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三日が経った。
紅の一族第六位アルベルテュスを倒すと決意してから。
リリーベルはまず、その日一日をかけて策を練った。
そして翌日、最初に聖殿長の執務室を訪ねた。人手を集めるにせよなんにせよ、聖殿に所属する以上は、この方に話を通さないとはじまらない。
アルベルテュスとのこれまでの経緯を話しても信じてもらえないだろうと判断したリリーベルは、『神のお告げらしい夢を見た』という口実を用いた。
「街の外に恐ろしい魔物が現れる、今のうちに準備をしておきなさい、と天の使いがおっしゃったのです」
嘘をついてしまうことに自己嫌悪を覚えながらも、(必ずあの紅の一族を倒すから、許してほしい)と心の中で謝罪する。
むろん、聖殿長も頭から『夢のお告げ』などという台詞を信じたわけではなかろう。
ただ、今のリリーベルは無数の魔物を浄化させた強者であり、『紅の一族第十一位』を倒した英雄である。
その発言には一定の重みが、実力には信頼があり、『ただの夢だ』と端から斬って捨てるような扱いはうけない。
「ただの夢なら、夢でいいのです。犠牲が出ずに済む、ということですから。ただ万が一、本当のお告げだとしたら……」
視線を落としたリリーベルの説得に、聖殿長は動いた。
良くも悪くもスノーパールは魔物との戦いの前線地帯で、そこで暮らす以上、可能性の段階であっても、魔物の出現に対して鈍感でいることはできないのである。
リリーベルはついでに、聖殿長から予想外の話を聞いた。
「紅の一族第十一位の件に関しては、すでに王都に報告が行っている。国王陛下の判断いかんによっては、王宮に召喚されて、お褒めの言葉や褒美をいただくやもしれん。いつでも召喚に応じられるよう、ナイト=リリーベルは怪我などせぬように」
リリーベルは聞き間違えたかと思った。
王宮からの召喚。呼び出し。お褒めの言葉や褒美。
どれも、庶民であるリリーベルには無縁と思われていた話である。
(考えたこともなかった)
驚いたが、今はそれどころではない。
リリーベルは頭を切り替え、次の行動に移る。
聖殿長はその日の内に人員の選出にとりかかり、スノーパール城へ報告を行い、二日目には選出した人員に事態の説明を行って命令を出し、午前中に計画の立案がはじまって、一方では武器や防具の聖化がいつも以上の速さで進められて、聖殿内は一気にものものしい雰囲気に変わる。
自分の言葉のせいで……と思うとリリーベルは心苦しい思いだったが、とり消すことはできない。とにかく、作戦の遂行に集中しようと心を決める。
三日後の正午、リリーベルは同僚の白魔術師達や聖殿所属の兵士達、そして聖殿が集めた農夫達と共に、街から北に少し離れた場所に来ていた。
目の前に広がるのは、一面の寂しげな草原。
今回の戦いの場に選ばれた場所だ。
リリーベルは魔物について、『とにかく強力』と『街の外に現れる』という情報しか提供できなかった。
そのため「あらかじめ強力な罠を仕掛けて、魔物をそこに誘導、追いこんで浄化する」という案が採用された。
そして肝心の場所について、様々に検討された。
強力な魔物である以上、街の中で戦うのは論外だ。ある程度以上、街から離れている必要がある。
理論上、最良の場所は、もっとも太陽の光があたる南である。
しかし、たいがいの町や村の例にもれず、スノーパールもよく陽があたる南側は畑がつづいている。ここで戦ったら植えたばかりの麦が荒らされるうえ、最悪、魔物の強い魔力で土が汚されてしまう。
南東の森も、隠れる場所が多いうえ、魔物は人間よりはるかに夜目が利くので、逃げられたら追い駆けるのが困難だ。
西側は王都へつづく街道が伸びており、旅人や周辺の村からの行商人達を危険にさらすわけにはいかない。
北は特に難しい。高い城壁にさえぎられて一日中、日光が当たらない場所まである。こういう土地は当然、魔物や魔力に対する抵抗力が弱い。
では東側か、というと、これも微妙だった。
一般に、どの村や町でも、東には墓場がある。死体に魔力が宿って魔物化せぬよう、夜がもっとも早く終わる方角に死者を埋葬するからだ。
しかしスノーパールの場合、東は基本的に魔物が跋扈する未開の土地であり、新鮮な死体は魔物に喰われる危険性がある。そのため、この街では墓場は北西にあるのだが、強力な魔物は死体を『生きた屍』としてよみがえらせる力がある(紅の一族第六位なら、簡単にやってみせるだろう)。
あれこれ話し合った結果、罠を仕掛けるのは北側、ただし城壁の影が届かぬくらい街から離れる、という結論に落ち着いた。
「この辺りは、もう城壁の影が届かないので、地面も太陽の力をたくわえているはずだ。ここに浄化の魔術陣を敷こう」
