21
今回、グロっぽい表現があります。
苦手な方はご注意ください。
この先、長いシーンがつづくため、変なところで切れる回がつづきます。
血だまりの中に倒れていた両親。二度と会わせてもらえなかった、幼い弟。
いつもと同じように家を出て、いつもと変わらぬ日々がつづくと疑いもしなかったのに、帰ってきた時には、もう平和な日常は奪われて二度と戻ってくることはなかった。
あの惨状。あの喪失感。突然、足元の地面がなくなったような、わけのわからない不安、恐怖、寂しさ、家族への恋しさ。
あれがすべて。
『貴女の村と家族を殺したのも、その男だ』
赤い瞳の魔物は、たしかにそう言った。
リリーベルはアルベルテュスを見た。紅の一族第六位を。
それから自分の目の前にしゃがみ込み、自分と視線の高さを合わせたカレル――――八年間、恩人と信じ、兄代わりと思ってきた人の顔を。
リリーベルに新しい家と家族を用意し、今日の昼には彼女に求婚してきた男性だった。
カレルはなにも変わっていない。
ただ、その瞳が赤く輝いているだけ。
リリーベルは傷つけられた左腿の痛みも忘れ、ぎくしゃくした動きで顔をアルベルテュスへ向けて、ふるえる唇から声をしぼり出した。
「あの……なにかの、間違い……では……? 間違い、です、きっと。だって、だって、カレルお兄さまがそんな、お兄さまはずっと……」
「あなたにとって、その男がどんな存在かは知らないが」
前置きしつつ、紅の一族第六位は淡々と語っていく。
「直接、貴女の故郷に赴いて、調べてきた。貴女の故郷を襲ったという魔物のことと、村で唯一、生き残ったという娘の行く末を。三日間で、だいたいの事柄は調べがついた」
「私の……故郷?」
スノーパール城で会ったあと、顔を見せないと思ったら、そんなことをしていたのか。
そういえば、そうだ、あの晩、自分はこの青年に過去の一部を吐露していたのだ。だが。
「わ、私の故郷なんて、正確な場所を、あなたがどうして知っているんです?」
「貴女が言っていた。スノーパール城で話した時に。『待雪草の丘』――――つまり、スノードロップヒルの村だろう? 村は廃墟になっていたが、隣の村の人間は八年前の事件を、まだしっかり覚えていた。それから貴女のことも」
「スノードロップヒル……」
スノードロップヒル。待雪草の丘。そう。この八年間、時には忘れてしまいそうになり、ひそかに紙に書いて記憶していた名前。リリーベルの生まれ故郷。
「村中の人間が魔物に殺され、薪拾いに行っていた八歳の少女だけが、かろうじて難を逃れた。少女は偶然、その日に訪れていた遠縁の青年に引きとられ、村を出て行った。事件のあとは周辺の聖殿から聖水をかき集め、墓と言わず村の周囲と言わずにまき散らして、魔物が戻ってこないよう浄化したそうだ」
「魔物……」
リリーベルは記憶をさらう。
倒れていた両親。リリーベルに近づいてきた、あの恐ろしい存在。
恐怖と邪悪だけを混ぜて煮詰めたかのような存在感。
「……わからない……」
思い出せない。
どうしても思い出せない。ここまで教えられたというのに、何故。
あの魔物が、どんな姿形をしていたか。
なにを見て、なにをしゃべったか。
「わからない……思い出せません。姿も声も……人間の姿だったか、獣だったか……それさえ……! 赤い瞳だけを覚えている……あの、夕暮れの射し込んだ家の中で、爛々と輝いていた赤い瞳……それが急に青くなって……」
はたと気づいた。
「……待ってください。カレルお兄さまが、あの時の魔物だというなら……瞳は、どうなるんです? あの時の魔物は、青い瞳でした。赤かった瞳が、青く変化したんです。熱が冷めるように……グレイシー嬢の瞳によく似た、青……カレルお兄さまは紫色の瞳なのに……」
