17
休憩して午後の正餐をとったあと。
リリーベルは城壁の影の外、日光の中で、コーデリア=ホワイトと手分けして聖水や兵士達の武器や鎧の聖化にあたった。
兵士達は今夜も、この場所で警備にあたらなければならない。それでなくとも、夜は魔物の襲撃の恐れがある。彼らが身を守れるように、聖化はいくら強化しても損ではない。
リリーベルは手を動かしつつも、頭は別の事柄を考えてしまう。
(本当に、グレイシー嬢があの時の魔物なの? だとしたら……でも……)
グレイシー・シープフィールドの、あの冷めた青の瞳。
あれはたしかに、リリーベルの家族と村を襲った魔物の瞳の色だった。
魔物がどんな姿をしていたか。リリーベルは思い出すことができない。
覚えているのは、瞳の色。
爛々と光っていた、赤い二つの瞳。
それが急激に輝きを失って冷め、青く変化した。
魔物は何故か、リリーベルだけは殺さずに去って行った。
(私が白魔術の素質を持っていたから……とか?)
仮説は浮かんでも、確証は得られない。
(仮に、八年前の魔物がグレイシー嬢だったとして……スノーパール城伯はそのことを知っているの? 知っていて、隠しているの? グレイシー嬢はどうして八年前、私の家族を……)
そこで、はたと気がついた。
(……八年前?)
リリーベルの頭が高速で回転をはじめる。
グレイシー・シープフィールド嬢は今年十五歳。間近に見た彼女も、それくらいの外見だった。八年前なら、七歳前後。
一般に、紅の一族をはじめとする魔物は不老不死と言われている。浄化されでもしない限り、同じ姿のまま生きつづけると。
リリーベルの知る紅の一族第六位アルベルテュスも二十代半ばくらいにしか見えないし、先日、浄化した第十一位も若者の姿だった。
もし、例の魔物がグレイシー嬢だとすれば、八年前に魔物化していたことになるのだから、現在も八年前と同じくらいの容姿――――七歳か、それより少し上――――でなければ理屈に合わない。
三十歳と三十八歳はともかく、七歳と十五歳では肉体的な差がありすぎる。どう考えても、ごまかすのは不可能だ。
(あ、でも八年前に、すでに今の姿ということも――――)
いや。八年前にすでに十五歳だったとして、八年間、だましつづけられるだろうか。
個人差はあるが、十五歳と二十三歳なら、まだ肉体的な成長の余地はある。
(そう、それにパレードも)
スノーパール城伯の娘であり、『スノーパールの白薔薇』の異名を持つ彼女は、毎年、祭りのたびに聖女や神話の女神の仮装でパレードに参加している。つまり、もう何年も前から、彼女の顔はスノーパール中に知れ渡っているのだ。
八年間、まったく変化がなければ怪しむ者もいるはずだし、リリーベル自身、「幼い頃から愛らしかったが、年頃になって大人びてきた」と語る街の声を聞いたことがある。
つまり、グレイシー嬢の肉体はこの八年間、きちんと成長しているのだ。
リリーベルは大きく息を吐き出した。安堵のため息だった。
(どうして、こんな基本的なことに気づかないの。グレイシー嬢が八年間、成長していたなら、魔物のはずがない。瞳の色は偶然なのよ)
疑問が一つ、解消された。良い方向に。
(グレイシー嬢に失礼なことを……でも……あの魔物に関して、一つ思い出せた――――)
赤い瞳以外、なにも思い出せなかった、あの魔物。
だが今日、もう一つの瞳の色を思い出した。
おそらくあの魔物は魔物化して日が浅く、もとはグレイシー嬢によく似た青い瞳だったのだ。
(でも……青っぽい瞳は、この国ではよく見かけるし……それに……魔物化したら、最終的には完全に赤く変化するって……八年も経っていれば、もう完全に……)
「なんだ、これは!!」
スノーパール城伯と騎士団長の怒鳴るような驚愕の声が聞こえて、リリーベルは物思いから覚まされる。
兵士達の間にもどよめきがひろがっていく。
「何事でしょう?」
「見てきます」