聖殿の白魔術師最年長の壮年の男が、兵士達の隊長に伝える。隊長が部下に指示を出し、さっそく三十人の兵士達と金で雇った農民達が、指定された場所の草刈りをはじめる。
農民の中には「誰が紅の一族を倒した人?」と兵士に聞いている者もいる。女性の白騎士は珍しいし、リリーベルは兜をかぶらないので、亜麻色の髪を結っていてもすぐに娘とわかったらしく、手をふったり、拝んだりしてくる者もいる。
正午過ぎにようやく草が刈り終わり、リリーベル達白魔術師の出番となる。
露わになった地面で、まず中心を決めると、そこから縄を使って幾重にも真円を描き、それを下書きに魔術陣を描いていく。魔術陣を描く道具は聖水で、これを惜しみなく垂らしていくのだ。
「偉大なる光の主、昼の王、数多の星と月の兄、我ら人間の命と日々の守り手よ。その御力を……」
白魔術師達が聖句を唱えながら、魔術陣を描いていく。
今、この場にいる白魔術の使い手は、白魔術師が五人、白騎士がリリーベルを入れて二人だ。準備段階なので、白魔術師のほうが多い。
リリーベルとしては、もっといても問題なかったと思うが、『相手は紅の一族第六位である』と言明できないため、これ以上、聖殿長の判断に異を唱えることはできなかった。
自分も聖水を垂らしながら、とにかく心と白魔術の力を込めて聖句を唱えつづける。
(これで、どこまで効果があるかはわからないけれど……)
でも、よくよく思い返せば、広場で初めて出会ったあの時、あの第六位は頭からフードをかぶって、リリーベルのもとにいたのもごく短時間だった。
その後は夜に会っているし、完全に太陽が平気、というわけでもないのかもしれない。
ならば、真昼に聖水を用いて用意するこの魔術陣も、無駄ではないはずだ。可能なら真昼に罠にかけるのが、もっとも効果的だろう。
(ここまで人手と道具を動員しておいて、『来ませんでした』では……怒られるくらいではすまないかも……)
リリーベルは自分で自分の想像に冷や汗が出る。
(呼び寄せる方法はあると思うけれど……たぶん、こちらが『来て』と言えば……)
罠を仕掛けたところで、どうやって肝心の相手をそこまで連れてくるか。
相手は人間と同等か、それ以上の知性を持っている。獣のように、肉や血を置いておけば引っかかる、というものではない。
一日、悩んだ末、リリーベルは(ひそかに呼び出せばいいのでは?)と気づいた。
あの紅の一族はリリーベルと会いたがっているのだ。リリーベルが『街の外に来て』と言えば、やってくる可能性はある。
ちょうど前回、王都の話を聞いたばかりだ。『もっと王都の話を聞きたい』といえば、怪しまれないのではないか。
(あの第六位を呼び出して、それで……この魔術陣に……)
リリーベルの脳裏に、浄化の白い光に包まれて苦しがる赤い瞳の青年の姿が浮かび、聖水の瓶を持つ手が止まる。
胸の痛みはある。だまし討ちしようというのだから。
(でも)
これがリリーベルの役目であり、選んだ道だ。
(だから……絶対に倒す。そう決めた……のに……)
それなのに。
(どうして、肝心の本人が来ないの!?)
リリーベルはひそかに苛立った。
三日前までは、頼んでもいないのに押しかけてきていたのに。
倒すと決めた途端、夜も昼も顔を出さなくなったのだ。
聖殿にいる時はもちろん、城壁の見回りをしている時も、魔力の気配一つ感じられない。
(なんとか、ここに連れてこなければならないのに……このままだと……)
せっかくの魔術陣が無駄になってしまう。
恐ろしい想像が頭をよぎって、リリーベルは思わず肩をふるわせる。
その時。
「わあっ!!」
「なんだ!?」
兵士達が声をあげる。
地面がゆれはじめたのだ。
リリーベルも聖水の瓶をにぎりしめて立ち尽くす。
「この気配は……!!」
誰かが叫んだ。
気配は一気に濃くなり、大きくふくらむ。
「城壁だ!!」
白魔術師の一人が指をさした。
正確には城壁の手前、南の空を移動する太陽の影となっている場所を。
地面が盛り上がるとざざあっと流れて、黒々とした塊のような影が姿を現した。
表現しがたい形状だった。巨大な芋虫が全身に毛の代わりに人間の手足を生やした、とでも形容すればいいのか。
そばにいたコーデリア=ホワイトが、はたと気づいたように声をあげる。
「なんて強い魔力……普段、街を襲ってくる魔物とは比べ物になりません。ナイト=リリーベルがお告げを受けたという魔物は、あれのことですね!」
「えっ」
「第十一位の浄化につづいて、神のお告げまでいただくとは……ナイト=リリーベルの才能は本物だ!!」
別の白魔術師も驚愕しつつ、興奮の声を出す。
「……」
むろん、リリーベルは内心で叫んでいる。
(違うんです!! 魔物違いです!! あれではないんですーーーー!!)
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