愕然とし、かろうじてしゃべっている状態のリリーベルに、紅の一族第六位は無情に告げる。
「俺が覚えている限り、そいつのもともとの瞳の色は青だった。他の一族にも確認してきたから、間違いない。紅の一族入りした結果、赤味が強くなり、十年かけて紫に変化したんだ。もう十年後には、完全に赤くなっているだろう」
リリーベルは呼吸が止まった気がした。
とうてい、そばのカレルの瞳を確認する勇気はない。
「貴女の故郷を見に行った。貴女の家も……隣村で仕入れた情報が間違っていなければ、見たと思う。村にも家にも、魔力が残っていた。おかげで話は早かった。魔力の実物さえあれば、特定は容易いからな。これがそこらの低級な魔物なら、早々に魔力が薄れて特定が困難だったはずだ」
アルベルテュスはカレルを見やる。
「八年が経ち、かつ、聖水も撒かれていながら、あれだけの魔力を残すあたり、わずか五年で位階を得ただけはある。総括すると、その男は十年前に紅の一族入りし、八年前に貴女の村と貴女を襲って、五年前に第十三位の位階を得たんだ」
「嘘……」
リリーベルは思わずカレルを見ていた。
「嘘ですよね……お兄さま……お兄さまがそんな、あの時の魔物だなんて……私を……私の村を、父さん母さん、弟を襲っていたなんて……」
もし、この時、カレルが「違う」と言っていれば。
たとえ赤い瞳のままだったとしても、リリーベルはぎりぎりの端でカレルを選び、アルベルテュスの言葉を『偽り』と断じていたかもしれない。
それだけの年月を『家族』と思って過ごしてきたし、『兄』と呼んで信頼するだけの様々なものを、彼からもらってきたのだ。
この八年間、リリーベルはたしかにカレルを『優しい兄』と認識してきた。
けれど。
「そうだよ」
カレルはいつもの――――あるいはいつも以上に優しい口調で、リリーベルに肯定した。
「私が殺した」
リリーベルは周囲の音が消えた気がした。
「あの日、あの時、あの場所で、私はどうにも耐え難い喉の渇きに襲われた。紅の一族入りして間もなかった頃で、私はしょっちゅう強烈な飢餓感に悩まされた。だから、目についた君の村を襲った。小さな村なら、たいした守りもほどこされていないし、白魔術師がいる可能性も低かったからね。片っ端から襲ったよ。男も女も、子供も老人も。老人の血はまずいけれど、邪魔してきたり、顔も見られたりしたから、殺した。特にうまいのは、若い娘だ。それと子供。いくらでも腹に入る」
紅の一族第十三位の言葉に、紅の一族第六位の言葉が割り込む。
「一族入りしたばかりの頃は大なり小なり、生き血への渇望に苛まれるが。お前は特に性質が悪い。俺達、紅の一族は本来、必要以上の血は飲まないし、まして、ついでで殺すなど論外だ。無用に殺せばその分、将来の糧が減る、と教えられたはずだぞ。しかも、よりによって将来、子を産む可能性がある若い娘を殺すとはな。女は慎重に扱えと伝えられたはずだ」
舌打ちと共に語ったアルベルテュスの声には、たしかに嫌悪感が混じっていた。
ただし、殺人への嫌悪ではない。
一族の者でありながら一族の将来を脅かす行為を犯したことに対する、嫌悪感だった。
対してカレル――――紅の一族第十三位の顔にも声にも罪悪感はない。
そっと、優しくリリーベルの頬に手を添えた。
「ああ、その表情。その表情だよ、リリーベル。八年経ち、八年分成長しても、君のその表情は変わらない。君はあの時も、この美しい緑の瞳に、今と同じ絶望や恐怖を映して動けずにいた。本当に変わらない」
ほほ笑み、カレルはリリーベルの耳に己の唇を近づける。
