エピローグ おとぎ話のようではなく -2-
「目を閉じなさい」
「え」
急に思いもしないことを言われて、うつむいてしまっていた顔を上げた。
「目を閉じて」
もう一回言われた。何だかわからないけど、急いでそのまま目をつぶる。
あ……髪、触られてる。左のこめかみのあたり。耳にも指が当たってて、くすぐったい。痛、ちょっと髪を引っ張られた。何してるんだろ……。
こめかみでパチンと音がした。髪が少し引っ張られて、重い。何か着けられた?
そして先生の大きな手が私の顔の左側を包み込んでいる。耳に指先が、頬に手のひらが当たっている。目をつぶっているせいか、先生の息遣いをすぐ傍で感じる気がした。
何だか胸がドキドキする。顔が熱くなってくる。
「もういい」
という声がして目を開けると、すぐ傍に先生の顔があって心臓が止まりそうになった。
左のこめかみに手を触れてみる。やっぱり何かついてる。
先生が黙って右の壁を指さし一歩下がった。それでやっと普通に息が出来るようになる。
そこには古い鏡が掛けてあった。黒いリボンの可愛いクリップが、私の耳の上に着けてある。
「え、あの、これ?」
「それくらいなら校則違反にはならないだろう」
先生は素っ気なく言った。
校則で髪留めは地味なものでなきゃダメなんだけど、確かにこれならギリギリ大丈夫なラインだ。そして大丈夫なラインの中でもとっても可愛いやつだ。
えっと、つまり、これ、私に、先生が?
「あの、ありがとう、ございます」
びっくりしたのと嬉しいのとわけがわからないので頭が混乱して、とにかくほっぺたが熱くて、耳はもっと熱くて、先生の指の感触がまだ残っているようで、心臓の鼓動がものすごい勢いになってて、支離滅裂な気持ちのままでお礼を言う。
先生は馬鹿にしたように肩をすくめた。
「それで?」
え? それでって?
えっと、これはプレゼントしてもらったんだよね? あれ、もしかして……これってバレンタインのお返し?
私は反射的に手に持っていた包みを先生に向かって差し出す。
「あ、あの、遅くなりましたけどこれ、もらってください! バレンタインのプレゼントです!」
何だか順序がめちゃくちゃになっている気もするが、深く考えている余裕がない。
「他に言うことは?」
と聞かれた。えっ、他に……他に??
「あっあの、いつもありがとうございます! 大好きです!」
メッセージカードに書いたことをそのまま大きな声で叫んでしまった。冷静に考えるとすごく恥ずかしいことをしている気もするが、考えている余裕がない。
先生はしばらく差し出された包みを冷たく見ていたが、
「初めからそう言えばいいんだ」
と言って、すっと包みを手に取ってくれた。
「他人に何かを贈りたいならそれなりの礼儀が必要だと思うが」
「はい、すみません」
「今回の君のずぼらな態度は目に余るものがあった」
「申し訳ありません」
「気を付けるように」
「ごめんなさい」
「月曜の朝一番で反省文を提出」
「わかりました」
叱られっぱなしだ……でも、受け取ってもらえて良かった。
「本来は生徒から物を受け取るのは好ましくないのだが」
先生は包みを開けて中を見る。
「食べ物なら食べてしまえば残らないな。君、お茶をいれてくれないか。ああいや、甘そうだな。棚に鈴木先生のインスタントコーヒーがあるから、それを使ってくれ」
鈴木先生は週に一日だけ授業を持っている非常勤の先生だ。この部屋は十津見先生と鈴木先生が共同で使っている。
「鈴木先生の? 勝手に使っていいんですか?」
「かまわないだろう。鈴木先生もよく私のティーバッグを勝手に使っている」
そうなのか。では鈴木先生、失礼して使わせていただきます。
電気ポットでお湯を沸かして、コーヒーを二人分いれる。
私が作った小さなチョコレートを先生が食べるのをじっと見る。
おいしいかな。気に入ってもらえたかな。自分で味見もしたけど、先生の好みには合うのかな。いやいや食べてたりしないかな。
「どうした。君も食べたいのか?」
私があんまりじろじろ見ていたので、先生はチョコレートの入れ物を私の方に差し出した。慌てて首を横に振る。
「いえ、いらないです。あの、全部先生に食べていただきたいです。あの、美味しかったかなって思って」
「別に悪くはない」
先生はそう言って新しいチョコレートを口に入れた。それを飲み込んでから、
「少し味が単調だが」
と言った。
ダメ出しされちゃった。市販のチョコレートを溶かして型に入れただけの簡単レシピだったからなあ。
「ら、来年は! 来年は頑張ってもっとおいしいのを作ります!」
と力を込めて言ったら先生はふふんと笑って、
「過度な期待は持たないようにしておこう」
と言った。
なんか全然期待されてない……。ホント、来年は頑張ろう。今からレシピ調べよう。
一緒にいて話が出来て、笑い合えるこの時間がとても幸せ。
先生のことが本当に大好き。
来年もこうやって、二人で笑い合えるバレンタインでありますように。
思い描いたおとぎばなしのようではなくても。それよりも、きっとずっと幸せに。
もう一度本当に心から、Happy Valentine’s Day。




