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紅の吸血鬼と白の聖女騎士  作者: オレンジ方解石


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 リリーベルは答えなかった。答えられるはずもなかった。

 頭はとっくに考えることを放棄し、抵抗の気力さえ失なわれている。

 自分の顔を捕まえた手をふりはらう力も残っていなかった。

 これは夢ではないだろうか。とても現実の出来事とは思えない。

 ほんの半日前まで、目の前の男性はたしかに『優しい兄代わり』だったのに。

 八年間、この人に助けられ、家族とも思い、優しい人柄と信じて生きてきたのに。

 この一晩でひっくり返ってしまったのだ。

 恨んでも恨みきれなかった、あの魔物。リリーベルの幸せを奪った悪しき存在。

 それが、こんなに身近にいたなんて。

 ずっと騙されつづけてきたなんて。

 ずっと騙していたなんて。

 それでもリリーベルの脳裏に小さな疑問がわいたのは、この期に及んで、まだ『信じたくない』という思いが残っていたからだろうか。


「おじ……と、お……」


「なんだい? もっと大きな声で」


「小父さまと……小母さまは……」


 リリーベルは声をしぼり出す。


「小父さまと……小母さまは、ご存じなのですか……自分の息子が……魔物だと……」


 二人共、カレルを『優秀な自慢の息子』と信じていたはずなのに。


「ああ。あれは実の親ではないよ」


 カレルはこともなげに否定して、説明した。


「君を引きとるにあたって、親代わりがいたほうが、なにかと便利ではないかと思ってね。用意したんだ。私の実の両親は、私があかの一族に入った際に殺していたから、位階持ちでない紅の一族の夫婦を雇って、私がいない時に君を守り、面倒を見させたんだ。……それなのに、君の聖殿入りを阻止できなかったのだから……まったく、役に立たない……紅の一族でさえなければ、さっさと殺していたものを、『同族内の無用な殺し合いは禁止』などと……」


 カレルは歯ぎしりしたようだった。


「では……お兄さまも、小父さま達も……私達の親戚ではなかったのですね?」


「そうだよ。それは君を引きとる口実だ」


 リリーベルの精神は、もう疲労の極にあった。

 カレルは『兄』と自分を騙し、カレルの両親と信じていた人達も自分を騙していた。

 立てつづけのあまりの衝撃に精神が麻痺しかかっている。

 その一方で、頭の隅で納得している自分もいた。

 自分がカレルを『兄』以上に見なかった、見れなかった理由。

 十歳で聖殿に入ってしまった理由。

 リリーベルは昔からカレルを『ごく身近に存在する魅力的な男性』と認め、周囲からも何度も家族以上の関係を疑われてきたものの、けして彼に恋することはなかった。

 それは、自分の中の彼に対する認識が『兄』で定着してしまっているからだと考えていたけれど。

 本当はそうではなかったのかもしれない。

 本当は自分はカレルの正体を察していた、知っていたのではないか?

 カレルのあか魔術に記憶を消されながらも、心の奥深い部分は彼の正体を覚えていて、絶えず、自分に警告を送っていたのではないか?

 カレルの両親についてもそうだ。

 自分は心のどこかで、二人がカレルの言うような関係ではないこと、彼らがカレルと同じ人ならぬ存在で、けして心を許してはならない相手と悟っていたのではないだろうか。

 だからこそ、わずか二年を過ごしただけで、あっさり彼らから離れたのではないか?

 十歳という、まだ家族が恋しいはずの年齢で、躊躇なく聖殿に入れたのではないだろうか。

 聖殿入りを決めた時、自分は『これ以上、自分のように魔物に家族を奪われ、苦しめられる人々を増やしたくない』、その一念で聖殿に入るのだと思っていた。

 でも本当は、心の深い部分で彼らから逃れる道を探して、聖殿に入ったのではないか?

