18
「ふむ」と紅の一族第六位はリリーベルを見た。
「あの魔物と術者の正体について、か。かまわないが、どうせ人間側で調査するのでは?」
「調査自体は、はじまっています。聖殿は浄化作業と並行して、あの魔物を造りあげた術式の解析の準備を行っていますし、スノーパール城伯も、城伯の人脈で情報収集にあたっているはずです。一介の白騎士でしかない私に、出る幕はありません。だからこそ、です」
リリーベルは語りに悔しさと不甲斐なさをにじませる。
「今回、出現したのはあの二体でしたが、死体はまだ大量に埋まっていました。おそらく、第三、第四の出現が可能でしょう。むろん、聖殿もそれを座視するつもりはありません。用意が整い次第、あの一帯と死体の浄化作業に入りますし、私も浄化に全力を注ぎます。ですが……逆に言えば、それくらいしか私にできることはないのです」
籠手をはめた手をにぎったため、金属がこすれ合う音が響く。
「あれだけ多くの死体が……多くの人々が犠牲になりました。遺体の状態から見ても、墓場から掘りかえされた屍ではありません。いえ、それ自体も死者に対する冒涜ですけれど、今回は生きている人間が大勢、犠牲になっているんです。浄化によって、魔物化を止めることはできます。ですが、おそらく術者本人を捕えない限り、同じことがくりかえされ、犠牲者は増えつづけるでしょう」
「だから俺に協力してほしい、と?」
「これ以上の犠牲を防ぐために、一刻も早く術者を発見し、その目的を明らかにしなければなりません。悔しいですけれど……私には調査の能力はありませんし、私にできる程度の調査など、聖殿や城伯達がとっくに済ませているでしょう。人の手で可能なことは、すでに行われているんです。だったら……」
「紅の一族にしかできない調査をやりたい、ということか」
「あの魔物は紅の一族の造り出したものではない、と、あなたもおっしゃったでしょう? 仲間が関わっているのでなければ、あなたも差し障りないのでは? どうか、その……力を貸してください!」
最後の一言を口に出す時、リリーベルは城壁から飛び降りるような覚悟が要った。
「貴女の願いなら、同族が関わっていても問題ないな」
紅の一族第六位はあっさり、笑って答える。
「事情はわかった。調査など、貴女が職務の範囲を越えてまでする必要のあることとは思えないが、貴女が望むなら、それを叶えよう。貴女は真面目だな」
「真面目などではなくて。これ以上の犠牲を出したくないだけです」
「それを真面目と言うのでは? あ、『優しい』とか『誠実』のほうが良かったか?」
「そうではなくて……」
「『親切』『親身』『篤実』、それとも『世話好き』か……いろいろあるな」
「話を進めます!」
指折り考える魔物の話を、リリーベルは無理やり打ち切った。そしてぼそりと、独り言のように付け足す。
「……魔物に家族と村を奪われれば、だいたいの人はこうなりますよ……」
赤い瞳がリリーベルを見る。
「とにかく」とリリーベルは意識して強い口調を作った。
「あなたが協力してくださるなら、心強いです。紅の一族の調査方法は存じませんが……早速、とりかかっていただけませんか? 一刻も早く、術者をつきとめたいのです」
「術者に関しては、問題ない。動機は見当がつかないが。ただ……」
白い長い指がリリーベルの顎に触れ、くい、と持ちあげる。
「俺が貴女に、望むものを捧げたとして。貴女はなにを報酬にくださるんだ?」
リリーベルは言葉に詰まった。
(やっぱり、そうなりますよねー……)
予想してた展開だが、いざ、その時になると、追い詰められた感がすごい。
「……聖殿や……ひょっとしたら、スノーパール城伯から報酬が……」
「そいつらから依頼を受けたのなら、それでもかまわないが。俺は貴女の依頼をうけ、貴女のために動くのだから、貴女からいただきたい」
「……でしょうね……」
白皙の美貌が近づく。赤い瞳がこの上なく甘く、艶やかに輝く。
「貴女は、貴女のために骨を折った男に対して、なにを返していただけるのだろう?」
リリーベルは進退窮まった。
「お礼の言葉なら……いくらでも述べる用意があるのですが……」
視線をそらす。
我ながら、往生際が悪いと思う。
魔物とはいえ、理は相手のほうにある。こちらから頼んで働いてもらうのだから、こちらが報酬や謝礼を用意するのは当然だし、調査の内容にもよるが、物品を用意せずに言葉だけで済まそうというのは、厚顔無恥がすぎるというものだ。
(だけど、この人が望むのは、たぶん……)
だがリリーベルの予想に反して、魔物の青年からは無欲な言葉がかえってきた。
「まあ、言葉だけでもかまわないが」
「え。本当に?」
「貴女のために動くなら、貴女の言葉があれば充分だ。むしろ、どんな宝も、誰の血も不要。言葉でも血でも、貴女自身からもらえるものだけが欲しい」
長い指が動いて、顎から耳に移動する。指先がそっと、頬をなでる。
「どうせなら、愛の言葉をいただきたい。人間達の言う『愛している』でも『お慕いしております』でも『あなたが欲しい』でも。結婚の誓いでもいい。俺の妻になると言ってくれ」
