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(やっっっぱり、あの方は倒すべき! 滅ぼすべき! この世から抹消すべきです!!)
リリーベルは拳をにぎりしめて、強く強く確信する。
朝にスノーパール城から帰ってきたあと、聖殿内の自室の寝台に突っ伏す。
修道士や修道女達はみな、大部屋だったり相部屋だったりするが、白魔術師や白騎士はそれぞれ、せまいが個室を与えられている。四方は石の壁で、窓も寝台も小さいが、他人の目がないだけで違うものだ。
ちなみにグレイシー・シープフィールド嬢は、今朝になるとすっかり具合がよくなっていたそうで、スノーパール城お抱えの医師や白魔術師からも回復を宣言された。
己の全快を知ったグレイシー嬢は半狂乱で「嘘よ! 嘘よ!!」と叫んでいると侍女から聞いたので、仮病の噂は本当かもしれない。
それはさておき。昨夜の出来事を思い出し、寝台の上で身もだえするリリーベルである。
(よ、夜に、真っ暗な時に、部屋に、寝室に……いえ、寝台に座られて……っ。のんきに話した挙句……いえ、こちらの立場は主張したけれど……とうてい納得させられていないというか……むしろ、こちらが反論できなかっ……! 魔物に論破されるなんて……それに、それに、あの、最後の……最後の感触というか、暗かったからはっきり確認はできなかったけれど、でもやっぱり、あの感触はやっぱり、その、私、あの方に抱きしめら……っ!!)
とうてい最後まで考えることができず、リリーベルは表現しがたい羞恥心に襲われて、思わず毛布をかぶる。
(あんな、みっともないところを見せてしまうなんて……人間相手にも、家族のことはあまり話してこなかったのに……どうしてあの時、よりにもよってあの方に、魔物の、紅の一族のあの方に、あんな大事なことを……あんな姿を……っ!!)
胸をかきむしりたい衝動に襲われる。
(どうして、もっと毅然と対応できなかったの? どうして、いちいち動揺してしまうの! どうしてもっと、もっと冷静に、ずっと冷静に……っ!! あんな姿を見せてしまうなんて……昔のことを知られるなんて……どうして白騎士なのに、もっと堂々とできないの……っ!?)
不甲斐なさに身が千切れそうだ。
(それに……あの……)
広い肩と広い胸、長い腕のしっかりした感触。
耳元にささやかれる低い美声。
薄手の寝間着越しに肩や背をなでた手は大きくて、仕草は優しげで、声も――――
『俺は貴女を妻にしたいのに、番になりたいのに、貴女はずっと『否』としか言わない』
『すまない。貴女を傷つける気はなかった。謝罪する。本当にすまない』
『貴女のほうが百倍、美しくて魅力的だ』
傷ついたような、すねているような切なげな声。
本気で戸惑い、後悔しているように重ねてくる謝罪。
迷いのない、こちらが聞いていられなくなるような大げさな称賛。
顔に血がのぼる。耳まで真っ赤だ。
自分は昨夜、間違いなく、あの魔物の、第六位の腕に――――
(穴があったら入りたい、いえ、いっそ自分で埋まってしまいたい、一生、外に出たくない……っ!!)
毛布にくるまり、丸くなる。頭が沸騰して爆発しそうだ。くりかえしよみがえる記憶が、さらなる追い打ちをかけてくる。
『貴女はずっと『否』としか言わない』
『貴女はどうして、そう俺を拒むんだ?』
(当然です! 決まっています! あなたは魔物で、妻とか番とか――――)
「う……」
脳がとうとう許容量を超え、リリーベルは最大限に顔を赤く染めて、文字どおり『顔から火を噴く』感覚を味わうと、へなへなと全身の力を失って、ぼすっ、と寝台に突っ伏した。
(もう嫌……どうして私、こんなに……おかしい……魔物相手に……)
恥ずかしさと悔しさと、激しい自己嫌悪に打ちのめされる。
白騎士なのに。一人でも多くの人々を守るために戦ってきたのに。この世を魔物からとり戻すのが自分の使命なのに、どうして自分はあの魔物に対して、もっと冷静に毅然とした態度で接することができないのだろう。どうしてもっと、確固たる意志をもって拒絶できないのだろう。
何度言っても、なにを言っても、あの紅の一族第六位には通じていないようで。
『貴女のほうが百倍、美しくて魅力的だ』
『心から貴女を俺のものにしたい』
『独占したい』
『結婚してくれ、リリーベル。俺は貴女がほしい』
赤い瞳はたしかに、魔物の証なのに。
今までに見てきた、そこらの低級な魔物より、はるかに鮮やかに妖しく輝いているのに。
リリーベルを見る時は、人間のように真剣で熱っぽくて甘やかで。
ぎゅうっ、とシーツをにぎりしめる。
(顔、顔のせいよ。あんな、きれいな姿をしているから……私、見た目に惑わされているのよ、情けない。人間では見たことのない、美形……美青年? 美貌?)