 聖殿に入った時の、あの不思議な安堵感。寂しいけれど、四六時中、気を遣う日常から離れることのできた開放感。

 あの頃はそれを『親戚といえども、初めて出会った家庭のお世話になることへの遠慮』と解釈していたけれど。

 そう、それに――――

 リリーベルは気力をふりしぼって、自分の顔をつかむカレルの手の片方を引きはがした。


(本当は――――心のどこかで、わかっていたのかもしれない――――)


 カレルの手を見おろしながら、リリーベルは絶望と共に、その結論を味わった。


「リリーベル?」


「……訊きたいことがあります」


「なんだい? 君の家族のことかい?」


 リリーベルは質問した。ずっと、知っているつもりで、実は知らなかった事柄を。


「お兄さまは……おいくつですか?」


 思えば先日、スノーパール城で出会った時も、この質問をしてはぐらかされていたのだ。


「私は……お兄さまは、二十歳過ぎくらいに思っていました。でも……私がお兄さまと出会ってから、八年が過ぎているのですよね。二十代なら、年齢を重ねても、あまり外見の変化はないのかもしれませんが……お兄さまは、初めて出会った頃から、まるで変わらない……本当は、おいくつなのですか?」


「そんなことか」


 赤い瞳の魔物は笑った。


「たしかに、言ったことはなかったね。正確な数字を出すと、いろいろ面倒だと思ったから。――――三十二だよ。君と出会った時は、二十四だ」


 リリーベルはカレルを見あげる。

 若々しい笑顔は、二十四歳はともかく、三十二歳には見えなかった。


(知らなくても……おかしいとは、思っていたのかもしれない。本当は。心のどこかで……)


 リリーベルは認めた。

 つかんでいるカレルの手の平を、カレル自身に見せつける。


「……本当は、心の底で怪しんでいたのかもしれません。六年間、私が聖殿に入り、肉体の聖化をはじめてから、あなたはずっと私に直接、触れようとはしなかった――――」


 リリーベルがつかんでいるのは、カレルの手首。正確には、それを包む袖越しに。

 しかし、たった今までリリーベルの頬に直接、触れていたカレルの手の平は、赤く腫れていた。熱湯でもかけられたかのように、不自然に。


「紅の一族入りして十年では、その程度か。俺は、肌に触れるくらいならなんともないが」


 そう口をはさんできたアルベルテュスも、実のところリリーベルに直接、触れた機会は少ないし、彼女の涙を舐めた時には舌にかるい火傷のような痛みを覚えている。

 日々、己の聖化に努める白魔術師や白騎士達は、彼らの肉体そのものが、魔物にとっての忌まわしい浄化の武器である。

 兄代わりを自称していたカレルは、気安くリリーベルの頭をなでたり、彼女を抱きあげたりしてきた。

 けれど、彼が直にリリーベルに触れることは、もうずっとなかった。

 カレルがリリーベルに接触する時。手は常に、手袋や籠手に守られていた。

 紅の一族になったカレルは、己の正体を隠すためにも、聖殿に入って聖化の進むリリーベルの肉体に、安易に触れることはできなくなっていたのだ。

 リリーベルは深い、深いため息をついてうなだれた。

 だがカレルは、彼女のそんな絶望に付き合う気はなかったらしい。

 リリーベルの顎を持ちあげ、指の火傷もかまわず、彼女に答えを迫る。


「さあ。疑問がなくなったのなら、答えを聞かせてくれ、リリーベル。私のものになると、お言い」


「考える必要はない。『断る』と言ってやれ」


 落ち着いた美声が割り込んでくる。


「紅の一族の位階の末席を与えられていながら、一族の最低限の流儀もわきまえていない無頼者だ。貴女にはふさわしくない。その男には貴女を手に入れるだけの力も器量もない。貴女はただ、その男を『身の程知らずの愚か者』と評価してやればいい」