「言いません!」
ちょっとでも都合のよい想像をした自分を叩いてやりたい。この魔物が、そんな扱いやすい存在なわけがないではないか。
「だいたい、あなた、前に『愛するという感覚がわからない』と言っていませんでしたか? わからないのに愛の言葉など聞いても、意味ないでしょう」
「ああ。俺の話を覚えてくれていたのか」
「違っ……」
重要なのはそこではない、とリリーベルは心の中で叫ぶ。
「愛はわからないが、恋はわかった。貴女を独占したい、他の男に渡したくない、ずっとそばに置いておきたい。俺だけを見て、俺のことだけを考えていてほしい。そういう心持ちを『恋』と呼ぶのだろう? だったら、俺は貴女に恋している」
アルベルテュスの白い手がリリーベルの頬をはさむ。
「いったん理解できれば、話は簡単だ。俺が貴女に想うこと、同じことを、貴女が俺に対して想ってほしい。それだけで、俺はこの上ない喜びを味わうと思う。俺が貴女に恋するように、貴女にも俺に恋してほしい」
「し……しません!」
リリーベルはうしろにさがって、アルベルテュスの手から逃れる。
「うーん」とアルベルテュスは本気で困ったような唸り声を出した。
「人間は腹を割った話し合いで心を通わせ、物事を解決することを尊いと定義する、と思っていたんだが。貴女は、俺がいくら本心を語っても、心を開いてくれないな」
「開いていますよ! 本心を述べています! 私は人間で、白騎士! あなたは紅の一族! 恋も結婚もできないと、はじめから言っているじゃないですか!!」
「いや。俺は貴女に恋することができた」
「あなたにはできても、私にはできないんです!!」
リリーベルは『密かな話し合い』という状況も忘れて、声をはりあげていた。頭が爆発しそうだ。顔に血と熱が集まっている。
毎回毎回、どうしてこの人は、なにを言っても通じないのだろう。ゆらがないのだろう。
「そもそも、妻とか結婚とか……どういう儀式かわかっているのですか? 紅の一族が、誰にどうやって、何を誓うつもりですか!」
「貴女が俺の妻になるなら、聖殿で神に誓うくらい、やってのける覚悟と魔力はあるつもりだが?」
「聖殿を汚す気ですか、いと高き我らの昼の王を侮辱するつもりですか」
「冗談ではなく。貴女が望むなら、あの程度の聖殿ごとき、いくらでも突破し、破壊してみせる」
胸に手をあて、悪戯めいた表情を浮かべながらも、赤い瞳には不敵な本気の光がまたたいている。
その光に、リリーベルはようやく、目の前の青年が魔物の中でも頂点に位置する一族の一員であり、一族の中でも一握りの実力者だという事実を思い出した。
背筋に緊張が走り、頭部に集まっていた熱と興奮が一気に引いていく。
おそらくこの青年は、本人の言うとおり、本気になれば聖殿の防御などやすやすと突破してしまうに違いない。
(第六位で、その実力なんて……)
はたして、人間がこの大地から魔物を追い払い終える時代など、来るのだろうか。
先ほどまでと、うって変わったリリーベルの浮かない表情に気づいたのか。アルベルテュスは要求を変えた。
「まあ、いそぐ気持ちはあるが、貴女を困らせたくないのも事実だ。今回は、別のもので我慢するとしよう」
「別のもの……ですか?」
「そうだな……事が済んだら、貴女に花とドレスと靴と……まあ、着る物と飾る物を一式贈るから、それを着た姿を見せてくれ。それでいかがだろう?」
「……それくらいでしたら……」
予想よりは、ずっと簡単な報酬だろう。
リリーベルは手を打った。
が、先手も打っておく。
「あまり高価な品は用意しないでくださいね」
「貴女なら似合うと思うが」
「そうではなく。高価な品をいただく理由がないと言っているんです」
「理由はある。俺が貴女に贈りたい、着せたい」
「着て見せたあとは、お返しします」
そんな風に長々と脱線していた時だった。
街の方、城壁の方から叫び声と思しき人の声が聞こえ、次いで、大きな重い音が響いた。
「なにが……」
「ああ。例の汚らわしい魔物だな。三体目だ」
アルベルテュスは城壁を見やり、月のない夜空の下、こともなげに看破する。
リリーベルは顔色を変えて、踵をかえした。
一瞬早く、アルベルテュスの手が彼女の二の腕をつかむ。
「どこへ行く」
「城壁です! 離してください!」
魔物の青年はため息をついたかもしれない。
「危ないと言っても、貴女は行くのだろうな。俺も行こう」
「あなたが……?」
「調査の約束もあるしな。といっても、正体はつかめているんだが。新手が動き出したなら、ちょうどいい機会だ」
「え……?」
どういう意味だ、と訊きかえす隙もなく、リリーベルはアルベルテュスの腕に抱きあげられる。昨夜もされた、結婚式で花婿が花嫁を抱える時の抱き方である。
「なにを……今、そういう時では……!」
「あそこに行きたいんだろう?」
言うと、紅の一族第六位はふわりと浮かんだ。
城壁へと、地上からの流れ星のように弧を描いて飛ぶ。




