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「ハァァァァ――――ッ!!」
十三夜の月の下、剣が月光を集めて白く輝く。
掛け声とともに、それをかまえた小柄な人間が同胞へぶつかる。
浄化の光を放つ剣は同胞の胸を貫き、赤い剣先が背中から姿を現した。
同胞の肉は貫かれた箇所から黒く変色してぼろぼろとくずれ、大きな穴を開ける。
その穴の中に赤く脈動する心臓が一瞬、見えたが、またたく間に黒く干からびて炭のようになり、粉々に散った。
残っていた胴体や四肢もすべて炭化して、もとの形を失う。あそこまで完璧に浄化されては、もはや復活の可能性も完全に失せた。
紅の一族第十一位、完全な敗北にして失脚である。
第六位アルベルテュスは、同胞の消滅を赤い二つの瞳で確認した。
死んだ同胞に対する憐憫や惜別の思いは微塵もない。「仇を討つ」という発想もない。そういう一族だ。
第十一位の肉体が完全に霧散して、彼を倒した人間の姿が露わになっても(どんな人間だ)と興味を抱いただけだった。
人間は騎士だった。
人の社会で『白騎士』と呼称される、聖殿に所属して、主に魔物の浄化や魔除けの任にあたる白魔術師。
その中でも戦闘に特化した職だ。
土と埃にまみれているが、本来は白銀色に磨かれていたであろう鎧と、その下からのぞく深い緑の裾や袖。後頭部で一つに結われていた髪はほつれ、リボンもほどけかかっている。
小柄に見えた騎士は娘だった。
十代半ばか、せいぜい後半。
敵を貫いた体勢のまま、しばし呆然と目をみはっていたが、表情からとうとつに力が抜けると、どさりと地面にうつぶせに倒れた。手がゆるんで、剣も落とす。
「? おい?」
なにかの罠か演技か、とアルベルテュスは爪先で娘の頭をつついてみたが、反応はない。
「……本当に気を失っているらしいな……」
戦闘に特化した白魔術師とはいえ、第十一位とはいえ、人間が、あらゆる魔物の頂点たる紅の一族と戦ったのだ。倒れないほうがおかしい。
どうしたものか、とアルベルテュスは考えた。
『同胞を殺した仇』という発想はない。
ただ同朋を倒した『稀なる強敵』だ。
禍根を残さないためには、ここで殺しておくのが正解である。
「やれやれ」とため息をつく。
「白魔術師だと血も吸えないしな……」
魔物を浄化する術に長けた白魔術師達は、自身の身を浄化する術も心得ている。特に、魔物との直接的な戦闘が使命の白騎士達は、己の身を守るためにも日々、自分達の肉体を聖化することに余念がなく、低級の魔物などは噛みついただけで消滅しかねない。
足元の白騎士は若いので、まだそう聖化は進んでいないだろうし、第六位のアルベルテュスなら血を吸っても即死ということはないが、美味でないことは確実だ。
アルベルテュスは膝をつき、汗で後れ毛がはりついた娘の首に触れる。
紅の一族は人間を殺す際、わざわざ武器を用いたりはしない。
優れた身体能力を誇る彼らはいつだって、格下相手には素手で立ち向かう。
細い首の骨を一息に折ろうとした寸前、覚えのある声が聞えた。
『聞こえるか? 第六位。わしじゃ。第五位じゃ。第十一位はどうした?』
姿はない。紅魔術で、声だけを離れた場所からアルベルテュスの耳に届けているのだ。
アルベルテュスは細い首から手を離さず、同胞の問いに答えた。
『消滅した。白騎士がやった』
『では、これで十三の位階のうち、三席が空位か。最近は白騎士も強いのが出てきたのぅ』
第五位の声もあっさりしていた。同胞の死を悼むそぶりさえない。
紅の一族は同族が殺されても、屈辱や怒りを感じることさえ少ないのだ。
『第十三位が楽しみにしていたんじゃが……』
『第十三位? 西にいたんだろう? 来ているのか?』
『つい先ほど、こちらに到着した。第十一位が襲撃に出たと聞いて、追いかけたんだが……まだ到着しておらんか?』
『いや。見ていない』
『そうか。なら、会ったら報告だけ頼む。わしはこのまま戻る』
『承知』
ふつりと声が途切れる。
どうしたものか、とアルベルテュスはふたたび同じ問いにとらわれた。
殺す選択に変わりはない。
ただ、第十三位がこちらに向かっている。
第十三位はその位階も示すとおり、一族の最年少だ。
にもかかわらず、その性質は十三人の中でも特に残虐だった。
たしかに、紅の一族として覚醒したての頃は、血に飢えて精神的に不安定になったり、飢餓感に支配されてがむしゃらに血を求めたりする時期がある。が、それをのぞいても、現在の第十三位の残虐ぶりには、第六位のアルベルテュスも眉をひそめるものがあった。
第十三位が到着すれば、この若い白騎士の意識が戻るのを待ってから、なぶり殺しにするだろう。なまじの拷問など可愛らしく思えるほど、残酷に。
同胞の仇をとるためでも、のちの禍根をとりのぞくためでもない。ただ、自分の欲望を満足させるためだ。
アルベルテュスは息を吐くと、武装した騎士の細い体を肩に担ぎあげて立ちあがった。
そのまま、城壁から南東に少し離れた位置にある森にむかう。
彼は、同胞にも人間にも「殺されるのは可哀想だ」という気持ちを抱いたことはない。
ただ、同じ殺すにしても、手段は選ぶべき時がある。
死力を尽くし、まして人間としては異例な武勲を立てた戦士には、最低限の礼儀をもって接する。それがアルベルテュスの流儀だった。
