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現れた魔物は、動きも芋虫に似ていた。よく見ると突き出ている手足の間には、人間の顔らしきものが無数に生えている。
兵士や白魔術師の中からも、嫌悪感からの吐き気を覚える者がいた。
「なんと異様な。よく見る魔物化した獣や『生ける屍』とは、まるで異なる姿だ」
「魔物化ではなく、はじめから魔物として誕生した種でしょう」
「とにかく、すぐに退治を!!」
「弓兵、前へ! 白魔術師は最後尾へ! 歩兵は白魔術師を守って展開、聖水を確保するのを忘れるな!!」
この場での最高責任者、最年長の壮年の白魔術師の決定を受けて、壮年の白騎士が具体的な指示を出す。弓兵が矢をつがえ、槍を持った歩兵がその左右に並んで、白魔術師達は魔術陣用の聖水を詰めた箱を抱えて歩兵達の背後にまわる。
「放て!!」
白騎士の命令を受けて、十本の矢が飛ぶ。
矢はどれも黒い魔物にあたって、魔物はのけぞって声をあげた。
ものすごく大きな声というわけではないが、とにかくおぞましさ、恐怖感をあおる質の声である。兵士も白魔術師達も額が青ざめる。
「効いているのでしょうか……?」
「効いています。そもそも、太陽の光自体を嫌がっています。城壁の影から出てこようとしません」
コーデリア=ホワイトの疑問に、リリーベルが所見を述べる。
彼女の見立てどおり、魔物は高い城壁の影の中でうごめくだけで、こちらに来ようとはしないのだが、別の危険が生じた。
離れた位置から悲鳴があがる。
「農民達が!!」
農具を抱えた十人ほどの男達を狙って、黒い芋虫が前進する。草刈りを手伝ってもらったあと、賃金を払って帰したのだが、帰路に城壁の近くを歩いていたため、魔物には食べ物のほうから寄って来たようなものだった。
農民との比較からして、魔物は建物の二階の天井に届くくらいの高さだろうか。長さは、はっきりしない。しっぽの先が、まだ地面の中に残っている。
農民の一部はその大きさに仰天し、農具を落として腰が抜けたようだった。
「弓兵、援護を! ナイト=ベイジル、私が行きます!!」
「待て、ナイト=リリーベル!! うかつに近づいては……!!」
「私があの魔物の注意を引きます、その間に魔術陣を完成させてください! 合図が出たら、ここに誘導します!!」
紅の一族第六位アルベルテュスを倒すために用意していた魔術陣だが、いたしかたない。あの巨体では、通常の浄化の白魔術では足りないはずだ。
もう一人の白騎士ナイト=ベイジルも迷ったようだが、すぐに「それしかない」と判断を下す。白魔術を使えない兵士には危険な任務だし、白魔術師は直接的な戦闘には不向きだ。かといってナイト=ベイジルがその役を引き受けては、戦闘における指示を出す人物がいなくなってしまう。動けるのはナイト=リリーベルだけ。
「弓矢を貸してください!」
リリーベルは空いていた弓と矢筒をひったくるように受けとると、一直線に走り出す。
ナイト=ベイジルの命令が背中で聞こえる。
「弓兵! どんどん射ろ!! 白魔術師は全員、魔術陣の完成を急げ!! 歩兵はナイト=リリーベルに同行して、農民を保護! 攻撃用の聖水を忘れるな!!」
リリーベルは走る。
成人男性に比べると小柄な彼女は、武装も強度より軽さを重視して、胸当てに腰当、肩当、籠手、脛当、鉄靴くらいしか身につけず、兜もかぶらない。剣も、騎士が用いる長剣より手の平一つ分ほど短い、小剣だ。
人間の兵士相手には心もとない装備だが、重さで動けなくなっては本末転倒だし、鎧は毎日、聖化の白魔術をほどこして、鎧の下の服にも聖水をかけている。低級の魔物は触れるだけで傷を負う代物だ。魔物と戦う白魔術師としては、充分な格好だった。
「わあああ!! 誰か、誰か……!!」
腰が抜けて立てない農民の一人に、魔物が迫る。胴体から生える手足は飾りかと思いきや、そうでもないらしく、近くで見るとわさわさと動いていた。
剣では間に合わないと判断したリリーベルは、立ち止まって弓をかまえる。
剣に比べると、けして得意とはいえない弓術だが、的がこれだけ大きければ、適当に射てもどこかにあたる。要は方向と、どれだけ浄化の力を込められるか、だ。
放つ。
ちょうど背後の弓兵達ともタイミングが重なり、十一本の聖化された矢が魔物に突き刺さった。
魔物は再度、耳をふさぎたくなるような声をあげ、大きく身をよじる。どうやら表面に埋まっている? 生えている? 顔もいっせいに声をあげているようだった。
「農民を!!」
