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紅の吸血鬼と白の聖女騎士  作者: オレンジ方解石


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序盤に「昨夜、アルベルテュスと会っていたことを、どうごまかしたか」の説明を加えました。

『貴女は俺を殺そうとした。その罰だ』


 昨日の夜から、ずっと同じ記憶をくりかえしている。

 思い出すなと言い聞かせても、思い出してしまう。

 生まれて初めて味わった、やわらかい感触。

 気づけば、リリーベルは何度も自分の唇に触れていた。

 赤い瞳。悪戯っぽいまなざし、甘く艶っぽい笑み。

 暗くてよく見えなかったはずなのに、はっきり脳裏に焼き付いている。


(駄目だわ、私……もう、いろいろ終わった気がする……)


 朝の祈りの最中にもあまりに雑念だらけだった自分自身に、深く深く失望するしかない。






「ナイト=リリーベルはいらっしゃる?」


 現れた小柄な人物は片手を腰にあて、可憐な声でそう言った。

 外出用のヴェールをかぶって顔を隠しているが、胸のすぐ下を金のベルトでしめた鮮やかな赤の外出着は明らかに名家の娘と主張していたし、ヴェール自体が高級品だ。

 ちょうど、その声が届く位置にいたリリーベルは、何事かとふりむいた。

 四日ぶりにあかの一族第六位(バーミリオン)アルベルテュスに会って話した、翌日の昼前である(なお、リリーベルを探していた同僚達には「魔物に潰されたのではなく、吹き飛ばされて意識を失っていた」とごまかした)。

 リリーベルは聖殿長をはじめとする幾人かの白魔術師や兵士達と共に、スノーパールを囲む城壁の外に来ていた。

 例の、不可解な魔物が出現した場所である。

 なにか手掛かりはないかと、土の中や周辺を探っていたのだが、途中で、街の為政者であるスノーパール城伯ロドニー・シープフィールド卿と、王都から視察に来ている騎士団長の到着が告げられ、男ばかりのこの場にはいかにもそぐわぬ可憐な声が聞えたのだ。


「私ですが、何か?」


 リリーベルは名乗り出る。調査兼警備のために訪れているため、鎧を身につけて髪を後頭部で一つに結った、白騎士の格好だ。

 周囲の兵士達も「何事か」とリリーベル達を不思議そうに、あるいは興味津々に見やる。


「やめなさい、グレイシー」


 スノーパール城伯の台詞でヴェールの人物の正体が知れた。

 スノーパール城伯令嬢グレイシー・シープフィールドである。

『スノーパールの白薔薇』の前触れなしの登場に、若い兵士達はどよめく。


「お久しぶり。ナイト=リリーベル」


「お久しぶりです、グレイシー・シープフィールド嬢。体調はご回復されたとのこと、お祝い申し上げます」


 ヴェールをずらして金色の髪と乳白色の顎や首を露にし、つんと澄まして、淑女らしく気位高く挨拶したグレイシーに対し、リリーベルは騎士としての礼をとる。厳密には、聖殿で認定される白騎士は国王に認定される騎士とは別物だが、作法としては間違っていないし、リリーベルは淑女の作法を知らない。

 先日の診察と水差しの件で来たのだろうか、自分とグレイシー嬢の接点といったら、それくらいしか思いつかない――――とリリーベルが考えた矢先だった。

 グレイシー嬢はつかつかと自分より背の高い女騎士に歩み寄り、目の前で立ち止まったかと思うと、いきなり右手をあげてリリーベルの頬を叩いてきた。


「グレイシー!」


 スノーパール城伯は咎めの声をあげ、見守っていた兵士や聖殿長達も驚きに目を瞠る。

 リリーベル本人も、予想外の不意打ちに目を丸くしていた。瞳の緑色がはっきり視認できる。


「この邪魔者!!」


 可憐な声の罵声が飛んでくる。


「お前のせいで……お前のせいで……! あと少しだったのに……!!」


「え? いったい何の……」


「やめないか、グレイシー!!」


「お前なんかがいたせいで……お前がいなければ……!!」


 グレイシー嬢はまっすぐにリリーベルをにらみつけてくる。

 その強い憎しみにも似た輝き。青い瞳。


(――――!!)