「知っているかい? 本当に喉が渇くとね、悠長にちまちま吸っていられなくなるんだ。血が欲しくて欲しくて、口の中も喉の中も、すべて血でいっぱいにしたくなる。首に牙を刺して少しずつ、なんてことはやっていられない。だから噛みつき、引き千切るんだ。これが一番、手っとり早い。頭から血をかぶって、あふれた内臓に顔を突っ込んで味わうんだよ」
「やめてください……」
「君の弟もうまかった」
耳を押さえようとしたリリーベルの両手首を捕えて、カレルは笑った。
「体は小さかったけれどね。幸い健康で、やわらかい肉の中に血がたっぷり流れていた。だからそれを丹念に味わったよ。首を抜いて滴る血を飲み、肉をぐちゃぐちゃに噛んで、最後の一滴までしぼりとった。ああ、君の両親を殺したのは、血が目的じゃない。赤ん坊を素直に渡しそうにないと思ったからさ」
リリーベルの脳裏に、最後に見た両親の姿がよみがえる。
「君の血は、どんな味がするんだろうね? 姉弟なのだから、きっと似た味じゃないかな。あの時もそう思って、君の血も飲むつもりでいたんだ。ああ、それなのに……」
カレルはリリーベルの両頬をはさんだ。
心からもったいなさそうに、それでいて、うっとりと焦がれるように赤い目を細める。
「君の恐怖は美しかった。絶望は可憐だった。まだ、たった八歳の少女でありながら、私はあの時、君の恐怖と絶望に魅了された。君を手に入れたくて、たまらなくなった。殺すのはもったいないと感じてしまったんだ。わかるかい? この葛藤が」
カレルは赤い瞳をいっそう赤く輝かせ、一方的にしゃべっていく。
「私は君の血を飲んでみたかった。一方で、君を生かしたまま、私のものにしたかった。生きたままの君の恐怖を、絶望を、存分に味わいたかったんだ。とても迷ったよ。心底ね。そして結論をくだした。私は君を生かし、生きたままの君の血と心を、心ゆくまで味わうことにしたんだ」
リリーベルの視界の端が霞む。恐怖か、怒りか、哀しみか。涙がにじみ出していることに、本人が気づいていない。
「私は君を助けた。あの村でただ一人、君だけは生かして残し、紅魔術をかけて、私の姿も声も忘れさせた。そしていったん村を出て、『久々に訪ねてきた遠縁』という体で、君の前に現れ直したんだ」
カレルは籠手を外し、素手でリリーベルの目尻を拭く。
「泣いているね、リリーベル。あの時のように」
優しい声が耳に、心に沁み込んできて、黒く蹂躙していく。
「私は君を連れ帰った。そして君を手元に置いて育て、年頃になるのを待とうと思った。正直、君が聖殿入りしたのは計算外だった。こうなるとわかっていたら、騎士団の入団試験など受けなかったのに。ましてや白騎士に、なんて」
歯ぎしりの音が聞こえた。
「それでも私は君を待った。いつか君が自分から私のもとに戻ってくる、私のものになることを受け容れる日が来ると信じてね。その時こそ、私は本当に、完全に君を私のものにするつもりだった。それなのに……」
カレルの赤い瞳が憤怒に輝き、表情に憎悪が宿る。
「あんな男に、横から手を出されるとはねぇ――――!!」
アルベルテュスは真っ向からその灼熱の視線を受け止め、笑みを浮かべた。嘲笑だ。
「リリーベルは、私のものだ。八年前、私がこの娘を見つけ、八年間、私がこの娘を育ててきた。すべてはこの時のため。リリーベルは私のもの、紅の一族だろうが上位だろうが、他の男に渡しはしない――――!!」
カレルはリリーベルの顔をつかんだ。
そして赤い瞳を輝かせたまま、優しく、優しく、とても優しく訊ねてきた。
「さあ、リリーベル。返事をくれないか? 私は君に結婚を申し込んだ。君は、どう返答してくれるんだい? 君を八年間、『妹』として守りつづけたこの私を、どう評価してくれるんだ――――?」