脳裏にあの青年の数々の面影がよみがえる。
(……あれ? そういえば……きちんと顔を見たのは、昼間に会った、最初の時だけ?)
リリーベルの頭に残るのは、暗がりで会話した記憶が多い。
紅の一族の青年の美しい顔は闇に隠れて、人間であるリリーベルには赤い瞳以外、明瞭には判別できない場合が大半ではないか?
リリーベルは記憶をさらって指折り数えてみる。
(最初に広場で会って……いえ、その前に第十一位を倒した時に会っていたみたいで……昼間に会ったのは……四日後? それから、その晩にまた森で会って……次の日にスノーパール城に行って、その晩に部屋に来て、それが昨日で……えっ!? まだ、出会った日を入れて、三日!? 初めて顔を合わせたのは、一昨日!? 第十一位のあとのことを数に入れても、六日くらい!?)
リリーベルは思わず数え直した。
しかし、やはり結論は変わらない。
(……最初に会ってから、十日間くらい経っている気がしたのに……)
たった三日間なんて、怒涛の日々もいいところだ。
計算した自分自身も意外で、ちょっと信じられない。
(えっ? じゃあ、きちんと顔を見たのは、一昨日だけ? あとは、いつも夜……暗くてよく見えなくて、声とか言葉とか感触とか、そういう部分しか……)
『紅の一族が第六位、アルベルテュスが請う。俺のものになれ、リリーベル。白ゆりの乙女よ。俺は貴女に恋をしている――――』
陽光の下ではっきり見た顔。白い肌に黒い髪。女性と見まがうほどに整いながら、眉や目元は凛々しくて、全体に品と威厳をまとい、同時に、どこか妖しい色香をただよわせていた圧倒的造作美。低くて真剣な、一度耳にしたら忘れられない美しい声。
真昼の広場、人込みの中で告げられた言葉を思い出して、リリーベルは再度、寝台に突っ伏す。
(駄目……私、もっとしっかりしないと。毅然と拒まないと)
リリーベルはのろのろと起き上がって毛布を脱ぐ。
自分はもっと、しっかりしなければならない。
何故なら、自分は白騎士で、それは自分で選んだ道だから。
(私はこの道を行く。女らしくなくても、女の幸せを得られなくても、一生独り身で、どこかの戦場で魔物に殺されて終わるとしても、それでも。これは、私が決めて、私が選んだ道だもの)
もう二度と、これ以上、両親や弟のような、故郷の村のような惨劇は起こさせない、誰にも味わわせない。そのために。
だから。
襟の下をにぎりしめ、気持ちを固める。
(あの方――――あの魔物は、絶対に倒す。消滅させなければ――――!!)
心は決まったものの、実行にあたっては、いくつか障害があった。
(……あの方を倒す、といっても……どうやって?)
正午に行う、武器や防具の聖化の作業を終え、食堂で正餐(午後三時頃。一日でメインとなる食事)をとりながら、リリーベルはあれこれ考えをめぐらせる。
修道士、修道女達はパンにキャベツと玉ネギのスープ、牛乳、季節の果物が一切れずつだが、白魔術師や白騎士はそれらに加えて腸詰肉と焼いたジャガイモが付き、パンと果物の量も倍だ。
(そもそも……私一人で倒せる? 無理!)
根本的な疑問を自問して、即座に自答した。
(紅の一族第六位で、真昼に平然と外を歩いていたのに……倒せるとは思えない)
通常、魔物は夜に出現する。何故なら、魔物は夜の闇の神に属する存在のため、光には弱い。そのため、昼の王である太陽の出ている時間帯は、姿を現さないのだ。陽の光の届かぬ地の底や森の奥、谷間の底に隠れていると伝わっている。
だが、あの第六位は平然と昼間の広場に、太陽の下に出てきて、リリーベルに求愛していったのである。
その時点で、魔物としてはいろいろ規格外だ。
(太陽の光に耐えられるレベルの魔物なんて……私一人では、絶対に無理。おそらく、あの第十一位とも比べものにならないはず……援護を頼まないと……)
聖殿内の白騎士や白魔術師はむろん、可能ならスノーパール城にいる白魔術師も派遣してほしい。
(普通の兵士も、いるに越したことはないし……)
白魔術は使えなくとも、聖化した矢をいっせいに射かけてくれるだけでも、ないよりはましなはずだ。今回はとにかく、人手が必要になる。
(その人手を、どうやって集めるか……聖殿長に頼むとしても、どんな理由で? 紅の一族第六位に求愛されていますから、とでも? ……信じてもらえないないでしょうし……)
苦い薬湯を飲む表情で、牛乳を飲む。
(場所も……大勢を集められて、被害は最小限で、となると街の外しかないけれど、まず、どうやってそこに連れて行くか……)
延々考えつづけながら、リリーベルは機械的にスープを喉の奥に流し込んでいく。