 ふいに、リリーベルはめまいに襲われた。

 目の前の光景の一部が、過去の記憶の一部にぴたりと重なる。

 そうだ、あのリリーベルの家族を殺した魔物。

 あの二つの赤い瞳。

 赤く輝いたあと、変化した。

 冷めた色に。

 冷めた――――青い色に――――


「グレイシー!!」


 見かねたスノーパール城伯が背後から娘の両肩を捕まえ、問答無用で供の侍女と侍従に預ける。城伯の声で、リリーベルも我に返る。

 グレイシー嬢はほとんど力づくで連れていかれ、馬車に押し込められた。「先に帰らせろ」とスノーパール城伯が命令している。


「大丈夫かい、リリーベル」


 覚えのある声が駆け寄ってくる。

 都の騎士らしく、すっきりと品よく鎧を身につけたカレルが、見守っていた兵士達の間をすり抜けて現れ、青ざめたリリーベルの肩当の上に手を置いた。


「いらしていたんですね、カレルお兄さま」


「団長の警護でね。いったいどうしたんだ、グレイシー嬢は」


「さあ……私にも、さっぱり……」


 叩かれたといっても、たいした痛みはない。それより、急によみがえった記憶のほうがリリーベルの精神を打ちのめしていた。

 グレイシー・シープフィールド嬢の青い瞳。

 あれはたしかに、あの時の魔物の色によく似ていた――――

 リリーベルの脳裏に、昨夜の紅の一族第六位の話がよみがえる。


『赤以外の色の瞳の人間が、紅の一族になったとする。その場合、夜や血を吸う時、紅魔術を行使する時は瞳が赤く光るが、それ以外の昼間はもとの色をしている』


 それはつまり、紅の一族になったばかりなら、昼間の瞳の色は、人間だった頃とほとんど変わりはないということ。


(なにを考えているの、私……)


 まさかグレイシー嬢が? という疑問が頭をよぎる。

 まさか、と頭をふると、娘を見送ったスノーパール城伯が戻ってきた。


「申し訳ない、ナイト=リリーベル。娘には、あとでよく言い聞かせておこう」


「それはかまわないのですが……あの、令嬢は何故、私を……」


 いきなり叩かれなければならない覚えはない。

 城伯はため息をつき、眉根を寄せて渋い表情を見せた。


「気にしないでくれ。あの娘の誤解、八つ当たりだ。あとで詫びの品を届けよう」


「いえ、そういう意味ではなく……」


「それはないでしょう。突然、人を殴っておいて、その態度は無礼では?」


「カレルお兄さま」


 カレルは城伯の前に出る。


「リリーベルは理由も告げられずに殴られたのです。城伯が理由をご存知なら、せめてそれを説明して謝罪するのが、親としての責任では?」


「お兄さま、私は大丈夫です」


 リリーベルは慌ててカレルを止める。

 カレルの主張は正論だが、相手は一つの街とその周辺を治める貴族で、カレルは一介の騎士、市民階級である。ここで無用な怒りや反発を買って、スノーパール城伯と国王直属の騎士団の関係が悪化するのはよろしくない。

 権力者というのは、えてして理不尽で身勝手なものなのだ。

 だがスノーパール城伯は怒らず、静かに説明してきた。


「ナイト=リリーベルには申し訳なかった。グレイシーがナイト=リリーベルを叩いたのは……まったくの誤解だ。グレイシーは、その……ナイト=リリーベルが病を治したと誤解しているのだ」


 リリーベルはぴんときた。


「病が治ったのは偶然だ。しかし、グレイシーはナイト=リリーベルが治癒の白魔術をほどこしたと思い込んでいて……申し訳なかった」


 城伯があらためて詫びると、聖殿長と騎士団長がひかえめに声をかけてくる。これから三者で、報告を交わし合うのだろう。忙しい彼らの邪魔をしてはならない。

 リリーベルは引き下がることにした。

 だが、カレルは納得していないようだ。


「誤解だろうがなんだろうが、いきなり人を殴っていい理由にはならないだろう。まったく、スノーパール城伯はどんな躾をしているんだ。そもそも、病を治して、どうして怒られるんだ」


 憤懣やるかたない様子だったが、リリーベルには見当がついた。

 令嬢付きの侍女の話によれば、グレイシー嬢はスノーパールの街に恋人がおり、恋人と離れたくないがために、絶食までして病を装っていたのだ。

 彼女にとって、病が治った、というのは計画の失敗を意味するのだ。

 しかしリリーベルはその話は伏せ、あやふやに笑ってカレルの気をそらした。


「もう、いいですよ。カレルお兄さまも気になさらないで。それより、お仕事の調子はいかがですか?」


「まあ、そちらは順調だけれど……」


 本来なら、そこで互いの持ち場に戻らなければならない二人だった。

 リリーベル自身、一人になって、よく考えたい事柄がある。

 しかしカレルは、聖殿の兵士と騎士団の騎士と城伯の私兵が入り乱れる城壁の影の中の光景をちらりと見やると、「ちょっといいかい」とリリーベルを反対方向に誘った。


「急だけれど……リリーベル、帰郷しないかい?」


「え?」


「短いけれど、休暇がもらえたんだ。スノーパールでの任務が終了したら、王都への帰り道の途中で騎士団と別れて、家に顔を出す許しをもらった。リリーベルも一緒に帰らないか?」