コーデリア=ホワイトの怪訝そうな声に、リリーベルは作業を中断して、城伯達のもとへ駆け出す。
声の発生源は城壁の影の中だった。例の異形の魔物が出てきた場所を中心に、なにか手掛かりが出るのではないかと、兵士達が交代で土を掘り返していたのだが。
「いったい、何体あるんだ……」
誰かの呻くような呟き声。
リリーベルも穴をのぞき込んで察した。
穴の底から現れたのは、さらなる死体だった。
それも一体や二体ではない。ざっと数えただけでも、十ちかい遺体が無造作に折り重なっているのだ。
しかも、こちらはまだ骨になっていない。
「見ないほうがいい、リリーベル。あちらに」
横から声がかけられた。カレルだ。
騎士の彼は穴掘りには加わっていなかったようで、鎧姿のままだったが、リリーベルの肩を抱いて穴から離そうとする。
だが、リリーベルは動かなかった。
「服装から見て……流れ者や芸人、低級の娼婦だな。城壁の外で夜を過ごしていて、襲われたのだろう」
「殺されたあと、ここに集めて埋められたということか。これも例の魔物の仕業か?」
「魔物の仕業というより、魔物を作った輩の仕業だろう。おそらく、この死体も合わせてあの魔物にする予定が、我々が魔術陣を描いたために、先に魔物化が進んでいた死体だけ反応して、動き出したのだ」
ナイト=ベイジルと聖殿長の会話が聞こえる。
推測が正しければ、間違いなく人為的な行為だった。
「いったい何者だ! よくも、私の街でこのような……! 黒魔術師の仕業というのは、本当か!!」
動揺と怒りをにじませて、スノーパール城伯が聖殿長につめよる。
「まだ断定はできません」
聖殿長は慎重だった。横では騎士団長が無言で死体を凝視している。
「とにかく、死体を埋葬しないと……」
「いや」
誰かの提案に聖殿長は異を唱えた。
「この死体も、魔物化のための処置がほどこされていることは明白だ。このまま墓に埋葬はできない。まず、この場で浄化を行い、様子を見て何事もなければ、あらためて墓に移す」
妥当な判断だった。
兵士や騎士達はさがり、代わりにリリーベルをはじめとする白騎士、白魔術師達が穴を囲む。死体の山に聖水をふりかけ、聖句を斉唱した。
「――――光あれ!」
いく滴もの聖水が輝き、一瞬、死体が白い光に包まれる。
手応えはあった、のだが。
「底に、まだ死体が埋まっている可能性が高い。全部、掘り起こして浄化する他、あるまい」
「だが今日はもう、無理だ。日が暮れはじめているし、聖水の量も足りない」
聖殿長とナイト=ベイジルが重く苦い表情で話し合う。
口は挟まなかったが、リリーベル達も同意見だった。
おそらく、死体はまだ隠されている。今日、出てきたのは一部だ。隠れている分まで掘り出して浄化しなければ危険だが、陽が沈みはじめている以上、光の力を借りる白魔術師達はこれ以上、強い力は揮えない。
今の浄化は、あくまでも応急の処置だった。
「夜の警備の数を増やす。白騎士も配備して、城壁上に白魔術師も待機させる。それから聖水の増産を……」
聖殿長達の会話を聞きながら、リリーベルも考え込まざるをえなかった。
その夜。
リリーベルは早速、城壁の外で警備の任にあたっている。彼女の周囲は兵士達の掲げる松明で朝方のように明るいが、兵士達の表情は重く、緊張している。
「大丈夫です。異常があれば、私が戦いますから」
リリーベルが明るくそう言うと、「紅の一族第十一位を倒したナイト=リリーベルなら」と一時は安堵するのだが、城壁の外に広がる闇を見ていると、また不安と恐れの表情になる。
聖化された武器や鎧を身につけていても、魔物が現れる夜はやはり、人間にとっては忌まわしく恐ろしい時間だった。
リリーベルは時折、地面の様子を確認しながら、兵達に不審に思われぬ範囲で周囲をゆっくり歩きまわり、見張りにあたっているように見せかける。
実際は別の目的があった。