リリーベルの声に、槍を持った歩兵達が腰を抜かした四、五人の農民達に駆け寄り、左右から肩を貸して立ちあがらせて、その場を離れていく。
リリーベルは持っていた弓矢をそばにいた兵士に預けると、腰の剣を抜いた。
走って魔物に接近する。
「こっちです!」
魔物に呼びかけた。
が、魔物の反応は薄い。
どころかリリーベルを無視して、聖化した矢が降り注ぐ中、逃走する農民や歩兵達の背中を追おうとする。
魔物にしてみれば、聖化した鎧を着て、同じく聖化した剣をかまえる白騎士など、餌にはなりえないのだ。
それに気づいたリリーベルは愛用の剣に白魔術の力を込めると、高い城壁の暗い影の中を進もうとする魔物の脇に、思いきり強力な一撃をくらわせてやった。
白い光が黒い表面を深く斬って、生えていた手足が落ちて顔が割れる。
魔物は悲鳴をあげる。
リリーベルは潰されないよう気をつけながら、二度、三度と剣先に浄化の力を込めて斬りつける。リリーベルに当てないよう、矢の斉射はとまっている。
四度目でようやく、敵はリリーベルに顔(にあたる部位)を向けた。
この小さな人間をどうにかしないと、餌にありつけないと理解したのだろう。表面に生えていた手がリリーベルを捕まえようとするが、リリーベルはそれらを斬って捨てると、後退する。
魔物はリリーベルを追いはじめた。
彼女が城壁の影の外に出ると、少し躊躇したようだが追ってくる。
陽射しを浴びた表面からは、しゅうしゅうと、かすかな水蒸気のような煙が立ちはじめ、生えている手や足が痛みを訴える動きを見せて、顔が苦痛にゆがむ。
走りながら、リリーベルはぞっとした。
聖化した無数の矢を背に突き立て、真昼の太陽の光を浴びているというのに、消滅しない。効いてはいるようだが、致命傷には遠いようだ。人間にたとえるなら、毒を持たない蜂に体中を刺されたものの、命には別条はなし、というところか。普段、城壁の外で出会う魔物なら、とっくに五回は浄化されている損傷のはずだが。
(落ち着いて……私だって、あの第十一位を倒した。そこらの魔物におくれをとりはしない)
動揺しかける己を己で叱咤、鼓舞する。
(今は一人じゃない。みなが……)
ちらりと同僚のほうを見やると、旗を振っている。
合図だ。
リリーベルは本気で走りはじめる。
魔物も本気でリリーベルを追い駆けてきた。速度が違う。
ちらりと振り返ると、長い黒い尻尾がようやく地面から抜けている。塔に巻きつけるくらいの長さがある。
「こちらです! ナイト=リリーベル!」
旗をふる兵士が叫ぶ。
魔術陣は完成していた。
周囲を五人の白魔術師と一人の白騎士が、各自、緊張を浮かべた表情で囲んでいる。
リリーベルは全力で走った。
魔物が追い駆けてきているのが、気配と地面を這う音でわかる。
(全体はとうてい、魔術陣の中に入らない……頭を狙うしかない――――!)
リリーベルはまっすぐ白魔術師達の中央、魔術陣に向かって走り、ごく手前で横に跳ぶ。
追い駆けていた魔物は急な方向転換についていけず、頭から魔術陣に突っ込む。
リリーベルはすかさず、その首(と思しき場所)に白く淡く輝く剣先で斬りつけた。
傷口が炭化し、魔物がのけぞったその時、白魔術師達の斉唱が響いて、隠されていた魔術陣が白い光を放つ。光に、全身から人間の手足と顔を生やした黒い芋虫のような魔物は、動きを縫いとめられた。
「偉大なる光の主、昼の王――――」
白魔術師達が緊張と共に聖句を唱えはじめる。
「数多の星と月の兄、我ら人間の命と日々の守り手よ――――」
リリーベルも斉唱に加わる。
魔物は自身の状況と運命を悟ったか、なんとか光の輪から逃れようと試みるが、見えない巨大な手に押さえつけられているかのように動きが鈍い。身をよじったことで、逆に輪の外にあったしっぽの大部分も輪の中に入ってしまう。
白魔術師と白騎士達がうっすら汗ばみながら斉唱する様を、少し離れて弓兵達が聖化した矢をつがえた体勢のまま、不安げに見守っている。
「……陽光が地に降るように、その偉大なる御力を、地上を歩く我らに貸したまえ。深き慈悲を、闇の生き物達に分け与えたまえ――――」
七人の白魔術の使い手達の声に呼応して、青空から太陽の光が魔術陣へと集まり、きらきら輝く。魔術陣がこれ以上ないほど白く強く、光を放つ。
「――――光あれ!!」
最後の聖句が斉唱された瞬間、白い巨大な光の柱が立ちあがり、黒い魔物の姿をかき消す。
魔物は断末魔の叫びをあげたかもしれない。けれど、それは人間達の耳に届くことはなく、まぶしさに目がくらんだ弓兵達が目を開けると、魔術陣の中から黒い芋虫のような異形は失せていた。




