかった。

 低めの美声が待ちかねたように用件を切り出してくる。


「貴女に会いに来た」


「……私?」


「貴女に会いに来た。貴女に会いたかった。この四日間、会いたくて触れたくて話したくて、たまらなかった。人間だろうが白魔術師だろうが白騎士だろうが。だから、こうして街に入って来た。貴女に会うために」


『魔物の支配者』『強者の中の強者』『黒い夜の赤き王族』。様々に形容される一族の高位を名乗る青年は、その正体が信じられぬような熱っぽいまなざしと真剣な表情で言葉を紡ぐ。


「ど……どういう意味です?」


「貴女に恋をした」


 リリーベルはなにを言われたか理解できなかった。


「貴女に恋をした。だから、ここまで来た」


 紅の一族の青年は突然、膝を折ると、その場にひざまずいて、つかまえていた白騎士の乙女の白い指に恭しく唇を近づける。


「紅の一族が第六位、アルベルテュスが請う。俺のものになれ、リリーベル。白ゆりの乙女よ。俺は貴女に恋をしている」


 リリーベルの指に、赤い瞳の青年の口づけが落とされた。

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