「カレルお兄さまの家、ということですよね?」


「もちろんだよ。君の家でもあるだろう? 久々に両親に会っていかないか?」


「うーん……」とリリーベルは考え込んでしまった。


 たしかに、もうかなり長いこと、カレルの両親には顔を見せていない。

 身寄りのなくなった自分を保護、養育してくれた人達に対して不義理とは思うが、今のリリーベルは安易にスノーパールを離れられる立場ではない。

 いつ、魔物の襲撃があるかわからないし、調査中の魔物の件も気にかかる。そして、グレイシー嬢の青い瞳――――


(それに……)


 夜風になびく黒い髪、白皙の美貌と赤い瞳。熱く甘く艶めいた、あの視線――――

 リリーベルは無意識に指を唇にあて、籠手のひやりとした金属の感触に我に返る。


「リリーベル?」


「いえ、あの……」


 リリーベルはいそいで目の前の会話に集中する。


「ごめんなさい、カレルお兄さま。今は……少し都合が悪くて。いろいろ街が大変なのに、離れてしまうのは……」


「だが、聖殿には君以外の白騎士も白魔術師もいるだろう? 少しでいいんだ。帰らないかい?」


「でも……」


「……私は、君と帰りたいんだ」


 カレルの口調が確固としたものに変化し、リリーベルは彼を見あげる。

 カレルは真剣な表情でリリーベルを見おろしていた。

 まっすぐにリリーベルを見つめる紫の瞳は城壁の影とまつ毛の作る影のせいか、いつもよりも濃い、マゼンタ寄りに見える。


「言わないと君は気づかないだろうから、はっきり言うよ、リリーベル。私と家に帰ってほしい。私は君を『妹』ではなく、『私の妻』として、あらためて両親に紹介したいんだ」


 リリーベルは意表を突かれた。

 冗談かと思ったが、カレルの表情はとても冗談を言う時のものではない。


「あ、ええと、その」


 うまい返答が思いつかない。

 だが、嘘や冗談でごまかしていい状況でないことは理解できた。


「カレルお兄さま……あの、少し時間をいただけますか? 急な話で、その、どうお返事をしたものか……」


 視線をそらしたその言い方が、一つの返事と言えなくもなかったが、カレルはうなずいた。


「そうだね、突然すぎたね。まだ時間はあるから、よく考えて返事してくれればいいよ」


「すみません」


「……誰か好きな相手がいるのかい?」


「えっ?」


「いや。君のそういう話は聞いたことがなかったな、と思って」


「そんな……」


 リリーベルはうつむく。

 胸当をつけた胸をかきむしりたくなった。

 唇がほのかに熱い。


「また、日をあらためて誘うよ。その時は、いい返事を期待している。じゃあ……」


 カレルは籠手をはめた手で、目についたリリーベルのほつれ毛を耳にかけると、仲間の騎士達の中に戻っていった。

 リリーベルはその背中を見送る。


「ナイト=リリーベル」


「うふふふふ」という笑い声が突然、耳もとで聞こえて、リリーベルは心臓が飛び出しそうな驚きを味わう。


「コ、コーデリア=ホワイト!!」


「ごめんなさい、のぞいてしまいました」


 ちっとも「ごめんなさい」と思っていない表情で、同僚の白魔術師がリリーベルのうしろに立っていた。二十歳前後のコーデリア=ホワイトは、うきうきした空気オーラを放っている。


「どうして、お断りになるんです? あの方、ナイト=リリーベルと親しい、親族の方でしょう?」


「どうしてって……」


「王都の騎士団所属で、見た目も立派で、優しそうないい方ではないですか。年齢もつりあうし、断る理由などないのでは? 聖殿に仕えるといっても、私達、白魔術師は、修道女のように結婚を禁じられているわけではないんですよ?」


「それは……だって、カレルお兄さまは『兄』です。家族みたいな存在と思ってきました。それを急に、妻と言われても……」


「そういう発想がなかった、ということですか?」


「はい」


 いや。

 リリーベルは自分に問いかけていた。

 本当に、これは予想していなかった展開か? まったく? 完全に?

 コーデリア=ホワイトが首をかしげて訊ねてくる。


「真面目な方とは思っていましたが。ナイト=リリーベルは本当に身持ちがかたいのですね。お兄さまの台詞ではありませんが、ひそかに慕う方などもいないのですか?」


「そんな方……」


「いない」と言おうとして、リリーベルは地面に膝と両手をつかんばかりに落ち込んだ。


「ど、どうしました?」


「いえ……」


『記念すべき初めての求愛、唯一の求婚者が人ならぬ紅の一族(吸血鬼)と気づいて、寂しくなりました……』とは言えない。

 とにかく、そんな風に様々な悩みを一度に抱えてしまった日だった。

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