拡張現実で異世界に色彩を
この世界には色が無い。
色のない世界で、ボクの持っている液晶タブレットだけが色彩を持っていた。
お年玉を二年も貯め、お手伝いを数か月分をつぎ込んで買った液晶タブレットが、この世界で唯一無限の可能性の可能性を持っていた。
むろんボクにも色がない。いや色がなくなっていた。
もっとも黒い学生服に黒髪黒目だから、肌の色が白っぽくなっただけだが……。
さて状況を整理しよう。
ボクは気が付くと、色を失って色の無い異世界の道端に立っていた。
色の無い森で、色のない木々が風に揺らぎ、濃淡を変えながら梢の合間から木漏れ日が落ちる。だけどそこに色はない。
輪郭と濃淡だけでできた世界の片隅で、たった一人、色を知るボクは、夢でも見ているのかと最初は思った。夢の中が白黒に見える……アレだ。
それとも自分の目がおかしくなったのかと思ったが、液晶タブレットはちゃんと色を持っていた。スタイラスタペンを当てると、選んでいたカーソルの色合いでちゃんと発色する。
ふと……本当に気まぐれで、ボクはこの色のない世界を写真に取ってみた。
森の白黒写真が撮れた。昔のカメラみたいだ。ボクは21世紀生まれなので、良くは知らないけど。
アプリで白黒写真処理をしたような色のない写真に物足りなさを感じ、ボクは画像処理ソフトを立ち上げる。
ボクは塗り絵が大好きだ。
だから、この世界は無限の塗り絵に思えた。
葉に緑の諧調を塗り込み、木々の幹に強さを感じさせる重い茶色と年月感じさせるコケの色を与える。
すると――不思議なことが起こった。
塗った色がそのまま、目の前の風景に移って色彩を放ち始めた。
写真の枠内だけだから、真四角に森を切り取った不自然な色彩だが、それでもちゃんと色をが現れた。
世界を書き換えることはできないけれど、世界に色を重ねていくことができる。
ボクは大好きな塗り絵をしながら、元の世界に帰る手段を探すため、この色のない世界を廻り始めた。
少し不安もある。
色もないが、人もいないのではないか?
塗り絵をして、世界に色を与えながら、液晶タブレットの電池を気にしながら旅をする。
幸い、異世界にはちゃんと人がいて、社会があって、さまざまな文化があった。
タブレットの電池切れもなかった。都合のいいことに――。
都合のいいタブレットを携え、ボクは人と交わって、色を混ぜ合わせていく。
権力者に頼まれ、城を金ぴかに塗った。
そっくりな双子を見分けるため、わかりやすく青髪と赤髪に塗り分け感謝された。
貧しい人の粗末な服を、派手に塗り分けるだけで、彼はとても喜んでくれた。
そんなことを繰り返すうち、この世界は大騒ぎとなっていく。
赤や黄、青など色を表す言葉がない。もちろん色を使った慣用句もないし、甕覗き色とかマニアックな色の言葉もない。
世界は大混乱だ。
街の人たちは好き勝手に、色へ呼び名をつけようとした。
新しい文化に言葉と連絡が追いつかない。
始めて色を見た人たちは、一様に驚いて見せた。
色は脳に刺激を与え、脳細胞を活性化させると聞く。
太古の地球で露出した脳神経を目に進化させ、初めて光に触れた生命たちも、彼らと同じような劇的な脳への刺激を得ただろう。
この世界の人々は新しい刺激をうけ、新たな能力に目覚め、さらに高い文明と文化を築いていくだろう。
ボクは一応、責任を取るため、色に名称つけつつ色を塗る。
色の伝道師として世界を歩き回る日々――。
そんなある日、ボクは飛んでもない失敗をしてしまった。
よくあるミスだ。
デジタルで絵を描く人なら、誰もが経験するミスである。
一面、真っ黒!
バケツツールでなんにもない空を選択し、クリックしてしまった。
運悪く、選んでいたのは黒だ。ブラックだ。RGBカラーコードで0.0.0だ。
筆では画面の枠外まで塗れないが、バケツツールでは枠を越えて広がってしまうのか……。なんてことだ!
あっというまに空は真っ黒に染まり、まだ色を塗っていない濃淡だけだった世界は濃く暗くなり、色を塗ったところも明度が一気に下がっていった。
こうして世界に夜ができた。
そうか、この世界には夜がなかったのか。
明度はあっても、この世界に完全な闇は無かった。
ボクはこの世界に、闇と夜の概念を与えてしまったことに恐怖を感じた。
そして今更、この世界に太陽がないと気がつき、身の毛のよだつ思いを生まれて初めて経験した。
すぐに空に広がる黒に向かって、消しゴムバケツを試みる。しかし、世界は動いている。
輪郭をもつ雲が新たな領域を作り、消しゴムバケツツールが阻まれた。その先で黒が広がっていく。
あちこちで、線が動き、消しゴムバケツツールを阻んだ。
もう……追いつかない。
ボクは夜を消すため、こぼれて境界をすり抜け広がっていく黒を追いかける。
黒を追いかけながら、ボクは世界に色も塗っていく。
こうしてボクと液晶タブレットは、この世界の太陽になった。
光も熱も太陽風も電磁波もないが、この世界に色を与えるだけの太陽。
しかもたったの時速4キロメートル。
色んな異世界があるだろうけど、きっともっとも遅い太陽だ。
思いつきで書きました。
「二次元で描いてるから、木の反対側とか服の裏側とか塗れてないんじゃない?」
いいんだよ細けぇことは!
「色への名称が最初からないと、とんでもない情報格差と社会の大混乱……」
いいんだよ短編だから!
「生肉と焼き肉の色を同じに塗ったら?」
誰もが予想しない新次元バイオテロ。
簡素な言葉にして、タブレットをクレヨンにすれば童話になりそうです。