この騎士は第十三位が到着する前に、苦しみを味わわせぬ形で殺してやろう。
森の奥まで来ると、少し開けた場所に小さな泉が湧いているのを見つけた。
アルベルテュスは泉の脇に担いでいた騎士をおろす。娘といえど、鎧を着ているのだからかなりの重量があるはずだが、疲れた様子はない。
あらためて騎士の首に手をかけようとして――止めた。
騎士の頬も額も土と汗に汚れ、ほつれた髪がはりついている。
(若い娘が、もう少しマシな格好をしたらどうだ)
年寄りくさい説教じみた感想が、約二百五十歳の、見た目は青年の頭をよぎる。
アルベルテュスは、ここまできたら多少の手間は変わらない、むしろ最低限の手間くらいはかけてやろうと、持っていた手巾をとり出して泉で濡らし、騎士の顔を拭いてやる。
頬をぬぐい、額をぬぐい、はりついていた前髪も簡単に整えてやる。
「こんなものか」
顔を拭いただけだが、あらためて見ると若い娘だった。
顎は細く、頬のやわらかな線もいっそう彼女を可憐に、あどけなく見せる。
白魔術師や白騎士などの道を選んだりしなければ、今頃は普通の娘として、好いた男と家庭を築いていたのだろう。
(女だてらに鎧なんか着込んで戦場なんぞに出るから、寿命がちぢまることになる)
思いながら、その『寿命をちぢめる』ために、アルベルテュスは騎士の首をつかんだ。
その感触に触発されたのだろうか。
騎士のまぶたがふるえ、声にならないかすかな息が小さな唇からもれる。
アルベルテュスの赤い瞳の前で、若い騎士は目を覚ました。
月光がいっそう白くまぶしく、降り注ぐ気がした。
白い肌、あどけない唇、長いまつ毛。その中の、ぱっちりと開かれた大きな瞳。
その鮮やかな緑。瑞々しい常緑樹の葉のような輝き。
その清らかさ、美しさときたら、どんな緑柱石も翡翠も孔雀石もかないそうにない。
清純無垢、生まれたてのひな鳥のようなあどけなく頼りない澄んだ瞳と表情が、アルベルテュスを見あげていた。
アルベルテュスは手に力を込めるのをためらった。
これは本当に、あの獅子奮迅の活躍を見せた騎士と同一人物だろうか。なにかの間違いではないか。
だって先ほど、あれほど激しい死闘をくりひろげていたというのに、目の前の娘の瞳にはまるで警戒心がない。
アルベルテュスの手がふるえだした。心臓が勝手に激しく脈打ちだす。
(なんだ?)
顔が熱い。全身がこわばり、娘の瞳から視線をそらせない。頬に触れている指先から痺れがひろがってくる。
(白魔術の呪いでもくらったか!?)
ならば、すぐ離れなければ。そう思うのに、腕も足も動かない。
美しい緑の瞳。このまま吸い込まれてしまいそうな――――
アルベルテュスはもう一方の手も伸ばしていた。両手で彼女の頬をはさむ。伝わってくる頬のぬくもり。その顔の小ささ。頼りなさ。
自分はなにをしているのだろう。なにをしようとしているのだろう。
わからない。
ただ、もっと彼女を見つめたい。
この緑の瞳も、白い額も、やわらかい頬も、それからこの無垢な唇も――――
思考までもが不思議な麻痺に支配されていく。
(いったい、なにが――――)
とうとつに娘のまぶたが閉じられた。
緑の瞳が見えなくなった瞬間、アルベルテュスは、人間にたとえるなら太陽を失ったような喪失感を覚えた。
慌てて娘の首筋を確認する。
脈はあった。息もしている。
疲労の極にあった肉体が、ふたたび気を失っただけだった。
「良かった……」
思わずこぼれた一言を自分で聞いて、アルベルテュスは自身を罵った。
(良かったって、なんだ! 俺はこの娘を――――!)
けれど、それ以上は心で思うこともできない。
自覚した。
これ以上は無理だ。今後のために下した最初の結論を、今のアルベルテュスはもう、実行することはできない。
何故だ、と己を殴り倒したいほどの葛藤に苛まれながらも、アルベルテュスは眠る娘をそっと泉の脇に横たえる。娘の髪が解けてひろがる。視線を彼女に固定したまま、立ちあがった。
殺せない以上は長居してもしかたがない。
離れがたい気持ちをどうにかねじ伏せ、泉から離れ、飢えるような思いで木々の間に姿を消した。枝から枝へ跳び移る。
まだ、やることが残っている。
第十三位を見つけて、こちらに来ないようにしなければならない。
第十三位が彼女を見つければ、今からでもなぶり殺そうとするだろう。
枝を飛び移りながら、アルベルテュスは自分の手を見おろした。
手の中に、彼女の髪を結っていたリボンがある。
どうにも名残惜しくて、とっさに持って来てしまったのだ。
リボンは彼女の瞳に似た深い緑。
ぎゅっとにぎりしめる。
自分はどうなってしまったのだろう。敵を、獲物を前にして逃亡するなど、二百五十年の間、ただの一度もなかった出来事、選択だ。
けれど後悔はない。
彼女を殺すくらいなら、自分が敵前逃亡の汚名をかぶるほうがましだ。
自分はどうしてしまったのだろう。
あの美しい緑がアルベルテュスの瞳から侵食して、全身を、心を染め変えてしまったかのようだった。
二百年の時の中でここまで胸を、心をゆさぶられたことはない。
こうして、紅の一族第六位アルベルテュスは、名も知らぬ白魔術の騎士の乙女への恋に落ちた。
彼女の澄んだ美しい緑の瞳に、魂を魅了されてしまったのである――――