「黙れ!! 盗人!!」


 カレルはアルベルテュスを怒鳴りつける。


「私の知らないところで、よくも勝手にリリーベルに……!! リリーベルは私のものだ、八年間、私がずっと――――!!」


「それがどうした」とアルベルテュスは嘲笑した。


「八年かけても口説き落とせなかっただけだろう。お前に『力がない』というのは、そういうことだ。欲した女を手に入れる力が、魅力がなかった」


「黙れぇ!!」


 悪鬼の如き形相をしたカレルの怒声を、嘲笑でかわすアルベルテュスの秀麗な白皙はこの上なく美しく甘く、艶やかで、それ故に、これ上ないほど憎たらしかった。

 紅の一族第六位(バーミリオン)は失意の白騎士にむかって、手を差し出す。


「リリーベル。貴女の今の望みはなんだ? もともと、貴女の村を襲ったのが第十三位ピンクと判明した時点で、その男は殺すつもりだったが、貴女が望むなら今この場で、貴女のためにそいつを殺そう。それとも、生かしたまま永遠の苦痛を味わわせるほうがいいか?」


 リリーベルはアルベルテュスを見る。

 カレルが嘲笑した。


「馬鹿か、貴様。一族内の私闘は、許可がない限り、禁じられている。一族の流儀がどうのといっておきながら、自分は流儀を破る気か」


「先に流儀を侵したのは貴様だ、第十三位。無用な殺戮、特に若い娘を正当な理由なく殺すのは、紅の一族の流儀に反すると言っただろう。それでなくとも、貴様の無頼ぶりには最近の第二位カーマイン達も眉をひそめている。ここで俺が貴様を殺したところで、たいした咎めは受けないし、受けるとしても、リリーベルが望むなら俺はそれを実行するだけだ」


 カレルの表情に警戒が生じる。


「どうした? 顔色が悪くなったぞ。まあ、第十三位と第六位ではな」


「黙れ! お前がいると知って、私がなにも用意していないと思ったか!!」


 カレルはアルベルテュスを指さした。

 正確には、彼に両手首を拘束されつつも、口をはさめずにいた存在に。

 いや。はさむ余裕がなかったのか。


「……グレイシー嬢……?」


 リリーベルは重い頭を動かし、金髪を乱して立つ少女を見やる。

 グレイシー嬢はアルベルテュスに両手首を拘束されたまま、がくんと地面に膝をついた。長い金髪に隠れて顔は見えないが、荒い呼吸音が聞こえてくる。

 思えば、現れたばかりの頃はあれほど騒いでいた彼女が、リリーベルとカレルの会話の間は、ずっと静かだった。


(そうだ……たしか、さっきグレイシー嬢の瞳が赤く見えたような……)


 アルベルテュスの冷ややかな声が聞こえる。


「忠告はしていたぞ。()()()()が、命が惜しければ、他の血は入れるな、と」


「う……あ……」


 呻き声。少女はアルベルテュスを見あげ、その際、前髪の隙間からのぞいた瞳が赤く輝いたのを、リリーベルは視認する。


「お待たせしたね、グレイシー・シープフィールド。さあ、君の愛するその男を、手に入れるといい!!」


 カレルが命じるや否や、グレイシー嬢から強い魔力が吹き出した。

 リリーベルは愕然とする。


(グレイシー嬢は魔物化していたの!? どうして何も気づかなかっ――――)


 リリーベルは、はたと思いあたった。

 倒したはいえ、まだ屍が大量に残る、あの異形の魔物。あの魔物に残った魔力が強すぎて、グレイシー嬢に宿った魔力の気配がおおい隠されていたのだ。

 それにリリーベルは前触れなく彼女が現れたことと、彼女とアルベルテュスが顔見知りらしいことに意表を突かれていた。その動揺が注意力を鈍らせてもいたのだろう。


(私は、なんて迂闊な――――)


 リリーベルの視線の先で、グレイシー嬢の姿が変容していく。

二十四歳で八歳の女の子に目をつける男は、変態だと思います。

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