(連絡先も方法もわからないのは、不便よね。悔しいけれど、呼び出し方を訊いておけば良かった……)
弱ったリリーベルの心の声が聞こえたとも思えないが、何度目かの見回りの時、それは姿を現した。
ひらひらと白い物が近づいてくる。
手を伸ばすと、当然のようにリリーベルの籠手の上に乗った。
蝶ではない。蝶の形に切った、白い布だ。
だが、かすかな魔力を宿している。
(来た)
リリーベルはどきりとした。
が、周囲の目がある。
ちょうどその時、天の助けが現れた。
「交代だ、ナイト=リリーベル。休んで来い」
完全武装したナイト=ベイジルが十人ほどの兵士達と共にやってきて、警備の兵士達が入れ替わる。
リリーベルは礼を言い、先に門に戻ると見せかけて、兵士達からも城壁からも離れた。
闇の中で捕まえていた布の蝶を離す。
すると蝶はふたたび、ひらひらと舞い、一つの方向へと飛び出した。
リリーベルは腰の剣を確かめ、蝶を追う。
さほど歩きはしなかった。ふりかえれば、城壁の大きな影も松明の小さな光もはっきり見える。だが、この暗さでは、むこうからリリーベル達の姿は見えないし、声も聞こえないはずだった。
月のまだ出ぬ夜空の下、草原の中にすらりとした長身の影が立っている。
リリーベルの思った通りの相手だった。
「……こんばんは。第六位……さん?」
「貴女なら、その呼び方も可愛らしいが。せっかく名があるのだから、そちらで呼んでいただきたい。アルベルテュスと」
紅の一族第六位アルベルテュスが長い足を大きく動かし、にこにこと歩み寄ってくる。
魔物の支配者たる一族に対し、この表現はどうかとも思うが、基本的にリリーベルと会っている時の彼の顔は笑顔なのだから、こう形容するしかない。
「これは、あなたの紅魔術ですね?」
「ああ。以前、生きた蝶を使役したら貴女に怒られたので、布を用いた」
リリーベルの手から引き抜かれた布の蝶は、アルベルテュスの手の上で燃えてなくなる。
「……あなたに、頼みがあります」
かたい、緊張をはらんだリリーベルの声音。
「妙に何度も兵士達から離れるから、ひょっとして、と思ったんだが……貴女が俺に会いたがった、貴女から俺を求めてくれたとは、望外の喜びだ」
「変な誤解はしないでください。純粋に、危機的状況からの、私なりに合理的に判断した結果です」
「貴女が俺に会うべきと判断したなら、その危機的状況と貴女の思考を褒め称えたい」
アルベルテュスは心もち腰を曲げてその美貌を近づけ、リリーベルにささやいてくる。
「貴女が望むなら、なんなりと。世界中の花でも、この世最美のドレスでも宝石でも。お望みなら天の星でその髪を飾り、太陽の光とて一枚の布に織って差し上げよう」
美しい声の音楽的な口調に、リリーベルは頬が熱くなる。耳がくすぐったいのは、口にしたのがこの魔物だから、ではなく、台詞が気障だったからだ、と自分に言い聞かせる。
「あなたは相変わらずですね……私の用件は、そういう類のものではありません。ドレスも飾りもけっこうです」
「もったいないな。貴女は花の盛り、春の女神にも劣らぬ清純可憐さだというのに。一度、俺にその身を任せてみる気はないか? 実のところ、貴女が無粋な鎧を着込んでいるのを目にするたび、いつも口惜しいと……」
「私の服装は、どうでもいいですから」
「髪も飾ってみたいな。人間は、未婚の娘は髪を結わないが、花やピンを飾るのは――――」
「用件を述べます!」
リリーベルは肩をいからせ、力ずくで話を進めた。
この青年に話を合わせていたら、いつまでたっても本題に入らない。
「あなたに協力していただきたいことがあります。あの異形の魔物の正体と、あれを造り出した、術者。この二つを、探し出してほしいのです」
リリーベルは告げた。
(言ってしまった)と思いながら。
(本格的に、いろいろ終わった気がする……)
そう、胸の中であきらめの涙を流しながら。
評価、ありがとうございます‼




